笑って許して
ちょっと短いです
アベルが何を言うのかと、カインは唾を飲んで見守る。実際には、ほんの一息溜めただけだが、カインにはずいぶんと長く感じた。
「俺、その子見たんですよ。黒髪の、首輪つけた男の子でしょ?」
「おう、そいつだそいつ! で、どうした?」
アベルからの情報提供に、追っ手の男性は気色立つ。どうして、アベルは、自分を。
「俺が休憩に入る前だから、30分くらい前かな? そいつ、外に走って行きましたよ」
カインは拍子抜けした。違う。自分はまだここにいるのだ。アベルは嘘を言っている。
「汚い格好でしたからねー。流石に事情を聞いたんですが、どうやら隣町まで行く気らしくて。街道を歩いて行きましたから、まだそんなに離れては無いんじゃないかな」
「ほほぉ、あの冒険者のガキからのタレコミは間違ってなかったのか」
男性は、腰につけた袋からコインを掴み出す。
「いい情報だ。ほらよ! こいつで旨い昼飯でも食ってきな!」
そして、それをアベルに突き出した。アベルは、それをにこやかに受け取る。
「へへっ、ありがとうございます」
男性は、門から走って出て行った。
「とまあ、こんな感じで」
ホクホクした顔で、アベルが小屋に戻ってくる。
「ええと、どういうことでしょうか……?」
「ん? だから、あいつは今隣町まで向かってる。しばらくこの詰め所で身を隠していなよ」
じゃらじゃらと、受け取った銅貨をカインに渡し、また椅子にだらりと身を預ける。
「あいつが隣町まで行ったとして、諦めるか増援を呼ぶかしにまた戻ってくる。そうしたら、改めて出発すればいい。あいつらがどこにいるかわからないうちに動くのは危険だよ」
「このお金は……?」
「カイン君が使いなよ-。キミの情報で貰った金だしねー」
アベルは自らの荷物から握り飯を取り出すと、頬張り始めた。
「ごめんなさい」
「何が?」
アベルはご飯が口に入ったまま、目を丸くしてカインを見た。
「正直僕、あいつに突き出されると覚悟してました」
「あー、ああ、ああ」
ゴクンと飯粒を飲み込むと、頷きながら感心する。
「そういえば、そうだな、そんな感じにもとれたわ」
「アベルさんを疑ってました。本当にすいません」
「自分でやっといて何だけど、さっきのは仕方ないと思う」
だから気にするな、と口にご飯を詰め込みながら手を振る。
そもそも、アベルが密告する暇など無かったのだ。
カインはアベルに怒って貰った方が気が楽になると、心底思った。しかしアベルは怒ってはくれなかった。
「それで、あの追っ手のおっさんは、多分昼過ぎには帰ってくるんじゃないかな」
「そうですね」
距離を考えると、往復してもそれくらいだ。
「だから、それまでこの部屋で休んでいるといい。久しぶりの外だろうけど、さ」
カインは少し考える。たしかに、そうすれば追っ手への時間稼ぎになるかもしれない。しかし、もう一つ手はあった。
「今すぐに、別方向に向かうというのはどうでしょうか」
何も近くの街は一つだけではないのだ。別の街へ向かえば良い。
「うーん、そうなんだけど……」
アベルは、珍しく渋い顔をする。
「他の方面って今だいぶ荒れてるじゃん? 危ないからあんまり行って欲しくないなぁ」
「荒れてる? どういうことですか」
「あれ? 知っててこっち来たんじゃ無いの?」
カインは黙って頷いた。
「そっか、そういえば昨日出てきたんだもんね」
「はい。何かあったんでしょうか」
「どこから話せば良いかなぁ。……まず、青熊が出たのは知ってる?」
「あ、それは知っています」
「知ってるなら話は早いね。じゃあ、あいつを討伐した冒険者のことも?」
青年の話題だ。頷いたカインの目がスッと細くなる。それを見て、カインに何か思うところがあるのだろうとアベルは察した。
「その冒険者はね、ゴブリンやらコボルトやら、小さい魔物を倒して回ってるんだよ」
「青熊を倒せるのに、なんでまた」
「何でだろうねー」
濡れ布巾で手を拭きながら、アベルが相づちを打つ。
「まあ、あいつらが減ってくれるのは良いことなんだけど、なんせ、あの冒険者は殺しすぎた」
「というと?」
「魔物が少なくなったからね。人間も住めるようになっちゃったんだよ」
「……良いこと、じゃないんですか?」
「うん。山に住んだその人たちは、街に住まない、いや、住めない人たちで、さらに乱暴者。通る人たちを襲って金品や命まで奪い取る」
「それは」
「そういうやつらのことを、山賊っていうよねー」
小指で頬に傷をつけるようなジェスチャーを添えながら、アベルは事も無げに言った。
「なんかそういうのが増えてきててさ。今度大規模な討伐があるらしいんだけど、それまでは危ないから通らない方がいいかも」
細長い焼き菓子をカインに差し出しながら、アベルも一本口にくわえる。ポリポリと、部屋に音が響く。甘い。
「そういうわけでしたか……」
「こっちかわの林道はまだゴブリンたちがいるから、おかしな話なんだけど他より多少安全なんだよね」
アベルはケラケラと笑う。それを見て、カインも少し笑った。
「じゃあ、昼過ぎくらいまでお世話になります」
追われてる立場である以上、目立つ行為は出来ないがお茶くみや掃除くらいは出来る。それくらいは手伝おうとカインは決心した。
「うん。あいつに見つからないように気をつけてね。そういえばこの部屋、あんまり俺以外は使わないから安心して良いよ」
誰か来ても、キミを突き出すような奴はいないけどねと、アベルは付け足した。
「ああそうだ、これ着なよ」
アベルは思いついたように戸棚を漁ると、今度は何か布の塊を取り出す。
「服ですか?」
「そうそう。麻の服って目立つじゃん」
そういえば、とカインは思う。首輪が無い以上、服を替えて髪の毛を隠せば、多少追っ手の目を誤魔化しやすくなるのだ。森で食べ物を食べた後に、どうにかして手に入れようと思っていた。
「いいんですか?」
しかし、こんなにホイホイと貰ってもいいものだろうか。そう考えたカインに、アベルは困り眉で答えた。
「大丈夫。これも、住民からの貰い物だよ」
詰め所には、住民からの厚意が溢れているようだった。
差し出されたシャツは、カインには少し大きいようだった。しかし、あまり贅沢も言えないために袖捲りで調整する。
白いドレスシャツに黒いズボンを身につけたカインは、もう奴隷の姿では無くなっていた。
「じゃあ、特にすることも無いけど詰め所でゆっくりしてなよ」
「ですが……」
カインはゆっくり部屋を見回す。所どころ埃が積もり、書類が散乱した室内を見て、軽く眉を顰めた。アベルはそれを見て苦笑する。
「はいはい、掃除くらいは頼んどくね。俺もしばらくしたら交代に戻るし」
「頑張ります」
掃除は、慣れたものだ。
掃除用具入れからはたきを取り出すと、カインは意気揚々として掃除に取りかかるのだった。