2(レオンside)
報告書の確認のために、騎士団の詰所へ寄った帰りだった。
ふと、すれ違った影が目に入る。
レイと名乗った青年。第三部隊の副隊長であるヘラヘラとしたあの男は、どこまでも俺の神経を逆なでしてくる。
あの視察の日、一目見た時から合わないと感じていた。彼からはまじめさなど欠片も感じられない。なぜあれで副隊長などしているのだ。そのおかげで嫌でも彼と関わる機会がある。仕事だからと割り切っているが、いつでもへらへらと愛想を振りまく様子は理解ができない。あれから何度か交流したが、一ミリたりとも分かり合える気がしなかった。
その“騎士団の王子様”は、今日も飄々と笑って――いなかった。
少しうつむき加減で、足取りも重い。
そしてすれ違った瞬間、その身体から熱を帯びた気配が、微かに肌に触れた気がした。
(……あの様子は、病気か?)
立ち止まり、振り返る。
けれど、彼はそのまま何事もないように歩き去っていく。
その背中に声をかける理由は、どこにもないはずだった。
……はずだったのに。
「……っ。」
小さな、鈍い音が響いた。
振り返る。彼の姿が、見えない。
視線を巡らせると、植え込みの影――レイが、地面に倒れていた。
慌てて駆け寄ると、額に手を当てた瞬間、驚くほどの熱が伝わってくる。
「……熱……随分高いな。」
返事はない。意識を失っているようだった。
(どうして、誰にも頼らない。)
思わずこぼれたその問いに、自分でも驚いた。
舌打ちをして彼を担ぐ。いくら嫌いな人間だろうと、このまま見捨てるほど感情がないわけではない。思ったよりも軽い体を持ち上げ、医務室へ急いだ。
夜も更けた医務室で、ようやく彼が目を覚ました。
だが、その目には焦点がなかった。
体を起こそうとしたその瞬間――
「……う、あ……っ……やめて……やめて……っ。」
震える声が、漏れた。
「……?」
「やだ、うるさい、うるさい……黙れ……っ!」
レイは、頭を押さえてしゃがみ込むように体を丸めた。
まるで何かに追い詰められているように。
目は恐怖で見開かれ、呼吸は乱れ、額から汗が滴る。
「レイ!」
思わず名前を呼んだ瞬間、彼の視線が自分に向いた。
その瞳に映っていたのは――怯えた子供のような表情だった。
(…トラウマ…?)
あの、完璧に笑っていた“騎士団の王子様”とは思えない。
何が起きているのか、理解できなかった。
ただ、ひとつだけはっきりしていたのは――
(この男は、俺が思っていたような人間じゃない?)
****
翌日書類のやり取りで再び騎士団を訪れた。
いつもと変わらぬ空気。昨日のあの取り乱した姿は、まるで幻だったかのようだ。
「おや、レオン殿。昨日はお手間を取らせてすみませんでした。」
笑顔で歩み寄ってきたのは、いつもの“騎士団の王子様”だった。
きちんと制服を着こなし、いつも通りの軽い声。
熱があったとは思えないほど、元気そうに見える。
「たいしたことなかったんですよ。ちょっと疲れが出ただけで。……お恥ずかしい。」
まるで、昨夜のことなど何もなかったかのように。
だが、その笑顔の下にあるものを、俺は知ってしまっている。そして、今の笑っている顔に、ほんのちょっとの違和感を覚えた。
あの目の恐怖。
あの声の震え。
そして、何より――“本音を隠す癖”そのもの。
彼は意図的に隠している。自分自身を。偽って生きているのだと、この瞬間理解した。何のためにか分からない。それでもその生き方は容易ではない。周りの人間の彼に対する視線。彼がヘラヘラしていることが何でもないような、当たり前のような態度。完璧に、彼が王子様であると思わせている。
「……そうですか。」
あえてそれ以上は言わない。きっと彼は答えてなどくれない。だから、ただ一言だけ、目を逸らさずに告げた。
「無理はしないでください。」
その言葉に、レイが一瞬、笑顔の奥でまばたきをした。その一瞬の揺れが、嘘のない“動揺”だと、なぜか確信できた。
「……あは、何かあったら、頼りますよ?」
いつも通りの調子で言ったはずなのに、その言葉は少しだけ、空に浮いていた。