第29章.それは不幸か絶望か
◆◆◆
星司さんがあたしの前に姿を現したのはお母さんが亡くなった2日後の時だった。
「初めまして、私は今宵坂星司。君の父親だ」
今まで父親なんていないものだと思っていたあたしへの第一声は何の感情のない。冷たいものであった。
母親は度々家を留守にしては酒に溺れ、男を作ってはすぐに別れるを繰り返すような子供だったあたしでも分かるほどろくでなしの人だった為…
とても信じられなかったけれど、星司さんは母親が死に、行く宛の無いあたしを引き取るや、この高層マンションに住まわせ、保護者になる代わりに“3つ条件”を取り付けてきた。
1つ、“外に出ない”こと。
2つ、“今宵坂の姓”を誰にも名乗らないこと。
3つ、“母”を忘れること。
それは人権など一切ない。一方的な条件だった。
「私は仕事が忙しい身であまり、ここに来れないが…今言った約束を守るなら、君の好きなモノを好きなだけ揃えてやろう…ここだけが君の居場所なのだからな」
星司さんのその言葉は…暗にあたしは星司さんにとって何より無駄なものなのだと言われた気がした。
だけど、他に身寄りがあるわけでもないあたしは…それがこの男に自由を奪われることになると分かっていながら…
この条件を素直に受け止める他に選択肢はなかった。
◆◆◆
「それから…ずっと、あたしはこ…この部屋で過ごしてきた、んだ……」
顔をうつ向かせ、今までの経緯を杏は打ち明けてくれた。
それに対し、黙って聞いていたカガリは天井を仰ぎながら煙草を吹かすように息を吐いた。
「……外に出てたのはテメェなりの反抗ってわけか…?」
「は、反抗って程でもないけど……星司さんにバレなきゃ30分くらいなら……で、でも…い…痛いのは嫌だけど、最悪…バレても叩かれる程度には叱られてるから…反抗じゃない…かも………」
「ケッ、社長か何だか知らねーけど偉けりゃ何でも許されると思ってやがる質だろ、テメェの親父……テメェの失態隠しに隠し子を監禁した上に虐待までするクズ野郎に従う必要なんざねぇだろ?」
「そ、それは……そうだけど………並んだ人限定グッズを買いに行けない以外にふ、不自由とか、無いし……そ、それにあたしは、根っから…の引きこもり体質、だから……それに……」
「いちいち寝むてぇーこと言う奴だな…デケーのはその乳と髪だけか?根暗女」
指を絡めていじける杏にカガリは見飽きれたようにガシガシと髪を掻き乱し椅子から立ち上がる。
そして、カガリは呆気に取られている杏の額に人差し指を押し付けた。
「そうやっていじけてりゃぁ、誰か助けてくれんのか?テメェの自由はテメェだけのもんだろうが」
「ッ…!う、うるさい!!あたしはお、お前みたいな反抗心の塊で乱暴な不良じゃないんだ!あ、あたしがどんな気持ちであの人に従ってるかも知らないで…か、簡単に言うな!!こっちは…お前みたいに簡単に人生楽して生きていないんだよ!」
「……んだと?もう一回言ってみろ…引きこもりのオタクが調子こいたこと言ってっと…ぶっ殺すぞ?」
「お、お前だっていい加減なこと言うな…!ど、どんな苦しくても受け入れるしか方法のない奴の気持ちなんか分からないくせに!!!」
カガリの手を払いのけ、怒り奮闘に涙目で叫ぶ杏。
彼女の胸ぐらを掴みあげたカガリの表情は怒りで歪み。きつく目尻を鋭くさせ杏を睨みあげていたが、乱暴に手を離すと背を向けた。
「……知りたくもねぇよ。臆病もんのテメェの気持ちなんざな」
乱暴に手を離されたことで床に尻餅をついた杏にそう吐き捨てるように言うと、睨み付けていた目を杏から離し、カガリは不愉快さでいっぱいの面持ちで早足に玄関へと向かい、部屋を出ていった。
「…………“楽”なんかあるかよ。くそ…」
出ていったカガリは小さく悪態を吐いたのだった。
>>>
マンションを出ると空は茜色に変わっていた。
知らない内に予定していた時間より随分長居をしていたことに気付いたカガリは空を見上げながらポケットに閉まっていた煙草一本手に取り、口に咥えた。
「君!」
「あん…?」
煙草に火をつけるためライターを探しているカガリにマンションの入り口窓口から管理人の男性が手を振りながら呼び掛けてきた。
「……なんっすか。管理人のおっさん」
無視して立ち去ろうか考えたが、目が合ってしまったこともあり、渋々ライターを探す手を止め、管理人の元へ無愛想な態度で近づいていく。
しかし、そんなカガリの態度を見ても気にした様子もなく、管理人は固い表情をやや柔め口許を緩めた。
「指定された時間に降りてこなかったからひやひやしてたよ。よくオーナーに見つからなかったね」
「はあ…まあ隠れてたんで平気だったっす」
「なるほど隠れていたのか。道理でオーナーがしかめっ面して出ていったわけだ」
「……なんか言ってたんっすか?」
「あぁ、オーナーは見かけ通り神経質なお人でね。いつもより鬼みたいな顔で“杏さんの部屋がヤニ臭い気がした”って言ってたから」
管理人は咥えていた手に持つ煙草を指差すとカガリはバツが悪そうに頭を掻き、ぶっきらぼうな態度なまま頭を軽く下げた。
それを見た管理人は小さくハハハと笑う。
「君は見かけや態度こそ不良そのものだが素直だな。オーナーには上手く誤魔化しておいたから気にすることはないよ」
「…どもっす。それじゃ…オレ、帰るんで……」
「あぁ、気を付けてな。あっ、最後にちょっと良いかい?」
立ち去ろうとしたカガリは窓口から僅かに顔を覗かせた管理人へ振り返ると管理人は強面だが優しく微笑み言うのであった。
「また杏さんに会いに来てあげてくれ。“友達”の君が来てもオーナーには黙っておくからさ」
「は?ちょっ…!!オレはアイツのダチじゃ……!!」
管理人はそれだけ言うとカガリの返答を待たずに窓口の中に顔を引っ込め元の仕事へと戻ってしまった。
残されたカガリは虚空に伸ばした手をゆっくりと下げるとマンションを見上げる。
話している間にすっかり暗くなり、明かりが点灯されたマンションに人が住んでいる気配は無い。
並みのビルよりも遥かに大きく清潔感ある高級マンション。
それだけを見れば、高層ビル建ち並ぶ都会の柳森街ならこのマンションはどこにでもあるマンションでしかない。
「……“城”みてぇな場所だな」
管理人はああは言ったが…ここに来ることはもう無いだろう…その時だった。
「あっ!!いたいた!やっと見つけたわよーー!!」
ボーッと見上げていたカガリの耳に、同時に聞こえてくるバイク音と同じくらいに騒々しい少女の声が聞こえてきた。
聞こえてきた方へ顔を向けたカガリは見た瞬間、億劫そうに嘆息した。
「んだよ。テメェかよアリンコ女…」
「アリンコ女言うな!って言うか何よその顔!!せっかく人が散々街中走り回って人探してたって言うのに労いの言葉一つくらいあっても良いんじゃないの?!」
「っうかこれ、オレのバイクじゃねぇか。警察に押収されたとばかり思ってたのに……」
「此奴が持って帰っていたである」
「あ?マジかそれ?」
「人の話を聞きなさいよ!!」
「うるせーなぁ…それよりも“魔力持ち”は見つかったのかよ?」
騒ぐ令奈よりも愛車に目が行ったカガリは鬱陶しそうに、そして心底、面倒くさそうに令奈の方へ視線を戻す。
すると、令奈は腕を組み自慢げに鼻を鳴らし、胸を張って言った。
「ほんの少しだけなら分かったわ!イタッ!?」
「だったらエラソーに言うんじゃねぇよ。オラ、オレのバイク返せ」
「ちょっ!!少しでも苦労したんだからね!?やめて!!置いて行こうとするな!アタシも乗せてよ!!」
拳骨を食らわせたカガリは令奈をバイクから半強制的に降ろすとバイクに股がり、エンジンを吹かせ立ち去ろうとする…
だが、置いていかれまいと粘る令奈は必死にカガリの背中にしがみついて離れない。
「あぁもう!いい加減離れろ!」
『……乗せるくらいしてやらないか。あまり気に乗らん態度をしているであるが、わざわざ自宅からこれを持ってきてまで探してくれたのだ』
離れない令奈を見かねて、イヤリングに変身したディアは乗せまいと引き剥がそうとしているカガリに言う。
「ほ、ほら!ディアさんだってそう言ってくれてるし、情報だってまだ言ってない!だから、乗せて!乗せてたら乗せてぇ~~!!」
『……乗せるまで離れんぞ此奴』
「ぐぎぎ……!!しょ…しょうがねぇな…」
「やった!ありがとー!!」
ディアの言葉でここぞとばかりにねだる令奈にカガリは不満MAXな顔で表情を渋らせた。
しかし、ディアの言う通り、離れそうにない令奈に根負けし、カガリは不本意げに令奈を後ろに乗せ、バイクを走らせた。
>>>
「“魔力”が消えたり出たりしてる?」
夜になり眩しい程に街灯や車のライトで照らされ、バイクを走りながらカガリは後ろに座る令奈の情報にそう聞くと令奈は短く「そ!」と頷いた。
「あのゲームセンター、確かに魔力残留は残ってた。けど、店の前に出た瞬間、ぱったり消えちゃってたのよ…でも、街を歩いてたら魔力の残滓が一瞬だけ感じる時があったの」
「一瞬?残りカスが風にでも流されてるってのか?」
「アタシは専門家じゃないからそこまでは分からないわよ。でも多分、車か何かで移動しているのか…この辺りに住んでいるかのどっちかじゃない?と言うか!あんたに言われて、ちゃんと調べてきたんだからね!感謝しなさいよ!」
「へいへい…」
信号が赤に変わり、バイクを止めるとカガリは後ろで騒ぐ令奈に静かに肩を落とした。
「しっかしよぉ。探すにしたって途中で手がかりが無くなっちまったら、いくら何でも探しようがねぇよな…」
「同感。アタシとしては諦めて欲しいところだけど……ところであんたが拐ってきたあの陰湿そうな女はどこに行ったの?」
「テメェの方が陰湿だろうが……アイツなら…帰ったよ」
信号待ちの内に不気だるそうにぼやいたカガリの背後から顔を覗かせた令奈は怪訝そうな顔を向ける。
カガリはそんな顔を向ける令奈を後ろに押し退けると、そっけ無く言い返した。
『……どうしたレディー。何かあったのか?』
「うるせぇぞ、ディア。テメェはオレの親かよ…どうでもいいのに詮索なんかすんじゃねぇよ……」
「え、何よあんた。めちゃくちゃテンション低いじゃない。気持ち悪っ……」
「うっせ!!黙ってねぇとテメェら二人まとめてぶっ飛ばすぞ!?」
「うわー……こっわ…まるっきり思春期真っ只中の男子みたいな奴よねこいつ…」
『勇ましさなら誰にも負けんぐらい脳筋単細胞の塊であるからな。乙女らしさを求める方が可笑しいのかもしれんである』
「テメェら……!!」
ひそひそと丸聞こえの会話をする令奈とディアに握った拳を震わせるカガリだったが、信号が青に変わりやむ無く拳を引っ込めるとバイクを再び走らせる。
_____どうでもいい。
今、はっきりとそう口にし、そう思っているはずなのに…
杏のことが頭に過るだけでむしゃくしゃした気持ちが何故か心を一層苛立たせる。
「ああくそ!イライラすんなぁ!!」
「なにキレてんのよ?そんなに気を悪くするような事、アタシ言った?」
「テメェの言葉にいちいちキレっかよ!そうじゃねぇ!そうじゃねぇんだけど……!!ああもう!なんで今日に限って魔法使い共が来ねぇんだよ!!?」
言い表せない煙掛かったモヤモヤした気持ちにカガリは苛立ち声を荒立てる。
後ろに乗っている令奈は少しだけ驚いた顔したが、すぐに呆れた表情を浮かべた。
「アンタさぁ……なーんか、ムキになってない?」
「ああ?!誰がムキになってるだ!?」
「とりあえずコレ、止めて。事故でも起こされたらたまんないし」
「うくっ……!チッ!!」
正論を言われ、カガリは不服な顔でバイクをガードレール近くに止めると令奈は軽快にバイクから降り出した。
そして、カガリの前まで移動するやカガリよりも不満げな顔を向けてきた。
「アンタがあの女と何があったかなんて知らないし、興味ないけど……理由も言わないくせにアタシに八つ当たりしようとしないでくれる?」
「んだと…?別にテメェに八つ当たりなんかしてねぇだろうが」
「アンタのくだらないストレス発散にアタシを巻き込むなって言ってんの!さっきから魔力が駄々漏れなのよ!!」
「魔力?」
「そんな殺気立った魔力出してたら他の奴に気づかれるじゃない!早く引っ込めなさいよ!」
腹を立てる令奈に指摘され、カガリは自分の体を確認するが……特に異常の無いことに首を傾げ、質問の意味を図りかねているカガリは怪訝そうに眉を潜めた。
「……魔力漏れてんのか、オレ…?」
「あら、気づいてないの?子どものおねしょ並みに漏れているわよ、アンタ。それでも魔法少女なの?」
「ガキに例えんじゃねぇ!魔力の操作とか……難しいのは苦手なんだよ!」
『少しは練習をして欲しいのだがな…どれ』
「イデェ!?」
イヤリング姿からコウモリ姿に戻ったディアはカガリの首筋に噛みついた。
そして、血を吸うかのようにチュー!と音を立てディアはカガリから魔力(カガリには見えていない)を吸い始めた。
「ぷはっ……魔力吸飲完了であゲハ!!」
「止めろ変態コウモリ!!」
「だ、誰が変態だ!?貴様が魔力操作出来ん代わりにわが輩が不味いのを我慢してまでコントロールしてやっているのではないか!!」
(魔力って不味いんだ。どうでもいいけど………ん?)
「あれ?あんた、“魔力変わってない”?」
「なに?」
ギャーギャー騒ぐ二人を呆れながら見つめていた令奈がそう口にすると喧嘩をしていたディアの動きがピタリと止まり、慌てて吸飲した魔力を確認し始めた。
「…?此奴の魔力で間違いないであるが…」
「え?あれー?確かに違う気がしたんだけど……」
_____な……
たったの一言を言い切る瞬きほどの刹那の瞬間、背後を通った気配に二人の表情が、体が、時間が凍りついたかのように固まった。
唯一、全く反応しなかった上に気配すら感ずくことすらなかったその場ただ一人…カガリだけは何の気もなく、二人の背後を通り過ぎていったスーツの男を見ていた。
(なんだ?今…?)
___見られていた…?顔も判別出来ないほど一瞬だけであったが目があった気がする…
(……気のせいか?)
「ぶはぁぁああぁ!?い、息がとま…!!止まるかと…いま、今のは…!?」
「うぉ?!どうした急に!?」
カガリはすでに人混みの中に消えていった男が何故か気になり、その後をずっと見つめていたが、汗を滝のように流しながら過呼吸気味に息を吐く令奈にその考えは掻き消えた。
「だ、誰!?今のは一体なんなのよ?!」
ガチガチと体を震わす令奈は困惑したよう辺りを見渡すが、当然、そこには不思議そうにこちらを見ては通りすぎていく人混みだけで何の変化はない。それが分かった令奈はドッと息を吐き、力無くその場にへたり込んだ。
「だ、大丈夫かよアリンコ女…?」
「あ、アリンコ女って……!いや、この際どうだっていい……あ、アンタは平気なの…?」
「平気って……何か起きたのか?」
「ま、魔力…」
「なに?」
「強力な魔力を持った者が背後を通過したである…!」
「なんだと?!」
打ち震える令奈の真横で尋常ではない表情で冷や汗を流すディアがそう言うとカガリは弾かれるようにガードレールを飛び越え、後を追うようにスーツの男が消えた方角を見た。
(あっちは……!)
当然、見えるはずも無いその姿…だがしかし、この方角は……
___嫌な予感がする。
言い表せない妙な心のざわめきに、カガリは無意識の内にスーツの男が向かって行った方角へと走り出した。
遠ざかる背後の方で令奈が何かを叫んだ気がしたが、カガリは人混みの中に消えていったのだった…




