18 - 実地演習①
私は全力で森を駆け抜けていた。実地演習とはいえ簡単な演習のはずだった。演習が始まる前、進先生は言った。
──『さすがに死者は出ないが、毎年必ず怪我人が出る! それは覚悟しておけ!』
確かにそう言っていたのだ。けれど先程見つけたのは、紛れもなく同じ訓練生の遺体だった。偽物じゃなかった。本物だった。息もしていなければ、脈もなかった。死んでいた。
今回の演習はいつもの訓練所のすぐ隣の森ではなく、首都から二時間ほど離れた場所にある森で行われている。首都という恵まれた立地とは異なる、野生の動物もいる本物の森だ。とはいえ進先生を始め、審査員を兼ねた守護隊員が複数配置されている。緊急時に打ち上げる閃光弾も事前に渡されていた。だから、事故でもない限り死者が出るはずがないのだ。
「っ……!」
さすがに脇腹も喉も痛みが限界だ。冬の季節だが、幸い積雪はない。私は木陰に身を潜めて息を整えた。今になって震えが止まらない。彼の死相が脳裏にこびりついている。死因は腹に開いた大穴だった。事故でも獣でもなかった。魔法かそれとも武器によるものか。何にせよ訓練生の仕業ではない。この森に、何かいる。
簡単な演習のはずだった。いつもの野営訓練と同じで、腰につけたリボンを奪い合う。期限は今朝から明後日の夕刻まで。いつもと違うのは、チーム戦ではなく個人戦ということ。それだけのはずだった。
この異常事態にどれだけの人が気づいているんだろう。閃光弾は使えない。敵の得体が知れない以上、こちらの居場所が知られるような動きは避けるべきだ。……彼を放置してしまった。あの場に留まるのは危険だった。まだ敵が近くにいる可能性もあったし、罠の可能性もあった。私は誰かに許しを乞うようにキツく目を閉じて手を握り合わせた。
どのくらいそうしていたか分からない。だんだん落ち着いてきて、少し冷静になれた。とにかく誰かと合流したい。先生や守護隊員の人と合流できれば御の字だ。どう探そう。
息を潜めたまま辺りを見渡すも、人の気配は感じられない。そもそも事態に気づかず全力で身を隠している人もいるはずだ。そう易々と見つけられるかどうか。
「きゃぁぁああああああ!!!」
その時、遠くから静寂を切り裂いてつんざくような悲鳴が聞こえてきた。反射的に体が強張った。鳥の羽ばたき。木の葉の擦れる音。鳥の鳴き声。そして訪れた、不気味な静寂。然程遠くない。今の悲鳴を聞きつけて、他の訓練生も集まって来るかもしれない。私は慎重にそちらに向かって動き出した。
数百メートル進んだ所で私は再び木陰に身を隠した。人の気配がする。目を凝らすとカーキ色のローブにスッポリと身を包んだ人影が佇んでいた。背格好からして成人男性だ。守護隊員……には見えない。視認できる範囲にはなるが、装備品が月の国守護隊員の物ではない。まさか……。
ふと視線を下にずらして、思わず息を飲みそうになって必死に押し殺した。女の子だ。先程の悲鳴の主だろう。ピクリとも動かない。仰向けのその胸には太刀が刺さっていた。胸を、一突き。刹那。脳裏に総隊長の言葉が蘇った。
──『……自宅で死んでおった。心臓を、ナイフで一突きじゃ。』
呼吸が震える。ゆっくりと視線を上げるも、やはりその顔は見えない。けれど私は不思議と確信していた。こいつが、蛍様を殺した犯人……太陽の国の侵入者だ。
叫び出したい気持ちをグッと堪えて息を押し殺した。無策で突っ込んでいい相手ではない。想像した中でも最悪のパターンだ。一旦ここはやり過ごさなければ。殺気を消せ。気配を消せ。恐怖さえも漏らしてはいけない。気取られれば私も殺される。
男はこちらに気づくことなく太刀を引き抜くと、一振りして血を払った。女の子はやはりピクリとも動かなかった。
「チッ……。杏夜様も面倒なことを……。」
杏夜……? 聞いたことのない名前だ。太陽の国の要人だろうか。
「訓練生のガキを減らせだ、八雲を殺せだぁ? 簡単に言いやがって……。」
今度こそ息を飲みそうになった。まさか訓練生が標的になっているとは思わなかったが、さらに八雲がピンポイントで対象になっているとは。
男はぶつぶつ言いながら太刀を担ぐと草魔法で蔓を出し、それを利用して一蹴りで森の中へと姿を消した。
「っ……!」
無意識に呼吸を止めていたらしい。肺に一気に酸素が流れ込んできて咽せそうになった。汗が止まらない。……恐ろしかった。私は脱力して木に体を預けた。一周目で散々戦ってきたくせに、情けない。気を抜くと涙が滲んでしまう。……なんて、心細い。
「真白ちゃん!?」
不意に名前を呼ばれて顔を上げると同時に、豪さんが私の傍らに降り立った。どうやら先程の侵入者同様、草魔法の蔓を利用して森の中を移動していたらしい。
「叫び声が聞こえて来てみたんだけど……これは……。」
「豪、さっ……!」
安心して涙がボロボロと溢れ出した。豪さんは倒れた女の子を見てすぐに状況を察したらしい。私の前にしゃがみ込んだ。
「全部話すんだ。いいね。」
それから私は豪さんに男の子の遺体を発見したこと、女の子の悲鳴を聞いて駆けつけたこと、目撃した男のことを伝えた。豪さんは散らばる私の話をしっかりと聞いてくれた。話を聞き終えた豪さんはまず私の目をしっかりと見て頭を撫でた。
「よく頑張ったね、真白ちゃん。君の判断は何も間違ってない。」
「豪、さんっ……!」
私はひどく安心した。豪さんはすぐに女の子の遺体を確認しに行った。遺体の傷口を調べて表情を曇らせた。
「真白ちゃん。君の、蛍様の仇かもしれないっていう読みは恐らく当たってる。実は僕、蛍様の遺体の傷も見てるんだけど、同じ犯人でまず間違いないだろうね。」
「!」
「だけど、最初に見つけた男の子をやったのはまた別の奴だ。手口が違いすぎる。」
「え……。」
「少なくとも、敵は二人以上だ。」
「そんな……!」
こんな状況下で手練れの敵が二人なんて……敵いっこない。心が折れてしまいそうだ。
「とりあえず他の皆と合流しよう。森の外れに守護隊員用のベースがあるから、そこに向かうよ。」
「はい。あの、……い……体は……。」
「……事態が落ち着いたら回収しよう。今は、連れて行けない。」
そう言って豪さんは歩き出した。私は慌ててその後を追いかけた。
*
ベースに到着した頃、すっかり陽は傾いていた。ただでさえ冬で日の入りが早い。それに加えて、敵に見つからないよう慎重に移動したせいで時間がかかったのだ。
「真白……!!」
焚き火に近づくと、先にベースに着いていたらしい百音が飛びついてきた。
「百音……。よかったわ……無事で……。」
「真白こそ……!」
私たちは泣きながら互いに強く抱き締め合った。もう二度と生きて会えないんじゃないか。そんな最悪の想定までした。また会えた。
「ベースの周りは守護隊員が守りを固めているけど、気を抜かないようにね。あと、君らは内側にいること! いいね!」
豪さんは私と百音にそう言うとどこかへ走って行った。百音は涙を拭いながら私を奥に促した。焚き火の側に腰を落ち着けると、近くにいた守護隊員の人がブランケットと温かい飲み物をくれた。
「皆は?」
「まだ……。っそれより、何がどうなってるの!? 」
「……何も知らされてないの?」
「知らない! たまたま八雲さんと会って、緊急事態だから演習は中止だって言われて……!」
「八雲さんも来てるの!?」
まずい。八雲も標的の一人だというのに、これでは飛んで火に入る夏の虫だ。
「真白、何か知ってるの!?」
百音が何も知らないのは、恐らく単に情報がなかったせいだ。かといって、開示しすぎてパニックになってもいけない。
「……太陽の国の侵入者が紛れ込んでるわ。」
「!」
百音は顔を青褪めさせた。
「なんで……!!」
「分からない。だけどここで取り乱したら相手の思う壺よ。」
百音はグッと唇を噛み締めて頷いた。自分も先程まで取り乱していたというのに、人にどうこう言えた立場ではない……。
私は再度ベース内をぐるりと見回した。思った通り、情報が足りていなくて錯綜している。先程の情報が共有されたとして、それで足りるわけがない。八雲は無事だろうか。皆は。今度こそ守ると誓ったのに。私はなんて無力なんだろう。悔しくて悔しくて、歯痒くて堪らない。
不意にベースの入口が ざわついた。何事かと目を凝らすと、守護隊員に肩を担がれた聖がちょうどベースに入って来たところだった。顔を見てホッとしたのも束の間、血だらけであることに気がついて息を飲んだ。
「聖っ……!」
「血が出てる……! 大丈夫なの!?」
聖は私たちに気がつくと安心したように頬を緩めた。天幕に運び込まれる聖の後を追いかけ、私たちも一緒に天幕に入った。
「切り傷の方は訓練生とやり合ったときだ。脚は逃げる時にやっちまった。」
聖は処置を受けながら説明してくれた。
「他の奴らと協力しようとしてたのが、途中で裏切られたから返り討ちにしてやった。それよりあのローブを着た奴は誰だよ!?」
「遭ったの!?」
「あぁ。俺は運が良かったんだ……。……俺が返り討ちにした奴らの方に、彼奴は行ったんだ。俺はその隙をついて逃げ出せたけど……。」
聖は顔を歪めて悪態をついた。百音はまた泣き出してしまった。
「よかった、聖が無事で……!」
「よくねぇ! 見殺しにしたんだぞ……!」
「っ……。」
私はそっと天幕から出た。先程よりも人が増えている。どうやら訓練生が続々と保護されているようだ。だが、青と飛鳥の姿が見えない。まだ保護されていないということか。不意にベースの入口が再びざわついた。また誰か保護されたんだろうか。もしかしたら飛鳥たちかもしれない。私は百音と聖に声をかけて入口の方へと向かった。入口からすぐの所に仁王立ちする人物がいた。不敵な笑みを浮かべている。
「総隊長……!」
驚いて声を上げると、総隊長はすぐにこちらに気がついた。
「おぉ、真白! 無事じゃったか!」
その笑顔はいつもの好好爺のような笑顔とは異なり、利発的な不敵な笑みだった。今日の総隊長は歴戦の将そのものだ。
「訓練生は未来の宝じゃ。それを人質のように扱われては、黙って見ておれんからのぅ。」
「総隊長……。」
「それに、聞いたぞ。おるそうじゃな。」
蛍様の仇のことだ。私は深く頷いた。総隊長はニヤリと笑った。まるで獲物を見つけた獅子のようだ。
「とっちめてやらんとのぅ。」
「はい。」
次の瞬間、森の方から火の玉が大量に飛んで来た。総隊長は小馬鹿にしたように鼻で笑って言った。
「ふん、つまらん。」
そのまま空中に手をかざしたかと思うと、巨大な炎の盾を作り出して、飛んできた火の玉をいとも簡単に飲み込んでしまった。詠唱破棄で、この規模を一瞬で。総隊長は炎の盾ごと火の玉を消した。
私たちは生まれた時から体内に魔力を持っていて、その量は生まれたときから決まっている。魔力に精神エネルギーと身体エネルギーを組み合わせることで魔法を発現することができるという理論だ。このとき魔力、精神エネルギー、身体エネルギーのどれが枯渇しても魔法は発現しなくなる。
しかし実は身体エネルギーは魔力で補うことができる。つまり、魔力が多いということは戦いにおいて非常に有利なのだ。魔力量が多ければ多いほど規模の大きな魔法を扱える。そして総隊長はその代表格だ。
「ファイヤ ランプ。」
総隊長が再び手をかざし呪文を唱えると、森の真上に球状の火の塊が出現した。オレンジ色の火の塊だ。私はその眩しさに目を細めた。この距離でも熱さを感じる。総隊長はそのまま立て続けに呪文を唱えた。
「アクア ウォール。」
火の塊はあっという間に水に包み込まれた。眩しさと熱さが軽減された。完成されたそれに圧倒されてしまう。まるで太陽だ。森中が総隊長が作り出した太陽に照らされている。
「これで見通しが多少良くなったかのぅ。」
すごい。疲れる素振りすら見られない。これが総隊長の力。総隊長はそのまま詠唱を続けた。
「ウィンド ボイス。」
総隊長は一歩前に進み出て声高らかに言った。
「月の国守護隊員に告ぐ! 太陽の国の者が少なくとも二人侵入しておる! 訓練生を保護し、侵入者を引っ捕えよ! 決して逃すな!」
声は風に乗って森中に響き渡った。驚いた鳥たちが一斉に飛び立ち、そして森はまた一気に静まり返った。総隊長は満足気に笑うと踵を返した。
「目にものを見せてやれ。月の国守護隊の名にかけてのぅ。」
そう呟いた声は恐らく私の耳にしか届かなかった。




