山へ行こう
タツヤが危ない人かどうかという話はうやむやに終わり、それからリトスは作業を再開した。
今はほんの少しだが、タツヤも手伝っている。
始めはリトスの気晴らしになればと一人ショートコントをやってみた。一昔前に流行ったワイルドさを自慢する芸人のネタをパクって異世界風にアレンジしたものだが、それがことのほか大ウケして研究どころでは無くなってしまった。お腹を抱えて笑いながらリトスは「邪魔しないでください!」と怒っていた。
なので今は作業自体に手を貸している。
煙草の材料となる葉は有毒だ。それはこちらでも向こうでもおそらく変わらない。なので毒や害といった意味を示す言葉をリトスに教えてもらい、それが記されたページを探してはリトスに教えるという方法を取った。そのおかげで作業効率は上がり、今日はノート二冊分を調べ終えた。煙草の手がかりはまだ見つからなかったが、リトスがゆっくりと船を漕ぎ始めたのでここらが潮時だろう。
「そろそろ終わりにするか」
「ふぁ……まだ大丈夫です……」
「大丈夫に見えないから。根詰めるなっていったろ。眠たいなら部屋に帰って寝ろ」
「ふぁい……おやすみなさい」
眠たそうに目を擦りながらリトスは寝室へとよたよた向かっていった。その背中に向けて「わいるどだろぉ~」と小声で呟いたら吹き出していた。ハマったな。
タツヤも自分の寝室へ戻り、一服して眠りについた。
それからもタツヤはリトスの家で世話になりながら、リトスの仕事を手伝って過ごした。
朝は水を汲みにいき、家での作業は主にリトスが苦手な力仕事を担当。夜はリトスと共に先生のノートで煙草の材料を調べる。
タツヤは日に日にこちらの世界の生活に馴染んでいった。こちらでの家事もいっぱしに覚えたし、たまに薬を貰いにくる村人に紹介されて、軽く挨拶を交わしたりもした。順応性は高い方だ。
そして出会ってから四日目の朝。
タツヤはある決意をしてリトスに向き合った。
「リトス……これを預かってくれ」
そういって差し出したのは、一箱の煙草だ。
「これって……いいんですか、タツヤさん? 私が持ってても」
「ああ……自分で持ってたら際限無く吸ってしまう。リトスが管理して渡してくれ」
今朝、寝起きの一服を決めようとして気付いた。初日から煙草を全く節約していなかったと。作業の合間や休憩中など、元の世界とほぼ同じ感覚で吸いまくっていた。
すでに開けていた一箱目は勿論、二箱目、三箱目もハイペースで吸い付くし、最後の一箱のビニールを剥がしたところで、このままではいけないとようやく思い至ったのだった。遅い。
残りはジャスト二十本。煙草を作るのにふた月はかかるとリトスはいっていたから、一日一本を厳守しても毎日は吸えない。もうパァーっと全部吸いきってしまい、後は出来上がるまで我慢するという方法も考えたが、それは危険だと思ってやめた。何十日も吸わなかったら、タツヤは壊れてしまう(気分的に)。
タツヤの強い決意とそれに伴う苦痛を感じ取ってか、リトスは神妙な面持ちでタツヤから煙草を受け取った。
「わ、判りました。これは私が責任を持って預かります……!」
「頼むぜ……湿気らさないように気を付けてくれ」
そんなくだらないやり取りを朝からやって、二人は朝食を取った。
「今日は山に行きましょう」
リトスがそう提案してきたのは、朝食の後だった。例によって井戸での水汲みをぱっぱと終わらせたタツヤを呼び、そういったのだ。
村の外れ。西の大地にそびえ立つ、その名もトーガ山。トーガ山の麓に作ったからトーガ村なのか、トーガ村の近くにあるからトーガ山なのか、という卵が先か鶏が先かみたいな疑問が浮かぶ名前である。一応リトスに訊いたが知らないといわれた。
鬱蒼と繁る緑に包まれたその山は、麓にも大きな森林が広がっていて、様々な恵みを村に与えてくれる。山菜や木の実などの食料は勿論、薪や材木など村での生活に必要な素材がそこで数多く得られる。さらに山頂から流れる湧き水は、トーガ村の水源となっているそうだ。
リトスも薬の材料となる薬草の採取場として活用しているらしい。
「俺が拾われたのもそこなんだよな」
「そうです。見つけたときはびっくりしました」
薬草を採りにいって倒れた男を見つけたら、それは驚くだろう。タツヤにとってはこの上ない幸運だったが。
一度行ってみようと思って、そのまま忘れていたっけ。
「そういえばリトスはどうやって俺を連れて帰ったんだ? 一人じゃ運べないだろ?」
リトスは小柄な見た目通り、華奢で非力だ。毎日の仕事でも力がいる作業はタツヤが手伝わなければ苦労していた。
山のどの辺りに倒れていたかは知らないが、とてもタツヤを抱えて村まで連れて帰れたとは思えない。
そう訊ねるとリトスは思い出したように答えた。
「そういえばいってませんでしたね。あのときは私、一人じゃなかったんです。山の奥までいくときは、町のハンターギルドに頼んで護衛をつけて貰うんですよ。その日は護衛の人が一緒だったから、その人にタツヤさんを運んで貰ったんです」
麓の森や二合目くらいの低いところまでならばまだ大丈夫だが、それ以上奥深くまで行くと障気が濃くなり、魔物が頻繁に出るから一般人ではまともに進めなくなるらしい。
魔物は凶暴で力も強く、戦い慣れない一般人ではまともに対処できない。そのため深い場所にある素材を採りにいくときには、ギルドのハンターのように戦闘力のある護衛が必要なのだ。そこまで奥に入っていくのは、村の中ではリトスだけらしいのだが。
ちなみに亡くなった先生は元ハンターで、魔物を倒せる腕があり、一人でも採取していたそうだ。
「わざわざそんな危ない森に入らなくても、そのハンターに全部任せて素材を採ってきてもらったらいいんじゃないか?」
「そこはほら……私、鑑定眼持ちですから。自分で目利きしたほうがいい素材がたくさん採れますから」
リトスはややしたり顔で青い瞳を指差して見せる。
ちなみにリトスが度々口にする鑑定眼というのは、生活魔法の範疇を越えた専門家の実用スキルらしい。誰でも使える生活魔法と違い、そちらは才能を持つものがたゆまぬ努力によって身に付けることが出来る希少なものなのだそうだ。
先生も持っていなかった、リトスの密かな自慢らしい。密かでもないな。普通に自慢気だ。
「というわけで、今日は山で素材集めです。準備をしますから、タツヤさん、ついてきてください」
リトスに案内されて向かったのは、家の脇に建てられた小さな納屋だった。
薬作りの道具らしき器材や、生活雑貨の類いがごちゃごちゃと置いてある。
壁際の棚の中から、リトスは紐のついた大きな籠と布袋を数枚引っ張り出した。さらに鞘に入った短刀を取り出して、タツヤに渡してきた。
「はい、タツヤさん。魔物が出たらこれで身を守ってくださいね」
「やっぱり出るのか、魔物」
「今日はそんなに奥までは行かないので、大丈夫だとは思いますが。念のためです」
そう言いながらリトスも腰のベルトに短刀を差す。
タツヤは渡された短刀を軽く振ってみて眉を潜めた。いまいちしっくりこない。他になにかないかな、と室内を見渡したら壁に掛けられた大きな鉈を見つけた。刃渡りは60センチはあろう、持ち手が白木造りの武骨な鉈だ。手にとってみる。刃先は所々欠けてやや錆びているが、持ち手を握ったときのずしりとした重みが手に馴染んだ。
「俺はこっちがいいな。短刀はどうも軽くて使いにくい」
「えっ、それですか? 手入れしてないから切れ味悪いですし、重たいですよ」
「このくらいのが振りやすいんだ」
そういって振ってみると、ビュウと小気味いい風切り音が響く。今のタツヤに誂えたような使い心地だった。
それにまだタツヤは魔物をみたことが無いので、リーチの短い武器だけだと不安だという気持ちもあった。現代日本で持ち歩いていたら直ちにしょっぴかれるだろうが、魔物が跋扈する異世界を練り歩くならこのくらいの装備は欲しい。
「これ借りていいか?」
「はい。タツヤさんがいいのなら、そちらを持っていってください。それでは出発しましょう」
「おう」
魔物も出る異世界の山林で素材収集。
不謹慎な話であるが、ロールプレイングゲームの冒険のようで少し胸が踊った。
村を離れて歩くこと数十分。タツヤ達は山麓の森林に辿り着いた。
森の中は青々と生い茂る草木の枝葉が日の光を遮り、昼間でもどんよりと薄暗い。土が踏み固められた獣道を歩いていると、辺りの茂みや木々の影から動物の動く気配や野鳥の鳴き声が聞こえてきた。タツヤはリトスに先導されて歩きながら、辺りの風景をもの珍しげにキョロキョロと見回していた。
「なにか探してるんですか?」
そんなタツヤにリトスが訊ねてくる。
「魔物がいないかな、と思って」
「こんな浅い場所には出ませんよ。というか、出たら困ります。危ないじゃないですか」
リトスはぷんすか怒ってみせた。
さっきも訊いたが、魔物は山の高いところや深い森の奥など障気が濃いところに出る。その濃さによって強さや狂暴さも変わってくるそうで、この辺りはまだ安全圏らしい。たまに障気の薄い場所に出てくるものもいるが、それらは『はぐれ』と呼ばれ、滅多に出くわすものではないそうだ。
「森の中はなんで障気が濃いんだ? 人間が生活魔法とか使ってるんなら、町の方が濃そうに思えるけどな」
「えっとそれは確か……障気は森の木々や流れる川の水など自然の力によって浄化されるため、町や村で発生したものもそれらの場所に自然と集まるのだといわれています。だから森の深いところや大きな川の近くなど、人の手が届かない場所のほうが濃くなるんですよ」
「へえ。詳しいな」
「えへへ、昔勉強しましたから」
リトスは数年前、鑑定眼を得るために町の教会に通って勉強していたらしい。そのときにこういった知識も覚えたのだそうだ。
「じゃあ人間が魔法を使うのをやめたら、いつか障気はきれいさっぱり消えてなくなるんじゃないか?」
「それは難しいと思いますよ。どこに行ったって生活魔法のない暮らしは今さら考えられないですし。生活魔法を控えたとしても戦争があれば大きな魔法が使われます。結局瘴気はどうしたって発生すると思います」
「そっか。そりゃそうだな」
地球でも、世界中が今日から石油を使わずに暮らせ、と言われたって無理だろう。それが環境破壊の原因だと判っていても、豊かさに慣れた人間が今の暮らしを捨てるのは難しい。
しかし、人間が発生させて大気を汚染し、それを浄化するのは木々や緑など自然の力だなんて、ますます地球温暖化じみた話だとタツヤは思う。
どの世界でも自然は大事ということだ。守ろう自然。守ろう僕らの世界。
「もうすぐ最初の採取場所に着きます。タツヤさん、大丈夫ですか? 疲れてませんか?」
「ああ、平気だ」
振り返って訊ねてくるリトスにタツヤは頷く。
微妙な傾斜がある歩きづらい道だが、女の子の歩調に合わせて歩いているのでさすがにまだ息は切らしていない。そこまで情けなくはないぞと言いたかったが、リトスの言葉は純粋な気遣いからくるものだろうから黙っておいた。
しかしあれだ。そろそろ煙草が吸いたく……いや、まだ早い! まだ我慢だ!
込み上げる衝動とタツヤは戦う。こんな緑の豊かな空気の中でふかす煙草はさぞ格別だろう……なんて心の中の悪魔が囁いても、下唇を噛んでぐっと堪えた。
「着きましたよタツヤさん。まずはあそこの茂みです」
そうこうしているうちに、どうやら目当ての場所に着いたらしい。
リトスは獣道の先に見えるツツジのような木の茂みに向かって小走りに駆けていった。
タツヤは歩いてそれを追った。走るのは無理だ。