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誰もいなくなった詰所で、書類の束に手を伸ばしながら、さっきのことが何度も頭をよぎった。
貴族の令息たちに囲まれたときのこと。何もできず、ただ笑うしかなかったあの時間。
そして、その空気を切り裂くように現れた、レオンの声。
『そこまでにしていただけますか。』
たったそれだけの言葉だったのに、体が勝手に反応した。あの場に自分より“上”の存在がいると、誰よりも彼らが感じたのだろう。
空気が一変した。
でも、それよりも――
(……あのとき、確かに感じた。)
視線が交わったとき。声が届いた瞬間。レオンの中にあった感情が、明らかに変わっていた。
苛立ちでも、義務感でもない。同情でも、哀れみでもない。もっとあたたかくて、もっと――“個人的”な感情。
‘’好意‘’
助けたいと、思われてしまった。
(やめてよ……。)
自分の胸元を握りしめる。誰かの好意を受け取ることが、これほどまでに重たく、苦しいなんて。
どうせ、そのうち失望する。仮面の下にある自分なんて、誰にも見せられない。こんな空っぽで、醜い自分なんて。
だから、怖い。
「……やだな。俺、そんな顔してた?」
笑ってごまかす。誰もいない夜の詰所で、声にならない笑いをこぼした。でも、その笑いの裏で、胸の奥はまだざわついていた。
****
夕陽が落ちかけた頃、詰所にレオンがふらりと現れた。
「君に直接渡しておいた方が早いと思ってな。」
「えっ、珍しいですね。俺なんかにわざわざ?」
笑いながら受け取ったが、手のひらが少しだけ汗ばんでいた。自分でも気づいている。この距離を保ってきたのは、レオンの目が、言葉が、あまりにも真っ直ぐすぎるからだ。
けれど、彼はこうして来てしまう。
あの夜、あの中庭。あの時感じた“好意”の感情が、今も変わらずレオンの中にあるのが分かってしまう。
だから、笑ってごまかすしかなかった。
「レオン殿が俺に興味なんて、意外ですね。もしかして俺のこと、好きになっちゃいました?」
軽い調子で口にした。でも、自分でもわかっている。これは冗談なんかじゃない。これを言うことで、“向こうから引いてくれる”ことを期待している。俺から離れてくれないかと思っている。
レオンの目がわずかに揺れて、それから、静かに言った。
「……そう思うなら、君はどうする?」
その一言に、息が止まりそうになった。だから、笑ってみせる。
「……やだなぁ。冗談なのに。俺の性別、知ってます?…それに、レオン殿は貴族でしょ?」
真顔で。冗談めかして。でもその言葉の裏にあるものは、絶対に口に出せない。
「…」
レオンが何かを言いかけたのを、グレイスは遮るように続けた。
「ま、どっちでもいいですけど。どっちにしても――ないですよ、俺はそういうの。」
そして、曖昧に笑った。
その笑みが何を意味しているのか、自分でも分からないまま。