第2章.願望の成れ果て
「やられっぱなしなのはオレの気がおさまらねぇんだよ!!!!」
“ガツッッッッッン!!!!!!”
(隙だらけなんだよ!ボケ!!)
振り下ろされた鉄パイプは“バケモノ”の後頭部らしき箇所を的確にヒットし、騒々しい音を立て、“バケモノ”の体がぐらりとよろめく。
「なんだ?!ちょっとでかいだけの木偶の坊かよ!!?」
インパクトの衝撃で鉄パイプは折れ曲がってしまったが手のひらに伝わる確かな感触にざまーみやがれと悪どい笑みを浮かべるカガリはもう一発と折れ曲がった鉄パイプを再び振りかぶる。
「オラ!もういっちょーーっ!!!」
大したことない、そんな余裕の表情のカガリは盛大に叫び鉄パイプを振り上げる。
“ガッ!”
「え?」
振り下ろそうとした鉄パイプが直前でカガリの意思とは関係なく、ガクッ!と空中で不自然に急停止した。
一体、何が起こったのかと鉄パイプを見上げたカガリは自分に起きた異変に目を見開いた。
そこには、まるで動きを見透かしているかのように見開かれた“バケモノ”の瞳が、カガリをじっと見つめていた。
それも、天井を埋め尽くす程のおびただしい数の瞳で、だ
鉄パイプが急に停止したのは、その無数の瞳でカガリの攻撃を見て、“バケモノ”の腕らしき暗闇で掴み止めたからである。
恐らく、今の一撃で怒らせたのだろう。ゆったりと“バケモノ”の体である暗闇がカガリと正面を向き合うかのように蠢き、掴んでいた鉄パイプを粘土を練るかの如く、意図も容易くねじ曲げた。
(ま、マジもんの“バケモノ”じゃねぇか…!!)
“グシャァァァァン!!!!”
「や、やば……?!!!!」
“バケモノ”の見た目以上の怪物じみた力に驚き、軽く放心状態であったカガリは、このまま掴んでいるのは不味いと咄嗟の判断で鉄パイプ手放した瞬間、握り潰した鉄パイプごと拳が羽虫を潰すように叩きつけてきた。
「ぐぎゃ!」
間一髪かわしたハズが叩きつけられた拳の風圧に吹き飛び、コンクリートの壁に打ちつけられた。
「いっ…てぇぇぇ!!!」
ただ吹き飛ばされただけで痛みが全身に駆け巡り、うまく力が入らない。
今まで生きていた人生の中で、これほどの痛みを受けたことが無かったカガリは思わず悶え、体をうずくませた。
だが、そんなカガリなどお構いなしに“バケモノ”は不快な足音を響かせ近づいてくる。
離れ、吹き飛ばされたこともあり、薄暗い部屋に一際色濃い暗闇でより一層、ハッキリと露となった“バケモノ”の姿は頭とおぼしき場所には大きな瞳と絵に描いたような人の口が不気味に揺れ、カガリの身長など優に越すであろう巨体に、それを支える二つの巨腕を持ち。
巨体を引きずりながら歩くその姿はこの世の者とは思えぬ身の毛もよだつ怪物にようやく、自身に置かれている立場を改めて理解したカガリは全身から血の気が引いていく感覚を感じた。
「じ、冗談じゃ……ねぇぞ…!!!」
もはや、見知らぬ少女の命など知ったことではない。
カガリは痛みに耐え、力の入らぬ体に無理矢理にムチ打ち、“バケモノ”の拳の衝撃で崩れた壁から少女を置いて一人、部屋から脱出した。
“ズダズダズダズダズダ!!!!!!”
だが、一度狙いを定めた“バケモノ”もカガリを放っておいておくような真似はせず、逃げるカガリを不愉快な奇声を上げ追いかけていく。
「ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな!!オレは関係ねぇだろ“バケモノ”!!!テメェの目当てはあの寝っ転がってるクソ女だろが!!」
逃げれど逃げれど、どこまでも続く廃墟のビル内のような道をカガリは振り返ることなく逃げながら叫ぶが、“バケモノ”がそれに応じるわけもなく、あの少女の事など頭からとうに忘れてしまっているかのようにカガリを執拗なまでに追いかけてくる。
「ぜぇ、ぜぇ…!!クソ!!」
痛みに堪えながらもなんとか、追いつかれずにいたカガリだったが、比べる必要もない“バケモノ”との体格さに差はみるみる内に縮まっていき、“バケモノ”の腕一つ分と、少しでも走るのを遅めればすぐにでも捕まるまで距離を縮められていた。
““バケモノ”に殺される!!”
(ッ…!!!!)
脳裏に過る少女の不吉な言葉。
どれ程進んだのかも分からない。どこに行けば良いのかもわからない先の見えない暗闇での逃走による疲労と死に直結する危機的状況に額から嫌な汗がジワリと吹き出す。
考えを振り切る暇などない。止まれば死ぬ。
(勘弁しろよ!こんな訳もわからねぇ“バケモノ”に殺されて死ぬのは、ごめんだ!!!!)
“バケモノ”の腕がカガリに向かってまっすぐに伸ばされる。
「鬼ごっこは終わりだ」、“バケモノ”はそう言ったかのように奇声を上げ、大きな瞳と口をイヤらしく吊り上げるとほぼ、同時であった。
「生憎、オレは“不良”と“警察”を撒くのは得意なんだよ!“バケモノ”!!!!」
“絶対に逃げ切ってやる!!”
一か八か、カガリは振り返ると同時に捕まえようと伸ばされた腕を掻い潜り、“バケモノ”の脇を走り抜け、姿を隠すべく通路の途中にあった部屋に飛び込んだ。
「ハァ…ハァ…!!ゲホゲホッ!あぁもう、くそったれ!!タバコなんて金輪際、止めてやる!!!二度と吸わねぇ!!」
“バケモノ”から身を隠し、息を吐きながら昨日の自分を恨めしく思い愚痴るカガリは壁に背を付け、“バケモノ”が向かってきていないかを確かめる為、そっと通路の様子を伺う。
真っ暗な通路に“バケモノ”の暗闇は無く、カガリは隠れた事がバレてないと一息つき、ズルズルと壁に背もたれた。
(なんとかあいつは撒けた…が、後はどうやって逃げる…?っうか…ここはどこなんだ?どこかの廃ビルの地下…にしては広すぎだしな…)
こう言った人目につかない廃墟などは不良たちが屯している事があるため、町の廃墟がある大抵の場所は把握していたハズだったのだがここはそのどの場所にも該当しない。
それどころか、ここが自分が住んでいる町なのかどうかすら怪しいのだ。
(気を失っている内に離れた場所に拉致られた?めんどくせぇ……こっちは帰りの電車賃もねぇんだぞ…?)
“ポタッ…”
「うぉっ!?なんだ?雨漏りか…?!」
理不尽な状況に不満を抱いていたカガリの肩にいきなり一粒の水滴が滴り、驚いたカガリは天井を仰ぎ、目を凝らす。
そこには薄暗い天井には大小、様々な大きさの数個の“塊”が紐で飾り付けのように吊り下げられているのが見え、それが何なのか分からず首を傾げさせていたカガリだったが…
「ハ、ハハハ……マジ、冗談じゃねぇぞ…」
あることに気がついた瞬間、背中に悪寒が走り、無意識に口から出た上擦った笑い声がなんと間抜けなことか…
天井から目線を外すことが出来ないまま、カガリは思わず身震いを起こした。
“吊るされていたものは全て、人体の一部であった”
恐らく、否、確実に…あの“バケモノ”の手によって殺され、食いちぎられた人間たちの成れの姿が非常食のように無惨に吊り上げられているのだ。
ここは“バケモノ”の食料庫で、皮肉にもカガリはこの最悪の部屋に入ってきていたのだ。自ら食料になりにきたかのように…
“グポッ…グポグポグポグポグポポポッ!!”
「ッ!今度はなんなんだよ…!?」
突然、目の前の壁一面から不快な音を立てながら湧き出すように暗闇が出現し、カガリはすぐさま立ち上がり身構える。
そして、引き剥がすかのような音と共に“バケモノ”の無数の瞳が一斉に見開き、カガリを見つめると不気味に嗤い出した。
「み、見つけたくらいで調子こいて笑ってんじゃ………!!」
“ドゴッッッ!!!”
「ギャァ!!!」
カガリはやや自暴自棄気味に叫びなど全く意に介することも無く、“バケモノ”はカガリの背後の壁を破壊しながらカガリを攻撃し、カガリはまるでボールのように冷たい床を跳ね、無惨に転がった。
「ガハッ…………マ、ジ…今のは効いた…」
即死でも可笑しくない一撃だった攻撃。
カガリは体の至るところから血を流し、ガクガクと震える膝に力を入れ立ち上がろとするが…
“ズドッ!!”
「ぐぁ!!!!」
“バケモノ”に知能があるかは分からない。だが、相手はいつもの不良などと言う人間ではない。
人間であるカガリに対して容赦などあるわけがなく、逃げられぬよう振られた巨腕の一撃をまともに食らったカガリは真横の壁に打ち付けられた。
“ズガラガラガラガラガラガラ!!!!!!”
打ち付けられた衝撃で壁が崩れ、奥の部屋へと続く抜け道が出来たがすでに満身創痍、崩れ落ちる瓦礫の崩壊音すら遠くに感じる。
カガリは逃げることも立ち上がることさえ出来ないようになっていた。
“ズチャ……ズチャ…”
「この、クソ…野郎……がっ!!」
上体を起すだけでも精一杯のカガリにゆっくりと歩を進める“バケモノ”。
トドメのつもりか、“バケモノ”の片腕が触手のように分かれ、鋭い槍の形状へと変化するのを見て、カガリは少しでも“バケモノ”から離れようと手を動かし、部屋の奥へと這いずっていく。
“死んでたまるか……死んでたまるか…!”
「死んでたまるかくそったれーーーーーーッ!!!」
“バケモノ”が槍の腕を突き出すのとカガリの無念の叫びが、ほぼ同時に起きたまさに刹那の時間の出来事であった。
“ガチャ…”
「な、なんだ?!」
絶体絶命の時間の流れなど無視した場違いの鍵が開いた音が静かに響き渡り、アンティークな扉がカガリの真下に実現したのだ。
そして、その扉が勢いよく開かれるとカガリの体は重力を失ったかのように扉の中へと落ち始めた
「うわっ!?うわっ!!?くっ!!!!」
“バタン!!”
咄嗟に扉の縁を掴もうと手を伸ばすが、扉はカガリ以外の誰も入れないとばかりの勢いであっという間に閉じてしまった。
「う、嘘だろ!?うわぁぁあぁああぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁ!!??!!!?」
扉の外から連続して凄まじい轟音が鳴るのが聞こえたが、奈落の底へ吸い込まれるかのように落ちていくカガリには遠ざかっていく扉の外の出来事などすでに遠い場所で起きた事でしかなく、どこまでも続くこのえもいえぬ落下感に為す術無く取り乱すしかなかった。
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「うぉぉえぇぇ……!!吐く!吐く吐く吐くってぇぇぇ!!!!」
きりもみ落下による掛かる負担に胃袋の中身が逆流しそうなのを必死に堪えていると奈落の先に、カガリを待ちわびているかのようにアンティークな扉がゆっくりと開いているのが見えた。
「うぉぉぉえぇぇあぁぁぁぁぁーー!!ドベバッ!!?」
落ちるまま扉に入った瞬間、突然体が失った重力を取り戻したかのように戻り、カガリは滑るように壁、もとい床の上に顔面を強打した。
「イデデデ……なんだよなんだよ。次から次へと…!オレになんか恨みでもあんのかあの“バケモノ”…!!」
瀕死の状態でありながらゆっくりと立ち上がったカガリは愚痴を溢し、先ほどまでの地下のように冷たく不気味なコンクリートで出来た部屋とは全く異なる。
まるで中世の物語に出てくるような幻想的で古びた中にある大人びた空間のドーム状の部屋を訝しげに見渡した。
「なんだここ……図書館か…?」
部屋の中心に立ち。
ぐるりと見渡して分かったものは、壁一面に引き詰められた何語かも分からない本と見たこともない器材に部屋を優しく仄かに灯すシャンデリア、それと来客が来るのかは不明だが、味のあるアンティークなテーブルと対面式に置かれた二つの赤茶色のソファ。
そして中心にある。本が山積みにされた大きな三日月型の机にはこの部屋の主が如何に本の虫であるかが伺える。
目に映るどれもが気品と上品さに溢れており、血だらけで身なりの悪いカガリには目眩すら起こさせる場所であった。
「っとと、マジの目眩だこれ…」
あれだけの攻撃をまともに受けて生きていること事態が奇跡的なのだが、カガリは近寄った三日月型の机の上に山積みにされた本を勝手に押し退け、机の上で寝れるだけのスペースを作るなり大の字で倒れた。
「あぁ~、クソイテェ……ぜってぇ骨折れてるだろこれ…!あの“バケモノ”マジでぜってぇシメてやる…!!」
満身創痍の傷だらけでありながら何故こうも大口が言えるのか?
憤るカガリは拳を突き上げる。だが、すぐに突き上げた拳を目元を下ろし、指の隙間からシャンデリアの灯りを見つめた。
「どうしたらあの“バケモノ”に勝てるっうんだよ…?」
「知りたいのかね?」
「うわ?!」
溢れた小さな弱音を優しく掬い上げるようにくぐもった嗄れた声で答えてきた。
カガリは驚き、体を起こし前を見る。
誰もいなかった筈の部屋の中心で、赤黒いコートを羽織ったやや背の曲がった人物が、まるで最初からそこにいたのかようにカガリに背を向け、本を読みながら静かに佇んでいた。
「だ、誰だテメェ。いつからそこにいた…!?」
「フム……誰、いつから此処に、か。ワタシは誰でも無い、物集めが好きな老人さ。此処には最初からいたよ。此処は、ワタシの“部屋”だからね…」
パタン、と本を閉じ、声の人物はゆっくりとカガリに振り返る。
声の人物の顔に付けられていた『物』を見て。
カガリは一瞬、ビックリしたように驚くがすぐに苛立った様子で声の人物を睨み付けた。
「なんだその鳥みてぇな『マスク』と『帽子』は…!ふざけてんのかジジイ!!」
「フフ…あまり、見せられた顔をしていないものでね…これが無くては人を怖がらせてしまうのだよ…まあ、老人の戯れと思ってくれたまえ…」
顔を覆う『ペストマスク』と上品さのある『シルクハット』を身に付けた老人は柔らかい物腰で笑い、警戒するカガリへゆっくりと近づいていく。
「次の質問を解しよう。確か…“バケモノ”を倒す術が知りたい、だったかね?」
「誰がテメェなんかに…ボケてんのかジ………!!」
「知りたくないのかね?」
「ッ…!し、知ってんのかよ……?」
老人に目を見つめられ、そう訪ねられただけなのに反論すら許さないと言う威圧感に負け、カガリは恐る恐る老人に言う。
すると、老人はフム…と小さく頷き、カガリの額にしわくちゃにしてはしっかりとした指で触れ、考え始めたのか急に頭を項垂れ黙り込んだ。
(……なんだこの状況、やっぱボケてんのかこのジジイ?)
「老人だが呆けてはいないよ」
「いっ!?」
「なるほど、キミを襲った“バケモノ”はワタシが探していた『怪魔』だったか…。しかし、よくあれだけの攻撃を生身の体で受けて生きている。何故逃げなかった?」
「て、てて、テメェ!?今、何した!?オレの、オレの心を読んだのか!!?」
何をされたのかと焦り拳を振るうカガリに老人は落ち着いた様子で拳をかわし、擦れかけたシルクハットのつばを掴み被り直しながら言う。
「正確には頭の中にある脳の記憶を、だがね…なぁに、見たのは数十分の内の出来事しか見ていないから安心したまえ」
そう言い、老人はマスクの下で笑い、優しい眼差しでカガリの目を見つめる。
しかし、心を読まれたことにたじたじとなったカガリは老人の目から逃げるように目をそらした。
だが、ふと、老人の言葉に気になることがあった。
「怪魔って…一体なんだよ?」
「……あまり、干渉させる訳にはいかないのだが…キミとは無関係と決めつけるには…少し遅すぎてしまっているね」
老人は椅子に腰掛け、本を読み聞かせるかのように静かに語り出す。
「思想と感情の形。あれは『願望』から生まれる“人の成れ果て”さ…」