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呪われ聖女、お払い箱につき。〜溜め込んだ穢れをすべて返却したら、あまりの清々しさに隣国の死神皇帝から求婚されました〜

作者: 折若 ちい
掲載日:2026/03/28

王宮の最上階にある「黄金の謁見の間」。そこは本来、国の繁栄を象徴する場所であるはずだった。しかし今、私の鼻を突くのは、高価な香水の匂いでも、焼きたてのパンの香りでもない。自分自身の体から漂う、鼻を刺すような「腐敗」と「泥」の臭いだった。


「不潔な女め。その顔、もはや正視に耐えん。今すぐ私の前から消え失せろ」


玉座の前に立つ第一王子ザカリーの声が、冷たく響く。

 私は大理石の床に膝をつき、深く頭を垂れていた。視界に入る自分の手は、かつての白磁のような滑らかさを失い、ひび割れ、どす黒い「穢れ」が血管に沿って浮き出ている。


「……殿下。この穢れは、この一年、王国の北部一帯に蔓延した流行病を、私が『身代わりの聖女』として肩代わりした結果です。あと数ヶ月、聖域での静養をいただければ、私の聖力がこれらを浄化し切り、元の姿に……」


「黙れ! 聞き苦しい言い訳だ!」


ザカリーが激昂し、手に持っていたワイングラスを私に投げつけた。グラスは私のすぐ脇で砕け、赤い液体が汚れた法衣をさらに汚していく。


「貴様がそうやって醜く成り果てたのは、聖女としての資質が足りないからだ。真に清らかな魂を持っていれば、穢れなどに侵されるはずがない。見ろ、貴様の妹、リリアを。彼女こそが、この国に舞い降りた真の女神だ」


ザカリーの傍らに、ふわりと一輪の花が咲いたかのような光景が広がる。

 義理の妹、リリア・フォンス・マリス。彼女は雪のように白い肌、陽光を編んだような黄金の髪、そして周囲にキラキラとした光の粉を撒き散らすような輝きを放っている。


「お姉様、ごめんなさい……。でも、民衆はみんな怯えているわ。『あんな不気味な顔の聖女が祈っても、逆に呪われるだけだ』って。私が代わってあげるのが、みんなのためなの。お姉様も、もう楽になっていいのよ?」


リリアは悲しげに眉を下げて見せるが、その瞳の奥には、どろりとした優越感が渦巻いている。

 私は知っている。彼女がこれほどまで美しく、清らかな聖力を保っていられる理由を。

 彼女が夜な夜な貴族たちと遊び歩き、贅沢三昧を尽くして溜めた「精神の腐敗」。禁止されている禁忌の魔道具を使いすぎて変質した「魔力の滓」。それらすべてを、私は「姉の義務」として、夜な夜な彼女の部屋に通い、自分の体へと吸い取ってあげていたのだ。


「エルナ・フォンス・マリス。貴様を聖女の座から解任し、国外追放を命じる。フォンス・マリス家の家名も剥奪だ。二度とその汚い顔を我が国に見せるな。これ以上、リリアの清らかな視界を汚すことは許さん」


王子の言葉に、周囲に控える貴族たちから嘲笑が漏れる。

「当然だ」「疫病神め」「あんな女に触れられたら病気が移る」「リリア様こそが我らの救い」。


昨日まで、私の足元に縋り付き、「子供の熱を下げてくれ」「死にたくない、呪いを吸い取ってくれ」と泣き喚いていた者たちが、今は汚物を見るような目で私を見下ろしている。

 父である侯爵ですら、目を逸らし、リリアの肩を抱いて「自慢の娘よ」と微笑んでいる。


――ああ、そう。

 私の中で、何かが冷え切っていく音がした。


この国のために、民のために。

 私は自分の体を「ゴミ箱」にして、あらゆる悪意、病魔、呪詛を吸い込み続けてきた。内臓が焼け付くような痛みも、眠れないほどの痒みも、すべては聖女としての誉れだと思って耐えてきた。


でも、それが「お払い箱」というのなら。


「……承知いたしました、ザカリー殿下。フォンス・マリス侯爵閣下。皆様の仰せの通りに」


私はゆっくりと立ち上がった。

 膝の関節が軋み、激痛が走る。だが、心は驚くほど軽かった。


「ただ、一つだけ……今まで私が皆様からお預かりしてきた『大切なもの』。これらは私の私物ではありませんので、お返しして行こうと思います」


「……あ? 何を言っている。貴様のような貧相な女の持ち物など、一つとしてこの国に残していくなと言っているんだ!」


ザカリーが鼻で笑う。

 私は彼を見つめ、静かに、胸の奥にある「聖杯」――聖力を貯蔵する器官の栓を、自らの意志で解き放った。


それは、静寂から始まった。

 次の瞬間、私の全身から、どす黒い霧が爆発的に噴出した。


「な、なんだ!? 何が起きた!」


王子の悲鳴が響く。

 霧は意志を持っているかのように、謁見の間を埋め尽くした。それは私が一年かけて、この国の全土から吸い上げた流行病の種、貴族たちのドロドロとした色欲、そしてリリアから引き受けた魔力汚染の塊だ。


黒い霧は、まるで磁石に引き寄せられる砂鉄のように、持ち主たちの元へと一直線に流れていく。


「嫌ぁぁぁ! 顔が、私の顔がぁぁ!」


最初に絶叫したのはリリアだった。

 彼女の陶器のような肌に、一瞬でどす黒い斑点が浮かび上がる。黄金の髪はバサバサと枯れ落ち、彼女が隠していた醜悪な魔力汚染が、皮膚を突き破らんばかりに隆起した。


「リリア! どうしたんだ、その姿は!?」

「殿下、助けて! 痛い、熱い、痒いぃぃ!」


慌てて彼女を抱き寄せようとしたザカリー王子にも、変化が訪れる。

 彼が政務を放り出し、私を虐げることで発散していた「傲慢」と「怠惰」の代償。それが真っ黒な隈となって目に現れ、彼の全身から、腐った卵のような異臭が漂い始めた。


「貴様……エルナ! 何をした! 呪いをかけたのか!」

「いいえ、殿下。私はただ、皆様が私に『預けた』ものを、あるべき場所へお返ししただけですわ。利息もつけずにね」


謁見の間にいた貴族たちも、次々とその場に崩れ落ちた。

 病を返された者はのたうち回り、悪意を返された者は自らの罪の幻覚に怯え、叫び声を上げる。


それと引き換えに、私の体はみるみるうちに変化していった。

 視界を覆っていた黒い霧が晴れる。

 重く引き摺っていた足取りが、羽が生えたように軽くなる。

 ひび割れていた皮膚の下から、透き通るような真珠色の肌が再生していく。

 泥色に変色していた髪は、夜空の星を閉じ込めたような深い黒色へと戻り、月光を反射して輝いた。


「……ああ、こんなに体が軽いのは、何年ぶりかしら」


私は、もはや地獄絵図と化した謁見の間を振り返ることなく歩き出した。

 門番たちは私を止めようとしたが、私の体から溢れ出す、浄化しきれなかった「純粋すぎる聖力」の光に目を焼かれ、近づくことすらできない。


背後でリリアの「お姉様、行かないで! 助けて!」という卑屈な叫びが聞こえたが、私は耳を貸さなかった。

 助けて、と言われて助けてきた結果がこれだ。もう、誰のゴミも引き受けない。


私は王宮の重厚な扉を蹴破るようにして開き、冷たい夜風の中へと一歩を踏み出した。


国外追放。その宣告通り、私は国境を越えた。

 目指したのは、誰もが恐れる「沈黙の森」。隣国であるガイスト帝国の領土だ。

 ガイスト帝国は、代々強大な魔力を持ち、それゆえに呪いを受け継ぐと言われる「死神の血脈」が統治する国。


私は森の奥深く、古びた大樹の根元に座り込んだ。

 本来の美しい姿に戻ったとはいえ、肉体の疲労は極限だった。今まで穢れを抑え込むために使い続けていた精神力が、枯渇しかけている。


「……ふふ、皮肉ね。世界を救おうとした私が、最後は一人で森で果てるなんて」


薄れゆく意識の中で、不気味な音が聞こえてきた。

 パカッ、パカッ、と地を這うような、重厚な馬蹄の音。

 そして、森の木々が恐怖に震えるような、圧倒的な圧迫感。


「……森の中に、太陽が落ちていると思ったが。まさか、女だったとはな」


低く、地響きのような声。

 目を開けると、そこには漆黒の鎧を纏った騎士団が、私を包囲していた。

 そして、その中央で黒王馬に跨る一人の男――ガイスト帝国の皇帝、ヴィンセント・フォン・ガイスト。


彼の周囲の草木は、彼が放つ圧倒的な「死の魔力」によって、墨を零したように黒く萎れている。


「……お逃げください、陛下。今の私は……自分でも制御できないほどの浄化の光を放っています。あなたの呪いとぶつかれば、あなたが消滅してしまいますわ」


私は最後の手向けとして警告した。

 私の内側には、二十年間溜めに溜めた聖力が、蓋を外されたことで暴走気味に溢れている。それは死を司る魔力を持つ彼にとって、猛毒に等しいはずだ。


しかし、ヴィンセントは馬を降り、迷いのない足取りで私に近づいた。


「消滅、か。……願ってもない。この呪いから解き放たれるなら、それも一興だ」


彼は無造作に、黒い手袋を脱いだ生身の手を、私の頬に触れさせた。


「――っ!?」


爆発が起きると思った。

 聖力と魔力の衝突。プラスとマイナスがぶつかり、世界が壊れるような衝撃を覚悟した。

 だが、起きたのは奇跡だった。


彼の指先から流れ込む漆黒の「死の魔力」が、私の内側から溢れ出す「生の聖力」と、驚くほど滑らかに噛み合ったのだ。

 荒れ狂っていた私の聖力が、彼の魔力を包み込み、凪のように静まっていく。

 同時に、彼の全身を苛んでいたであろう呪いの苦痛が、私の聖力によって溶かされていく。


まるで、凍えそうな冬の夜に、最高級の毛布に包まれたような。

 あるいは、渇ききった砂漠で、清冽な泉を見つけたような。


「……信じられん。私の肌に触れて、灰にならない人間がいたとは。それどころか……この心の静寂はなんだ。長年の耳鳴りが、止まった」


ヴィンセントの紫色の瞳が、驚愕に揺れている。

 私は彼の手のひらに自分の手を重ね、初めて安らかな息を吐いた。


「……あなたの魔力。とても冷たいけれど、どこか懐かしくて……温かいですね」


ヴィンセントは一瞬絶句した後、不敵な笑みを浮かべた。

 彼は私の細い腰を強引に抱き寄せ、私の耳元で、甘く、逃げ場のない声で囁いた。


「面白い。貴様、どこぞの捨てられた聖女だろう? だが、今日この時から、貴様は私のものだ。私の『死』を中和できる唯一の存在として、一生私の側で、私のために光り続けろ」


「……一生、ですか? それは、かなりの重労働になりそうですわね」


私は彼の胸の中で、少しだけいたずらっぽく笑った。

 その時、私の頭の中からは、あの汚らわしい王国のことも、妹の叫び声も、すべて消えていた。


それから三ヶ月。

 ガイスト帝国の皇宮、その奥深くにある「常闇の間」が、私の新しい居所となった。

 かつての国では地下室のような冷遇を期待していたが、用意されたのは、床一面に最高級の毛皮が敷き詰められ、壁には私の好みに合わせた本が並ぶ、贅を尽くした「鳥籠」だった。


「エルナ、朝食だ。口に合うかわからんが、南方の希少な果実を取り寄せさせた」


皇帝ヴィンセントが、自ら盆を持って現れる。

 彼は皇帝としての公務を驚異的なスピードで終わらせると、一日の大半を私の側で過ごすようになっていた。


「陛下、私を甘やかしすぎですわ。これでは聖女ではなく、ただの駄目な女になってしまいます」

「構わん。お前が放つ光のおかげで、この国の瘴気は薄まり、民は豊作に沸いている。お前がただここに座って笑っているだけで、この国には金貨千万枚以上の価値があるのだ」


彼は私の隣に座ると、当然のように私の指を絡ませる。

 彼が私に触れるたび、私の聖力は喜び、彼の魔力を浄化していく。その行為は、もはや義務ではなく、互いの魂を癒やす甘美な儀式になっていた。


そんなある日のこと。

 帝国の国境警備隊から、緊急の知らせが入った。

「隣国――マリス王国からの使者が、命乞いに参っております」と。


現れたのは、かつて私を嘲笑った貴族の一人だった。

 だが、その姿に往時の面影はない。服はボロボロ、顔は病魔に侵されたのか土気色で、ひどい異臭を放っている。


「エルナ様! お救いください! お戻りください! あの国は今、地獄です!」


使者は床に額を擦り付け、泣き叫んだ。

 話を聞けば、私があの場で「返却」した穢れは、一向に収まる気配がないという。

 新聖女として祭り上げられたリリアは、あまりの苦痛に発狂し、神殿の奥に幽閉された。彼女が吸い取っていた呪いが一気に噴出したことで、王国の土地は腐り、水は毒に変わり、作物は一切実らなくなった。

 ザカリー王子は、自慢の美貌が崩壊したことに絶望し、酒に溺れて暴政を敷いた結果、民衆による反乱の火の手が上がっているという。


「どうか……どうか、かつての慈悲の心で、あの国を浄化しに帰ってきてはいただけないでしょうか……!」


私は、ヴィンセントに剥いてもらった果実を一口飲み込み、首を傾げた。


「……慈悲、ですか。それは、あの日、皆様が私の足元に投げ捨てたもののことでしょうか?」


「そ、それは……!」


「私はもう、あそこの聖女ではありません。フォンス・マリスの名も、皆様が取り上げました。今の私は、この帝国の皇帝陛下の所有物ひかり。勝手な行動は許されないのですわ。ねえ、陛下?」


私はヴィンセントを見上げた。

 彼は使者に向けて、この世のものとは思えないほど冷酷な殺気を放った。


「貴様。私の『命綱』に、何を無礼な頼み事をしている? その女は、私が拾い、私が愛で、私が命を懸けて守ると決めた唯一の宝だ。ゴミのように捨てた後に、『やはり必要だから返せ』だと? ……笑わせるな」


ヴィンセントが指を鳴らすと、周囲の影が意志を持った蛇のようにうねり、使者の首元に迫った。


「帰って伝えろ。マリス王国の滅亡は、我が帝国にとっては何の損失でもない。むしろ、ゴミが一つ消えて清々する。……次に我が国の国境を越えるマリスの人間がいれば、それは宣戦布告と見なし、私が一人残らず塵にしてやると」


「ひっ、ひぃぃぃっ!」


使者は腰を抜かし、失禁しながら逃げ出していった。

 その背中を見送りながら、私はふう、と小さく溜息をつく。


「ヴィンセント様、少し脅しすぎですわ」

「……お前が、あの薄汚い国に戻ると言うのではないかと、気が気ではなかったのだ」


皇帝ともあろうお方が、子供のように私の肩に額を預けてくる。

 彼の低い声が、不安そうに震えているのを感じて、私の胸がキュッと締め付けられた。


「戻りませんわ。あそこには、私の愛するものなんて、もう何一つ残っていませんもの」


私は彼の頬を両手で包み込み、優しく口づけをした。

 彼の死の魔力が心地よく私の肌を刺激する。私にとって、この「死神」こそが、世界で最も愛おしく、守るべき「命」なのだ。


それから数年後。

 かつてのマリス王国は、歴史の地図からその名を消した。

 内乱と飢餓、そして蔓延する病によって国としての機能を失い、近隣諸国に分割吸収されたのだという。

 ザカリー王子とリリアの末路については、風の噂で「物乞いまで落ちぶれた」とも、「狂って森へ消えた」とも聞いたが、私の心に波風が立つことはなかった。


一方、ガイスト帝国は「黄金時代」を迎えていた。

 「死神皇帝」の隣に座る「暁の皇妃」エルナ。

 彼女が国中を巡幸するたびに、死の呪いに満ちていた土地は肥沃な大地へと生まれ変わり、帝国の象徴である黒い薔薇が、まばゆい光を放って咲き乱れるようになった。


今日も私は、皇宮の庭園でヴィンセント様とティータイムを楽しんでいる。


「エルナ、あまり無理をするな。昨日の浄化で少し魔力を使っただろう。今日は私が一日中、お前を離さないからな」


ヴィンセント様は、私の腰を抱き寄せ、椅子を一つに並べて座っている。

 最近の彼は、呪いが解けてきたせいか、冷酷さよりも独占欲の方が目立つようになってきた。


「もう、陛下。私は大丈夫ですわ。それより、あちらを見てください」


私が指差した先では、数年前までは考えられなかった光景が広がっていた。

 「呪われた血」と呼ばれ、迫害されていた帝国の子供たちが、陽光の下で元気に走り回っている。


「私の光は、誰かの悪意を溜めるためのものではなく、こうして誰かの笑顔を照らすためにあったのですね」


「……ああ。お前が私を選んでくれたおかげだ、エルナ」


ヴィンセント様は、私の指先に愛おしげに口づけを落とす。

 かつて泥を啜り、汚物のように扱われた聖女は、もうどこにもいない。

 私はここで、私を最も必要とし、最も愛してくれる人の隣で、永久とわに光り続ける。


降り注ぐ陽光の中で、私たちは未来を誓い合うように、深く、長く、唇を重ねた。

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