世界は差別無く
事件の発端は、数日前まで遡る。
その少年の名前は、カインという。姓は無い。無いというというよりも、無くなったといった方が正しい。
彼は借金奴隷だった。
元々は貧しい平民の家庭に生まれた彼だったが、親に売られたのだ。
彼の父親は、碌に働いたことがなかった。そのくせ酒とギャンブルが大好きで、ギャンブルで勝った金で酒を買い、酒が切れるとまたギャンブルで金を作る。毎日それしかしていなかった。
ギャンブルも、毎回勝てるわけでは無い。むしろ彼はギャンブルに弱く、素寒貧になることなど日常だ。その度に彼は、友人に金をたかり、妻と息子から金を奪い、その金を手にして賭博場へ飛び込んでいくのだった。
父親が酷くとも、それでも母親が良い母親であったのなら、カインも救われただろう。
しかし母親も、子供を作るべき女性ではなかったのだ。
父親と違い、母親は仕事を持っていた。アクセサリーショップの売り子だ。
だが母親は仕事も持っているが、悪い癖もいくつか持っていた。
店の売り物、アクセサリーを着服し、勝手に金に換えていた。2年以上前から繰り返していたその悪癖によって、彼女が稼いだ金額は金貨20枚にも及ぶ。一般家庭の収入は、一家族合わせても一ヶ月で金貨1枚、銀貨にして25枚に満たない。それだけの金額だった。
その稼いだ金が、生活のために使われるのだったなら、まだよかったのかもしれない。盗みではあるが、家族のためにしたことなのだから。
しかし、そうでもなかった。悪い癖はまだある。
着服した金貨を、彼女は余所の男につぎ込んだのだ。
特に浮気相手の甘い言葉につられ、クスリに手を出したのがまずかった。
着服した金貨も、彼女の店員としての正当な報酬も、飛ぶように失われていった。
結果として母親の稼いだ金は、父親のギャンブルと酒、母親の彼氏へのプレゼントとクスリ、それに全て消えてしまう。
そんな家庭環境で育ったカインは、10歳に満たない小さな体で働きに出るしか無かった。
もちろん、大きな金額を稼げるわけでは無い。
街の中で、子供が出来る手伝いなどたかがしれている。皿洗い、掃除夫、小売店の商品の整理、どれもたいした金額にはならなかった。
しかし、その少額の金銭からも容赦なく父親は奪っていくのだ。
賄いが出る仕事のときは良い。しかしそうでないときは、残ったわずかな金銭で残り物のパンやクズ野菜を買って食べるしかない。そのため10歳を過ぎても、彼は同年代の子供よりやせ細っていた。
今日も、冷たい石の壁にもたれ、鉄格子に向かって座っている。手足の枷に繋がっている鎖をチャリチャリと指でいじるのは、彼の癖だった。
この牢獄には彼以外にも何人かいるが、皆一様に暗い目をしている。
ここは最下層の奴隷が展示されている部屋だ。
食事の時間も、寝る時間も、全てこの部屋で待機させられている。
そして、客は鉄格子越しに彼らを見て、欲しければ金を払い、彼らを連れ出すのだ。どこへともわからない最低の場所へ。
ここは最下層の奴隷が展示されている部屋だ。行き先は限られている。彼らは使い捨てだ。
不治の病で治らないとされている者、容姿が酷く劣っている者、心身に障害があり満足に仕事の出来ない者、そんな者たちが金貨1枚程度で売られているのだ。奴隷としては捨て値である。
通常の奴隷ならば金貨30枚、何か専門の技術を持っていれば、金貨40枚ほどである。
もちろん、それに加えて美醜や種族によっても変動があり、金貨100枚を越えるような者もいる。彼らは、奴隷といえども大事にされるだろう。専用の部屋、温かい食事、召使いすらいるかもしれない。
しかし、カインたちは違う。最低の奴隷なのだ。
カインの場合、最初は違った。子供だということで値引きはされていたが、ごく普通の手伝いや仕事は出来るということで、金貨20枚で売られていた。
待遇も普通だ。簡単な職業訓練に礼儀作法の教育を受け、粗末だが服の支給もあった。ご飯も、売られる前より良いものを食べていたかもしれない。
それが半年前の話である。
買われなかったのは、ただ運が悪かっただけだ。
ただ、客の目に留まらなかった。それだけで、買われなかった。
値段は徐々に下がっていく。奴隷商は焦り始める。
4ヶ月前、奴隷商が子供好きな貴族に売り込むも、良い返事は無かった。好みの見た目では無かったらしい。
それが最後の砦だったらしく、そこからすぐにこの最低な牢獄に入れられた。
食事は粗末なパン。おそらく、廃棄寸前のものだろう。一日にそれが一欠片だけだ。
そして、前の部屋から大きく変わったものがある。手足の枷と、首輪だ。
手足には革のベルトが巻かれ、そこから10cmほどの鎖が繋がっている。短いその鎖は手同士足同士を繋ぎ、動きを抑制する。もっとも、動きを抑制する必要があるほどの気力の残っている者など、この部屋にはいないが。
皆が無気力な原因は首輪にある。
その幅広い黒い首輪は、ゴムのような感触で首にぴたりと巻きついている。この首輪は人形の首輪と呼ばれる魔道具だ。
魔道具と言うよりは魔法であり、奴隷商の従業員がこの魔法を施していた。
効果は簡単で、強い感情に反応して、巻かれた者の全身に強い痛みを感じさせる。
最下層のクズ奴隷には、感情など不要ということだ。
この部屋に入った者の多くは、初めは泣き喚くか憤慨する。そこで魔法が発動するのである。そして、徐々に調教されていく。
故郷の家族を思い出して泣きそうになると、全身に締め付けられるような痛みが走る。
自分の境遇を考え、この身分に落とした者に強い怒りを覚えた瞬間、全身に太い杭が突き刺さるような痛みを感じる。
何かを強く思うと、痛みを感じて出来なくなる。
そして、徐々に何も考えなくなっていくのだ。まさしく、人形の首輪だった。
「ケホッ……、ケホッ……」
静かな部屋に、少女の咳が響く。
少女は獣人で、名前をミレニアという。
まだ元気だった頃、まだ普通の奴隷として売られていた頃、カインもよく話していた女の子だ。
彼女は、黒炭病という病を患っていた。
初めから、そうとわかっていた訳では無い。初めは、ただ体が弱いだけだと言われていた。
体が弱く体力が無いといっても、彼女は獣人だ。力仕事でも、普通の女の子より、それこそカインよりはずっと役に立ったはずだった。
だから、彼女も普通に売られていった。
相手は、商人だった。
仕事としては、燃料の荷運びが多かったらしい。薪や炭、石炭などのかさばる物を客先へ持って行くときの運搬要員だ。
体が弱くても、獣人ならば特に問題無い仕事だった。本来ならば。
黒炭病は、肺の病気だ。
初めは咳から始まる。この段階ならば、風邪と変わらないし、激しい運動を除けば普通に生活できる。
しかし、この病は汚い空気を吸うごとに悪化していく。
咳は酷くなり、血痰が出始める。
商人は、ここでミレニアが黒炭病と気付いた。
悪化した原因は、頻繁に吸っていた燃料の煙だ。普通の人なら煙たいだけの煙であるが、それが彼女には猛毒だったのだ。
感染はほとんどしない。しかし、しないわけでは無い。
この病に気付いた商人は、すぐに彼女を元の奴隷商に売り払った。
病はまだ酷くなる。
ここからは、病は肺以外も侵し始める。
皮膚に青黒い染みが現れ、真っ黒に膨らんで破ける。破けて壊死したその様子が、まるで皮膚を焼いて炭にしたようになるために黒炭病と呼ばれるのだ。
やがて、内臓も染まっていく。食物が摂取できなくなっていくのだ。
胃は爛れ、食べたものは口から戻される。なんとか食物が胃から下へ行っても、痛んだ腸は栄養を吸収できずに、下痢となって出てきてしまう。
まだ彼女はそこまで進行していない。しかし、もう時間の問題だった。
今彼女の皮膚は所々黒く染まり、整っていた顔もボロボロで酷い有様だ。
首輪など無くとも、全身に強い痛みが襲っているだろう。
もうここ何日も、部屋の隅でぐったりとしていた。
カインは、彼女と仲が良かった。
売られる前には同じ待遇だったのだ。話す機会も多かった。
そのためもあって、この部屋で彼女の世話はカインがしていた。といっても、出来ることはほぼ無い。
食事の時間に肩を貸し、咳をしたら背中をさすってやる。それぐらいしか出来なかった。
ある日、この牢獄に来客があった。
珍しいことだ。確かに本来は、この鉄格子越しに品定めされて奴隷は買われていく。しかし、そんなことをする客はまず居ない。好き好んで、使えるかどうかもわからない奴隷たちを、わざわざ目利きして買っていく客などいないのだ。
この牢獄から買う客は、奴隷など見ない。能力や見た目など度外視して、奴隷商に人数だけ希望を出していく。そして、奴隷商が適当に連れ出していく。それが通例だった。
しかし、その日は違った。
若い男が、品定めに来たのだ。
ただし、ここで品定めをするのはその男にとっても不本意なことだった。
まず質の良い奴隷から見ていた。初めての客に気合いを入れた奴隷商は、男に様々な奴隷を見せていたが、そこで多少問題が起きる。
男は、持ち合わせが少なかった。だんだんグレードを下げていくも、好意的な反応は見られない。
そして、金を巻き上げられないとわかり落胆した奴隷商は、「買える奴隷はいないか」という男の希望もあって、この部屋に連れてきたのだ。
ここならば、持ち合わせの少ない男にも、買える奴隷がいる。品質は別だが。
「何というか、……皆元気が無いな」
事情を知らずに訪れた、一見少年とも思える青年は、金の髪をいじりながら呟いた。
「誤解なさらないで下さい。私どもが虐待などをしている訳ではありません。」
もはや金が無いとわかった青年に対し、奴隷商はぞんざいに対応する。
「彼らは、こういった者たちなのです。それぞれの事情で、売れなかった者たち。もともと訳あり品というわけですな」
「ふうん」
青年は、気のない返事をしながら牢を見回すと、ある一点で目を止めた。
「彼女は?」
そして、ミレニアを指すと、まるでおもちゃを見つけたように微笑み尋ねた。
「ああ。その子は病ですね。見ての通り黒炭病にかかっていまして、満足に動くことも出来ません」
「あのバステがそれか………。よし、買おう」
「え? お買い上げになるんですか?」
まさか買われるとは思っていなかった奴隷商は、青年に何度も確認する。
「いいんですか? 獣人といっても、弱っている小娘ですよ?」
「うん、いいんだ。彼女が良いんだ。」
金貨を奴隷商に放り、髪をかき上げながらミレニアを見る。その青年の笑みは、カインにはどういった感情のものかわからなかった。
次の日にも、青年は奴隷を買いに来た。
先日は目的も無くといった感じではあったが、今日はそうではなかった。まっすぐと、カインたちの牢までやってきたのだ。
持っている金が少ないとはいえ、見切り品を買っていってくれるその客を、奴隷商は揉み手して迎えた。
つかつかと、まっすぐ牢まで青年は歩いてくる。
そうしてまた牢内を見回すと、下を向いてうずくまる女の子に目を止めた。
「いやあ、金欠でさぁ。ダンジョンで前衛をしてくれる奴隷を探しているんだけど、どうするかなぁ」
青年は、奴隷商に聞こえるように、まるで言い訳のように独り言を呟く。
その声を聞いて、牢内にいた一人の男性がわずかに反応した。
カインには、その男性の名前はわからない。カインが入るより前からこの牢にいたらしい彼とは、話もしたことが無いのだ。
しかし、その男性の体格は立派だった。牢内でろくに運動もしていないにも関わらず、まるで衰えていないらしい。女性の胴回りほどはあろうかという丸太のような太い腕、鍛錬の痕だろう手足の変形、隆起した筋肉。明らかにこの牢内では1番の強者だった。
彼が売れていないのは、ひとえに容姿のせいだった。元々あまり整ってはいない顔に加え、苦しい鍛錬から変わってしまったその凶相は、見るものを怯えさせるのに十分である。さらに、戦働きのせいで全身にある傷跡が威圧感を増している。特に顔の半分以上を覆う火傷の痕は、見るものに嫌悪感を与えた。
しかし、彼は紛れもなく強者だった。
奴隷商は青年の言葉に、この男性を売ることをすぐに思いついた。男性は容姿が醜いだけなのである。戦闘は問題無い。それどころか、今この店にいる奴隷でも、彼以上のものはそういなかった。見栄えを重んじる貴族や騎士たち――本来この店で奴隷を買っていく者たちは彼を買わないだろう。しかし、この少年は持ち合わせが少ない。選んでいる余裕など無いはずだ。必要な者へ、安価で良いものを売る、商人としては正しい判断だった。
「今日は戦闘奴隷ですか、良い奴隷がおりますよ」
奴隷商は、男性を薦めようとセールストークを始める。
「彼は元剣闘士でしてね。かなり腕は立つようでしたが、少し前に有り金全部を掛けて」
「あの子が良いな」
しかし、青年は奴隷商の言葉を無視して部屋の隅のうずくまる少女を指さした。
「え、しかし、あの子ですか。しかしあれは見ての通りでして……」
奴隷商は言葉を濁す。彼女の異常は明白だった。
左腕と、右足首から先が無いのだ。
村が戦禍に巻き込まれた際、賊に切り落とされた。
「戦える体ではありません。旦那の希望には添えないかと……」
「別に良いよ。治すから」
青年は前髪をねじりながらそう言うと、金貨を奴隷商に差し出す。奴隷商は、それを慌てて受け取った。
「な、治せるんですか?」
奴隷商は目を見開く。聞いていたカインや元剣闘士も、その言葉に驚いた。
四肢の欠損を治すなど、高位の神官でも難しいことだ。もちろん、傷跡を治すことなどよりずっと難しい。
「まさか、昨日の奴隷も」
「ああ、治してあるよ」
青年は簡単に言う。黒炭病も、治せない病のはずだった。それこそ、神殿深くで日々神への奉仕に勤しむ、聖人と呼ばれる者たちでもなければ。しかし、青年はそうではない。
「なあ、もういいか。今日もいくつか予定があるんだよ」
少し苛ついた口調で青年は奴隷商に文句を吐く。
得体の知れない程の力を持った青年のその言葉に、奴隷商はすぐさま商品の受け取り手続きを進めるのだった。
青年が帰っていったあと、人数が減り少し寂しくなった牢内でカインは考えていた。
目の前で、買われていった奴隷たちのことである。
彼らと自分の、何が違うというのだろうか。自分は働ける。手は細く、足も棒きれのようで頼りは無いが、それでも懸命に働いてきたのだ。黒炭病が治せるのなら、この身の虚弱すら治せるのではないだろうか。そうすれば、カインは彼女らよりもずっと器用だ。荷運びは出来る。炊事や洗濯、雑用も出来る。生きるために、両親のために働いてきた経験は無駄になっていないはずだ。
しかし、カインは買われなかった。あの青年の視界にすら入らず、検討すらされなかった。
酷く悔しかった。腹立たしかった。何故。そう思った瞬間、体に鈍い痛みが走った。締め付けられるような鈍痛。まるで、きつい縄を全身に巻かれ、その縄を何頭もの牛が左右に引っ張っているかのような痛みだ。
人形の首輪は、もう彼女らに填まっていないだろう。人形の首輪は、僅かな魔力が通るだけで溶けて消えてしまう。魔法使いや魔道具に、身体が触れるだけでフツと切れる。それこそ、治癒術が使えるであろう、あの青年に触れられただけで切れてしまうのだ。
彼女らは、この痛みをもはや感じなくて良いのだ。何を思っても、嬉しいことも、楽しいことも、全て素直に受け取って良いのだ。痛い。全身の痛みにカインは呻く。彼女らは、これから様々な経験をするだろう。外の空気を楽しめるのだ。時が経てば、解放すらされるかもしれない。彼女らは。
絶望と嫉妬の混じった思考に、カインは沈んでいた。




