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今日も朝から、隊長に押しつけられた雑務をこなしていた。剣より書類の方が多いなんて、これじゃあまるで文官じゃないか。おかげで字が綺麗になってしまう。
「レイ、また書類か? かわいそうにな。」
「……かわいそうじゃなくて、信頼されてるって言ってくれよ。」
軽口を返すと、同僚が笑いながら去っていく。誰もいなくなった執務室で小さくため息をついた。
午前の予定に、“視察”があった。しかも王宮の文官、しかもしかも――噂の宰相候補、レオン・クラヴィス。伯爵家の三男で冷静で冷徹、頭が良く勘が鋭い。らしい。
勘が鋭いだなんて俺の一番苦手なタイプだ。なんて面倒なやつが来るんだ、と朝から気が重い。
「レイ様。視察の方、もうすぐ到着されるそうです。」
「ああ、わかった。……どんな人か知ってる?」
「とても冷静で、ちょっと怖いとか……でも、綺麗な方らしいですよ。」
綺麗な文官。うん、ますます厄介そうだ。
数分後。馬車から降りた男は、まるで彫刻のようだった。真っ直ぐな背筋、整った顔、無駄のない動き。まさしく“完璧”という言葉が似合う。
だけど、目が合った瞬間、ほんのわずかに胸の奥がざらついた。
(……なんだ、これ。)
表情は整ってるのに、その内側からじわっと広がってくる、乾いた苛立ち。怒鳴りたいほどではなく、かといって無視もできないくらいの、微かな熱。
(ああ……俺、もう嫌われてるな。)
初対面って、普通はもっと探るものだろうに。なんてせっかちな野郎だ。
「初めまして。王国騎士団、第三部隊副隊長のレイです。今日はよろしくお願いします、レオン殿。」
「……こちらこそ。時間は限られています。案内を。」
予想通り、声も視線も冷たかった。でもそれより先に、心が言葉よりも早く伝えてきた。
(やっぱり、“騎士団の王子様”って呼び名が気に入らないのかもな。俺が言ったわけじゃないのに。)
軽く笑って、先を歩く。背後で小さく吐き出されたため息が、妙にリアルだった。
「こちらが第三部隊の訓練場です。午前は個人、午後は対人。今日は午前なので、皆さん黙々と頑張ってます。」
レオンは黙ったまま、鋭い視線をあちこちに走らせていた。
質問はない。だけど、その目線の一つひとつが、隊員の立ち位置や装備の状態、移動の癖までも拾っているのがわかる。
(はぁ……やっぱり、頭いいんだな。)
思考の速度、空気の読み方、周囲への目配り。
全部、感情を通して肌で感じる。それでも、レイはおどけた口調を崩さなかった。
「詰所も見ます? あそこはまぁ……もうちょっと綺麗にしたいとは思ってるんですけどね。」
「掃除の割り振りは?」
「当番制です。でも、まあ……守られてるかどうかは、タイミング次第ということで。」
「……曖昧ですね。」
「柔軟って言ってほしいなあ。」
軽く笑って肩をすくめる。
その瞬間にも、レオンからくすぶるような苛立ちが流れてくる。理解不能、という苛立ち。
でもそれを受け取ったことなんて、顔には一切出さない。
(お堅いなぁ。俺にとってはすごくやりにくいタイプだ。まぁ、興味を持たれるよりマシか。)
案内の終わり際、レイが振り向いて尋ねる。
「何か、気になるところありましたか?」
レオンは少しだけ目を細めて、低く言った。
「君は、なぜ真面目にやらないんですか。」
レオンの言葉にレイは、笑った。
「真面目ですよ? ちゃんと朝起きて、制服着て、遅刻しないし。」
「ふざけないでください。」
「ふざけてなんかないですよ。……俺みたいなのがいたほうがいい場面もあるでしょ?」
ほんの少し、首を傾げる。どうやらこの仕草すら気に入らないようだ。
「それに俺、堅苦しいの似合わないんです。笑ってる方が、見た目もいいですし。王子様っぽいでしょ?」
言いながら、笑顔を崩さず、言葉の刃をどこまでも柔らかく包んだ。誤魔化すように、軽く、軽く。自分でも驚くほど自然に。
(ちゃんと騙せてる、よな。)
「安心してくださいよ。こう見えても、案外ちゃんとやってますから。」
レオンは無言のまま、レイを見ていた。
その視線が、鋭さの奥にかすかな“探るような”温度を含んでいるのが、やけに居心地悪かった。