第18章.喰らい嗤う蟲
「キャハハハハ!!!!」
「な……!?」
『レディー!!右に飛べ!!』
「ッ!!うわぁ!!?」
巫女の豹変に驚き体が膠着してしまったカガリの耳元でディアが気付け代わりに叫ぶ。
カガリはディアの指示に反射的に右へ飛ぶと同時に、先程立っていた場所が轟音を立てて一瞬にして破壊され、風圧によりカガリは廃墟の奥へと引き戻された。
「イッッ……!!!今の感じは…!?」
『……奴だ、“女王蟻の“魔力”だ!』
「…チッ、やっぱりかよ…!!」
「ふふふ、失敗失敗…まさか、名前を呼ぶだなんて思いもしませんでした……うっかり、引っ掛かっちゃいました」
悠々とした足取りで暗がりから出てきた巫女の表情は愉快だとばかりに歪みきっており、あのおしとやかな雰囲気など微塵も感じられない。
そればかりか。得体の知れぬ禍々しい気配が肌にひしひしと伝わってくる。
「テメェが……“女王蟻”だったってわけか…!」
紛れもない。人ならざる者の気配に……カガリは拳を強く握り締めた
「おや?どうされました?まるで悪い夢でも見たかのような顔されて……怖いのですか?」
「ケッ…!そんなわけねぇだろボケ!!」
わざとらしい心配にカガリは精一杯の悪意を込めて悪態をつくも、その声は動揺を隠せず震えていた。
それに気づいた巫女はニヤリと口が耳まで裂けたかと錯覚してしまう程の笑みを浮かべた。
「強がらなくても良いんですよ。むしろ、こんな状況、怖がる方が必然的なのですから……でも、“監視の怪魔”を倒し、わたしの魔法の操り人形をあれだけ相手にしていて今さら怯えるわけないですよね」
「テメェ……!」
(うん……?)
「あはは!良いですねぇ。その目……本当に屈服させ甲斐があります。ずっと、どう苛めてあげようか考えてたんですよ?…さあ、早く魔法少女に変身して下さい。たっぷり時間を掛けて、“女王蟻”に逆らったことを後悔させてあげます…」
__ブラックローズさん…
立ち上がり、精一杯の悪意を込めて睨み付けるカガリを見下ろしながら、両手を広げ巫女はさぞ愉しげに嘲笑う。
獲物を見つけた獣のような瞳を向ける巫女の言葉に、カガリの胸はえもいわれぬ不快感でいっぱいになっており。
それと同時に…全身に巡る血が沸騰しそうな程に、カガリの感情は昂っていた。
「やれるもんなら……やってみやがれ!!」
『む!?ま、待つのだ!レディー!!』
もはや、カガリの耳にディアの声は届かない。魔法少女に変身することも忘れ、生身のままがむしゃらに巫女の元へ走り拳を振りかざす。
「女王蟻ォォ!!!」
憎しみを吐き出すように廃ビルに響き渡る叫びを上げ、カガリは迷い無く、巫女の顔面へと拳を突き出す。
「もう!不愉快です!いくら弱いわたしからって……」
迫る拳を前に。巫女が不機嫌そうに頬を膨らませた瞬間、カガリの拳は吸い込まれるように巫女の右手のひらに収まった。
「魔法抜きで勝てるほど甘くはないですよ?」
「っ……がはっ!?」
巫女に拳を止められた。その事実に驚きを隠せないカガリの腹部に、いっぱいに詰め込まれた砂袋で殴られたかのような重く鈍い衝撃が起きた。
「ぐ…!がっ!!ウゥ…ウゲェェ……!!」
無防備の腹部に叩きつけられた強烈な衝撃にカガリはそのまま地面へと落ち、堪えきれぬ痛みに身をうずくまわせ、空っぽの筈の胃から血の混じった嘔吐を吐きながら地面を転げ回った。
「ふふ、あの轟カガリが痛さのあまり泣きながら吐いてる……なんて無様な姿でしょう!笑いが止まりませんね!!」
「がっ!!」
「でもまだ足りません…だって、貴女は“女王蟻”を怒らせてしまったのですから……」
「て、テメェェ……ぐぁ!!」
うずくまるカガリの頭部を踏みつけ、巫女はカガリを踏みにじり見下ろした。
苦痛に歪むカガリの表情を見るたびに巫女は気分を高揚させ、容赦なく踏みつけ続ける。その度に肉が地面にぶつかる嫌な音が鳴り響き、巫女の靴に血の糸が引く。
「うふふ、本物の虫けらと違って汚れてしまうのが難点ですね。でもまあ、これでおあいこですから良いでしょう……おや?」
「テメェ……ぜってぇ…なか……」
「……汚い手で触るな」
「ぐはっ!!」
血で汚れた靴底をカガリの服に擦り付け拭っていると、顔面血だらけのカガリに足首を掴まれたことに気が付いた巫女は鋭く睨み付け、振り払いカガリの溝内を蹴り上げた。
「しつこいなぁ。大人しくくたばってたら良いのに……鬱陶しいのよ。アンタ……」
「ゲホッ!ゲホゲホ!!ヘッ…なんだよ、テメェ……しゃべり方が違うじゃねぇか…」
「あらやだ。わたしったら!……なぁ~んて、良い子のふりに決まってんでしょ?いちいちムカつくな。アンタ…」
巫女は忌々しげに言うと廃ビルの崩れた瓦礫の小山から異形鉄筋を引き抜き軽く素振りをした後、口から漏れた血を拭いながら睨むカガリへと近づいていく。
「悪~いアンタと違って、良い子は大変なの…周りに合わせたり、目をつけられないようにドジ演じたり……押し付けられた事だって愛想良くしないといけないから本当、嫌になるわ……」
「猫被ってるくせになに言ってんだ……ぐぎっ!!!?」
「アンタみたいな“不良が寄ってくる”からストレスの発散には困らないけどね。ウザいには変わりないけど……」
軽口を言ったカガリの左肩に巫女が異形鉄筋を力任せに突き刺す。そのまま、痛みを必死に堪えるカガリの髪を鷲掴み、顔面に膝打ちの追い打ちをかける。
「ぐっ…あが……ッ!!」
「て言うか。さっきから何で変身しないわけ?まさかとは思うけど……“お友だちは殴れません”って言うのですか。轟さん…?」
「っ……そんなわけ、ねぇだろ…!!」
「だよねぇ…?あの泣く子も殴る轟カガリが“友だちのふりをされていた”にも関わらず、何も出来ずに一方的にやられて死ぬなんて言わないわよねぇ?」
“友だちのふり”。巫女の口から告げられる言葉に左肩に起きる劇痛よりも鋭い痛みがカガリの胸に突き刺さる。
___やっぱりな。信じる方が間抜けだ。嘘。騙されていた。様々な言葉に頭の中が埋め尽くされていく。
(くそっ!!うるせぇうるせぇうるせぇうるせぇうるせぇ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れよ…!!!!)
考えを振り払うように頭を振り、カガリは左肩に突き刺さる異形鉄筋を引き抜こうと歯を食い縛り、血で滑る手に力を込めて力任せに引っ張る。
「グギィィィ!!ガァァァァァァ!!!!!!」
「まるで、獣ね。……あぁそうだ。それなら取って置きのヤツを見せてあげる!」
野獣のような咆哮を上げるカガリを見て、何かを閃いた巫女は不気味に嗤うと指を鳴らした。
すると、光当たらぬ物陰の中からローブを目深に被った、男とも女とも分からない四名の人物が現れた。
「フゥ…フゥゥ……ッ!!仲間、かよ!」
『いや、全員女王蟻の魔力を感じる…皆、操られているだけである…』
「チッ…!やっぱ、卑怯だろあの魔法……っうか、ようやく喋ったと思ったらテメェは……観戦するだけならよそに行けっうの…!」
『ふむ…少し考え事をしていた』
「あ?こんな時に考え事だと…?!」
「何を一人でごちゃごちゃ言ってるの…?」
いつもなら鬱陶しい程説教臭く騒ぐ筈のディアの黙りにカガリが忌々しげに愚痴る。それを見た巫女は訝しむように首を傾げさせたが、すぐに「まあ、良いわ」と興味を無くし、右手の人差し指を背後の四人に指示するように空中に文字をなぞるように払って見せた。
「そいつらは『不可視夜祭』の中でも大した力を持たない弱者……でも、わたしが忠実な僕に仕立て上げたことで“働き蟻”くらいには使えるようにはなったの………性能を試すには持ってこいな状況だとは思わない?」
「思わねぇよ、腐れ女王蟻!」
『同感である』
巫女の命令で前へと出てきた四人を無視してカガリは自慢げに語る巫女を睨み付け悪態つく。
それを良く思わなかったのか。四人の両手から魔法陣が浮かび上がると中から光の鎖が出現し、カガリの首、右手、両足へと伸びて巻きつき拘束した。
「そのナメた口をすぐにきけなくしてやるわ…!」
「ぐっ…!なんだこれ?!」
「どちらが主人か、聞き分けの悪いアンタにハッキリと分からせる為の“首輪”よ。足掻いても無駄だからね?アンタの“魔法を打ち消す魔法”は対象にダメージを与えることで発動するみたいだけど…こうやって拘束すればなんてことない…!もっとも、変身しないアンタなんかに負ける筈ないけどね…」
自信ありげな表情で言う巫女は巻き付く鎖を引き剥がそうともがくカガリに近づき、手のひらに出現させた魔法陣から赤く光る鞭を作り出し、見えるように大きくしならせた。
「アンタもわたしの魔法で“奴隷”にしてあげる…そしたら今度は本当の友だちよ……わたしに意のままに操られることさえ分かっていない、“お馬鹿なお友達”にね…」
「…!ふざけんな…誰がテメェの都合の良い操り人形になんかに……!!」
唸るカガリが言い切るより赤く光る鞭が風を切りながら不可視の軌道を描いてカガリの顔面を弾いた。
「ギッ!!?」
突然の激痛に悲鳴すら出ず、カガリは拘束された体を身悶えさせる。
「アンタに回答する権利は無いわ。だってわたしは女王蟻…女王蟻に逆らう蟻はいない。わたしの“命令”は絶対なのよ…逆らうことは許さない…言うことを聞かない逆らう奴はいっそ殺してくれとわたしに懇願するほど、痛い目に合わせてあげるんだから…」
「て、テメェ…!!ぜってぇー…許さねぇ…!!」
「許してもらうつもりは無いわ。だってアンタはわたしの“奴隷”にするんだもの。都合の良い……わたしの“操り人形”にね!あはははははは!!」
イヤらしい笑い声を上げながら、巫女は鞭を生き物のように振るいしならせカガリの体を滅多打っていく。
カガリの体中に赤い線の傷痕が刻まれ鮮血が辺りに飛び散る度に、カガリの巫女に対する怒りは最高潮にまで達し始めていた。
___憎い、騙していたアイツが憎い。騙されていた自分が憎い…
鞭打たれる中、自己嫌悪すら入り交じる憎悪にカガリは左肩の異形鉄筋を再度引き抜きにかかった…
_____その時だった。
『今抜けば出血多量で死ぬぞ。レディー』
「ッ…?!ディア…!?」
引き留めるようにディアの声が頭に響き渡り、驚き我に返ったカガリは咄嗟に手を止め、イヤリングを手で触れた。
「なんだよディア!急に止めんじゃねぇよ!っうかさっさと戻れ!!変身が出来ねぇじゃ……!!」
『少しは冷静になれ、レディー。頭を冷やしてよく考えてみろ。可笑しいとは思わんのか?』
「何がだよ!?良いからさっさと……」
「さっきからでぃあでぃあと……急に叫んでどうしたのかしら??まさか、仲間に連絡でもしてるの?ふふ、でも残念。いくら外に助けを期待しても無駄よ。このビルにはコイツらが結界を張ってる……探しだしてもここに助けなんてこないわよ」
「あ?!“誰が外に”……ぁ?」
そう言い掛けて、巫女に妙な違和感に気が付いた瞬間、さっきまで熱され煮えくり返った鍋のように頭に来ていた筈の熱が一気に冷め、カガリの狭まった視野が途端に開けた。
『…どうだ。頭が冷えて目が覚めたであるか?』
「……おう!」
『うむ、ようやく落ち着いた顔をしたであるな』
「…?なにが可笑しいのよ!?」
「なんでも……ねぇよ!!」
意地悪くしたり顔で言うディアにカガリが笑って答えると、気に入らない巫女は鞭を振るう。
だが、カガリは風のように速い鞭を拘束されている右手を力任せに引き寄せ掴み取ったのだった。
「な…嘘でしょ?!」
「サンキューな、テメェが攻撃してくれたおかげで目が覚めたみてぇにスッキリしたぜ…お礼に言っちゃなんだが…こっから轟カガリ様の大逆転劇を見せてやるよ…“女王蟻”…!」
鞭を止められ驚いている巫女にカガリはコウモリの姿に戻ったディアを左肩に異形鉄筋が刺さったままの左手で掴み首筋に当てながら、挑むように勇ましい笑みを浮かべ、“あの台詞”を唱える。
「変身…!!!!」
夕日が沈むと同時に、光の無くなった廃ビル全体にほとばしったまばゆい青い閃光が消えると…そこには魔法少女へと変身したカガリの姿があった。
「…テメェのその真っ黒な願い……」
______オレが踏み砕く!!
自然と言い放たれた決め台詞と共にカガリは巫女へと跳躍するのだった。