煙草(きみ)のためにできること
リトスの提案は、タツヤにとって願ってもないことだった。
この世界にも煙草があることは判ったものの、それはまだ希少で、どこにあるのかも、どうやって手に入れればいいのかも判らない。
これを逃したらいつ手に入るのか判らない今、受けない手はなかった。タツヤには時間が無いのだ(手持ちの煙草の残り本数的な意味で)
「だったら……頼む。いや、お願いします! 是非!」
床に三つ指を着いて頭を擦り付ける。成人男性の見事な土下座である。
そんなタツヤの痛い姿に、リトスは困ったようにわたわたと手を振った。
「あっ、頭を上げてください! そんなことしなくても、ちゃんと作りますから!」
煙草のためならプライドなど軽く捨て去ろう。肝臓のひとつくらい売り払ってもいいとさえ思っている。今ならなんだってする覚悟だ。
「ありがとう……ちなみに時間はどれくらいかかる?」
そこは大事な点だ。リトス製の煙草が出来上がるまでの日にちから逆算することで、タツヤが一日に吸える煙草の本数が決まる。
「そうですね……。素材自体は先生が使ってたのがどこかにあると思うから……それを探して、調べて、熟成と乾燥で……少なくとも一年は……」
「……(バタン)」
「わああっ、どうして倒れるんですか!?」
あまりに長い期間を突き付けられ、タツヤは思わず卒倒した。一年は無理だ。そんなに煙草を吸わなかったら真っ黒な肺がピンクに戻ってしまう。
なんとか起き上がり、リトスに向き直る。
「もっと早くは……出来ないか……?」
「えっと、早くというとどのくらい?」
「三日じゃ無理か?」
「む、無茶いわないでください!」
即答された。当たり前だ。一年といわれたところを百分の一以下にしろだなんて、無茶にも程かある。
いや、もしかしたらこの世界の一年は地球より短いのかもしれない。かすかな期待をこめて訊ねてみた。
「ちなみに一年って何日だっけ?」
「え? 三八〇日ですよ」
「……(バタン)」
「ふええ! だからなんで倒れるんです!?」
地球より微妙に長い。終わった……。
がっくりと項垂れていると、リトスがしばし考える仕草をして口を開いた。
「これと完全に同じものを作るには、さすがにそれくらいの時間はかかると思います。熟成とかの期間を短くして質が落ちてもいいのなら、もっと早く出来るかもしれませんけど……」
「それだとどのくらいだ?」
「たぶん……ふた月もあれば形にはなるかと」
「六十日くらいか」
「そうですね」
六十日となると、吸えるのは一日に一本か二本が限度か。……辛いがそこは我慢するしかない。
「……判った。質は落ちてもいいからなるべく早く頼む。煙草を減らして、俺の身体がいつまで持つか判らない」
「が、頑張りますっ!」
「頼んだぞ」
これで微かなながも希望が見えてきた。こんな我侭に付き合ってくれるリトスにはいくら感謝しても足りない。
もちろんタツヤ自身もできる範囲の協力は惜しまないつもりだ。自分の我が儘を叶えてもらうのだから当然である。煙草作りのためだけじゃなく、仕事でも生活でも手を貸して欲しいことがあるのならなんだってしよう。
「リトス、俺にしてほしいことがあったらなんでも言ってくれ。金はないけど、雑用でもなんでもするから。拾って看病してくれたことも含めて、この恩は絶対に返す」
そう伝えると、リトスはなにやら嬉しそうにクスクスと笑った。
「なにがおかしい?」
「いえ、タツヤさんがあんまり律儀だからつい……思ってた通り、いい人そうで安心しました」
「そうか?」
タツヤは首を傾げる。元の世界では、あまり人がいいとは言われたことがない。むしろ煙草を吸い始めてからは、嫌煙家から寒い目で見られることのほうが多かった。やつらは人間でなく煙草を見て嫌悪してくる。あまつさえ殺されかけた。
そこを考えると、ここは元の世界よりも喫煙者に優しい世界だといえよう。煙草そのものが無いのだから、まだ嫌悪したり規制しようという発想がないのだ。
周囲の人間に迷惑をかけないという喫煙者として最低限のマナーさえ守っていたら、そのことで向こうのように理不尽な仕打ちを受けることはないだろう。
リトスだって目の前で煙草を吸ったタツヤに、自然に話しかけてくれている。
「それじゃあタツヤさん、早速お願いです。タツヤさんが持ってる煙草を一本だけ貰えますか?」
「えっ!」
その頼みはちょっと……。ただでさえ残り少ないのに、さらに減らすなんて……
「よく見て調べたいんです。先生の作っていたものとも少し違いがありますし、そこも調べておいたほうが早く作れると思いますから」
「そ、そうか……それじゃあ仕方ないな」
これは未来のための先行投資だ。
タツヤは手持ちの煙草を一本出して、リトスに手渡す。リトスは丁重に受け取ったそれをしげしげと眺めた。
「葉っぱを乾燥させて細かく砕いたものを、薄い紙で巻いてるんですよね。こっち側に火をつけて、この白いところから吸うんですか?」
「ああ。俺も詳しくは知らないけど、タバコの葉ってやつを乾燥させたものらしいぞ」
「名前そのまんまなんですね。でも聞いたことがない植物です」
タツヤの知識が手がかりになるかと思ったが、手応えはいまいち。
そもそも煙草は吸うのが専門で、作り方や材料についてはタツヤは詳しくもなんともない。
日本ではたばこ事業法よってJT(日本たばこ産業株式会社)と売買契約を結んでいない一般人が煙草を製造することは禁止されているのだから、詳しく調べようと思ったこともなかった。栽培自体は可能らしいが、吸えないのでは意味がない。
だけどこんなことになるなら煙草農家の見学にでも行って勉強していればよかった、と今さら後悔する。異世界に来ることさえ事前に判っていたら……!
しかし仮に知っていたとしても、この世界と向こうの世界の植物とでは見た目や名前が同じとは限らない。月の色や数が違ったように、植物も独自の進化を遂げている可能性だってある。やはりリトスに材料を見つけてもらうしかないな。
「ちょっと鑑定してみますね」
「鑑定?」
「はい。私、鑑定眼持ちなんです」
口の端を上げてやや自慢気にそういうと、リトスは煙草を目の高さに翳した。それと同時に見開いた青い瞳がぼやっと淡い光を放つ。
また魔法っぽいものを使っているな。鑑定するといっていたから、そういった効果の魔法があるのだろう。光る瞳でリトスは煙草をじっと見つめている。
魔法についても後で詳しく話を訊きたい。どんな魔法があるのかとか、どうやって使うのかとか。
もし自分にも使えるのなら、使ってみたいと思うのが浪漫というものだ。
「これは……微弱な毒と依存性……!? 副作用は血管の収縮と成長阻害と…………タ、タツヤさん、大変です! この煙草というのは、人体に悪い影響を与えます!」
「ああ、知ってる」
「ええっ! 知ってて吸ってるんですか!?」
「そもそも煙草ってのは嗜好品だからな。身体にいいから吸ってるわけじゃない」
タツヤの言葉にリトスはショックを受けたようで、瞳の光がぱっと消えた。
どこか呆れたような眼差しで、手にした煙草とタツヤを見比べてくる。
「先生が教えてくれなかったのはそのためだったんですね。なんだかこれは作ってはいけないもののような気がしてきました……」
「身体に悪いのは承知の上だ。……まさか今更作らないなんて言わないよな?」
「タツヤさん、目が怖いです……。約束ですからちゃんと作りますよぅ」
煙草の悪影響を知った今、薬師としては納得しかねるのだろう。薬とは真逆の存在だから仕方ない。微妙に顔をしかめたままリトスは詰め寄るタツヤに頷いた。
「身体に悪いのに吸ってるなんて……そんなにおいしいのかな? タツヤさん、これ私もちょっと吸ってみていいですか?」
「いや、それは駄目だ。子どもは吸っちゃいけない」
「うぅ、先生と同じこと言ってます……大丈夫です。私もう成人しましたから」
「えっ、マジ!?」
タツヤの目にはとてもリトスは二十歳を越えているようには見えない。いいとこ十五~十六だ。、もしかしたらこの世界の成人は十五歳からとか、文化に差異があるのかもしれない。一応訊ねてみよう。
「リトスは何歳なんだ?」
と、女性に対する禁忌のひとつとされる質問をど直球で投げると、リトスは胸を張って答えた。
「今年で二十歳です」
「嘘だろ……」
いつから成長が止まってるんだ、とはさすがに口に出さなかった。タツヤにもそのくらいのデリカシーはあった。
しかしリトスが成人しているのなら、タツヤに喫煙を止める理由はない。女性の喫煙はあまり勧められることではないが、一本くらいならまあいいだろう。
一応、これだけは訊いておく。
「妊娠とかしてないよな?」
「なっ!? し、してませんよ! なにいうんですか!」
「いや、悪い。念のためにな」
顔を真っ赤にして狼狽するリトスにタツヤは平謝り。
やはりタツヤにデリカシーなどなかった。
気をとり直して、吸い方を教えてやる。
「じゃあそっちの白いフィルターがついてる方を口に咥えて。そうそう。あ、噛まないで。火を点けるから、ゆっくりと息を吸ってくれ。いくぞ」
「ふ、ふぁい」
リトスが咥えた煙草に、ライターで火を点ける。リトスの不安と期待が混じったどこか喜色ばんだ顔を見ていたら、タツヤはかつて自分が初めて煙草を吸った日のことを思い出した。
職場で休憩中、勧めてくれた先輩から、こんな風に吸い方を教えて貰ったっけ。その先輩はそれから毎年の健康診断の度に、タツヤの検査結果を気にしていた。タツヤがこうなったのは、自分にも責任の一端があるんだとかなんとか……。
タツヤが昔を懐かしんでいるうちに、リトスは言われた通り煙草の煙をゆっくりと吸い込んで……
「げほっ! ごほごほっ!」
思いきりむせた。
あまりにお約束な姿に、タツヤは苦笑する。俺も最初はこうだったな。
直接肺に入れないよう、気を付けろと注意しておくべきだった。
「大丈夫か?」
「げほっ、喉がい゛だい゛です……タツヤさんも先生も、よくこんなものを平気で吸えますね。全然おいしくないです……」
「好きだからな。一度ハマったら止められなくなる」
「なるほど、依存性……」
納得したような、呆れたようなため息を吐くリトス。
なんと思われようが、好きなものは好きなのだから仕方がない。
リトスはもう吸う気は失せたようで、火の点いた煙草を指に挟んだままもて余していた。
「匂いは嫌いじゃないんですけど、やっぱり吸うのはちょっと……」
「吸わないなら俺が貰う。勿体ない」
「あっ」
リトスの手から煙草をひょいと取り上げて咥えると、リトスは驚いたように声を漏らした。
「あ、あの、それ……」
「ん? どうかしたか?」
「い、いえ……なんでもないです……」
そういって伏せた顔が若干赤いことには気付かないまま、タツヤは煙草を吹かした。
「と、とにかく、成分は鑑定して判りましたし、味も覚えました。あとは材料を見つけて作るだけです」
「頼むぞ。頑張ってくれ」
「はい。出来上がりを期待しててください。あ、それまでタツヤさんはこの部屋に住んでていいですからね。要望があれば遠慮なくいってください」
「そこまで迷惑は……いや、助かる」
これ以上世話になるのもどうかと思ったものの、この世界のことを右も左も判らないまま出ていくのは危険だと思い直し、リトスの言葉に甘えることにした。
この世界に於いて今のタツヤは、国籍も職も定住地も持たない浮浪者だ。字面だけでもすでに危ない。
「これから世話になる。よろしくな、リトス」
「はいっ、タツヤさん」
本当にリトスの親切には痛み入る。命を救われ、生き甲斐たる煙草を作って貰える上に、住むところまで提供してくれて……。
もしこの子に出逢っていなかったら、今頃どうなっていたか判らない。リトスの言葉を信じるなら、今頃山の中で一人寂しく野垂れ死んでいたかもしれなかった。
この恩はしっかり働くことで返そう。
それが今のタツヤに出来るリトスへの精一杯の礼だ。