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少し手を伸ばせば

「おい、そこのガキ! 動くんじゃねえ!」

 無精髭を生やした汚らしい従業員が、声を荒げる。

「てめえか、てめえだな! 舐めた真似しやがってよぉ!」

 カインが反応しないので、無防備に男は近づいてくる。その目は血走り、その剣は威嚇以上の働きをしそうな勢いだ。

「えっと、何の話でしょうか」

 カインは無難な反応を返しながらも、この状況から逃げる策を考え続ける。背を向けて走り出そうにも、虚弱なカインである。すぐに追いつかれてしまうだろう。

「とぼけんじゃねえ!! その服に首輪! 黒髪! お前がカインだろうが! ロトの奴を殴って牢を逃げ出した! 糞ガキが!」

「ああ、あの人ロトって言いましたっけ。ハハハ! それは申し訳ないことを」

「ヘラヘラしやがって!」

 怒りながらもカインを見つめる男は、おかしなことに気付いた。

「あん? お前首輪はまってんのに、何で動いてんだ? 魔法失敗してんのか?」

「いえ、ちゃんと作動してますよ」

 答えながらも、ジリジリと後ずさっていく。すぐ横にある路地に逃げ込めば、どうにかなるかもしれない。


 反抗的なカインに疑問を持ちながらも、もう問答は無用と男が飛びかかる。カインはそれを間一髪で躱すと、暗い路地へと駆け込んだ。

「てめえ!」

 男も続いて駆け込んでゆく。足は男の方が速い。しかし、地の利はカインにあった。この道は、配達の仕事でよく使っていたのだ。

 右へ左へ、入り組んだ道をカインは駆けてゆく。

 男は荷物やゴミ、座り込む人間などを避けながら追い縋る。しかし、どんどんと離れてゆく距離に苛立ちを隠せない。


「チィ! 待てやコラァ!」

 男は懐から短剣を取り出すと、カインに向かって投げつける。緩やかな弧を描いて飛んだその刃は、カインの太ももに浅く突き刺さった。

「くっ……」

 小さく悲鳴を漏らしながらカインは止まる。しかし、すぐに引き抜いてまた走り始めた。もはやこの程度の痛みなど、問題無いのだ。

 今のカインは、たとえ腕がもがれようとも問題無く動くことが出来る。もちろん、手当てをしなければすぐ死んでしまうが。


 感情のままに、思わず短剣を投げてしまった男は青ざめる。あれでも商品なのだ。出来るだけ傷は付けないように連れて帰れと、そう命令されている。

 まずい。そう思い、男の動きが一瞬止まった。


 その隙にカインは、男を撒くことに成功したのだった。




 また少し、街の内側に入ってしまった。カインは舌打ちをする。

 逃げ切れたのは喜ばしいことだが、外が遠くなったことはあまりよろしくはない。

 足から血も流れている。太い血管までは達していないらしく、あまり出血量は多くない。しかし、何もしない訳にもいかない。

 このまま外へ逃げても良いが、その場合この傷が後々問題になるかもしれない。

 積もっていく問題に、対処できないことが腹立たしかった。キリリと痛みが走る。


 悩んだカインは、とりあえず治療院に向かうことにした。


 治療院は、どこの街にもある公共施設だ。治療師と呼ばれる神官たちが常駐し、町人からの依頼で傷や病の治療を行う。

 カインは、治療師に治して貰うわけにはいかない。基本的に利用は無料であるはずの治療だが、依頼する際に寄付をしなければならないという暗黙の了解がある。しかしカインが金品を持っているはずが無かった。


 それでも、治療院に向かう価値はあった。

 治療院で治療を待つ間、患者は休憩所で待機する。この休憩所には、治療の補助のために魔法が掛けられていた。休憩所自体が、神官たちが作った魔法具と言っても良い。休憩所の中では、病は感染しない。そして傷はそれ以上悪化せず、治りが早くなるのだ。みるみるうちに治っていくというような、劇的な効果は無い。しかし一晩過ごせば、だいぶ太ももの傷も塞がるだろう。それで充分だ。

 教団が運営し、神の御許であるという建前上、治療院は奴隷商館も手が出しづらい。そして休憩所の出入りはいつでも自由に行える。明日の朝まで身を隠していられると、カインは考えた。



 周囲の警戒をしながら治療院に着くと、その場は人で溢れていた。

 流行病か何かだろうかと、カインは待っている人の顔色を確認する。しかし、皆が病に倒れている訳ではなさそうだった。

 そして、妙なことにも気がつく。子供が多いのだ。子供といっても、成人直前のカインより少し幼い程度ではあるが、皆疲れ切った顔をしていた。


 入り口の辺りに座っている少年に、カインは質問する。何かあったのか、病が流行っているのか、それとも、なにか大きな事故でもあったのか、と。

 少年は、小さな声で答えた。

「みんな、食べるものが、無いんだ」

「食べるものが無い? 何で? 何か変わったことでもあったのか?」

「仕事が無くて、食い物が買えなくなったんだよ。今は、たまにある炊き出しとか、そんなので何とかしてるんだ」

「仕事が無いって、今まではどうしてたんだよ。少し前まではこんなこと無かっただろ」

 カインは首を傾げる。今まで、こんなに失業者がいたことは無いはずだ。自分が奴隷になっていた期間に、何があったというのか。

 少年は、ポツリポツリと語り出す。

「俺は、冒険者だったんだよ。……冒険者って言っても、まだあまり、大きな依頼なんて受けられないんだけどさ。それでも、薬の材料を取ってきたり、木を伐ってきたり色々やって、なんとか生活できてたんだ」

「森で何かあったのか」

 カインは少し慌てた。街の外に何か異変でも起きているのか。街の外に逃げるのが難しいのなら、方針を変える必要もある。

「いいや、違うんだよ。ああ、森に何かあったというのは、あった。青熊が出たんだ」

「青熊だって!?」

 カインは驚いて大きな声を出した。周囲の注目が少し集まったが、すぐにみんな、興味を無くして目を反らした。

 青熊は、それなりに上位の魔物だ。こんな街の近くに居て良い魔物では無い。

 大人が見上げるほどの巨体の熊で、身体は名前の通り青い毛皮に覆われている。常に濡れたその毛皮は斬撃を弾き、魔法にも強い。俊敏に動き、その爪は一振りで甲冑を両断し、その豪腕は簡単に大の大人の胴を砕くという。腕に覚えのある冒険者や騎士たちが隊を組んで、死人を出しつつどうにか討伐できる魔物だ。

 それが、森に出ている。少年たちが森に入れなくなるというのも頷ける。


「青熊は、討伐されたんだ」

「そ、そうか……」

 カインはほっと胸をなで下ろす。青熊がいるのでは、自分も森は通れない。しかし、いないのであれば、彼らはどうして。

「じゃあ、なんでお前らは働かないんだ?」

「それは、…………青熊を倒した冒険者の奴が……」

 少年は言葉を詰まらせる。その手は握られ、拳に怒りが込められているのだろう、震えていた。

「そいつが、薬草を全部採ってっちまったんだ」

「薬草……っていうと、採取依頼の……?」


 薬草の採取依頼は、カインもやったことがある覚えがある。古い記憶では、たしか新米用の一番易しい依頼だったはずだ。

 しかしその分報酬も安く、一日薬草採取を行っても、何とかその日の食費を捻出出来る程度だった。父親に持って行かれる分も稼がなくてはならないカインには、それでは足りない。

 もっと割の良い依頼を受けようにも、冒険者ギルドに集まる依頼は体力の要るものが多い。さらに街を離れることも多くなるため、父親に金を渡せなくなる恐れもあった。そのためにカインは、冒険者自体を早々に諦めて街中の仕事を選んだ。


「よくわかんないけど、薬草採取が受けられなくなったのか」

「そうだ。あいつが、近場にある薬草を採りきっちまったせいで、薬草が採れなくなった。しかも、大量にあるからってんで、今ギルドでは薬草の買い取りをしてないんだ」

 カインは眉を顰める。薬草採取は、冒険者の新米が必ず受ける依頼だ。森の中での行動を学び、野生動物への警戒、多少の怪我に慣れるという意味もある。

 一番重要なのが、セーフティネットの役割でもあるということだ。

 一日こなしても、一日分の食費にしかならない。しかしそれは、一日こなせば一日生活できる、ということでもある。誰でも出来る仕事だが、だからこそ、無くなってはいけない仕事だった。


 カインには一つ気になった。

「待って。あいつ、とかその冒険者とか言ってるけど、そいつは一人なのか」

「ああ、一人だ。最近、何人か連れて歩いている姿を見るけど、青熊は一人で倒したらしい」

 今度は驚いても声を上げずに済んだ。

 青熊を一人で倒すなど、尋常なことではない。そんなことが出来る人物など、今までこの街にはいなかった。そのような英雄がいるのであれば、即座に名が広まっていただろう。

「最近来た奴なのか、そいつは、なんていう奴だ?」

「名前は知らない。ギルドの方にも口止めしてるらしくて、下っ端の俺らには名前も教えてもらえないんだ」

 妙な話だ。そうカインは思った。

 冒険者は、実利を求める。割の良い指名依頼を増やすために、過分に自分の名前を広めようとする輩も多いのだ。しかし、その青年はそうしていない。何か目的でもあるのか、それとも、そういったことに無頓着なのか。いや、無頓着ならば口止めはしないだろう。


 そこで気付いてハッとする。

 カインはこの話を聞いていて、一人の『青年』を思い浮かべていたのだ。

 まさか、とは思うが、自分の勘は良く当たる方だとも思う。まさか。


「そいつ、どんな奴だった。男か? 年齢は?」

 少し様子が変わったカインを見て、少年は面食らう。しかし、あまり気にすること無く続けた。

「あー、と……、多分、あんたより年上かな。男だよ。細身で、色白の、金髪」

 決まりだ、とカインは奥歯を噛み締める。奥歯以上に、全身が痛む。

 おそらくその冒険者とは、ミレニアを買っていった青年だ。


 嫌いな青年の話題だと確信したカインは、暗い声で話を戻した。

「で、そいつが薬草採取を? 何でまた」

「……俺らにわかるかよ。青熊を簡単に倒せる奴が、なんで薬草採取なんて受けてるのか……俺らになんかわかるかよ……」

 少年は、悔しそうに俯く。


「……俺らには魔物は倒せない。簡単な採取くらいしか出来ないんだ。何で、俺らの仕事を取るんだよ。ここにいる奴らには、俺と同じように、生活できなくなった奴らが何人かいる。教団の慈善事業で、なんとか生きてる。なんで、俺らがこんな目にあってんだよ、何でだよ」

 堰を切ったように、少年が愚痴をこぼす。しかし、嫌いな青年の話題で機嫌が悪くなったカインには、その姿はあまり哀れにも思えない。

 カインは冷たい目で、まだ呟きを繰り返している少年を見下ろしていた。


 仕事が無くなった、と少年は言った。しかし、それは冒険者としての仕事の話であって、街に溢れている仕事の話では無い。

 現に、肉屋は忙しくなっているのだ。猫の手も借りたい忙しさで、頼めばすぐに雇ってもらえるだろう。肉屋だけでは無い。肉屋の話からすると、魔物や動物の素材が今この街には溢れている。それこそ、服屋でも食堂でも、どこか探せば必ず雇ってくれる所はある。

 牢に入る前のカインであれば、もしくは青年の話を聞く前であれば、ここで優しい言葉を掛けていた。肩を叩き、励ましていただろう。しかし、今のカインにはそんな気は全くなかった。


「街の中で働けば良いじゃん。向こうにある肉屋は、手伝いを欲しがってたよ」

 指を指して、少年の言葉を遮る。

「肉屋? 雇ってくれるのか……。でも、俺は、肉屋の手伝いなんて」

「何で?」

 最後まで言わせずに発されたカインの問いに、少年は顔を上げて空を見た。

「……俺は冒険者で一旗揚げるんだ。今はまだ弱いけど、また薬草が採れるようになったら、金を稼いで装備を整えて……」

「そう、冒険者続けるんだね」

 少しうんざりして、カインは話を打ち切る。

「じゃあ、頑張って。話聞かせてくれてありがとう」


 夢があるのは少し羨ましくも思ったが、カインは、あまりこの少年が好きでは無かった。別れの挨拶をすると、まだ何か言いたそうな少年に背を向け、振り返らずに治療院に入った。



 休憩所に入ると、身体がやけに楽になった。脚以外、とくにここがというわけでは無かったが、身体が少し軽くなったように思えた。

 太腿の傷も、痛みが薄くなった。魔道具の効果だろう。


 休憩所の中にも、人は大勢いる。彼らも、入り口に居た少年と同じ冒険者だろうか。カインは初めそう考えた。しかし座っている顔ぶれに、見覚えのある冒険者以外の顔もチラホラ見受けられたため、その考えを改める。病気や怪我でもなさそうだったので、おそらく失業したのだろう。あまり興味は無かった。


 人が多い休憩所を見渡し、壁際に座れそうな所を見つけた。

 お腹は空いているが、このくらいは慣れている。炊き出しがあるそうだが、それがいつかはわからない。あの少年はその心得も無いようだったが、食べ物ならば、森でいくらでも手に入るのだ。明朝、目が覚めたらすぐに外へ向かおう。そう考えて、カインは座り込み、そして目を瞑る。



 明日の計画を考えながら、深い夢に落ちるのは久しぶりのことだ。

 久しぶりの僅かな幸せに身を委ねながら、カインは泥のように眠った。





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