リトスの魔法講座
昼食をとって、しばしの休憩。
朝の作業で体力を使い果たしたタツヤは、食後もろくに動けないまま居間にあたる部屋でぐったりしていた。少しでも回復しようと昼食を無理矢理腹に詰め込んだが、それが仇となった。胃がムカムカして逆に気持ち悪い。
そんなタツヤの元に、リトスがなにやら黄色い液体が入ったを小瓶を持ってきた。
「……なんだこれ?」
「エナジーポーションです。飲むと元気が出ますよ」
栄養ドリンクみたいなものか。元の世界でも疲れが溜まったときに時々飲んでいた。
差し出された瓶を受け取り、一気に煽る。
「うぐふっ!」
瞬間、強烈な苦味と酸味が絶妙な二重奏を奏でて口の中いっぱいに広がる。吐き出しそうになるのをなんとか我慢して飲み下すと、カーッと息を吐いた。
「ぐああ、まっず! なんだこれ!」
「薬ですからね。だけどよく効きますよ」
「んっ……本当だ。なんだか身体が軽くなった気がする」
今まで鉛のように重かった手足が快適に動く。気分だけじゃなく、身体に力が戻ってくるのが顕著に感じられた。
立ち上がってみても目眩や気だるさはなく、動悸や息切れ、胃のもたれも解消されていた。タツヤの知る地球製の栄養ドリンクとは比べ物にならない効き目だ。
「すごいなこれ。でもこんなに効くんなら、かなり貴重なんじゃないのか? もらってよかったのか?」
「そうでもないですよ。材料はここらで手に入るものばかりですから、作り置きがたくさんあります。私も疲れたときなんかにはよく飲むんですよ」
「そっか。お前の薬って他のもこんなにすぐ効くのか?」
「種類によりますけど、即効性の高い薬は多いですね。これよりさらに効果の高いヒールポーションは、患部にかけるだけで瞬時に傷を塞ぎます」
「そいつは凄いな」
この世界は危険が多く、旅の途中などではひとつの怪我や病気が命取りになることだってある。だからそれらを治す薬には即効性が求められるらしい。
リトスの薬は特に効果が高く、町の病院やハンターギルドなどにも卸しているそうだ。
ただし強い薬ほど身体への負担も大きいため、リトスは一般用の薬と緊急用の薬とで分けて作っているらしい。村人達に提供している緩やかに効くのが一般用。病院やハンターギルドに卸す即効性の高いのが緊急用だ。
「すごいんだな、リトスの薬は」
「元のレシピを作ったのは先生です。私はほとんど先生のやってたことを真似してるだけですから……」
リトスははにかむように苦笑する。
人の模倣だとしても、それを継続し、多くの人の助けになっているのなら、誇らしいことだとタツヤは思う。だからこそあのおばあさんにもあれだけ慕われていたのだ。
しかしポーションだのハンターギルドだの、いよいよ異世界らしい話になってきたな。人里を離れれば魔物だって出るらしい。まさにここはファンタジーの世界だ。
「ファンタジーといえば、リトスはちょくちょく魔法を使ってるよな」
「はい?」
ふと思い出し、声をかけたらリトスは首を傾げた。
「ほら、煙草の鑑定とか、かまどに火を点けたりとか。あれって魔法だろ?」
「ああ、生活魔法ですね。それならタツヤさんだって使ってるじゃないですか。煙草に火を点けるときに」
「俺のは魔法じゃなくて、そういう道具なんだ。魔法って俺にも使えるのかな? よかったら使い方を教えてくれないか」
「ふぇ? いいですけど……」
タツヤの頼みにリトスは目を丸くしながら説明してくれた。
どうもこの世界、簡単な魔法なら誰でも使えるらしく、人々の生活に密接しているのだそうだ。小さな火種を起こしたり、暗いところで光を灯したりなど、生活のちょっとした補助のために活用されている。
だからリトスはタツヤが魔法を使えないと言ったことに驚いたのだった。
「生活魔法が全く使えないのに旅をしてたって、それはそれですごいですね」
「魔法が無い国から来たからな。俺の故郷ではみんな魔法なんて使えない」
「……タツヤさんの故郷っていったいどんなところだったんでしょう? 想像がつきません」
どこか釈然としない様子ながらも、リトスは魔法の使い方を教えてくれる。
前提として、この世界には霊素と障気というものがあり、これらは普段は目には見えないが、大気中に漂っているらしい。
魔法の源となるのが霊素である。
場所によって濃淡の差はあるものの、全く存在しない場所は世界のどこにも無く、魔法は世界中で認知されている。だからリトスはタツヤが魔法を知らないことに驚いたようだ。
それを訊いてタツヤは故郷の設定をミスったと後悔した。魔法がそんなに身近なものだなんて、普通思わないじゃないか。だけどもう後戻り出来ないので魔法が知られていない超超超ど田舎だったという設定で話を進める。
それで魔法の使い方だが、頭の中で起こしたい事象を強くイメージし、霊素に呼び掛けることで魔法が発現するのだそうだ。リトスのように火を起こしたいなら、指先に火が点るイメージを強く抱き、大気中の霊素に向けて解き放つ。これだけで魔法が使えるらしい。
ただし、ここでネックとなるのが障気の存在である。障気は霊素の対となる存在で、魔法によって霊素を消費したら発生し、大気や大地を汚染する原因となるのだそうだ。しかもあまりに濃い障気は魔物を生み出す原因にもなるらしい。だから生活魔法はなるべく小さな規模で使うことが常識となっている。
これらの説明を訊いて、タツヤはなるほどと頷いた。
魔法はわりと手軽だが、迂闊に使うのは危険なものなんだな。
「これが魔法の基礎知識です。やり方や危険は理解できましたか?」
「ああ。要するに石油を燃やしたら火が出せるけど、二酸化炭素が発生して温暖化が進むみたいなもんだな」
「その例えがよく判りませんが……多分そういうことです」
異世界人のリトスに地球温暖化の話はいまいち伝わらなかったようだ。
我ながら上手い例えだと思ったんだけどな……。
「では早速やってみてください。まずは指先に火を点けてみましょう」
「おう!」
威勢のいい返事をひとつ。タツヤは顔の前で指を立て強く念じる。火よ点け、火よ……!
若干寄り目になるほど集中して念じるものの、火は一向に点らなかった。無駄に力の入った指先がぷるぷる震えているだけである。
霊素よ……森羅万象に普く精霊の息吹よ、我が声に応えその力を示せ……! 紅蓮の炎よ、我が指先に灯れ!!!
心の中で若干恥ずかしい詠唱を唱えても、全く無意味だった。
「くっ……難しいな、これ」
「イメージの発現が出来てないんですよ。だから霊素が応えないんです。こう、火が点く瞬間をぱっと思い浮かべて、さっと頭の外に出す感じでやってみてください」
リトスの説明は擬音が多くて判りづらかった。頭のいい子だと思っていたが、実はそうでもないのかもしれない。いや、天才肌というやつか。
何度か説明を訊いて、なんとかニュアンスを掴めた。つまるところ発現する瞬間に意識を強めることが大事なのだそうだ。それが魔法を発動するスイッチになるのだ。
「だったらこうすればどうだ」
タツヤはジッポライターを取り出して構える。火を点けるイメージといえば、一番初めに浮かぶのはこれだ。
「そうですね。まずは手に馴染んだ道具を媒介に使うとやりやすいです」
頷くリトスを尻目に、ライターを掲げて再び強く集中。炎を出すイメージが固まったところで、タツヤはカッと目を見開き、勢いよくライターの蓋を開いた。
その瞬間、ライターの先から勢いよく炎が噴き出した。
ゴオオォォォゥ。
「おわああぁぁぁ!?」
「きゃああああああ!!」
天井近くまで伸びた火柱にタツヤは狼狽え、リトスは悲鳴を上げる。
慌てて消したので幸い火事には至らなかったが、二人して腰を抜かしてしまった。
「あ、危なかったぁ……」
「ふえぇ……びっくりしました。タツヤさん、思念が強すぎです。もっと抑えてやってください」
「ああ、すまん。気を付ける」
よく見れば部屋の中に煙とは違う黒い霧のようなものがうっすら漂っていた。これが障気か。リトスが窓を開けて障気をパタパタと外に払い出す。障気は風に吹かれて散っていった。
しかしながら魔法が使えた事実は喜ばしいことだ。相田達也、23歳にして魔法の力に目覚める。
それから二度目の挑戦で同じようにライターを使い、通常のライターと同じくらいの火を出すことに成功した。異世界生活で当たり前に魔法を使っているリトスと違い、タツヤが火を出すにはライターを介してイメージすることが必要だったが、それでもほぼ自在に火を出すことが出来るようになった。
ライターを持っているのに、魔法で火を点けることに意味はあるのか。もちろんある。これでライターオイルが切れても困らないのだ。
「さっきみたいな大きな魔法は、あまり村の中で使わないでくださいね。多量の障気は人体にも悪い影響を与えますから」
「ああ、判ってる」
魔法はあくまで生活を補助する範囲で、小さく弱く。それならば発生する障気もすぐに散って危険はないらしい。
タツヤにとっては煙草に火を点ける火種さえ出せれば十分だった。強力な魔法を使う場面は、おそらくないだろう。
「それじゃあ仕事に戻りましょうか。タツヤさん、身体は大丈夫ですか?」
「ああ。もう平気だ」
休憩を終え、午後からも仕事に励んだ。
作業部屋で荷物を運んだり薬草を擂り潰したり木の実の殻を砕いたりと相変わらず力仕事の類いを任されたが、今度は倒れないよう体調に注意しながら動いたので、なんとか日暮れまで体力を持たせることが出来た。だいぶグロッキーではあるが。
日が沈めば作業を切り上げるらしい。リトスの一日の仕事はこれで終わりだ。
「今日はタツヤさんが手伝ってくれたおかげで、いつもより数段作業が捗りました。ありがとうございます」
リトスは喜んでいた。役に立てたのなら何よりだ。
疲れた肩をぐるぐる回していたタツヤの元に、リトスが再びエナジーポーションを持ってきてくれた。
「お疲れさまでした。これどうぞ」
「ああ、サンキュ」
受けとったカップをぐいっと傾け、腰に手を当て一気に飲み干す。
「かぁーっ、まずい! もう一杯!」
エナジーポーションは相変わらずの不味さだった。思わず某健康飲料のCMの真似をしたくなるほどに。
薬の飲みすぎは身体に毒だから、とおかわりは普通に断られた。