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自分の足で立てるのなら

 目が覚めると、もう日は上っていた。カインの意識は急速に覚醒する。

 やばい、寝過ぎたか。今日の仕事はと、そう考えて苦笑する。今のカインは、定職など持っては居ないのに。

 早起きは奴隷になる前からの習慣だった。牢に入ってからは関係なくなっていたその習慣が、何故今思い起こされたのかは、カインにもわからなかった。

 きっと、自らの心が奴隷であることをやめたからだろう。そう思うことにした。



 寝る前に決めていたとおり、すぐに外へ向かおうと歩き出す。見回しても、治療院から炊き出しが出る気配は無い。もう空腹も限界なのだ。早く、果実でも採って食べたい。

 治療院から出ると、入り口の脇に昨日の少年が目に入った。気軽な談笑をする仲でも無いので、会釈するだけで通り過ぎる。

 少年は、じっとカインを見つめていた。



 カインは歩き続ける。太腿の痛みはもう無い。傷も殆ど塞がり、普通に歩くことが出来た。空腹でお腹が痛いが、それ以外は問題無い。よく寝たからか、気分も良い。周りの景色がハッキリと見える気がした。空腹で思考が鈍っていることもなさそうだ。もっとも、まともな思考など、出来ている方がおかしいのだが。

 鼻を鳴らして笑う。

 自嘲して、そこでハタと気がついた。気分が良すぎる。


 カインは、それに気がつかなければ気分良くいられた。何事も無く、それはそれで気分良くいられた。しかし、気がついてしまった。



 恐る恐る、自らの首を触る。期待していた感触が無く、必死で首元を撫で回す。感触が無いことが認められず、両手で首筋を引っかき回すように探った。

 慌てて、周囲を見回す。何か自らの姿が見える物は無いか。何か反射できる物を探した。

 近くの商店に、一つの窓ガラスがあった。急いで駆け寄る。

 整えられてもなお凹凸が消えず、ボコボコとしたその表面に、自らの姿を写した。

 そこには、カインにとって、写っていて欲しいものが写っていなかった。認めたくない。


 その白い首から、人形の首輪が、消えていた。



「あああああああ!!」

 往来に、叫び声が響き渡る。早朝、人通りが無かったことが幸いして、騒ぎになることは無かった。

 しかし、今のカインにはどうでも良い。

 人形の首輪が無くなったのだ。とても、とても大事な首輪が消えてしまったのだ。

 窓の外、壁に手をついてうずくまる。思わず頭を掻きむしり、地面を見つめた。


 何故消えた、首輪が消えるような行為はしていないはずだ。魔法使いとの接触も無く、もちろん自分に魔法が使えるはずも無い。どこで消えた。追っ手に会ったときはまだついていた、追っ手もそう言っていた。そのあとどこで、どこでだ。少年と話しているとき、身体は痛んだ。あの少年は魔法使いか。いや、魔法使いであればあんなところで燻ってはいないだろうし、そもそも接触は無かった。ではその後。治療院で。

 そう、治療院だ! 何故気付かなかったのだ。あの休憩室には、魔法が掛けられている。入っただけで、魔法に掛けられているも同然だ。そこでもう、切れてしまっていたのだ。

 情けない。何故自分は気がつかなかった。この首輪は魔力に対して脆いのだ。知っていたはずだ。自分に腹が立つ。いや、待って、本当に今自分は腹が立っているのか?


 カインは酷く不安になった。自分は今、何を感じているのだろうか。きっと怒っているはずだ、自分自身に。

 しかし、どこにも痛みは走らない。では、自分は怒りを感じていないのだろうか。いいや、これは人形の首輪が無いからであって、僕はちゃんと怒っているはずだ。

 再度、窓ガラスを見る。そこに写っている少年は、歯を食いしばり、自信なさそうにこちらを見ていた。

 彼は今どんなことを感じているのか、カインにはわからない。その像はたしかにカインだったが、カインには自分の内面がわからない。

 自分は何か感情を帯びているはずだ。この顔は、恐れだろうか。僕は、何か感じられているのだろうか。

 わからない。今まで、自分を助けてくれていた痛みが、消えてしまった。

 先程までの気分の良さは、すっかり失せていた。




 それでも、逃げなくてはならない。

 カインは俯いて、トボトボと力無く歩いて行く。その足取りは、少しふらついていた。


 沈んでいる――かどうかもわからないが――気分を何とかしようと、楽しいことを考えようと努めた。

 カインにとって、楽しかった思い出などそうはない。あるとすれば、職場での他愛も無い会話や奴隷商館での教育の日々、それに、ミレニアのことぐらいだ。

 青年に買われていった彼女は、元気だろうか。きっと、青年に治療されて元気になっているだろう。

 主人であり、強大な力を持つ青年に、笑顔を向けるミレニア。それを想像すると、胸が痛んだ気がした。しかし、カインは自分が何を感じたのか、そして何か感じる事が出来たのか、わからない。


 直近の問題についても考えてはいた。

 追っ手は、きちんと撒けているだろうか。昨日逃げた後、大分時間が経っている。もう外へ逃げたと思っているだろうか。それとも、まだ街中を探しているのだろうか。どちらにせよ、注意していなければならない。あと少しは街を歩かなければならないし、その後は外へ出るのだ。


 そう考えている間も、不安はカインの心を苛んでいる。しかしカインは、首輪の消失を不安に思っているかどうか、それすらも自分ではわからなかった。



 カインは不安を払拭しようと、首輪の消失を好意的に考えてもみた。

 追っ手はカインの顔を知らないようだった。ただ首輪と服装、それと髪の毛の色に背格好で判断していた。ならば首輪も消えた今、服装を変えればいくらかは追っ手を誤魔化せるかもしれない。

 外で食料を調達したら、今度はどこかで服を手に入れようか、そう考える。

 首輪のことを考えないように、行動するだけで精一杯だった、



 街の門には、まばらに人がいた。

 多くが、朝早くに街へ荷物を運び込む商人たちだ。

 彼らは、持ってきた荷物を衛兵に見せ、嗜好品には税金を払う。カインの目の前で、銀貨や銅貨、たまに金貨さえもやりとりされていた。

 そのコインの一部でもあれば、自分はもっと良い生活が出来ていただろう。そう思い、ついつい目つきが険しくなる。


 気にしないようにして、カインは商人の横を歩いて通る。税が必要なのは商人だけで、しかも荷物を街に入れる時だけだ。カインには関係なく素通りできるのだ。


 ちらりと衛兵を見ると、知っている顔だった。衛兵もカインに気付いたようで、商人を通らせるとカインに話しかけてきた。

「おっす、カイン久しぶりじゃん」

「お久しぶりです、アベルさん」

 アベルは、カインが冒険者に挑戦していた時に知り合った衛兵だった。初対面で、まだ必要な装備すらもよくわからず、小さな袋だけ持って森に行こうとしていたカインに小刀と手袋を貸してくれた。

 それからも、森の様子を聞いたり、就職の相談をしたりと何度もお世話になっている。面倒見の良い衛兵だ。

 赤毛の短髪で、爽やかな青年だ。女子に囲まれても可笑しくは無いルックスだったが、友達は多いが彼女はいない、そうよくぼやいていた。


「今日は何? 仕事? 冒険者でも再開するの?」

「いや、今日は、違うんですよ……」

 どうしたものか。カインは悩む。適当にあしらっても、それでも世話を焼こうとしてくれるような人物だ。あまり事情を知られるわけにはいかない。


 アベルは、言葉を濁したカインの様子をしげしげと観察していた。

「そういや、最近見なかったけど、どっか行ってた?」

「……ええ、ちょっと出稼ぎに」

「ふぅん……」

 アベルはカインを一瞥すると、にこりと笑う。

「あー、ちょっと休憩取るから付き合ってよ」

 そうしてカインの袖を引っ張り、詰め所に連れて行く。

 アベルは勘が良かった。



「で、逃げてきたの?」

 服と表情を見て、それに加えて勘で、事情をあらかた察しているらしい。アベルはカインの向かいに座り、頬杖をついてカインを見つめた。

 カインはそのまっすぐな目に、ついに観念する。

「……ええ、奴隷商館から、昨日」

「やるねぇ」

 フフフ、とアベルは笑う。屈託無く笑う人だった。

「どうするんです。僕を、捕まえますか?」

 カインの心配事はそれだった。捕まりたくは無いが、恩があるアベルに迷惑はかけたくない。もしも、アベルがカインを捕まえようとするのなら、抵抗できなかった。

「え? しないよ?」

 世間話でもするかのように、気軽な声色で返答が帰ってくる。カインはポカンと口を開けた。

「俺は衛兵だからね。街の秩序を守り、守らせるのが仕事さ。雇い先から逃げてきた従業員を捕まえるのは、仕事に入らないね!」

「奴隷と従業員は違うと思いますが」

「そうかな。まあ、別にいいんじゃないかな」

 ヘラヘラと笑うアベルを見て、カインは少し安心できた。

「それで、これからどうするの?」

「まず、森に向かおうと思います。そして、隣の町まで行きます。そこからは特に考えてません」

「森に行くって、仕事でもないのにどうして? 人目につかないように?」

「それもありますけど、何か食べ物を探そうかと。昨日から何も」

 そこで、カインの胃から音が漏れる。それを聞いて、アベルはまたニンマリ笑った。

「ハハッ、そういうことか。ああ、じゃあさ……」

 アベルは、ゴソゴソと後ろの戸棚をあさる。あったあった、と握り拳大の赤い果実が二つ差し出された。

「これ食べなよ。住民からの進物なんだけど、そろそろみんな飽きてきたんだよね。駄目になっちゃってもアレだからさ」


 久しぶりの果物は、とても甘かった。




「ふう……」

 カインの、小さくなった胃が満たされる。満腹に、心まで満たされた気がした。

 思わぬ親切が、ありがたかった。

「ありがとうございます。お礼はいつか必ず」

「いいっていいって。貰いもんだし、みんな飽きてきてたのも本当だしね」

 近くの青果店から詰め所に定期的に届く果物は、最初はみんな喜ぶものの、最後の辺りはいつも押し付け合いになる。そういうものだった。アベルはむしろ、カインが食べてくれてありがたいと思ったくらいだ。

「それで、逃げてきたのは」


 そのとき、外で怒声が響く。

「だから、これくらいの野郎が通ってったんだろ!? どっち行ったか、指さすだけで良いんだよ!!」

「知りませんって。私がここにいる間、通ったのは商人の馬車だけです!!」

 言い争いだった。

 その声を聞いたことのあるような気がしたカインは、窓からヒョイと外を覗く。

 そこには、奴隷商人からの追っ手がいた。



 カインはすぐに頭を引っ込め、物陰に隠れた。まだ言い争いは続いている。


 声を聞きながらカインは考える。何故ここを通ったとあいつは断定しているんだ。尾けてきていた? いや、それなら直接捕まえに来るはずだ。先程まではいなかった。ならば、どうしてこの門を使ったと知っている。門はここ以外にもいくつもある。目撃証言? まだ朝は早い。人とすれ違うこともほとんど無かった。見られたとしたら、商人たちくらいか。


「話は聞いてんだよ、こっちに奴が来てるってさぁ! 衛兵さんよ、別に悪いことをしようとしてるわけじゃねえんだ。うちの逃げた小僧をとっ捕まえに来ただけなんだよ」

「私は知りませんって言ってるでしょう。大体、その話をした人に直接聞けばいいじゃないですか」


 やはり、目撃証言だった。誰だ。やはり、商人たちか。他に候補はいない。そう思い、部屋の中に向き直る。どうしたものかと考え始めたそのとき、アベルと目が合った。


 アベルはにこりと笑い、立ち上がる。そしてスタスタと扉まで歩いて行き、ドアを開ける。

 まさか。


 アベルはこちらを見ながら、人差し指を口に当てる。「黙っていろ」というジェスチャーか。

 そして、外に歩いて行くと、追っ手に声をかけた。


「ねぇ、お兄さん! その子どこにいるか知りたい!?」


 まさか。心臓が飛び跳ねるかのように大きな音を立てる。

 まさか、追っ手が自分の居場所を知っているのは。まさか、目撃証言をリークしたのは。まさか、先程までのやりとりは、僕への足止めのつもりで。

 冷や汗が流れ出る。やけに周囲がゆっくりに見えた。


 カインの手は震えている。


「……おう、どこにいるんだ? 言ってみろよ。タダでとは言わねえからさ」


 カインは、このときまでアベルを信じていた。たしかにその心には、信頼が宿っていた。しかし、それも独りよがりだったのかと自問する。

 小屋の出入り口は一つだけ。逃げ場は無い。成り行きを見守るしかない。

 ああ、ああ、やはり人間は信じてはいけないのか。アベルも、父のように、自分を売ったのか。それもそうか、世の中はみなそういう物なのだ。世は、迷わず奪う者が強いのだ。冒険者たちから仕事を奪った青年のように、自分からコインとこの身を奪っていった父親のように。


 裏切りの恐怖に竦んだカインは、身動き一つ出来なかった。



書きため尽きた(血涙)

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