友がいるから、大丈夫
ユウラという女と出会ったのは偶然の事だった。
三人は無事帰宅し、買ってきたものを部屋に置いた。ナギだけはウルワをアガミに任せ(もちろんアガミに念をおしてある)中央をもう一度周りたくて外に出た。なんとなくそうしたかった。
ユウラと言う女と出会ったのは小高い丘のベンチの側だった。波打つ草原が眼下に広がり、夕焼けが最も美しく見える場所。風が肌に冷たいが、絶景を前にすれば些細な事であった。
人殺しにありながら未だ世界を生きている事実、罪悪感や呵責に飲まれそうになる日もある、笑っているのは表面上だけで、ホントは人殺しである自分が許せない、生きていてはいけない気にさせる。
人に刃を突き立てた時点で社会からナギははみ出したのだ。裁きをうけず、のんびり友達と談笑しているのが時たま酷く苦しくなる。
息を詰まらせないよう、ナギは夕日に自身を晒した。ユウラはその時ベンチに隣り合わせ、ユウラからナギに声を掛けてきた。
「こんにちは」
当たり障りのない挨拶から始めれば誰も怪しまない。結んだ髪を風に揺らしながらユウラは夕日に頬を染め目的を遂行する。
「なに」
「人を探してるのだけど、知らない? マナコっていう赤い髪の男の子」
「知らないな、ガキなの?」
「僕より歳上だよ、もう成人。ね、知らない?」
ユウラは自然体のまま手を後ろに組み、上目遣いになるように腰を曲げ答えを待つ。ステップし出しそうな軽やかな足下はブーツを小突き休む暇はない。愛らしい仕草、腕に収まるサイズの華奢な体、こんな世界にいなければ男が放っておかないだろう。
ユウラ、彼女はとても可憐で可愛らしい女の子だった。
忙しなく土を踏む足の、ユウラのブーツを見ながらナギは考える。マナコと言う男は知らない、赤い髪と言われれば真っ先にあのお調子者が答えに浮かぶが、彼はアガミでマナコではない。つまるところユウラの探している人物に心当たりはないと言う事だ。
「悪いが知らないな」
ナギが告げるとユウラはそっかぁと気を落とし、ナギに背を向けまたブーツをコツン鳴らした。
「名前教えてよ」
「ナギ」
「いい名前だね、僕はユウラ。ナギは中央に住んでるの?」
「ここに居るんだからここに住んでんだよ、と言いたいが違うんだよ、俺は二夜の一番端から来た」
「端? 生を諦めた場所の人?」
「そんな風に言われてんの?」
「水も食糧もない場所に住んでる、心の死んだ死人だって、言われてる」
「……思い当たる節があるから否定は出来ないな」
「ナギは死にたいの? 死を望むの?」
「いきなりだな。俺は別に死にたくない、ただ、生きようとも思えない。それでも今こうやって生きてるけどさ」
「好きな人が居るから?」
「まぁ、そうかも」
「なら尚更死にたくないんじゃないの? 好きな人を置いて死ぬなんて……僕は許さないよ」
ユウラのオレンジ色の瞳が一瞬赤くなった。夕日のせいだ。
「ユウラ? お前は変な奴だ。俺にお前の思いをぶつけたってなんにもならない。俺とお前はただの一瞬、こうして話をする間柄に過ぎないんだからな。マナコってのが彼氏なら、頑張って探せよ」
「うん、ありがとう、頑張るね」
ユウラは赤い夕日にマナコを見る。彼はきっと僕に出会う、だって彼は僕の……
「おー、ナギ様のお帰りだ~」
散歩から帰ると真っ先にアガミの声が響く。玄関に出迎えにはこず、居間に座ったまま口走っているようだ。
(ウルワになんかしてねぇだろうな)
ブーツを脱いで揃えて隅に置く。もしアガミがウルワの近くに、そうだな、半径1メートル以内に座っていたら一発お見舞いしてやろう。拳を握りながら居間に入ると、意外にもアガミはウルワから離れた台所に立ち、夕飯の支度をしていた。
「意外なんだけどー」
座布団の上にどかっと腰を下ろし思った事を口にする。ウルワが小さな声でおかえりと言ってくれたので返事をした。
「意外ってなにが? まさかこれ?」
「ご飯作るんだなって、アガミのくせに」
「いやね、オレだって料理くらいするよ? 男の一人暮らしだからって買って来たもので我慢したりしないのオレは。栄養バランスちゃんと考えてるのよ」
ナギとしてはアガミに感心したくはないが、素直に偉いなと思ったので茶化すのは止めておいた、のだが。
「アガミさん、もてたいから料理勉強してたんだって」
ウルワのひそひそ話でアガミに対する尊敬は脆くも崩れ去った。
夕飯は楽しく頂いた。友達と食べる食事は幸せの時間で、くだらない事で笑って、見た目の不出来さをからかい、それでもくちゃっとした料理はいつもより美味しくて。出来れば、これからの未来……何度もこういう時間を過ごしていきたい。
死にたくない――。
一巡に帰りたいと言うのは都合が良すぎるのだろうか。人殺しが平穏を望むのは許されない事なのだろうか。
殺された者の遺族が許す筈が無い、許せる筈が無い。
人殺しは地獄で飢えて死ねばいいのだ。
二夜は地獄の最寄りなのだ。
ナギにとって中央で迎える初めての夜がやってくる。ここも二夜の端と同じく夜になると大地がガラス張りになり、その中にはいっぱいの水と月が浮かぶ。どれだけ残酷で無情な景色でも美しいから、だからガラスの中の月を眺めている者は未だに多い。
みな何を考えてそれを見ているのだろうか。後悔、不安、懺悔。悲しい気持ちにさせるのは間違いない。ナギも、このガラスの大地を覗いていると感慨深くなり胸が重くなる。
月は恐ろしい、その魔力をもって人殺しを浄化しようとしてくる。
「ユウラって子について聞かせてよ」
「あ、ああ」
月を見下ろし中々話を切り出さないナギを催促するように、隣のアガミが言葉を投げる。
ナギは回想する。
先ほど、夕食の準備をしているアガミにユウラという少女に会った事を伝えた。ナイフを持ち出し鼻歌を歌う気分で食材を切りながら二人は話をした。
ユウラ――、名前を出した途端にアガミは眉をひそめ手を止める。表情を見られまいと鍋の中に目を落とす姿は、確実に何か隠している証だ。
「なんかあるなら聞かしてよ、別に吐き出すだけでもいいし」
「ナギくんってさ、たまに優しいよね」
「いやいや、毎日優しいから」
「はは、うそだぁ」
鍋から視線を上げたアガミが静かに零した言葉をナギは拾う。
「月が出たら、ユウラという少女の話を聞いてほしい――」
夜の二夜は昼間よりも遥かに美しい。二つの夜の美しさに飲まれないよう、外気の寒さに震える手を擦り自分の存在を確かめる。
「ユウラって、どんな子だった?」
アガミの声のトーンは低く、いつもの調子は感じられない。ユウラについては聞きたくない、けれど聞かなければならないという責任のようなものを感じる。
「あのさ、聞きたくないなら言わないけど」
「いいや、教えて」
この静かな夜なら耐えられる。それにアガミには友がいる、だから大丈夫。