7 - 蛍の金言
蛍様と再会したのは、蛍様と出会ってから約一月後のことだった。何の前触れもなく、彼女は訓練所宿舎にふらりと現れた。「ほれ、行くぞ」と有無を言わさず先日の丘に連れて来られた。
先日同様にベンチに腰掛けて空を見上げると、先日とは打って変わって青空が広がっていた。すっかり夏の空だ。こうして座っているだけでも暑い。
「暑いのぅ……。」
蛍様は溜め息を一つ吐いて言った。本当に暑い。そんなことより、驚いたのは蛍様を見た百音と飛鳥が興奮していたことだ。聞けば彼女は守護隊の参謀なのだという。とんでもない重役だ。一周目のときにはいなかったような気がするが、私が忘れているだけなんだろうか……。
「お前さん、暑いのは得意か?」
「あまり……。」
「そうかい。でも根性はありそうだね。」
「そう、ですね……。」
一周目で散々鍛えられた。身体はともかく、気持ち的には暑くても寒くてもある程度は耐えられる。とはいえ、夏本番じゃないのにこの暑さなのかとうんざりはする。
「本題じゃが……、太陽の国は憎いか。」
「!」
蛍様を振り返ると、蛍様は穏やかな表情のままただ眼下に広がる首都の街並みを見つめていた。私は手元に視線を落として口を開いた。
「きっと本当なら憎いんだと思います。だけど幸か不幸か、私には八雲さんに助けられる前の記憶がないから……憎いとは、また違う……。……なんというか、複雑……です。」
「ふむ。」
「それで、先日蛍様が仰っていたことを考えてみたんです。」
「ほぅ?」
──『復讐は何も生みやしない。諸悪の根源を絶ったところで、あまりに深く傷つけあった心はもう治らん。そうならんよう、強く美しい心でおれ。復讐心じゃ人の心は動かせん。強く美しい心を持つこと。努努忘れてはならんぞ。』
その言葉は一周目を足したって彼女の半分も生きていない小娘の私には、難しくて到底理解できそうにはなかった。
「綺麗事だと私は言いました。だって、強く美しい心じゃ戦いは終わりません。」
「うむ。」
「だけど……私、この戦いを終わらせるなんてこと、そもそも考えたこともなかったんです。戦いの中にあるのが当たり前で、目の前のことしか見てこなかった。だからこの戦いの先なんて、考えたことがなかったんです。」
殺されないように生きてきた。ただ生き残ることだけを考えていた。そして今は八雲を殺されまいと、皆を守りたいと、そればかりだった。
この戦いがなければ私はどんなふうに生きていたんだろう。この戦いを生き抜いたら、その後私はどんなふうに生きていくんだろう。私は、何を望むんだろう。
顔を上げると空の青が眩しくて目を細めた。あぁ、眩しすぎる。本当にうんざりする。
「考えただけで眩しくて堪らなくて、今の私じゃその眩しさに目を細めるだけで精一杯です。」
蛍様はいつものように「ほっほっほっ」と高笑いした。その表情は至極優しいものだった。
「いい。それでいいんじゃよ。すまんなぁ、真白。親や故郷を奪われたお前には酷な話じゃ。まだ傷も癒えとらんじゃろうに。しかし、そうやって新たな可能性に目を向ける。それがどんなに大切か。」
蛍様は不意に私の手を握った。
「ありがとう、真白。」
「蛍様……。」
なぜだか涙が出そうになった。自分でもよく分からなかった。けれどこのただの老婆がとても尊いものに思えた。これが国の上に立つ人間か。
──月の国に生まれてよかった。
漠然とそう思った。この人に出逢えてよかった。また守りたいものが増えてしまった。だけど、なんて幸せなことなんだろう。
「さて。では次じゃ。」
「次?」
「もっと本質的な話じゃ。」
立ち上がった蛍様は数歩ベンチから離れ、月桂樹を見上げた。
「月の国と太陽の国の起源にまで遡るこの戦い。その始まりを知っとるか?」
「始まり……。」
言われて初めて気がついた。頭から一気に冷水を浴びた気分だ。胃の辺りがずっしりと重くなった。
「考えたことも……ありませんでした……。」
蛍様はニヤリと笑った。だって、戦いの中にあるのが当たり前だったんだもの。戦いのない世界すら考えたことがなかったんだもの。それ程までに何も疑問を抱いたことがなかった。なんて恐ろしい。
「もはや国民は目の前のことにしか目を向けず、考えることを止めたのじゃ。そう仕向けたのは歴代の長たちじゃ。国同士の戦いにおいて、個人の意思は邪魔じゃからな。」
「っ……。」
「今となっては戦いの起源を知る術はない。なぜこの戦いが始まったのか、具体的なことは何も分からん。」
本来なら分からないわけがない。蛍様の言う通りなら、全て意図的に破棄されたんだ。私たちをただ戦わせるために。
「これは儂の方でずっと調べとるが、手がかりがとんとない。もし何か分かれば教えてくれるか。」
「分かりました。」
「さて、と。今日はこのくらいにするかの。わしゃ疲れたわい。またの、真白。」
「あ、はい……! ありがとうございました……!」
蛍様はひらひらと手を振ると丘を守護隊庁舎に向かって歩き出した。そういえば前回もそうだった。まさか守護隊の重役とは思いもしなかった。
「……ふぅ。」
背もたれに寄りかかって盛大に溜め息を吐いた。疲れた。すごく頭を使った。けれど考えることを止めてはいけない。目の前のことにきちんと向き合って生きていかなければ。私は立ち上がって伸びをした後、気持ちを新たに訓練所宿舎へと戻った。




