第31章.ミッドナイトスター
「ウオオオオ!!!」
「……ふん」
勇ましく叫びカガリは勢いのままに星司に向けて力強く拳を突きだすも、星司は鼻で一笑し、なびく柳の葉のごとくひらりと避けた。
そして、空振りがら空きとなったカガリのみぞおちに星司の鋭い膝蹴りが容赦なく突き刺さる。
「がはっ!?」
「舐められたものだ…」
鈍い音が響き、まともに膝蹴りを受けてしまったカガリの口から血の混じった唾液が飛び出し、腹部を押さえ下半身の力が抜けたようにカガリは膝をついた。
「私はね。何の力も持たないくせに口先だけの身の程をわきまえない奴が我慢ならないのだよ」
「ッ…!ギッ!!?」
カガリの髪を掴み上げ、無理やり上げさせた顔面にお構い無しに更に膝蹴りを叩きつけられる。
恐ろしい一撃を繰り出した星司は膝を顔面から退けるとカガリの鼻から鼻血が糸を引き、髪を掴まれたカガリは倒れることも出来ず、腕を力無くだらんとさせ、体をピクピクと痙攣させた。
「そんな奴を見ているだけでイライラする。なんと無価値な存在だろうか、とね…」
星司は無表情だった顔に静かな怒りを向け、意識が飛びかかっているカガリを冷徹な眼差しで見下した。
「『噂の魔法少女ブラックローズ』…もてはやされ、強くなった気で浮かれていたか?図に乗るなよ。小娘……貴様より強い願望者などごまんといる。その中の並み居る願望者より多少強いと言う理由だけの愚か者が……私に勝つ気でいるなどおこがましいにもほどがある!」
「ァ……ッ…!!!」
華奢とも言える細腕でカガリは軽々と放り投げられ、血を撒き散らしながら地面を転がりうつ伏せに倒れた。
全身から血を流し焼けるような激痛が駆け巡る、血を流しすぎたせいか頭がボーッとし始める…だが。
「まけ……かよ…の……ヤロー……!!」
怒りを糧に、カガリは悲鳴を上げる体を立ち上がらせ、冷徹な眼差しを向ける星司へ再び拳を握り駆け出す。
「ウ、オオオオォォォォ……!!!!」
「……頭の悪い子供め…」
拳を振りかざすカガリに、星司はメガネに手を触れさせながら静かに苛立たせるのだった。
>>>
「うわあああ~~!!?」
空から大量のコウモリの群れが広場に降りてくると一体、どういった原理なのか群れの中からあわてふためいている杏が飛び出してきた。
「な、なんだったんだ…今のは…?まさか、テレポーテーションとか言うヤツ……か?そ、それにここって……」
「マンションの前である」
「へ?うわぁあああ?!!コウモリがシャベッタァァァ?!!!」
辺りを見渡していると突然、目の前に現れたディアに、杏は悲鳴と共に猛スピードでマンションの柱の後ろに引っ込んだ。
「ちょ!?落ち着くである!そんな当然の反応をしている場合ではないぞ!」
「いやするよ!!……って、あれ……その声……あなた、は……もしかして、アイツのイヤリングの……?」
「おー!あやつとは違って物わかりが良いであるな!」
聞き覚えのある声に柱の影から顔を出した杏にディアはほっと胸を撫で下ろした。
「わが輩はデ・アール!だが、悪いが今は急を要する!自己紹介はまた後程!わが輩はすぐに戻らねばならない故、お主はここから離れているである!」
「え、ちょっ…ま……!!?」
一方的にそう言い残すディアを杏は引き止めようとしたが、ディアはあっという間に屋上へと飛んでいき姿は見えなくなってしまった。
「う、嘘…そんな…ここから離れろって……け、警察……そうだ、警察!」
辺りを見渡しながら狼狽えるあまり、杏は助けを呼ぶため、人通りの多い街路へと走り出した。だが…
“ゴンッ!!”
「いたっ!?」
突然、目の前に何かが現れ、ぶつかった衝撃で杏は勢いよく尻餅をついた。
「いたたた……い、今の、なんだ…?」
ぶつけた額を擦りながら杏は立ち上がり辺りを見渡す、しかし、壁らしきものにぶつかった筈の目の前には何もなく、不思議に小首を傾げさせた杏はゆっくりと前に手を伸ばす。
すると、目の前には何もない筈なのに、伸ばした指先から、冷たい壁のような感触が伝わってきた。
「うわっ!な、なんだこれ……か…壁なのか…?!」
驚き、引っ込めた指先を再び、“見えない壁”に触れさせ確かめると確かに、その何もない筈の空間には透明なガラスのような壁が一面にあった。
「そ、そんな……出られない!?だ、誰か!!」
見えない壁を叩き、たまたま通りかかった通行人に助けを求めるも、まるでこちらの姿が見えていないのか、振り向くこともなく、何事も無かったかのように通りすぎていってしまう。
「外からも…み、見えてない…!こ、これじゃあ……!!」
外部からの侵入や漏洩を防ぐように張り巡らされた見えない壁はマンション一帯全てにあり、逃げられないと悟った杏は絶望に青ざめた。
“ズドン!!”
「うわ!?」
突然、屋上から地響きのような轟音が響き、驚いた杏が空を見上げると屋上から巨大な石板がこちらに向かって真っ直ぐに落ちてきていた。
「ぁ……」
_______死。
脳裏に避けると言う考えより早く『死』の文字が浮かんだ。
近づいてくる石板に杏は逃げる間もなく、無慈悲に押し潰される……その時であった。
「逃げないのかね?」
石板が杏を押し潰すのに一秒も掛からないであろうまさに刹那の瞬間、時が止まっているに等しい程、静かに、杏の耳に嗄れた老人の声が響いた。
否、本当に時間が止まっていた。
石板は元々そこに在ったかのように空中で止まり、あれほど騒がしかった轟音は消え、耳が痛い程に辺りは静まり返っていた。
「え……あ、れ…?」
「ほれ、早くそこから動きなさい。本当に潰れてしまうよ」
「うわ…!?」
一体、何が起こっているのか。全く事態が飲み込めず理解不能とばかりに目を丸くしていた杏の耳に再び、老人の声が響く。
すると、杏の身体は見えない力で引っ張られると同時に、止まっていた時間が動き出したかのように石板が地面へと落ち、辺りの轟音が響き渡る。
「ホッホッホッ……いやはや、危なかった。お嬢さん…怪我はないかね?」
「な、なんとか……って、うわ!!?ま、マスク!?だ、誰なん…だあんた!?」
不可解な現象に唖然としていた杏の目の前に手が差し伸べられた瞬間、我に返った杏は手を差し伸べた老人から離れるように後ずさった。
「おや…これはすまない。驚かせてしまったかな?なに、怪しい者じゃないよ、ただの顔に自信の無い枯れ木の老人さ…」
「ど、どう見ても怪しい者だろ?!!ぺ、ペストマスクを付けた老人なんて変質者以外何者でもないぞ!!」
「ハハ。それもそうだ…反論のしようがない」
警戒し叫ぶ杏に、老人はマスクの下で小さく笑った。
「な……なんなんだ…お前…まさか……星司さんの仲間……?あたしを捕まえにきたのか!?」
「仲間……?ふふふ、冗談を…私は彼の仲間では無いよ…だが、君を捕まえにきた、と言うのも面白いかもしれない」
今日の昼食を考えるかのように楽観的に口にした老人に、杏はゾッと背筋を凍らせた。
だが、老人は冗談だ、と言うように笑い、マスクの先を撫で下ろした。
「そう怖がらないでくれ。君を捕まえた所で私に何のリスクがあると言うのかね?安心したまえよ…君を捕らえたりなどしたら、“あの子”に怒られてしまうからね」
「……あ、あの子…不良、女のこと……?」
「ハハハ、彼女らしいあだ名だ。あぁ、そうだとも…魔法少女ブラックローズ。彼女に力を与えたのは私でね…少し様子を見に来たのだよ」
老人が空中を指先でなぞると、杏の目の前に魔方陣が出現する。すると、魔方陣から光が溢れ屋上の様子が映し出された。
「あ…不良、女……!!」
岩石が降り注ぎ出来た砂塵の中から魔法少女に変身したカガリが飛び出す映像が流れる。しかし、カガリの身体は明らかに傷つき、映像からでも疲労困ぱいなのがはっきりと分かるほどその表情は険しいものであった。
「これはまた……マズイ状態だな…」
「ま、マズイって……!?なんとか、ならないのか!?」
カガリのピンチに焦る杏は悠長に呟く老人に助けを乞う。老人は杏の顔を見下ろすと考えるように一拍置いてふむ、と小さく唸った。
「なんとかなる方法ならある…が、君はそれを聞いて何が出来るのかね?」
「へっ……?な、何がって…」
「君は人間だ。彼女のように魔法を持つ訳でもない…ただの人だ。そんな君が出来る事など、“邪魔をしないよう逃げる”他に選択肢がある筈がない…そうだと思わないかね?」
老人の言葉に、杏はどう返して良いのか分からず、言葉を詰まらせた。
その通りだ。父から逃げる事もせず、束縛される事を良しとした自分になにが出来ると言うのか…
自分は無力だ。誰かに助けてもらわねば到底、生きられない程に弱い存在だ。
父の冷たい眼差しや恐怖は、鎖のように体を縛り、足を竦み上がらせ、父の束縛からは絶対に逃げられないと思い知らせるには充分だ。
だが、それはただの言い訳にしかならない。自分はただ、父星司が恐ろしいだけだ。
これ以上逆らえば殺されかねない。しかし、どれだけ惨めと罵られ、愚か者と笑われても…
「あ、あたし……は、助けようとしてくれたアイツを……助けたい…!!」
「……君は勘違いしているのではないかね…?彼女は君を助けたつもりなど無いのかもしれない……仮にそうだとしても君の手助け事態など求めていないのではないかね?」
「それでも……!あ、あたしは………!!!」
「どうしてかね…?」
どうしてなんて、理由なんて…分からない。
柔和であった老人の語調は冷淡に変わり、試すような言葉に、杏は返答に悩み迷い、戸惑った。
ハッキリとは言い表せない感情。それは霧のように晴れない後ろめたい罪悪感と、自分がやらなければならないと言う運命じみた使命感に似た、『何か』だ。
まだ会ってろくに話もしていないような、名前も知らない筈なのに……
助けに来てくれた彼女のあの横顔が目に焼き付いていて離れない。
観ている世界も覚悟も、何もかも、臆病な自分とは違う。あの父を前にして傲慢に一向に怯むことが無い彼女の姿は眩しく見えた。カッコいいとさえ思える。
極悪非道。最低最悪の女。言動もメチャクチャで、二次元の世界のようなヒーローとは程遠い人物の筈なのに…
彼女は、自分が何よりも憧れている。それこそ大好きな二次元に出てくる『モリアーティ伯爵』そのものだった。
笑われたって良い。一生掛かってでも彼女の隣に立ちたい自分がそこにいる。
「……心は決まったかね?」
まるで心を覗いていたかのように、老人は見下ろしていた杏に静かに告げた。
老人の言葉に杏の迷いが、ゆっくりと晴れていく。
「お、教えてくれ…!どうすれば、アイツは…助けられる?!」
「ふふふ…そう焦ることはないよ。なに、“既に条件は終えている”」
真っ直ぐにこちらを見つめてくる杏に、老人は満足そうに微笑んだ。
そして、老人は杏に右手を差し出し促すのであった。
「“君に力を与えてあげよう”」
差し出された手を前に、杏は己の胸の鼓動が高鳴るのを感じたのであった。
>>>
「“変身”しても、その程度か…」
「あっ…ぐっ………ッ!」
歪に切り取られた巨大なコンクリートの塊は逃げ場を無くすように辺りに散乱し、見る形も無くなった屋上で魔法少女に変身しているカガリは血を吐き倒れていた。
「ちっく…しょ………ギッ!!!?」
起き上がろうと上半身を僅かに動かした瞬間、矢のように飛んできた岩石にカガリは肩を射貫かれた。
その衝撃に肩の骨が砕かれ、反動に耐えきれずに地面を跳ねるように転がったカガリはその余りの激痛にうめき声すらまともに出ない。
『ッ…!力の差がありすぎる…!』
「当然だ。私は君より遥かに長く願望者をやっているのだ。その子のようなただ魔力が少し強いだけの新人願望者などごまんと潰してきた…負ける筈など無いだろう?」
空を覆いそうな数の舞う瓦礫の中で宙に浮き、悠然と語る星司は悶えるカガリを見下し、辟易した態度で戦慄するディアに告げる。
「っ……の、野郎…!!」
「……大した頑丈さだな」
痛みに苦しむ中、話を聞いていたカガリは歯を食い縛り、必死に身体を起こすも、砕かれた肩の激痛に表情を歪ませ、足元をふらつかせた。
「ビュンビュン…虫みてぇに、飛び回りやがって……石ころ投げるしか戦えねぇのか腰抜け野郎め…!」
「たかが石を投げるだけならば叶わない方がマシではないかね……?それと、勘違いするな。これは戦いではない…一方的な“処刑”だ」
「くっ……!!」
星司が手を払うと宙を舞う瓦礫が一斉にカガリ目掛けて降り注ぎ出し、カガリは慌ててその場から離れ、降り注ぐ瓦礫をかわしていく。
「君こそ逃げ回るだけかね?少しは反撃してみたらどうだ」
(くそ…!調子乗りやがって……でもこれじゃあ、いつまで経っても……!!)
『レディー!右だ!!』
落石に気を取られ、かわすので手一杯だったカガリはディアの叫びに反射的に振り向くとそこにはすぐそばまで接近していた星司がおり、更に向けられた手のひらには魔力が込められていた。
(やべっ…!?)
「詰みだ…小娘」
手のひらから放出された魔力の塊を、カガリはとっさに防御しようとしたが、肩の傷で腕が思うように上がらない。
(ダメだ……直撃する!!)
放出された魔力が防御の間に合わないカガリへと迫る…
と、次の瞬間、目と鼻の先程のギリギリの距離で突然、直撃を免れない筈であった魔力の塊があらぬ方向へと弾かれた。
「なにっ…!?」
「っ!?隙あり…!!」
「ぐっ!!」
確実に決まる筈だったのが予期せぬ妨害に驚愕した星司の一瞬の隙を突くように放たれたカガリの蹴りはようやく星司の身体を捉え、吹き飛ばす。
だが、吹き飛ばされた星司はカガリの蹴りをきっちり防いでおり、その顔は蹴りを受けたことよりも邪魔をされたことに怒っていた。
「ぜぇぜぇ…!!な、何が起きたんだ…?」
『別の魔力を探知した。しかし、この気配は……?』
「何者だ!?私の邪魔をするのは!!」
「そんな三流ドラマなみの安い台詞って本当にあるんだ……けど、誰だと言われたら名乗って上げるのがお約束って、やつか…」
感情を露にし、叫ぶ星司に返す声が辺りに木霊すると、膝ついたカガリの前に白銀のマントをはためかせ、一人の少女が空から華麗に着地した。
「我が蛮行は正義を砕く星々の弾丸。闇夜に輝く反乱の星に導かれた白銀の彗星……」
口上を述べると同時に丈の長いマントを翻し、少女は隠されたその姿を見せつける。
翻されたマントの下から現れた輝く星のマークの付いた白銀で基調された軍帽とドイツ風軍服の衣装。
そして、カガリ同様に目元を隠すサイバーパンクゴーグルからネオンレッドが光を放ち、ハイテクな機械仕掛けが施された小手やブーツが月明かりで煌めいた。
「魔法少女ミッドナイトスター、今宵見参!」
近未来の征服者のような印象を与えるその衣装がお披露目されると、ミッドナイトスターと名乗った少女は手にした2丁拳銃を構えながら謎の決めポーズを取った。
「うわだせぇ」
バッチリとどや顔を決める新たな魔法少女のポーズに、カガリは思わず本音を口にするのであった。




