枯れ葉を救いし手の中に
今日のナギはアガミを追い掛けとある場所に向かっていた。
歩く度砂が舞い、乾いた空気に喉が渇く。
オウサマの城の周りは整備された建物が建ち人が集まり、集落と言える規模を誇っているが、そこから少し離れれば荒れた大地に草木は姿を消し、風が音を立てて空気を裂く。どこもミズガレの家がある秘境に似ている、人がいなくなれば土地は自然そのものを残すのだから。
肩から鞄を下げたアガミは冷たい風から身を温める為腕を擦った。それにつられてナギがブルっと震えた。
「寒いなら待っててくれたらよかったのに」
「いやだ、どこ行くか知らねぇけどついてく」
アガミは苦笑いで答えた。初めアガミはナギの同行を良しとはしなかった、これから向かう場所の現状を見てナギが心を病んでしまわないか心配だったからだ。
知らなくていい事は知らなくていい、そう拒否したが隠し事は気に入らないと押して来たので負けてしまった。
そしてかれこれ数時間、二人は水を飲みながら休憩中だ。
「でな、そこでこう、ガンっと」
「んなとこ蹴ったの!?」
先日の刈り上げとの戦いをナギは身振り手振りアガミに話している。アガミの反応はとてもとても遠慮したい部分を蹴られた刈り上げへの同情とナギへの呆れが占めた。
「体格で勝てない場合は弱点を突くんだろ?」
「それは確かにオレが教えた事だけど、普通あそこはご遠慮したいもんじゃない?」
「女が見てたし、短小つったら怒り出したからさぁ、これはやらないと、と」
「なんか、ヒュンとするわぁ」
「だいたい突っかかって来たのは向こうなんだからな」
「最初に女の人を突き飛ばしたのはナギくんだろ」
「まあ……」
「謝れとは言わないよ、あいつらは中央の人を苦しめてる、今もまだな」
アガミの故郷と言っても違いない中央は今この時も彼らに荒らされている。出来ればそういう奴等を駆除したい、溜まった思いがあるからナギの行いをアガミは咎めない。かつて自分がその輩の群れに所属していた、だから余計に逆の立場を守りたくなる。早く中央に帰りたい。
「あー早く帰りたいな。ミズガレの作ったスープが飲みたい。なんの味もしないあれが懐かしいんだ」
アガミの気持ちを代弁するようにナギが先に口に出す。
「ああ、オレも、中央の食生活が馴染んでてここの料理は受け付けない。だから……」
言葉が弱く、消えていった。
言えばいいのに、言ってほしいのに、消えた先の言葉を。
だからナギは催促する。
「……帰る、よな」
「帰りたいよ」
否定的な答えに染まったアガミをナギは変えられなかった。ユウラがいつまでもアガミを縛っているのだと鬱屈とする。もしかしたら、少し前アガミがナギとウルワを中央へ移住しないか誘った時もこんな失意を感じていたのではないか。
友の決意を変えられない事。
苦しんでいると、死んでいくと解っていて救えない事。
あれは少し前。オウサマに帰還の許しを貰った日、ナギは真っ先にアガミに伝えた、伝えたかった。なのにアガミは報告を受け取っても喜んでくれなかった。ユウラへの罪悪感が願っていなくても育っていく。
一体ユウラに何の罪を抱いているのか、ただ単に愛がないのなら普通の恋人みたいに別れてしまえばいい。あれ程ユウラに怯えるのは何故なのか。聞き出せれば力になれるのに、聞き出す事は叶わない。アガミという人格が壊れるかもしれない。
だから秘密裏に事を解決する必要があると画策する。例え二人が望む最善の願いに届かなくても。
やはりユウラに接触しよう。
こそこそと思案している中、問題の当人であるアガミの声が聞こえる。休憩を終え、目的地へと再び歩くのだ――。
「この世に、こんな土地があるなんてな……」
ナギは言葉をなくす。アガミに連れてこられたのは二夜の、奪うだけの国の辺境。
一面枯れた大地の中に薄汚れた木造の小屋がいくつか並ぶ。家畜の小屋かと思う程人が住むとは考えられないそれが、まさに人の住居だった。
二人は集落には近付かず遠目から観察する。
人が人に抱きついている、土を掘っている、疲れた人がその辺りに寝転んでいた、何をしている? ……そう思った、それは全て間違いだった。
目を凝らすと人の肉を漁り、水を求め生を繋ごうと穴を掘る必死な人々だった。それでも足りなくて、餓えや病気で死んだ人がごろごろと倒れていた。
「これが、これが二夜の現状だってのか……こんなの」
「ッ……!」
アガミは最後まで驚嘆する間もないナギを引っ張る。突如ナギの背後に現れたのは餓えた目に血の滲んだ男。
男は生命に溢れた少年にしがみつこうとする。それはアガミにより鞘で押し返される。何度も何度も服に縋り付いてはアガミに振り払われる。最後にはナギの足を必死で掴み、枯れた喉で唸って泣いた。
「水……喉が渇いたんだァ、うっ……う」
眼窩の窪みがわかってしまう程削げた顔で男は口から土を吐く。
「ノドがガワいた……苦しい、タすけて、ラグになりたい……しにたい、しにたいしにたい」
壊れきった、回り続ける言葉。長い間何も食べられず、何も飲めず、苦しみ藻掻いて人を食べ、尿を飲み、血を啜っても泥を甜めても生きたかった、そして狂ってしまった。凄惨な狂いの果てに求めたのは死。
「苦しい……殺して、コロシテ……コロシテ」
男から肉が垂れた。伸ばした手から腐った肉の一部が溶けていた。
――体が痛い、助けて。
――苦しいよ、殺して……。
――その手で、その手で
その手で――!
「もう止めてくれ!」ナギは叫んだ。アガミはナギの手を引っ張って走った。
「楽にして、楽になりたい……」
後ろから聞こえる声は呪いのように心にこびり付き、怨嗟が悪夢のように心を壊す。
「大丈夫だった。ごめん、ここまで徘徊してるとは思わなくて」
「なんで、こんな……こんなの辛すぎるだろ。……救われない……もう、」
ああまでして生きて生きて最後には死に縋る。
あの人はどれだけ夢を見ただろう、夢など無いと知り、絶望と終わりたいという願いしかなくなったのだろうか。
浅はかな少年は考えていた。いつか二夜が死を運びみなが死ぬ時、自分は家族や友の思い出を胸に抱き、復讐を終え笑っていけるのだと。
無知過ぎた。ここではただ絶望し、苦しみながら死ぬだけ。
「二夜は地獄……、俺達もいずれああやって死ぬのかな」
渇きに餓え、のたうちまわり、発狂して。
――それはとても、怖い。
「君が死ぬとき、楽に死ねるようにしてあげてもいいよ……」
アガミは少し背の低いナギの目線に合わせるよう膝を曲げ頭に手を乗せる。
「一瞬で、それなら痛みも不安もなく幸せなままいける」
「……」
死を口にしながら優しい目をしている、なんで?
同じなんだ。
あの人と、二人の約束と。
それはなんて残酷で、優しい……。
――ナギは頭を降った。自然とアガミの手は滑り落ちる。
話はここでお終いだ。
「ちょっと待っててな」
アガミは持ってきた鞄を下げ直し先程の小屋の方へと歩いて行く。
一人になったナギ、城ではアガミを追いかけ困らせた癖に、今はその背中に着いていく勇気がない。
知っている。あの鞄の中には水や食料が詰められている。誰にも知られずに、彼は鞄に命を詰めて巡る。
初めて会った時もそうだった。二夜の端に、鞄を抱えて歩いて来た。
「お前は何でそんなに優しくできる……。他人なんて死んだってどうでもいいだろ、俺は精一杯だよ、今立ってるだけで!」
先程の男にも光が与えられる。
光は優しいだけ踏み躙られる。例えば光は病を渡されても、笑っているだろう。
優しさは、か弱くて、なのに健気で、だから蹂躙される。
***
「じゃ俺、ウルワのとこ行くから」
「ああ」
城に帰って生きている土地を見てほっとする。城の周りはまだああはなっていない、ナギは安心する。
あれ以上あの場所にいたら飲み込まれてしまいそうだった。早くウルワに会いたい、優しく柔らかい手に触れて心を落ち着けたい。
ナギは城の中に駆け込んだ。
あんな風になるなら、早くに死んでしまった方が楽なんじゃないか。自殺は楽になる為のなによりの近道。苦しみも悲しみも忘れてしまえる、苦痛も不安も悩みもみんな終わる。自分ではどうしようもなくなった時、人は自ら命を断つ。それがなにより楽だから、幸せだから。
――間違ってるとは言えない。
今見てきた世界が死によって浄化されると少しでも思ったから。
「死は、幸せ」
磨かれていない廊下の窓ガラスは汚れていて、手を付けば指紋がくっきりと浮かんだ。汚れた窓に写るナギ、傷ついたガラスの先の世界はそれ以上に傷ついている。
ガタガタと風が窓を叩き、枯れ葉を千切り、砂を巻き上げる。
ナギは見上げた、遠くの木に枯れ葉が一枚、必死に風に抗い枝に留まろうとしている。左に右に叩かれ飛ばされようとする葉が、胸の中を掻き乱す。
嫌だ、もぎ取らないでほしい。
衝動のままに窓を開け放った。髪が拐われる、それを手で押さえ、もう片方の手で遠くの葉を掴もうとする。届くはずのない手。窓から伸ばされた手はなにも掴めず、枯れ葉は千切られ枝からなくなった。
ナギは手を下ろした。
「後何年持つ? カンナ、いずれ人は死ぬよ、死ぬとき、苦しんだり悲しんだり怖がったりしないように、辛くないように……助けてあげたい。怯えて泣く前に殺して幸せに、ミズガレの気持ちがわかるよ」
ミズガレはウルワを殺す。二人の約束をナギは知っていた。
ちくりと刺さる痛み、手の平に生まれる痛み、握り締めていた指を解くと中には枯れ葉があった、届くはずのなかった枯れ葉が。
「この手で摘み取れば綺麗なまま、苦しまずに死ねる。解るのに、嫌だと思う。それは俺がミズガレを理解は出来ても同意出来ていないから」
窓を閉めて枯れ葉を窓際に置く。
安らかな死を求めるのもいい、だが抗ってでも生きたい心が胸の内にあるのも一つの真実。
相反する二つの思想に決定的な選択が出来ないまま。けれど最近道が見えた、それは諦めと希望、表裏である二つの感情の最も美しいバランスの上にある。だから故に、バランスが崩れた時思いは生にも死にもなる。
生きるか死ぬか、生きたいか死にたいか、殺したいか抗いたいか。
道は見えている、足は踏み出していないけれど――。