第26章.最も遠く理想に近いオタ部屋
他人はそれをゴミ屋敷と呼ぶ
人で溢れかえる柳森街の横断歩道をボサボサ髪の少女が反対側からやってくる人混みの間を足早に駆けていく。
「わ!ご、ごめんなさ………」
前からやって来た男性の背後から突然、現れたスマホを片手に歩く女性と危うくぶつかりかけたボサボサ髪の少女。もといの杏は、咄嗟の出来事に女性に頭を下げる。
が、ぶつかりかけたその女性は謝罪しようとした杏を一睨みするだけでさっさと歩いて行ってしまった。
(なんだよあのアマ…お前の前方不注意だろ!)
先行く女性の背中を睨み付け、心の中で悪態を吐いた後、杏は改めて急ぎ足で横断歩道を渡っていく。
しかし、横断歩道を渡り終えた杏は横断歩道の正面にあるカフェ喫茶の窓に映った自分の姿を見て、表情をぎょっとさせた。
(ぼ、帽子が無い…!?)
出かける前には被っていた筈の帽子が無いことに気づき、顔色を青ざめさせた杏は一目散にビルの間に身を隠すように逃げ込んだ。
(なんで?!ずっとあった筈なのに…!)
物陰に隠れ、慌てる杏。彼女はいつ帽子を無くしたのか記憶を辿っていると、ある一つの考えが出た。
「“あの時”か…?!」
帽子を無くしたと思う場所。それはあの不良女がいた廃ビルだと考えた杏は心底困り果てたように指の爪を噛みながら小さくその場でうずくまった。
(どうすればどうすれば!!?後、10分以内に戻らないと“外に出た”ってバレてしまう!でも、帽子が部屋に無いと100%バレる!あぁぁぁぁ!!どうすれば良い!!?このままじゃ……!!)
ぐるぐると目まぐるしい程の考えを脳内に巡らせ、頭がショートしかけていた……その時だった。
「そんなとこでなにしてんだ?」
「うひぁぁぁああぁぁぁ?!おおお、お前はぁぁぁ!!?」
突然、頭の上から声を掛けられ、オーバー過ぎる程に驚き奇妙な悲鳴を上げた杏は声を掛けてきた人物に更に驚いた。
「なな、なんで?!なんで“さっきの不良女”がここにぃ!!?」
「うっるせぇなぁ。少し声かけただけだろ」
「ま、まままま…ましゃか…!?」
腰を抜かし驚く杏に不良女、カガリは呆れ半分、不機嫌半分に歯を剥き出して言う。
すると、驚愕冷めぬ杏は何かに気がついたような顔で噛んだ上に震えた声でカガリを指差しながら言った。
「ずっと、後を追って…きたのか?!」
「テメェが勝手に出てったからだ。人をストーカーみたいに言うんじゃねぇよ」
「あ、あんな、廃墟に人を連れ込んでいながら、よく言う…な!?け、結構怖かったんだぞ!」
「寝たフリかましてたくせにエラソーに言うんじゃねぇ、よっと!」
「わ!?」
若干、冷静さを欠き騒ぐ杏にカガリは不満に唇を尖らせながら乱暴に杏の顔面に何かを押し付け、無理やりに黙らせる。。
「な、なにする……あ」
杏は顔面に押し付けられた物を引き剥がし、文句の一つをつけようと口開こうとした矢先、引き剥がした物を見て杏は小さく声を漏らした。
「あ、あたしの帽子…」
「出ていく時に落として行ったぜ。ったく、めんどくせーことさせやがって…じゃあな」
「ま、待ってくれ!」
帽子を見つめる杏にカガリはぶっきらぼうに言い立ち去ろうとするも、杏は慌ててカガリの手を取り、その場に引き留められた。
「んだよ!まだなんか用があんのか?」
「こ、こんなら、ラブコメみたいな事で…やすやす惚れるような尻軽な女じゃないからな…!」
「あ?なに訳のわかんねぇこと言ってんだボサボサ女。テメェに礼を言われたくて持ってきてやったわけじゃねぇよ。勘違いすんな」
「う、うるさいな!礼とか…別に、頼んだわけじゃないし…お前こそか、勘違い、するな!」
「!へぇ…じゃあこの手はなんだよ?」
お門違いだと真っ向から言い返す杏に、カガリはニヤリと笑い、杏の顔を覗き込むように下から睨み付ける。
カガリの凄みに、杏は一瞬躊躇うかのように怯むが、すぐに怯えた色をした目をカガリと同じく鋭くさせて、逆に鼻先近くまで顔を近付けた。
「か、借りた借りを、きっちり返済してやるよ…!」
「……は?」
決意するように答えた杏の言葉に、カガリは呆気を食らったような赴きで小首を傾げさせた。
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「……ホントにやらなきゃダメか?」
「ダ…ダメ。じゃないと部外者は……中に入れないんだ…我慢、しろ」
「チッ…だからってなんでオレさまがテメェみてぇな根暗女を背負わなきゃいけないんだよ…」
帽子を目深に被った杏をおぶさりながらカガリは不満を漏らすと、建物を見上げて、呻くようにぼやいた。
「……しっかしまぁ…スッゲー、マンションだなぁ…」
彼女は今、杏が暮らしていると言う。高層ビル建ち並ぶ柳森街でも一際目立つ程大きな高級感溢れる、高層マンションの前へとやって来ていたのだった…
「っうか、そのデケー乳を押し付けんな…嫌がらせか?嫌がらせなのか?不健康なのは顔だけってか?殺すぞ?」
「おっぱいの一つや二つで殺意に目覚めるなよ!と、とにかく…あそこの前では人が良さそうな顔で行って、くれよ…?」
背中をこれでもかと押し付けられる柔らかい二つの肉の感触に、ギリギリと歯を軋ませ、背にしがみつく杏を横目で射殺さんばかりに睨み付けるカガリ。
それを。杏はツッコミを入れながらマンションの入り口にある窓口を見えるように指差した。
「……ふん、やりゃあ良いんだろ。やりゃあ…」
指差した方を見つめ、カガリはこの世の不満をかき集めたかのような不機嫌顔に表情を歪め、鼻を鳴らすと杏を背負い直し、足取り荒く大股で入り口の方へと向かって歩き出す。
「ん?キミキミ、ちょっと待ちなさい」
マンションの入り口を通り過ぎようとしたカガリの耳に声が掛かる。
声のした方へと顔を向けると、このマンションの管理人なのだろう。やや歳のいった男性が窓口から険しい表情をしながら顔を覗かせていた。
「ここは契約関係者以外立ち入り禁止だよ。ほら!帰った帰った!」
「なに…?」
「かか、管理人さん!ちょっとだけ、この人を中に入れて欲しい、んだ…!」
管理人の男性にすっかりふて腐れた顔をしていたカガリが食って掛かろうとしたのを瞬時に止めた杏は慌てて帽子のつばを上げる。
「杏さん…?一体、どうされたのです?あと少しで門限を過ぎるところでしたよ?」
「か、帰る途中……えっと、その…あ、足首!す、少し足首をひねってしまって……ウヘヘ、この親切そうな顔の人に助けてもらった…あたしは良いって、言ったんだけど部屋まで送ってくれるって…」
「……そう言ったようには見えませんが…?」
中に入れる為、乾いた笑みで苦し紛れの何一つ真実では無い言い訳を言う杏の話を管理人の男性はまじまじと、親切?助けて?と小さく呟きながら嫌悪感でいっぱいの複雑な面持ちのカガリを半信半疑な目で見つめる。
「……本当はダメなんですが…まあ部屋までなら……内密にしておきますが今回だけですよ?今日は“オーナー”がお越しなされるそうなので、“手短に”…お願いします。良いですね?」
「は、はい…ありがとうございます…すぐ、帰らせます…」
カガリに疑いの目を向けながらも渋々承諾してくれた管理人は念を押すように杏に言うと顔を引っ込め、閉まっていた入り口の自動ドアが開放し出した。
職務に戻った管理人に杏が頭を下げるとカガリはすでにうんざりしたように肩をすかし、奥へと進んでいく。
「ウヒヒ…潜入成功…これよりミッションを開始する…!」
「バカ言ってねぇで早く部屋、教えろ。時間が無いんだろうが」
「む、むぅ…それも、そうか…あっ、そのエレベーターに、乗ってくれ…最上階なんだ」
杏の指示にカガリはエレベーターの中に乗り、最上階のボタンを押す。
扉が閉まり、エレベーターは最上階へ上がり始めると杏はカガリの背中から降りると改めるようにカガリの方へ向き合った。
「あ、改めて聞くけど…任務依頼、の内容は“人探し”…でい、いいんだな…?」
「おう…まあ、テメェに何が出来るかなんて期待しちゃいねぇけどな」
「し、失礼な奴、だな……言っとくが、お前がさ、探してる人外的な人間…は見つけたこと、あるんだぞ…?」
「……マジか?」
カガリの言葉に杏は胸を張り上げ、得意気な顔で鼻を鳴らした。
そのドヤ顔が地味に腹立ったのか、カガリは問答無用で杏の胸を力の限り鷲掴んだのだった。
“チーン”
最上階に到着した音が鳴ると同時にエレベーターの扉がゆっくりと開くと、先に出て自部屋へ向かう杏の後をカガリは辺りの風景を見下ろしながら着いていく。
(さすがにこんだけデケーと、見晴らしが良いな…周りがアリみてぇだ…)
一瞬、頭の中に令奈の顔が思い上がるも……カガリは静かに忘れることにした。
(ん…?)
ふと、外の風景から通路に均一に並ぶ扉に視線を向けたカガリは少し気になったのか、歩いていた足を止めた。
それは部屋番号が書かれていない扉で、カガリは通り過ぎた隣の扉も確認してみると同じように扉には部屋番号が無い。更によく見れば両方の扉には表札らしきものも無かった。
(あいつ以外誰も住んでねぇのか…?)
「ど、どうした?来ない、のか…?」
「ん?あぁ…悪ぃ悪ぃ…すぐ行く」
どこも同じように部屋番号も表札も無い扉ばかりで、不思議に思っていると先に歩いていた杏が自分の部屋の扉を開けて待っており、カガリは足早に向かう。
(……考え過ぎか)
「こ、ここがあたしの部屋、だ…」
気にはなったが、カガリは易々とその考えを手放すと杏に招かねるままに部屋へと入っていく。
そして……
「な……」
杏の部屋の中を見たカガリの第一声は驚愕であった。
「なんじゃこりゃああああああ!!?」
玄関から廊下の至るところに広がるゴミの山。まるで部屋を支える柱のように山積みにされた漫画や雑誌。
唯一小綺麗にされている居間(らしき場所)には最新式の大型モニターのPC3台がある近未来のロボットや何かのアニメのフィギュアなど沢山置かれたデスクに、42インチと一人暮らしにしては充実されたTVの前には最新から旧式まで様々なゲーム機が乱雑に置かれていた。
そして秘密基地さながらの部屋で何より目を引くロボットアニメのグッズの数々。
それは部屋全体にあると言っても過言ではない。それほどの圧巻を与える部屋であった。
「な…なん……?」
前に見た巫女の部屋よりは小さいがそれでもこの部屋の数々の文具は並大抵の額では無いことはカガリでも分かる。
だが、それ以前にやや臭いのする散らかり放題部屋に開いた口が塞がらない。しかし、この部屋の主は気にした様子も無く、開かれたカーテンを煩わしそうに閉めている。
「ひ、ヒヒ…部屋に誰か入れたのは…初めて……遠慮無く、適当に座ってくれ…」
「……どこにだよ?」
若干、照れくさそうに話す杏にようやく出た言葉は動揺と困惑が混ざり合い、カガリはただただ居間の前で立ち尽くすしか無かったのだった…




