悪役王女なのは私ですが、双子の姉を私として追放することにしました。
お姉さまったら、必死に叫んじゃって、面白いわ。
あんなにお姉さまが必死だったことって、あったかしら。少し思い返してみたけれど、一度しか見たことがないわ。
衛兵に引きずられながら、わたしと全く同じ顔の姉が、叫んでいる。
必死すぎて、髪を振り回しているあたりがまた面白くて、思わずわたしは口に手を添えて、少し俯いた。なにせ、あんまりにも上手く行きすぎたものだから、思わず笑いが堪えられなくて、涙粒までもが浮かんでしまった。
少しわざとらしいかもしれないけれど、"断罪されて国外追放される妹に涙を流す姉"としては、上出来の演技でしょうから、いいものとしようかしら。
「……違うの、私がアナスタシアなの!あの子が、あの子がマリアベルなの!」
そう必死にお姉さま――――アナスタシア・ド・リリアンが、ルビーレッドの瞳を潤ませながら叫んでいる。その瞳に真摯な色は宿っているけれど、その瞳の色こそが、嘘を物語る。
如何にその瞳が人の心を揺れ動かすものだろうとも、信じてもらえるはずがない。
わたしとお姉さまは、双子で、顔立ち自体は全く同じだ。
唯一違うのは、お姉さまが亡きお母様譲りのエメラルド色の瞳をしていて、わたしが真っ赤な瞳をしているということだけだ。実際、国王であるお父さまですら、わたしとお姉さまを瞳の色で見分けていた。
「大人しくしてください、マリアベル様!この後に及んで、まだそのような言い訳をなさるのですか!」
「違うの、本当に、私は――――」
ああ、本当に笑いが止まらない。
ここまで上手く行くなんてこと、あるかしら。
ねえ、お姉さま。
わたし、この日のために、頑張って、瞳の色を変える魔法を生み出したのよ。
全部、全部、あなたから"アナスタシア"を奪うため。マリアベルがアナスタシアになるために。
✴︎
よく、姉という存在は目の上のたんこぶだと言うけれど、わたしにとっても例外なくそうだった。
わたしが16年前に産声をあげたリリアン王国は、東西を大国に挟まれた小国だ。
魔法が発達した西のウェリントン王国、魔法こそ大した発展はしていないものの、代わりに軍事産業で独自の発達を遂げた東のアルフレド帝国に挟まれながらも、唯一、うつくしい宝石――――魔法にも、軍事転用にも使えるそれが採掘できることで、独立の地位をこれまで守ってきたという、小さい国だ。
わたしという人生のみじめさは、生まれたその時に始まった。亡き母は父王の寵愛を受けた人で、父王は、側室を一人も迎えなかった。
つまり、お父さまは、お母さまをとても深く愛していたということだ。けれど、お母さまは体があまり丈夫ではなかった。
そんな中で身籠ったことで、お母さまにかかる負担を、お父さまはとても心配していたらしい。
「大丈夫なのか」
そう口にするお父さまに、お母さまはいつも決まって、
「大丈夫です。わたくしたちの子は、きっと優しい子ですから」
と、そう返していたらしい。
正直、まあわたしとしては、優しい子だから何?出産の苦痛も、母体にかかる負荷も、優しくても優しくなくても、変わらないのではなくて?と思ってしまうのだけれど、そんなやりとりが交わされていたらしいわ。
確かに、一人ならなんとかなったかもしれない。
でも、実際にはそこで、そんな優しさを信じていた王妃が、"双子の王女"を身籠っていたことで、母体に甚大な負荷がかかって、わたしとお姉さまを世界に産み落とした代償として、死んでしまった。
王妃が命と引き換えに産み落とした、双子の王女。それが、お姉さまとわたしだ。
姉は、亡き母と生き写しのエメラルドの瞳。
わたしは、父と同じルビーレッドの瞳。
当然、このバックストーリーの中では、姉が主役になるに決まっている。
赤子の頃から、全く顔が同じだったわたしたちの差は、赤子の目が開くようになった頃、すぐに訪れた。
︎✴︎
人生というのはやはり平等ではなくて、神に愛されているのは姉の方だった。
魔力も、容姿も同じだったけれど、わたしよりもお姉さまの方がやはり恵まれていた。
お父さまは愛する王妃の命を奪った娘たちに、あまりいい感情を抱いている、とは言い難かった。
でも、お姉さまのことは可愛かったみたい。
お姉さまは穏やかで、心優しくて、目の色も同じ。わたしはと言うと、気が強くて、目の色はお父さまと同じ赤。お父さまは、「愛しい娘」をお姉さまに見て、「愛しい妻を殺した仇」をわたしに見ることにしたようだった。
一国の王がその態度なら、召使たちもそれに倣うのが自然だ。お姉さまとわたしの格付けは、生まれた時にはもう済んでいた。
機会は、数えきれないほどに沢山あったけれど、それを特に痛感したのは、8歳の時だった。
リリアン王国は、その土地柄から、西のウェリントン王国と東のアルフレド帝国の橋渡し役のような役を担っている。つまり、二国が集まる時は、決まってリリアン王国が舞台になる。
その日は、ウェリントンとアルフレド、リリアンの王が一斉に集まる日だった。
最近は情勢もあまり良くなかったから、王族が全員、ともなると中々無くて、わたしもお姉さまが8歳になるまで、二つの隣国の王族を見たことがなかった。当然、厳重な警備の中で、王たちの会合が行われた。
「……あの、…髪の毛、葉っぱがついてるよ」
「あら」
ぼーっと、父たちの会合が終わるのを庭で待っていると、声をかけられた。年は、わたしと同じか、少し上。黒髪で、よく見れば整った顔をしているけれど、まあ、よく見れば、という程度の少年だ。
わたしは少し考えて、
「ありがとう。カイル王子」
と、そう答えた。父に連れられて挨拶をした、西のウェリントン王国の王子だ。その時は、わたしは東のアルフレド帝国の皇子の方ばかり見ていたので、あまり記憶に残っていなかった。
あまりジロジロ眺めるのも不敬だが、わたしは人をこっそり盗み見るのが上手い方だ。
カイル・ウェリントンは、王子というよりも、どちらかというと、王子付きの騎士の方が似合うだろうな、という印象の少年だった。
豪華な服があまり好きではないのだろう、王子にしては華美な装飾がされていない、地味な服を着ていた。王族が集まる場で、それは一体いかがなものなのだろうか。
自国の権威を示せないのではないかとも思うが、まあ、どうでもいい、と片付けた。
「……ええと、どこ?ここですの?」
葉が付いているというのだから、断り一つ入れて、取ればいいのに。
そう思ったが、カイル王子は少しばかり躊躇うような様子を見せた。それから少しして、「すみません、マリアベル王女、失礼」と言って、わたしの髪に絡まっていた葉を取った。わたしと目が合うと、遠慮っぽくへにゃり、と笑った。
よく見ると、少しだけ睫毛が長いなと思った。思ったが、それだけ。
礼をひとつだけ言う。
カイル王子は、話下手なのかロクな話題のひとつも提供できないようだったので、いくつか適当に話題を出してやった。それから、最も気になる存在がどこにいるのだろうと、わたしは疑問を持ったので、適当に花を摘みに行くと言って席を立った。
そこからのことは、はっきりと覚えている。
「――――俺は、レオンハルト・アルフレド。…どうか、レオと呼んでほしい…!」
凛とした声が聞こえてきた。
声の方へ足を向ければ、そこは庭の中でも奥まった、秘密の花園とも言えるような裏庭だった。お姉さまがよく、手に泥を付けながら世話をしている所だ。
わたしにもあの花が咲いただとか、この野菜が採れただとか一々報告してくるのを、片眉をあげて聞いていた、あの庭。
――――眩い金髪の美しい皇子が、姉の前に跪き、その手を取っていた。
姉は、エメラルドの瞳を瞬かせながら、少し頬を染めて、戸惑ったような表情を浮かべている。
わたしにドレスを譲ったせいで、比較的王女が着るには簡素なドレスを着ていたくせに、若草色のドレスを着て、亜麻色の髪を揺らす姿は、春の妖精のようだった。
美しい王女と、未来の皇帝。
「あ、あの………」
お姉さまが、戸惑ったような声をあげる。
「……好きだ、アナスタシア。お前が、16になったら、迎えに来る。だから、待っていてくれ」
金髪の皇子は、まるで獲物を見つけたような瞳で。それでいて、熱を帯びた瞳で、姉を見つめている。姉は、その温度に少しだけ戸惑っているように見えた。頭の奥がかっと、赤く染まるような感覚を覚えた。
なぜ。
どうしてそこにいるのが、貴方なの。
✴︎
アルフレド帝国の皇位継承者、レオンハルト・アルフレド皇子の求婚という、本来なら一大事になりそうなスクープは、お姉さまの胸の中だけに留められた。
当然だ、国政を揺るがす一大事であるし……そもそも、一応、姉はリリアン王国の王位継承者なのだ。つまり、女王になる立場にある。
レオンハルトと結ばれるべきは、妹であり、継承権を持たないわたしの方が妥当なのだ。レオンハルト皇子は、それを知りながらもそうせずに、姉に求婚した。結構な国際問題だ。だから姉は、それを胸に秘めることにした。
馬鹿な選択だと思うが、まあ、小心者のお姉さまらしいと言えばらしい。
さて、わたしはと言えば。
「ねえ、お父さま。レオンハルト皇子って、その、意中の方はいらっしゃるのかしら!」
当然、それを知らない顔をして、父王に擦り寄った。
レオンハルト皇子は、カイル王子と違って、見目麗しく、堂々とした自信に溢れていて、わたしに相応しいと確信したのだ。リリアン王国が、東と西の国に定期的に二番目の子供を嫁や婿に出すのはよくあった話だったので、さしたる抵抗を父は見せなかった。
父の世代では、父の妹が西のウェリントン王国に嫁いだ。カイル王子は、つまり、父の妹の子供、いとこにあたる訳である。
血縁上の問題は全くないけれど、そう何度も西側に寄るのもな、という頭があるのだろう、父は、わたしの提案をあっさりと受け入れた。
『今回の第二王女マリアベル・ド・リリアン殿との縁談を申し入れいただいた件、嬉しく思う』
と――――アルフレド皇帝、つまり、レオンハルト皇子の父がそう返してきたところまでは、よかった。その後に、
『だが、息子が首を縦に振らない状態が続いている。皇帝の自覚を説く故、しばしお待ちいただきたい』
――――と、そう続くまでは。
つまり、レオンハルト皇子は、わたしをお呼びではない訳だった。結局、麗しく心優しいお姉様、アナスタシア・ド・リリアンを、あの、わたしと良く似たガーネットの瞳の、獅子のような皇子様は求めた訳だった。
✴︎
レオンハルト皇子の求婚を8歳で目撃して、その後12歳ほどまで熱心に手紙を送り続けたが、返事らしい返事はろくに無かった。
お姉さまの筆跡を一度真似して送ってみたら、砂糖を煮詰めたような甘い返事が返ってくるのだから、なんともあの美しい皇子様は現金な男だと思う。
まあ、現金だろうが、なんだっていいのだ、顔が美しくて、大国の皇子様なのだから。
義務的に、カイル王子との手紙のやり取りも続いた。一度ふざけてお姉さまの筆跡でこちらにも手紙を出したが、最後の最後に「新しい遊びですか?マリアベル王女」と書かれていた日には、あまりの悔しさで机に拳を勢いよく打ち付けたほどだ。
冴えない男のくせに!
このわたしを揶揄うだなんて、いい妥協だわ。
……まあ、そんなこともあったが、わたしはすっかり、レオンハルト・アルフレドをどう落とすかということに夢中になっていた。
けれど、あの皇子様は一度しか会ったことがないというのに、お姉さまにばかり夢中なようだった。
そうなると、わたしはこの有り余る苛立ちをお姉さまにぶつけるしかなかった。
お姉さまの立場を悪くすれば、必然的にアルフレド帝国も妹のわたしの方を迎え入れるしかないという浅知恵でもあった。
幸い、お姉さまとわたしは、瞳以外はそっくり同じなのだ。服の趣味がだいぶ違うのはあったけれど(わたしは華美な服が好きだけど、お姉さまは清廉な服が好きだった)、それだけだ。
瞳の色を変える魔法はずっと研究していたけれど、まだ実用化はできなかった。
ただ、わたしは敢えてお姉さまと自分の見分けが付くように、お姉さまが腰までの綺麗なロングヘアをしているのと対象になるように、肩口で髪をばっさり切っていた。
初めて髪を切ったとき、お姉さまはぶつぶつ何か言っていたけれど、内巻きに毎日整えてやると、結構かわいくて、気に入っている。
それに、何がいいかと言うと、ウィッグを被ればそれだけで、完璧にお姉さまのシルエットになれるのだ。悪巧みには、ちょうどよかった。
まず、適当に下位貴族をいびってやることにした。かわいらしい男爵令嬢だとか、そのあたりがいじめてやるにはちょうどいい。
お姉さまとわたしは、よくお茶会を開催している。お姉さまのドレスを奪って、長いウィッグを被って。瞳が映らないようにして、ちょうど飲み物を持っているところに、肩を軽くぶつける。
ドレスを汚されるというのは、令嬢には中々の屈辱だ。でもそれが、王女様相手なら逆らえるはずがない。すぐに姿を消して、ウィッグを脱ぎ捨てて、ドレスを着替える。そしてすぐに、
「どうなさったの!?」
と、慌てて声をかける。
王女にぶつかられました、とは中々言い難いが、同じ王女になら言いやすいだろう。
「その、先ほど、アナスタシア殿下がぶつかられて、そのまま…」
「……まあ、お姉さまが!?そんな…」
最初は、あのお姉さまがそんなことをするなんて信じられないわ、という立場を取った。
その後も、わたしは犯行を重ねていった。わたしとお姉さまは学校に通っていたから、学校でお姉さまになりすましながら、窃盗が起こったときには長い髪の毛を残して。
わたしもお姉さまは声までそっくりだったから、わざと大きい声で人の悪口を、さもお姉さまの口調で残して見せたり。双子というのは、本当に便利ね。重なれば重なるだけ、お姉さまが持っていた清廉なイメージは崩れていく。
まあ、人間って清廉さだけを見たいかと言われるとそうではなくて、その裏に潜む悪辣さを探しているものね。じわじわと、お姉さまの悪評は広まっていった。
✴︎
「ねえ、お姉さま」
「なあに?マリアベル」
16歳の誕生日を迎えて少ししたある日。わたしは、お姉さまと学園を並んで歩いていた。
お姉さまに寄りつく貴族はいなくなって、わたしぐらいしか、お姉さまの横にはいなくなった。お姉さまからしたら、わたしは犯人として疑いようも無かったと思うのだけれど、お姉さまはなぜかなにも言わずに、いつも通りニコニコと笑っていた。
「お姉さま、わたしたち、もう16歳ね。…縁談の話もそろそろ纏まるのではないかしら」
「……そうね」
お姉さまは、少しばかり言葉を濁した。この話はあまりしたくないのだろう。そう悟ったが、流してやる気はなかった。だってお姉さまの発言は、この後の、わたしの計画全てに関わるのだから。
「わたし知ってるのよ、アナスタシアお姉さま。お姉さま、昔、アルフレド帝国のレオンハルト様に、求婚を受けたでしょう」
「――――――、どうして、それを」
本当にお姉さまは分かりやすい。とぼければいいものを、エメラルドの瞳を瞬かせた。神秘の森、妖精の森の、一番綺麗な深い緑のような瞳に、意地悪く笑う、全く同じ顔の女が写っている。双子の姉妹だというのに、わたしたち、浮かべる表情は似ても似つかないわね、お姉さま。
「見てしまいましたの。でも、わたしたちが16歳になるまで……レオンハルト様が、お姉さまにこの間もう一度求婚されるまで、みんなは知らなかったでしょう。ちゃんと黙っていたのよ、わたし」
「……そう、そうだったのね、マリアベル…」
わたしの、これまでの小賢しい悪知恵は、結局はレオンハルト・アルフレドという皇子には、特段大きな支障にならなかったらしい。
結局、彼はお姉さまを変わらず愛し、わたしたちの16歳の誕生日に、お姉さまに求婚をした。
「それで、どうなさるの?……まさか、本当にわたしを女王にするつもりなの?」
「……ごめんね、マリアベル。私も、ずっと考えてはいるのだけど…」
「考える。考えるですって?あり得ないわ。レオンハルト様には、常識というものがないの?」
声を釣り上げる。
段々と、ピアノを抑揚をつけて弾くように。
そういえば、お姉さまはピアノが上手だったわ。本当に繊細に、少しずつ、音にグラデーションをつけるのがお上手だったわね。わたしは、最初から大きな音で弾いてしまって、家庭教師に怒られたっけ。でも、わたしはお姉さまと違って、ダンスは上手かった。一度だって誰かの足を踏んで踊ったことはないのよ。
「お姉さまは、女王になる事が決まっていたのよ。次期女王に求婚されるのなんて、"王位を捨てて自分の元へ来い"と、そう言っているようなものじゃない!わたしは、わたしがその役目を引き受けるものだと思っておりましたわ!」
「マリアベル、でも…!」
「お姉さまも、お姉さまだわ!いくら我が国が小国だからって、あっさりとレオンハルト様のご提案に頷かれるだなんて」
お姉さまの顔が、徐々に凍りついていく。そうよね、お姉さま。お姉さまって、面と向かってわたしに悪口を言われたことって無かったものね。
足を一歩、下げる。ああ、この位置。
この位置なら、ちょうどいいわね。
「お姉さまって、いつもそうだわ!お姉さまは、本当にこの国を憂いていらっしゃるの?流されるままで、自分の意志というものをお持ちでないのね」
足を、もう半歩下げた。
もうそこに地面はない、あるのは体がふわりと浮き上がる。お姉さまが、目を見開いて手を伸ばす。
"ちょうど階段から、口論の末に妹を突き落としたように"見えるだろう。ちゃんとそう見えるように、徐々に声を張り上げていったのだ、騒ぎを聞きつけて人が来るように。
足音が、聞こえてくる。人が集まり始めたのだ。
衝撃に備える。まあ、この踏み外し方で死ぬまではないだろう。何度も何度もこっそりシュミレートしたのだし。
「マリアベル…っ、マリアベル!!!」
お姉さまが、叫んでいる。
お姉さまったら、必死に叫んじゃって、面白いわ。あんなにお姉さまが必死だったことって、あったかしら。
少し思い返してみたけれど、こんなに必死な顔のお姉さまは、わたし、初めて見たかもしれないわ。
✴︎
アナスタシア第一王女が口論の末に、とうとう妹、マリアベル第二王女を突き落とした。
一時期は、そのゴシップで国中が夢中になった。わたしの思い通り、縁談は白紙になりそうな雰囲気すらも出たのだ。…まあ、それ以前に、妹を突き飛ばすような人間を女王にするのもどうなのだ、そもそも王位を剥奪すべきなのでは、という話も出た。
これでいい。わたしは内心ほくそ笑んだ。
レオンハルトは渡さない。
王国もあなたには渡さないわ、お姉さま。
あの見目麗しい皇子様は、わたしにこそふさわしいし、リリアン王国にお姉さまの居場所はない。
万事上手くいきそうだったのに。
やっぱりお姉さまは、変な所で諦めが悪かった。お姉さまはとうとう、自分の潔白を証明するために動き始めたのだ。そしてわたしの浅知恵は断罪され、わたし、第二王女マリアベル・ド・リリアンは、あれよあれよという間に、実姉を嵌めた恐ろしい悪女として知れ渡ったのである。
✴︎
でも、やはり王国の人間は皆、頭が回らない、鈍い奴らばかりだと思う。見る目がないとはこのことだ。
最後に姉に会いたい、会って謝りたいと泣いたわたしに、お姉さまは慈悲深く会ってくださることになった。お姉さまの取り計らいで、わたしとお姉さまが、二人きりで、わたしが軟禁されている部屋に残された。
「……マリアベル。マリアベルの国外追放が、決まったそうよ」
お姉さまの方は見ない。ドレッサーの前に座りながら、鏡越しにその瞳を見た。エメラルドの瞳は、ずっと戸惑ったように揺れている。
「そう」
淡々と答えた。謝る気があるなんて全くの嘘だったので、取り繕う気もない。必要なのは、監視の目がない状況で、姉が、わたしに会うという、そのシチュエーションだけだったのだから。
「……マリアベル、どうして?ずっと考えていたの。でも、わからない。…そんなに、レオンハルト様が好きだったの?私に…罪を着せたいぐらいに?」
「そうよ、お姉さま。わたし、ずっとずっと、レオンハルト様が欲しかった。でも、もういいわ。お姉さま、あなたを陥れられるのなら、それでいい」
「……そんなに、私は……あなたに、憎まれていたの?マリアベル…」
答えてはやらなかった。
そのまま立ち上がって、お姉さまの方に歩いた。お可哀想に、あまり眠れていないのね。目の下に隈ができていた。まるで王子様がそうするように、お姉さまの、わたしと全く同じ顔に手で触れる。
「ねえ、お姉さま」
にっこり笑ってやった。少しばかり怯えたような姉の顔が、きっとわたしの赤い瞳には写っているのだろう。
「これで終わりだと、思わないでね」
姉が簡素なドレスを着てくれていて助かった。このタイプのドレスだろうと踏んでいたので、わたしも同じものを着ていたのだ。
髪の長さと、瞳の色と。それ以外にわたしたちは違わなかったけれど、幽閉生活でわたしの髪は結構伸びてしまったから、今のわたしたちを区別するのは、本当に"瞳の色"という、ただそれだけだった。
愛おしむように頬を撫でてやって、一言、詠唱を口の中で転がした。ずっと、ずぅっと研究していた魔法が、なんとか間に合って、本当に安堵した。
お姉さまは、なにが起きたのかわからなかったのだろう。わたしは、満足げにお姉さまの顔を眺めた後に、手を降ろした。部屋の扉が開いて、衛兵が「アナスタシア」を迎えに来た。
「…お時間です、アナスタシア殿下」
お姉さまが声を発する前に、わたしは、声を上げた。お姉さまと、全く変わらない声を。昔から、一緒に喋られるとどちらがどちらか分からないと言われた声を。
「ええ、今行くわ」
お姉さまが、か細く声を漏らす。わたしは嫌味ったらしく、お姉さまの方を向いて。
"入れ替わったその赤い瞳"に、エメラルドの瞳を細めて、笑ってやった。
✴︎
わたしの立てた計画は、二段構成で出来ている。
瑣末な嫌がらせと、わたしへの殺害未遂。それはただの第一段階に過ぎない。本質は、わたしの仕業だと暴かれた後だ。国の人間は愚かだけれど、お姉さまはそこまで愚かではないから、きっと、無実を証明できるだろうと思っていたの。
だから、わたしの罪が白日の元に晒されて。
その後で、わたしは、この16年の生涯をかけてようやく編み出した、「瞳の色を変える魔法」で、わたしとお姉さまを入れ替える。わたしはお姉さまに、お姉さまはわたしになる。
お姉さまは、真実を証明したのなら、わたしの罪で、国外に追放される。どう足掻いても、お姉さまは追放から逃れられない。本当なら、レオンハルト様がお姉さまの醜聞が立った所で、婚約を破棄してくれればよかったのだけど、そうはいかなかった。だから、お姉さまにはわたしになってもらうことにしたの。
マリアベルとしてお姉さまが連れて行かれた後の大広間で、わたしは、小さく息をひとつ吐いた。お父さまが、わたしの肩をそっと抱いた。
「……アナスタシア。気持ちは痛いほどわかる。儂も、実の娘が、あのようなことをするとは思わなかった。マリアベルとの別れは、胸に突き刺さるようだ」
「お父さま…………」
よく言いますわね、お父さま。
あなた、わたしに関心など無かったじゃないの。
そうは思ったが、そこは上手く隠して、儚げな姉の表情を浮かべた。目を擦って涙を拭いて、父に向き直る。
「お父さま、レオンハルト様には正式にお断りを入れてください。私は、この国に唯一残る王族になってしまいました。レオンハルト様が私を望んでくださっているのは、光栄なことですが……。私は、女王として、この国を守りたいのです。……いつか、マリアベルが帰って来れるように……」
「……アナスタシア……」
エメラルドの瞳から涙を溢しながら気丈に笑うわたしは、さぞ美しかったことだろう。王も、騎士も、貴族たちも、皆、わたしの演技に騙された。
ああ、本当に全てが、上手く行った。
✴︎
肉が焼け焦げる匂いが鼻に付く。
焦土の匂いなど人生で嗅いだことはないけれど、こういう匂いをしているのかもしれないわねと、少しだけそう思った。
寝室で、布団に入ったまま、わたしは少しだけ開けた窓から香るその香りを知覚した。漸く、始まったようだ。もぞりと起き上がって、裸足のまま、重厚なドアをゆっくりと開けた。ドアの隙間から覗く光景は、まだ平穏なように見えた。
だが、あちこちから剣戟の音と、詠唱の声。それに、"帝国で最近導入されたらしい銃声"が聞こえてきた。
「アナスタシア殿下……っ!」
騎士の一人が、脇腹を抑えながら歩いてきた。慌ててその側に寄って、その体を支えるが、わたしの華奢な腕で、重装備をした騎士を受け止めることなどできず、そのまま一緒に床に座り込んでしまう。
ざっと、騎士の様子を観察した。
皮膚は、あちこちが焼けこげている。大方、範囲型の炎魔法の中にいたのだろう。軽く回復魔法をかけてやったが、恐らく、気休めにしかならない。せいぜい、地獄の苦痛の中で死ぬことがないかもしれない、程度のレベルのものだ。
「しっかり!一体、なにが……!」
「……っ、帝国軍です、……はやく、にげて……狙いは、あなた、で…」
騎士はそこまで言うと、意識を失った。かすかにまだ、生きているが、最早永くはないだろう。せめて安らかに死ねるようにと、わたしは騎士を引きずって、自分の部屋――――アナスタシア第一王女の部屋に――――引き摺り込んでやった。ここでなら、なんとか、落ち着けはするだろう。
父王の部屋に走る。最近はなかなか走っていなかったので、息がすぐに切れた。なんとか壁に手をつきながら、父の部屋の扉の前について、勢いよく、開ける。
――――ごろんと、何かが、目の前に転がってきた。それが父の首だと認識できるまでに、少しの時間を要した。
知覚すると同時に、いくら覚悟していたとはいえ、口から酸っぱいものが込み上げてきて、吐いた。なんとか父の首に吐瀉物をかけずに済んで良かったとは思った。
こつりと、軍靴の音が響く。父の頭部から流れ出た血を、わたしの吐瀉物を、なにも気にする様子も見せずに踏みつけた黒い軍靴が、わたしの前で足を止める。
「……あぁ、アナスタシア」
目の前に、美しい男が居た。
眩い金髪。太陽に愛されたような色彩。
マリアベルや、リリアン国王よりも少し濃い、ガーネット色の瞳。どんな宝石よりも美しい深みのある色。神が七日かけて世界を作ったのなら、同じだけの時間をかけて、目の前の美丈夫を作ったのだろうと、そう思わせるほど、端正な顔立ち。
「レオン、ハルト、さま」
「レオでいい。そう言っただろう?」
うっそりとレオンハルトが微笑んで、わたしに手を伸ばしてきた。
頬を愛おしむようにゆっくり撫でられる。恐怖に震える演技が必要かと思ったが、そうでもないようだった。
体は正直なもので、本当に目の前の男に震えている。血と、その香りを纏う男に怯えるぐらいには、わたしもきちんと少女だったみたいだわ。
✴︎
わたしがこの世界の記憶を得たのは、8歳の誕生日の少し前だった。
お姉さまの手を引いて、街にこっそり遊びに行ったわたしは、思いっきり足を滑らせて、川に落ちてしまったのだ。なんとか助かったけれど、その後、ひどい熱に魘された。
そんな中で、わたしは、"この世界の記憶"を見たのだ。人に言えば、頭がおかしくなったと言われそうだから、言えないけれど。
この世界は、元々はなんらかの小説らしい。
そして、主人公はお姉さま、アナスタシア・ド・リリアン。だけれど、お姉さまを待ち受ける運命は、相当にむごいものだった。
東の帝国アルフレドの皇位継承者、レオンハルト・アルフレドは、血で血を洗う帝国の王位継承争いの中で育った結果、狂気に満ちた、残忍で、恐ろしい男になってしまったのだ。
そんな彼は、わたしとお姉さまが8歳の時のあの会合で、清廉な心を持ったお姉さまに恋をする。
でも、小説の中でもお姉さまは国を愛する心があったし、妹であるわたしをいきなり女王にするなんてことはできなかった。だから、レオンハルトの求婚に首を縦に振らなかった。
正当な手段でお姉さまを手に入れられなかったレオンハルトは、"自分の父親に毒を盛って殺し"、皇帝に即位すると、リリアン王国へと攻め入り、王国を支配下に置くのだ。ただ一人、アナスタシア・ド・リリアンを手に入れたいというそのためだけに。
そして、わたしたち姉妹は帝国に連れ去られる。
お姉さまはわたしを人質にされ、レオンハルトに手篭めにされるのだ。でも、マリアベルを生かすメリットなど、レオンハルトにはどこにもない。
マリアベルは実は殺されていたのだ。それを知ったアナスタシア。国を滅ぼされ、唯一の家族を奪われ、自身は溺れるような一方的なレオンハルトの愛で穢されたアナスタシアは、自ら首を突いて死に、レオンハルトは嘆き悲しみ、慟哭して、最期はその後を追う。そういう終わり方をする小説だ。
はじめは、半信半疑だった。でも、8歳のあの日。お姉さまに恋をするレオンハルトを見て、確信したのだ。セリフではない、状況でもない――――あの、ガーネットの瞳。その恐ろしいほどの温度の無さに、怜悧さに。
この男は、小説のレオンハルト・アルフレドと同じなのだと、確信したのだ。
✴︎
レオンハルトが、うっそり笑いながら、わたしの頬をなぞっている。血に濡れた手で触れられているから、わたしの頬にも血がついているだろう。
彼は、そのままわたしを抱き上げる。震えを寒いのかと解釈して、自分のマントを被せた。彼のマントからは、血と硝煙の臭いしかしなかった。
ふと、昔の記憶が蘇った。
あの時、お姉さまと、裏庭で花の手入れをしていたのだっけ。ねえ、知っていたかしら、お姉さま。
わたしがよく裏庭にいたのは、冷たい使用人にも、お父さまにも、会いたく無かったからだって。お姉さまはそれを知っていてか知らずか、裏庭に花を植え始めたのよね。わたしが退屈しないようにって。
土だらけのお姉さまの手は、あたたかい、春のような香りがいつもしたのよ。花の匂いじゃなかったけど、わたしはそれが、とても好きだった。きっともう、嗅ぐことはないのでしょうけれど。
「アナスタシア。お前の悪評を聞いた時、俺はなに一つを信じなかった。お前ではなく、お前の妹だと知った時、やはりなと思った。……あぁ、お前は優しいからな、国を捨てられないだろう。…大丈夫だ、アナスタシア。これからは、ずっと一緒だ」
レオンハルトが微笑みながら、わたしを抱きしめる。純粋で、愚かで。きっと彼は、これしか手段を知らないのだろうと思った。傷つける事しかできない手、まるで剥き出しの剣のような手。愛した人間すらも、その手で抱きしめることしかできない。
けれど、だからと言って、お姉さまを苦しめるのなら、わたしはお前を許さない。お前に相応しいのは、わたし程度の人間だ。
お姉さま。
マリアベルはあまりいい役ではないかもしれないから、そこだけは、ごめんなさい。お姉さまほど、みんなに好かれていないけれど。
でも、お姉さまが追放された西のウェリントンの王子は、すごく冴えないけれど、きっと、お姉さまがお姉さまだって、気が付いて、気が付いているけれど、秘密を墓場まで持って行って、お姉さまを守ってくれると思うわ。
カイル王子は、わたしとお姉さまの違いに気がつくのよ。お父さまだって、誰だって気がつかなかったのに。すごく冴えないけれど、その点ではまあ、少しだけ、ほんの少しだけ、お姉さまに見合うんじゃないかしら。
わたし、ほんの少しだけ彼が気になっていたけど、お姉さまにあげるわ。だって、お姉さまより好きな人間なんて、この世にいないもの。
世界で一番好きなお姉さまと、まあ、世界で二番目ぐらいには気になっていたカイル王子が結ばれるなら、それって、だいぶ幸せなことのような気が、わたしはするの。
レオンハルトの胸に頭を預けると、彼は少し、嬉しそうにした。とくん、とくんと脈打つ彼の心臓の音を聞きながら、わたしは、目を閉じる。
ねえ、お姉さま。
わたしはきっと、間違えなかったわ。
ピアノを弾くのは下手だけど、わたし、ダンスは得意だったの、覚えている?きっと、誰より上手く、踊れたと思うの。
やっぱりレオンハルト様は、お姉さまに相応しくないわ。だから、アナスタシアごと、わたしが貰おうと思うの。
だって、そうよね。
気が付かずに、双子の妹を嬉しそうに抱く男なんて、お姉さまには、もったいないもの。
ありがとうございました。
激重姉妹愛がテーマでした。
ちょっとした設定メモを活動報告に載せてあるので、もしご興味あれば覗いてやってください〜。




