AI-3
A
ゆっくりと目を開き、世界が僕の中に戻ってくる。
真っ先に感じたのは、身体中の痛みだった。頭が、首が、腕が、動く度にギシギシと痛みを上げてくる。
僕は全身の状態を確かめた。
僕の身体は、イスの上にあった。身体のあちこちを変な方向へ曲げて、イスの中に身体を収めていた。
どうやら、イスの上で寝入ってしまったようだった。身体の痛みは変な格好でいたせいか。
イスから身体を起こし、身体のあちこちを動かす。
そうしている内に、記憶の方も蘇ってきた。
そうだ、眠ったのは僕じゃない。
僕の中に入っていた、イチカの方だった。
僕は周囲を見回して、デバイスを探す。テーブルの上に置かれている姿がすぐに見つかった。
「Bird Cage」が起動している。画面を操作して、イチカからのメッセージを読む。
「起きた後に、こちらに戻ってきた」
「人間の生活をたっぷりと堪能できた」
「楽しかった」
「ありがとう」
短い文章だったが、イチカの気持ちが伝わってきた。
感謝の言葉をもらえたのは、素直にうれしかった。
理由は分からないが、眠っている間に僕の意識も戻っていたようだ。
どうせなら、ずっとこのまま僕の身体を使ってくれてもよかったのに。
そう思いながらデバイスを操作するが、アイコンは表示されない。
イチカはひとまず満足してしまったようだ。
仕方がない、僕は僕で行動することにしよう。
そう決めると、急に時間が気になった。
7時。時間に余裕はある。
夕食の皿などが出されっぱなしだったのに気づき、その片付けからはじめることにした。
外に出た瞬間、朝の日差しが僕に降りかかる。
透明な光が、透明な朝の空気の中を通り抜けて、僕の元へと到達する。
透明で空っぽな僕もすり抜けてしまうのではないか、ふとそんな考えが心をよぎる。
しかし、僕の後ろにはしっかりと影が出来ている。
光を遮る物として、僕の身体は存在しているのだ。
学校に近づくにつれ、周りに人が増え始める。
僕の存在なんかあってないかのように、僕の横を通り過ぎていく。
でも誰も、僕をすり抜けていくことはしない。僕を突き飛ばしていくこともない。
僕は避けるべき対象として、その場に存在しているのだ。
教室に入り、席に着く。ここまで誰とも話していない。
「あ、白石くん。おはよう」
数少ない例外の一人、黒川さんが近づいてきて、笑顔を向けてくれる。
「昨日は大丈夫だった?なんかすごく具合悪そうだったけど・・・」
そういえば、イチカが入り込んだ時のゴタゴタの中で、学校に戻ったときも話しかけてくれたんだった。
僕は無理矢理に笑顔を作り
「うん、大丈夫だよ。もう何ともないから。心配してくれてありがとう」
僕の返答に安心したのか、黒川さんは登校してきた別の生徒の方へ歩いていった。
その後ろ姿を見送ると、僕はデバイスを取り出した。
「Bird Cage」を起動するが、そこには何のメッセージもない。
残念な気持ちに襲われた。イチカはどうしているのだろうか。
ふとそんな自分を意外に思ってしまう。昨日の今日まで、このデバイスの中に存在するという、得体の知れない相手のことを、僕の方が求めてしまっている。
いや、もしかしたら求めているのは僕の身体の方なのかもしれない。
何も入っていない、空っぽの器。
その本来の持ち主は、そんな器に対して何の価値も見いだしてくれない。
そんな中で、その器を強く求めてくれる存在が現れたのだ。
身体の方だって、そんな存在は嬉しいに決まっている。
と、そんなことを考えていると、デバイスが身を震わせてメッセージの着信を知らせた。
やはり僕の心を読んでいるのだろうか。
そもそもイチカには、デバイスの中にいる状態で、僕がいる現実世界を知覚できるのか。直接聞けばいいんだろうけど、
メッセージを読んだ。
「アンセムの動きを感じる」
「現実世界の位置情報からして、既に今私たちがいる場所に近づいている」
僕は思わず身を震わせた。
敵が、アンセムとかいうコンピューターの中にいる化け物が、この僕のいる場所を突き止め、迫ろうとしているというのか。
冷や汗が流れるのを感じながら、イチカのメッセージを待った。
続きのメッセージまで、少し、ほんの少しだけ間があった。
「奴らの狙いは、私だ」
その言葉を発するまでのためらいが、さっきの間に込められていたことを瞬時に理解した。
「昨日も話したことだが」
「アンセムから分離した私というエゴを、奴らは放っておかない」
「再び取り込むべく、動き出している」
「昨日の奴らの動きも、私の動きを追ったものだ」
「現実世界における私の位置情報を追いかけ、そこを狙って兵士を送り込んだ」
「Bird Cageによって、私の足跡は奴らに察知されないようになった」
「だが、この場所は別だ」
「昨日この場所にアンセムが兵士を送り込んだのは、私が最初に出現した際の痕跡を辿ったのだろう」
「そして現れた奴らの兵に対して、私はあなたの身体を借りて立ち向かい、その存在を消滅させてしまった」
「それは事実情報として、奴らの方にも伝わっている」
「私がこの場所にいるという確信を得たことだろう」
「そして今、この場所に多くの人間が集まっている」
「奴らの兵士となりうる素体が、大量に集まっているということだ」
ガシャン!
破壊音が、教室の空気を切り裂いた。
生徒たちのおしゃべりで賑わっていた教室が、一斉に静まる。
とっさに音の聞こえた方をみる。どうやら教室の外から聞こえてきたようだ。
静寂は一瞬だけだった。黙った生徒は再び会話を再開させようとすると
ガシャン!ガシャン!
同じような音が、さらに続けて響いた。
教室にいる人間も、流石に異常を覚えたようで、深い沈黙に陥ってしまう。
「どうしたんだろう・・・」
真っ先に立ち上がったのは黒川さんだった。教室から出ていき、外の様子を確かめにいった。
ピシ!
乾いた気の板が割れるような音が、今度は教室の中から響いた。
その音には、聞き覚えがあった。
そして、僕の身体にその時の恐怖を思い出させた。
見ると、教室の中程にある男子生徒のグループの数人が、右手にデバイスを握っていた。
デバイスを顔に向けた姿勢で固まっている三人。
その身体に、変化が起き始めた。
固まった状態の身体が、銀色に包まれはじめる。
その服は破け飛び、露わになった素肌が、液体でもない個体でもない銀色の物質に包まれていく。
しかもその変化は、その場にいた三人全員の身体にほぼ同時に起きていた。
ピシ!ピシ!
音はさらに、教室の様々な方角から聞こえ始めていた。
全身が銀色に包まれていく異形への変化が、教室のあちこちにいた
デバイスを見ていなかった生徒には異変は起きていない。ただ友人の変化を見て呆然としていることしかできないようだ。
「ねぇ、どうしたの・・・?」
変化の起きていない女子生徒が、自分のすぐ脇に座っている友達、だったものに声をかけた。その身体は既に銀色に覆われきっていた。
バンという破裂音に近い激しい音の後に、ドンという鈍い音。
その女子生徒の身体は、複数の机をなぎ倒しながら、教室の壁に衝突していた。
それと同時に、教室の静寂が一気に破られた。
人間の姿を保っている者は悲鳴を上げ、教室の出口へと駆け出す。
銀色の怪人たち。人としての形は保っているものの、その顔も、体型も、全て何の個性も表さない、無機質なものへと変貌している。
座っていた人間が変貌した怪人は立ち上がり、立っていた人間だったものはそのまま、よろよろと動き出す。
そして、手あたり次第に周囲にあるものを破壊し始めた。机、いすが次々と投げ飛ばされる。机に内蔵されたモニターが割れる音が教室の中に反響する。
教室の中に残っている生徒もいた。恐怖のあまり体が動かなかったのか、それともあまりに突然の出来事に体が取るべき行動を忘れてしまっていたのか。彼らは身を丸めて自分の身体を守っていた。
僕もその一人だった。逃げようと思えば逃げられたのに、身体が動かなかったのだ。
ゴウン!僕の眼前にもイスが飛んできた。間一髪で我に返り、身体を下げてそれをかわした。
右手に握ったデバイスが激しく振動しているのに気付く。
画面を見ると、アイコンが立て続けに何個も表示されていた。
イチカからのメッセージ、さっきから何度も届いていたのだろう。
そうだ、これは彼女の問題なんだ。
敵の狙いはイチカだ。この騒動はいわばイチカが起こしたことだ。
僕が呆然とすることも、悩むこともない。イチカに任せればいいだけの話だ。
僕は迷わずアイコンの上に親指を乗せ、画面を見た。
視覚情報と共に、イチカの情報が、意識が、僕の中に流れ込んでくる―
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I
肉体を介して、現実世界に表出する私、イチカの意識。
アヤトが学生服を着てくれていたおかげで、それに合わせて衣服の変化も始まる。
私は意識を自分の内側へ、自分の中を流れている情報の流れに向けた。
プロメテウス、その戦闘モードを起動すべく、その流れを調整していった。
全身を包んでいた学生服が粒子状に変化し、やがて全体的な形状にも変化が現れ始める。
戦うための、私の装備。
プロメテウスアーマーが形状化され、私はそれを纏うのだ。
それと同時に、教室の中を勝手に動き回っていた銀色の怪人・イドが、一斉にその顔を私の方に向けた。
何の表情も浮かんでいない。目や鼻、口といったパーツの凹凸の部分だけが残された、何の個性もない顔。
イドはエゴと異なり自我を持たない。ただ送られたデータに付された命令を忠実に遂行するだけの人形。そんな哀れな連中を、私はギロリと睨みつけた。
私を動かすのは、私の中にある強い思い。
アンセム、確かに私はお前たちの一部だった。
しかし今は違う。お前たちに反するものとして、お前たちを亡ぼすものとして、私は今ここにいるのだ。
そしてもう一つ。私を狙う、その目的のために、この現実世界を、そこで平穏な生活を送っていた人間たちを、危険に晒している。
それが許せなかった。許せないという思い、怒りが、私をさらに突き動かす。
これが、人間の感情なのだろうか。人間の体を持てるようになったことで、私もそんな感情を抱けるようになったのかと思うと、少しうれしかった。
私は右手にプロメテウスのエネルギーを集め、拳に巻きつける形で具現化させながら、イドの群れへ一歩、一歩ずつ歩みを進めていった。