第28章.持たない勇気
ドタドタと玄関へ急ぐ足音を慌てて沈め、大きく息を吐くと同時に玄関の扉をゆっくりと開けていく。
「え、えへへ、こ……こんにちは…お久しぶり、です…」
覗き込むように扉から顔を出し、扉の前に立つスーツ姿の眼鏡を掛けた男に、杏はぎこちない笑顔を向け挨拶する。
平静を装ってはいるものの、一度は鎮まった心臓の鼓動が再び早鐘を打ち始め、手は無意識の内に震え出していた。
「め、珍しいですね…こんな時間に顔を見せに来ら……」
「勘違いするな。商談先に向かうそのついでに寄っただけだ…お前の顔など見に来たわけではない」
男は言葉を遮ると、無愛想な態度で当然のように部屋へ入るや、散らかり放題の廊下を見て、杏に嫌悪の目を向け不快に歪ませた。
「次に来るまで片付けておけと前に言っておいた筈なのだが…?」
「ぁ……ご、ごめんなさい…でも、全部が全部ゴミってわけじゃぁ……」
「“私にとってはゴミ”だ。今日中に全て処分しておけ」
「……は、はい。わかり、ました…」
口答えは許さないと、杏に反論すらさせる間もなく言い放った男はさっさと居間へと向かう。
そして、居間に入るなりTVの前に乱雑に置かれたゲーム機々や部屋中にあるアニメグッズを目にした男はより表情を険しくさせた。
「よくこれだけ溜め込めるものだ…お前の考えは理解できん」
見渡し、ふと机の上に置かれていた将軍マントを羽織った2丁拳銃を持ってポージングを取った軍服姿のキャラクターのフィギュアを目にし、男はそれを無造作に手に取った。
「……なんだこれは?」
「あ……そ、それは『機帝反乱者モリアーティ伯爵』って、アニメに出てくる主人公でとっても……」
「くだらないな。それの何が面白い?」
「え、えっと……あの、その……」
「……もういい。それよりも聞きたいことがある」
口ごもる杏に男はうんざりしたように嘆息すると、急に目付きを鋭くさせ、杏へと振り返った。
「何故、“外”を出歩いていた?」
「ッ!!」
男の言葉に、杏の心臓は今にも飛び出しそうになるほどに跳ね上がった。
「ちが、そ、それは……!!」
杏はとっさに思い付いた限りの言い訳を口にしようとしたが、見下ろす男の眼光に、全てを見透かされているような気持ちにさせられ、言葉は喉に突っ掛かったかのように出ない。
「なんだ?言ってみろ…」
「っ……な、何でも…ない、です…あ、あたしの気まぐれ、で……“外”に………ッ!!?」
冷ややかな男の言葉に…怯え震えた声で白状した…その瞬間、杏の右頬に軽い衝撃と鈍い痛みが走った。
そして、衝撃に床へ勢いよく倒れ込んだ杏の胸ぐらを男は打った手で掴み上げた。
「気まぐれだと…?ではお前のくだらん気まぐれで何故、まともに会話もコミュニケーションも取れないお前が“人”と一緒にいた?それもあんな見るからに粗暴の悪い低俗な奴と……」
「あ、あいつはたまたま出会った、だけで…ここには来てない…です…!!な、名前も、知らない…“姓”だって名乗ってな………!」
「そんなことは当然だ。今まで誰がお前の“世話”をしてやっていると思っている…誰のおかげでお前のような愚図がこんな暮らしが出来ていると思っている…だがだ。“お前ら親子”はどれだけ私の神経を逆撫ですれば気が済む…?」
「ッ…!!ご、ごめんなさい………もう、そ…外になんか、出たり……しません…ゆ、許してくだ、さい…」
打たれた頬は真っ赤に染まり、その際に口の中も切ったのだろう。唇の端から血が滲み出ている。
だが、打たれた痛みよりも男の言葉の方に堪えたように涙する杏は震える体で弱々しく謝罪する。
それを見つめる男はメガネのブリッジを指先で軽く上げるや、杏から手を離し立ち上がった。
「そうしてくれると手を煩わせなくて助かるのだがな」
そう言って、下向き震える杏を蔑んだ瞳で見下ろす男はそれっきり杏に興味を無くしたように視線を外し、玄関へ向かっていく。
杏は震える体を無理やり立ち上がらせ、男の後を追おうとする。その時、男がこちらに気づいてか振り返ってきており、杏が思わず体を硬直させたが男はふん、と鼻で一蹴し無言のまま部屋を出ていってしまった。
「……イテテ、しばらく腫れるな。これ…」
今さら痛み出した頬を擦り、杏はポツリとひとり呟き、居間に戻る。すると…
「あ…」
「よっ」
居間に戻るとそこにはいつの間にかベランダから戻ってきていたカガリが椅子に座っており、驚いた杏は面を食らった顔をし、たじろんだ。
「んだよ。その顔は?話、終わったみてぇだし別に良いだろ?外、風が強ぇから寒いんだよ」
「あ…ご、ごめん。な、何か飲むか?インスタント、で良ければ何でもある…ぞ?…あればだけど」
「んだよそのクソの切れの悪い感じは…まあいい、ココアくれココア!牛乳多めな!」
「……それ、ほとんど牛乳しか入ってなくないか…?」
「るっせ!ココアの味あんま好きじゃねぇんだよ!良いからごちゃごちゃ言ってねぇで牛乳多めに入れろ!」
「わ、分かったよ……ってか牛乳多めならココアなんて頼むなよな…」
「聞こえてんぞ!」
好き勝手なカガリに陰口を言う杏。それに怒ったカガリは台所に引っ込んだ杏を睨み唸る。
それから数分後。
台所から牛乳たっぷり入ったココアが注がれたマグカップを持って杏が出てきた。
「ほ、ほら…熱い、から気を付けろ、よ」
「ん、サンキュー…あちち」
杏は魔法少女の自分が映された映像をしかめっ面で見つめておとなしくしているカガリにマグカップを手渡すと、受け取ったカガリはココア(ほぼ牛乳)を冷ましながら少しずつ飲んでいく。
「あ”あ”ー、じみるー…」
「……ほ、本当に…ごめんよ。理由も言わず…い、いきなり外に追い出したりして…」
ココアの温かさにほっこりしているカガリを見て、杏は申し訳なさそうにうつむき、カガリに謝る。
カガリは一瞬、なんのことかと呆けたがすぐに思い出し、あぁさっきの、と素っ気なく声を漏らした。
「不良だからな、理由があろうが無かろうが追い出されることには慣れてるよ。今さらそんなことでいちいちキレたりしねぇーよ。それに、わけありって感じだしな…」
「…………まあ、な…」
カガリはそう言い、床に投げ捨てられていたフィギュアに目を向けると杏は気まずそうに頭を掻き、フィギュアを大事そうに拾い上げ、元あった場所に戻す。
その様子をみていて気になったのか。戻したフィギュアをまじまじと見つめていたカガリはふと、疑問を口にした。
「……それ、いっぱいあるけどよ…何なんだ?」
「し、知らないのか?これは『機帝反乱者モリアーティ伯爵』って言う…戦争国家を正す為、数々の武器が体に内蔵された半機械の肉体を持ち、あらゆる兵器を操り造り出す天才頭脳で国を相手に一人で立ち向かう。最高にカッコいい孤高の機械戦士…だ!」
目を輝かせ、モリアーティ伯爵のポージングを真似で饒舌に語る杏。
しかし、うってかわってカガリは少しだけつまらなさそうな顔で話を聞いている。
「“正義のヒーロー”ってのは……そんなにカッコいいのかよ…」
「ど、どうだろ…少なくとも、モリアーティ伯爵は正義のヒーローじゃない、からな…」
「あ?」
小さく呟いたカガリの言葉に、両腕を組み考えあぐねたように頭を捻る杏はさも当然のように言う。
「も、モリアーティ伯爵は……貴族だったんだけど戦争で機械と人間のどちらでもない人造人間に改造されたキャラで……そんな身体にされた挙げ句、兵器として扱おうとする自分の巨大国家帝国の戦争を止めさせようと、一人革命軍として戦う話だから……“誰にも感謝されないはみ出しもののキャラクター”なんだ…」
「……面白いのか?それ」
「面白い」
素朴な言葉に、杏は即座に答えた。
「すごいんだぞ、モリアーティ伯爵は。罵倒され、罵られ嫌われているくせに『好きなだけ嘲笑せよ。されど我が蛮行の反抗は皆を救う為の反抗だ』って笑い飛ばすんだ。それを見た瞬間、スッゴくカッコいいって思ったんだ…」
照れくさそうに頬を掻く杏だったが…飾り直したモリアーティ伯爵のフィギュアを見つめるその目は少し悲しげに揺れていた。
「あ、あたしには無い強さを、モリアーティ伯爵は持ってる……憧れはすれど、あたしは……ビクビク怯えるだけで、反抗することも出来ない…」
「……あのエラソーな野郎って誰なんだ?野暮かもしんねぇーけど、話聞こえてたから聞いた。下のおっさんが言ってたオーナー、って感じには思えなかったぜ?」
「そ、それは……」
ココアを飲みきり、マグカップを散らかった机の空いていた箇所に置くと頭の後ろに手を組みながら静かに訊ねた。
質問の内容に、杏は少し迷ったように表情を困らせたが…カガリの真剣な眼差しに観念したのか。ぎゅっと服の端を握りながらゆっくりと口を開いていく。
「あの人は…星司さん。あ、あたしをこのマンションに住ませている。大手大企業“今宵坂グループ”『オリンピィア』の大社長で……あたしは……」
______星司さんの“隠し子”なんだ…
杏は震える声でそう答えたのだった。




