宇宙開拓期の妹
人類がこの地球に誕生し、幾星霜の年月が流れたことだろうか。人々はその数を増やし、古代人がどこまでも永遠に続くか、もしくは果てを見つけることができぬと嘆いたこの地球を、狭く感じる時代へと突入する。
人類は宇宙を求めた。地球の古代に感じた広大さへの圧倒を、宇宙へ求めたのだ。
最初は月が植民地となった。次に火星。金星と木星は同時期だったか。その次に水星と土星が続く。もっとも、この二つは研究目的に近い扱いだったが………。
地球を中心とした太陽系統一政府。人類が自らの版図をそう名乗り始めたとしても傲慢ではあるまい。
少なくとも生物の生存圏を宇宙へ広げたのは人類自身なのだから。生物学者やガイア至上主義者が、いくら人類は地球の生物の一部に過ぎないと怒鳴ったところで、この点だけは人類は特別な存在だったのだ。
ちなみにうちの妹は今年で13歳になる。
「兄よ。知っているか? 我々が朝食としているこのベーコンエッグ。この淡泊な味の卵と固く塩っ辛い肉片。どちらも火星の食糧生産工場で作られている。だが、そこでは鶏も豚も飼育されていないのだ。ではこれらは何かと言えば、ガラスの筒の中で、栄養を与えられ増殖した細胞から切り取ったものでしかないのだよ」
「はい、醤油」
何時も通りの朝食。母が作った料理をゆっくり食べながら、妹と雑談する。最近の妹はお喋りだなと思いながら、こっちが使い終わった醤油を渡した。
「兄よ。私が言いたいのは、既に人類はその人口を自然そのままに維持する事は不可能となっているということだ。大半の食糧は未だ大半の土地が手つかずの火星とその衛星に存在する、広大な食糧生産工場で生産されているし、燃料やエネルギー資源は木星から運ばれてくる物資に依存している」
「今日の昼はパン食が良いんだっけ? ちゃんとお金持ったか? 学校の前にあるパン屋さんに、朝のうちに注文しとけば昼には届くから忘れない様にな」
世間話をしているとすぐに時間は過ぎて行く。うちが早起きな方の家庭とは言え、そう長々と朝食を続けていられるほどに余裕があるわけでは無かった。
二人して朝食を終えると、身支度をしてから家を出る。俺が通う高校と妹の中学は途中まで道が同じなので、世間話は道中でも続いたりする。
「兄よ。何故、地球が他の衛星や火星を植民地として扱うか知っているか? それは各惑星をその力を持って完全に支配しているからではない。ただ、いち早く文明化し、いち早く人類が増えた。それだけの理由なのだ。他に意味は無い。例え月にあるネオ・トウキョウやニュー・オオサカが、自給自足が可能になるほど発展を遂げたとしても、地球は、あそこは自分達の支配地だと言い張るだろう。その地に住む者がどう思うかを知らないで」
「ああ、自転車通いはしたくなるよな。けど、うちの通学範囲だとギリギリ徒歩圏内だろ? 悔しいけど申請は通らないんじゃないか? 俺が中学通ってた時もそうだったもん」
中学校に自転車で通う奴は確かにいるのだが、それは自宅と中学校までの距離が一定を越えた場合に限ると校則で決まっている。妹がどれだけ望んでも、足がそれなりに疲れるこの通学路を、疲れた足で歩くしかない。
「兄よ。かの都市が地球と一切の交渉を絶つと言えばどうなると思う? 彼らの都市は別に構わない。彼らは賢明で新しい。地球の古い因習を捨てて、新しく、合理的な社会を構築している。だが地球はどうだ? この地球は彼らに比べてあまりにも古く、そうして彼ら無しでは生きてはいけない。上位者はどちらだ? どちらがどちらの助けを借りなければ生きて行けない?」
「こーら。いくら教師に文句言っても駄目だからな。俺が3年間どんだけ言っても駄目だったんだ。代わりに、こっちが歩きで付き合ってるんだからそれで我慢しろって」
俺が通う高校では、自転車で通おうがバスや電車を使おうが自由だ。一応、駐輪場を使う際に専用のシールを貼らなきゃいけないのが少し面倒であるが。
「兄よ。既に地球は独立独歩で生きては行けない。この地に溢れる100億の人命は地球のみで維持できぬ段階になった。そうなった時、頼るのは何だ? 武力か? 威圧か? 確かに地球は他の衛星、惑星にある都市を殲滅できるだけの軍事力があるだろう」
「げ、お前、同級生まで巻き込んで自転車通いを認めろなんて言ってるのか? その行動力はどこから出てるんだよ、いったい………。ちなみに、何人くらいでやってんの?」
小学校の頃は何時もお兄ちゃんお兄ちゃんと言って、欲しい物があると泣くか騒ぐかで、まるっきり子どもだったのに、今では一丁前に自分の頼みごとはちょっと工夫して要求する様になりやがった。その事を成長と呼ぶべきか悩みどころだ。
「軍事力でそれらを叩き潰して何になる? 次に訪れるのは、食糧難やエネルギー不足という厄災だ。この地球に対して起こる、自業自得のな。なればこそ、我々は謙虚足らなければならない。懇願する側なのだ。少なくとも、月と火星、そして木星重力圏内にある都市の、その30%に対して、共に生きて行こうと頭を下げて頼むことで、我々の生活は最低限の維持ができるのだよ。そこからさらに生活を向上させようとするのならば、さらに頭を下げる都市は増えるだろうな」
「お、考えるじゃん。そうかー。そうだよな。自転車通いの連中も、俺らが頑張って歩いてるってわかってるもんな。そいつら巻き込めば、それなりの人数になるか」
俺は妹の悪知恵に舌を巻いた。なるほど、これは成長と呼んで良いかもしれないぞ。こういうことこそ社会に出て役に立つんだろう。学校で習わぬなんとやらだ。
俺が妹の話に感心していると、道中で見知った二人の背中を見つけた。茂也とその妹だ。
「おー! 茂也、今日は早いじゃん」
「うん? 智治じゃんか。いやあ、今日はこれくらいの時間に出るぞって妹が煩いんだよ」
茂也は自分の妹を見た。茂也と俺は同級生であり、その妹は、俺の妹と同級生だ。通う学校もやはり同じであり、お互い気があった。兄妹ぐるみの仲という奴なのかもしれない。
「ふっ。友よ。お前もまたこの宇宙開拓期の社会の仕組み。その矛盾に気が付き始めたのか。そうだ。私が予想している通りに事が進むのだとしたら、矛盾が物理的な力となって社会を変化させるのに、そう時間は掛からないだろう。それは正常な形へとなる変化であるはずだ。山が長い年月を掛けて平地になる様に、物事は安定した形へと変わって行くものだ。それは社会も同様だ」
「君の言う事はもっともだよ。全面的に賛成だ。だがね? その変化が個人。そう、この地球に住む100億の個人の大半に対して大きな害を齎すとしたら、それは僕の許容できる事では無いよ。だからこそ、僕を含む我々は考えなければならない。行動しなければならないんだ。如何に害無く、起こり得る社会の変化を許容するかをね?」
「あー、なるほど」
「そういうことみたいだ」
俺は自分の妹と茂也の妹の話を聞いて、茂也達がどうして今日、何時もより早めに登校していたのかが分かった。
自転車通学を中学に要求する日が今日だったのだろう。中学には、うちの妹含む、こいつらが味方側に付けた自転車通学を要求する生徒が、示し合わせて集まるに違いない。朝のHRの時間よりちょっと早めに教師へ物を言うためだ。
「兄よ。それでは私は行こう。行かなければならない。行動すべき時期は今なのだ。早くてはいけない。だが、遅ければもっといけない。事態を最悪の方向に招きかねないからだ。引き留めるならばもっと早く口にすべきだったな。もう我々の決意は決まってしまった」
「おー、じゃあなー。車には気を付けろよー」
進行方向はここで別々になるため、妹達と別れを告げてから、俺は茂也と一緒に高校へ向かうために足を動かせる。
「あいつらが自転車通いするって言うなら、俺達もわざわざ歩きじゃなくても良いってことだよな?」
「そうなるなー。じゃああいつらかあの頭が固い教師連中説得できる様に祈っておこうぜ」
俺と茂也はお互い、妹達を口先だけ応援した後、昨日見たテレビやネットの話で盛り上がる。
「それにしても智治さ。お前の妹、変だよな?」
「お前が言うなよ………」