風と王1
喜々とした表情の中に狂気があった。
威厳や悪意、更に嫌らしさといったものはない。ただ純粋な恍惚が、オウサマの笑顔という中に含まれていた。
とても楽しそうに期待の目がナギを見ていた。
抑制された死のない世界で死を与えられる、命を奪い、奪われる事の熱、痛みをやっと。
「昔彼女が言っていた」
オウサマの二夜の夜のような青い瞳がピンクの奇怪な模様に侵食されていく。
「おまえは――戦闘狂」
ナギの中で直感、瞬時に体の位置をずらす。
次の瞬間、ハサミがナギの左側を通り過ぎた。遅れて髪が数本舞った。
直感に従っていなければ腕が切れていた。ナギの頬に冷や汗。
人を切る為に作られたわけではないハサミ、さらにアンティーク調の古びたハサミともなれば人体を切断は不可能だろう。
狙いは突きと予測する、先端ならば小さな凶器に匹敵する。
だがオウサマは突きではなく挟み込む動作をしている、あくまで宣言通り指を切るつもりなのだ。
アガミは立ち上がろうとした、友を助けなければと痛む足を動かす、だが力が入らない、片膝立ちのまま助けに行けない。
「うご、けッ!」
全身が軋みを上げるほどに無理矢理拘束を抜けようとすると、月が怒り激痛が走る。
ナギの真横では再び空気が切れる、ハサミの閉じる音に血の気が引く、思わずナイフを振り回した。
「この不相応さ、とうてい人を切るものではない形状が、僕は好きだ」
「っ、いちいち、はやっいんだよ!」
目が追いついた時には既にハサミが腕の隣にある。先程から間一髪でハサミから免れている。いつハサミが接近しているのか解らない、オウサマの突いてくるスピードが早過ぎる。更に腕に近付くとハサミを瞬時に開閉している、掠めた先で髪が切れているのはその為だ。
それでもナギは負けるわけにはいかない、相手の力量に恐れていてはそのまま押されてしまう。
異能を使いオウサマの動きを制限する、オウサマは何の異能か解らぬのに対し冷静に後退を判断する。空気の圧縮をすり抜け高く飛び、一回転を加えて屋上の縁に降り立つ。着地点でよろけることなくしなやかに姿勢を整え、月光を背景に再び跳ぶ。
(投擲するナイフは、ない――)
かかってくるハサミをなんとかナイフで押し返し反撃を伺う。
頬に冷たい感触。ぴりっとする痛みと共に赤い線が浮かぶ。続いて細い血が垂れる。
一撃食らってしまった、その事実に焦燥を煽られたナギは瓦礫に躓き後ろに転がる。
「ねぇねぇ」
オウサマが直ぐ様ナギに伸し掛かった。ハサミの片刃をナギの口の中に突っ込み、もう片刃を口から出す。指を握ればいつでも口が切れる状態にする。
ナギは口内に存在を主張する凶器により喋ることも抵抗する事も出来なくなってしまった。鋼の味と自分の血を舌が舐め、刃が体内を蹂躙してくる不快感を受ける。オウサマはわざとハサミをギリギリまで閉じる。生殺与奪を握られた恐怖が、ナギの覇気を尽く奪った。
「どうです? 楽しいでしょう?」
何が、か解らない、ナギは何も答えられない。
「今まではとても詰まらなかった、戦いたくても弱いやつばっかり、勝ったとしても自分が消える。自殺の所為にして何人も殺した、だけどなんにも満たされない。月なんて頭上から照らすだけ、そんなんで支配出来るものなんて詰まらなすぎる。僕は直接殺したい、この手で、命を蹂躙したい、されたいんだよ! 殺し合いたい! 哀れな君にはわからないだろう? ねえ?」
殺人と闘争を愛する者が殺してはならぬという世界の掟と、相手のあまりの弱さに打ち拉がれる、その様は鬱屈とし、絶望がひしひしと顔に現れていた。
ナギは言葉通り相手として不足だと失望されていた、それどころか憐れまれている。それだけ実力差があるというのだ。
「ふ、へぉ」
ナギは口を動かそうとする、喋らなければ敗北は確実で、幾多の人間のように月に殺されてしまう。
強い意志の瞳を向ける。視線だけで切れそうな鋭さに、オウサマはその尖端を真っ向から受けてみたくなる。ナギの束縛を解く、口からハサミを出す。
「お前の言葉は全部嘘だ……。何か本当なのか解らない、お前が全く解らない」
「本当ならここにある。楽しい時間を過ごしましょう、でも……最後には殺してしまいますけどね」
「俺は死なねぇ。死ぬならてめぇを殺した時だ!」
言葉と同時にナギは手を突き出す。瓦礫の欠片が握られていた。
オウサマはナギの手を素手で掴み払いのける。痛み、オウサマの手は瓦礫が擦った所為で皮がめくれ血が滴っていた。
「あらら」
まるで手の鍍金が剥がれた、とでも言うように彼は冷静に傷を見ていた。普通は自分の体が傷付けば不安や動揺が生まれるはず。それを人体の皮がめくれ、血液が流れているに過ぎないと、オウサマはもう手を見てもいない。
ナギはその間に距離を取る。弾切れを起こしたなら落ちているナイフを回収しまた投げるしかない。
一つ、回収、投擲、躱される。また一つ、回収、投擲、躱される。
新たなナイフを探し走る。オウサマはそれを目で追う、事前に妨害しないのは投げられてから弾き返す方が楽しいからだ。
余裕のオウサマに焦りながらもナギは拾い集めたナイフを指の間に挟む、扇型に広げ一気に投げる。間隔をずらし、回避してもその先を更に狙うように仕掛ける。精到に計算された一手。
風に乗ったナイフがオウサマの頭上や背後に同時に並ぶ、ナイフの先端が整列する、一気にオウサマを貫く、しかし当たらない。全てが超回避とハサミの相殺で殺されてしまう。
ナギは躱される事も読んでいた、フェイントをかけた時間差攻撃を第二に放つ。だが刃はオウサマの服を掠める事も出来ない、全てハサミだけで落とされたのだ。
圧倒的な力の差が、笑顔すら消せない己の無力さを突き付ける。
そして力の差は誇りも捻じ曲げる。オウサマが弾いたナイフがナギ目掛け一直線に飛んできた、ナギは避けられぬナイフの軌道上に立っていた。
瞠若、隣を風が突き抜けていく。お気に入りのブラウスが裂けた、服だけを裂いてナイフは後方へと抜けて失速した。
わざと、外してきた――。
「オウサマ! 次は私も手伝いますッ!」
ルナがナイフのミスを主君の焦りと勘違いし立ち上がる。彼女は今まで怯えていたのだが、二夜の暴力に晒されたかつての自分を拾ってくれた、そのオウサマの為になら勇気も命も差し出せる事を思い出す。
健気な彼女は体を鞭打ち決起させる。
その時、彼女の頭上で違和感がした。
音、あの時の光景が再び再現される。高い尖塔に走る死の線、円柱の腹周りを伝い、半分に断ち切る。質量が支えを失い斜めに傾く、彼女の頭上に影を落とす。
彼女は見上げる、迫りくる質量が驚愕の瞳の中で巨大化していく、幼い体は震える。
「あ……ぁ」
あるはずは無い、すぐそこから差し伸べられる手を願った。
彼女は、無力だった。
折れた尖塔は無力な彼女を笑い、轟音を立て彼女ごと粉砕した。
白い煙が風と共に吹き抜ける、ナギは腕で目や鼻や口を守る。時間が経つと白煙はやがて収まる。茫然としたナギは崩落した尖端の下に"かつて彼女であったもの"を見つけた。瞬間、胸を裂かれるような痛みが走る。
対してオウサマは何も顔に出さず。ただ口が開いて、こう言ったのだ。
「あーあ、死んじゃったか」
この時初めてナギは戦慄した。こんな奴が……、こんな奴に勝てるはずがないと。
「つまんないね、人は直ぐにしんでしまう。人は脆い、その脆さが美しい、けれどそれが憎くもある。その弱き人を殺しただけで、消える世界なんて窮屈以外のなにものでもないよ」
彼は人であって人ではない。
彼はオウサマでものろまな能力者でもない。
彼は――。
「もっと殺させて?」
ルナの死等彼にとっては踏みつけた花の死と等しい。あまりにもあっけなく彼女の命は片付けられた、思い出も、願いも、いとも簡単に、あっさりと。
他人の死は軽いのかもしれない。だけど思い出の中で笑う人を、笑っていた人を、昨日まで傍に居た人の死を、人は悲しまないはずはないのだ!
「っ、くそがぁ!」




