第34章.カガリの家族
_______トントントントン…
「んぅ……う、うっさ…なんだよ~…まだ、寝たり無い……なのに……」
何かを小刻みに叩くような音に、ソファーの上でくるまっていた毛布がもぞもぞと動いた。
最初に毛布の中から手が出ると次に顔が出てき、寝相か摩擦か。癖毛の酷い髪型が更に酷く爆発をおこしてしまっている杏が気だるそうに這い出てきた。
「……ふぁぁ~~…ぃっっ。背中、痛っ…なんでだ…?」
ボリボリと乱れに乱れきった頭を掻き、あくびと共に痛い程凝り固まった体をうんっと伸ばす。
そして、杏はふと、あることに気がついた。
「ぁれ……ここ、どこだ…?」
立って背伸びをすれば届きそうな低い天井。埃臭い匂いを漂わせる見慣れない狭い部屋。
一つしかない天窓からは光が差し込んできてはいるものの。その光は奥まで日差しが入ることはない。
部屋全体の薄暗い印象と部屋の奥に下の階へ降りる階段がある事から、恐らく、ここは屋根裏部屋なのだろう。
乱雑に置かれた家具を無理やりに押し退け、必要最低限の生活スペースのみを確保された部屋に、杏は一人呆気に取られていた。
その時だった。
「「ヒャイーハー」」
「ん?」
杏の足元から軽快な声が聞こえた。
声が聞こえた方へ向くと、そこには自律して動く。二体の小さなロボットが両手を上げて杏を見上げていた。
「な…なんだ、コイツら……あっ」
抱っこをねだる子供のような動きをする奇妙なロボットの一体を持ち上げ、そこで、杏は気づいた。
「そっ…か……ここ、って…」
ようやく思い出した杏はロボットを降ろすとソファーから立ち上がる。
_______トン、トン、トン…
杏が辺りを見渡していると不意に、誰かが階段を登ってくる足音が聞こえ、階段の方へ視線を向ける。
「よー、起きてるか~」
「ぁ……と、轟…」
「お、ちゃんと起きてたな。ボサ髪」
階段からゆっくりと部屋へと上がってき、轟カガリが顔を覗かせると起きている杏を見つけるなり、杏の寝癖の酷さにカガリは小さく笑った。
そして、家具の山から手頃な机を引っ張りだしてくるとそれを杏の前に置いた。
「飯、食うだろ?」
机に置かれたトレーには目玉焼きとベーコンが乗ったカリカリに焼かれたトーストと小さなサラダが添えられた二枚のお皿が乗せられていた。
「……ザ・朝飯!って感じだな…お前が作ったのか?」
「味の意見は受け付けねぇーぞ。良いから冷める前に食えよ」
「う、うん……いただきます…」
先に食べ始めたカガリに遅れて、トーストを手に取り杏は口を開けてかぶりつく。
「むぐむぐ……はぐっ…」
ありふれた何の変哲もないトースト。少し焦げ付いていたぼそぼその目玉焼きにただ焼いただけのベーコン。
否定がなかったことから彼女の手作りなのだろう。家事など全くしたことが無い自分でもはっきりと分かるくらい、普通に下手な料理だ。
「……お前、料理…さてはしたこと無いな?」
「味の意見は受け付けねぇって言ったろ」
自覚はあるのか、口を尖らせながらトーストを齧るカガリも非常に微妙な表情を浮かべている。
これ以上何かを言えば「食べられるだけマシだろ」と言われるような気がして、杏は言葉を飲み込む変わりにトーストをもう一齧りする。
やっぱり、下手な料理だと思った。味付けされていないせいで微妙に不味い。
口いっぱいに頬張り咀嚼する度にそう思い、飲み込んでは杏は再びかじりつく。
「……別に無理して食わなくて良いぞ」
拗ねたようなカガリの呟きに、「食べろって言ったのはそっちだろ!」と杏は言い返そうとしたが、何故か食べる手が止まらない。
早く食べ終えようとどんどん口の中へ押し込めるせいか、トーストの“しょっぱい味”にむせ返りそうになる。
「……不味いか?」
最後の一欠片を口に入れると不意にカガリに感想を聞かれ、杏は咀嚼する口を止めた。そして、俯かせていた顔をゆっくりと上げて答えた。
「……“美味じい”…」
「……ヘッ、泣くほど旨いか、これ?」
「だ…だって…だって、ずっど……誰がとご飯を食べるな”んで……無がっ”だがら……!!ぅぅぅ!!!!」
咀嚼する毎に、ポロポロと目から涙がこぼれ落ち止まらない。
小さい頃は母はろくに家におらず一緒の食事なんて無かった。それは父が現れた後も変わらなかった。
昨日までずっと一人ぼっちだった、誰かと食べる食事がこんなにも美味しいとは思いもしなかったのだ。
「あ~あ、汚ねぇ面で泣きやがって……大袈裟な奴だなぁ、お前は…」
感涙に咽び泣く涙声の杏にカガリは呆れたようなに頬杖を付き、残ったトーストを食べていく。が、その咀嚼している唇は小さくほころんでいた。
「ふぃ…ごっそーさん。いつまでもびぃーびぃー泣いてんじゃねぇよ。ボサ髪女」
「ぐすん…!だ、だっでぇ~…」
「だってもクソもねぇよ。早いとこ家出ねぇとメンドクセェことになるぞ」
「面倒くさい、こと…?」
「おう、そりゃもう……」
カガリがそう言いかけた……その時であった。
________すかーーーーん!!!!!!
「うげごっ!!!!!!?」
「え、えっ!?っえぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!と、轟ぃぃ?!!!いや、ってかなんでフライパンが!?」
突然、カガリの後頭部に強烈な勢いでフライパンが飛んでき、吹き飛ぶように顔面から床に倒れたカガリに杏は大慌てで駆け寄りフライパンが飛んできた方を見た。
「やっと帰ってきたのか、どら猫娘ぇぇ……今までどこをほっつき歩いてた!!!?」
「ぐ、おぉぉぉぉぉぉ……!!!」
(あっ、死んだ)
フライパンが飛んできた階段の方角から鬼のように険しい剣幕の老婆が立っており、悶絶するカガリの傍らで老婆の怒気を含んだ目と合い、杏は瞬時に死を覚悟した。
「あん…?誰だいあんた…?」
「あ……あの、その…あた、あたしは…!!」
「んの……クソババァァ!!!いきなりなんてことしやがる!!?」
「誰がクソババアだい!!バカたれが!!」
「うぎゃっ!!!!」
訝しむ老婆の鋭い視線に杏が震え上がっていると、フライパンが強打した後頭部を抑えながら立ち上がり、涙目で老婆を睨み付けた。
しかし、老婆は全く怯む様子もなくカガリを睨み返すと一切の加減なく握り拳を振り下ろしたのだった。
>>>
「全く…久し振りに帰ってきたと思えば、昼まで眠って台所まであさり出した挙げ句女まで連れ込むとは……さすがのあたしゃも思いもしなかったよ。バカ娘!」
あれからすぐ。屋根裏部屋から降りてきたカガリと杏は畳の敷かれた昭和の雰囲気を漂わせた居間にいた。
「う、うるせーな…ちょっと貰っただけじゃねぇか、ケチくせぇ……イテッ!!」
降りてくるなり老婆の説教に、カガリが反抗的な態度で唇を尖らせていると鈍い音が鳴り響いた。
「捨て猫拾うのと訳が違うんだよバカたれ!後、バイクはどうしたんだい。まさか、パクられたんじゃないだろうね?」
「そ、それは……その、パクれたっうか…うぎっ!!」
「あんたってやつは……!!!今日と言う今日は許さないよ!!」
「さ、さっきから痛てぇんだよクソバ……ギャー!!!!!」
(す、すごい……父さんを相手にしても一歩も引かなかった轟があんなに弱々しく…)
老婆に頭を殴られる度に悲鳴を上げるカガリに、杏は老婆の気迫の恐ろしさにガタガタと体を震わせた。
「で、あんた、名前はなんて言うんだい?」
「ひょっ!?あ、あたしですか…?!」
突然、名前を聞かれ慌てて自分を指差した杏に、老婆は他に誰がいるんだと言わんばかりに目付きを鋭くさせる。
「あた、あたしは……こ、今宵坂…杏と、申します……と、轟…には色々と、助けてもらって……!!!」
「……そうかい。この子が」
拳骨の貰いすぎで畳に突っ伏すカガリを横目に、緊張の余り視線を右往左往させる杏はおどおどと老婆に名乗った。
すると、老婆は一言だけそう言うと伸びているカガリを一瞥し、ふんと鼻を鳴らした。
「……あたしは桃乃だ。モモでも何でも好きに呼んどくれ」
「へっ?あ……はい、わ、わかりました…モモ、さん…」
杏がそう言うと、厳格な表情をしていた桃乃は優しげに目を細め、口の端を僅かに緩ませると「好きなだけ寛いでおいき」とだけ、言い残して奥の部屋へ出ていってしまった。
「……なんか、スゴいお婆さんだな」
「ケッ……ただの怖ぇババアなだけだろ。ボカスカ殴りやがって……イテテ」
桃乃の厳しくも優しい一面に、杏が呟くと畳に寝転んだままのカガリは忌々しげに悪態を吐いた。
桃乃の前ではさすがの轟カガリも勝てないらしい。怖いもの知らずと思っていた彼女の一面に杏は可笑しそうに小さく笑う。
「出会った時のお前にそっくり、だったぞ。さすが親だな…」
「……ババアは“オレの親じゃねぇよ”」
「え?」
畳から起き上がったカガリはちゃぶ台に置かれていたお茶を冷ましながら啜る。
だが、返ってきた思いがけないカガリの一言に、杏は驚きを禁じ得ない。
「そ、それってど…どういう……」
カガリの言葉の意味を聞こうとした、その時。
「そうそう言い忘れたよ」
「あ……」
「んだよ、クソババア。まだなんかあんのか?」
「“今月の家賃”、明後日までに忘れずに払うんだよ。クソガキ」
杏の言葉を遮るように奥の部屋から桃乃が戻ってくるとお茶を飲んでいたカガリはあからさまに表情を歪める。
だが、桃乃は意に介した様子もなく、淡々とした態度でカガリに言うとまた部屋の奥へと戻っていった。
「チッ…覚えてやがったか。守銭奴め」
「あっ、ちょっ…どこ、行く気だ!?」
「集金だ集金…ったく、めんどくせぇ…」
舌打ち、渋々立ち上がったカガリに慌てて訊ねる。
すると、カガリはガシガシと頭を掻きながら億劫げに答え、玄関に向かっていった。
「ま、待ってくれよ!!轟!」
うやむやとなった言葉の意味を知る為、杏はカガリの後を慌てて追いかけようとしたが、すでに外にはカガリの姿はどこにも無く、見失ってしまっていた。
「えっと…えっと…!どこ行ったんだ?!」
「何やってんだい、あんた」
「わっ!?も、モモさん…」
どっちに行ったのか。家の前で迷っていると玄関から顔を出した桃乃に声をかけられ、驚いた杏は肩をびくりと跳ね上がらせたのだった。




