僕の、将来の夢
時が経つのはどうしてこんなに早いのだろう。
初めて人の絵を描いてから2週間。
あの人間から送られてきたスケジュールでは、今日が次の予定となっている。ご丁寧に待ち合わせ場所も書かれてあって、前と同じ美術室のようだ。
(毎回あのテンションで来られたら困るな。地味男が最も恐れる生物は、ああいうキャピキャピ系女子なんだよ……!!)
僕はそう思いながら、美術室へ向かった。美術室の扉をガラリと開ける。
(あれ、いない……)
僕は部屋の中をきょろきょろと見渡すが、やはり誰一人としていないようだった。
(とうとうバックれたかな……)
僕はそう思って前と同じ椅子に座る。することも無いので、ぼぅっと辺りを見ていた。
(本当に誰もいないな……)
この学校の美術室は、なぜだか放課後は誰も使っていない。美術部というものが一応は存在しているようだが、活動をしているのかは不明だ。
そうやって考えを巡らせていると、突然扉がガラリと開いた。
「あ、もういる!ごめんね!ちょっとお仕事で……はぁ。ダッシュでここまで来たんだぁっ!はぁはぁ…」
その人間は酷く疲れているようで、肩を大きく揺らしながら、ドアにもたれ掛かっている。
「いえ、大丈夫です。僕も今着いたばかりなので。」
僕はそれだけ言うと、部屋の隅に置いていたキャンバスなどを取り出し、準備を始めた。その人間は、さっきまでの疲れはどこへやら、スタスタと歩いて椅子に座った。
「いやぁ、ほんとに困っちゃうよね!東京からこっちまで、ただでさえ片道2時間かかるっていうのにさ!そのうえ遅延だよ?つーらーいー!」
僕は黙々と準備をし、最後に水の入った容器を机に置いて、椅子に座った。
「それじゃあ、描きますので。」
そう言って筆を手に取るが、やはり何を描くべきか思いつかない。僕の手が止まっていることに気付いたのか、目の前の人間はふふっと笑って言った。
「あれれー?君もしかして、どう描こうかなぁって悩んでらっしゃるぅ??」
その人間は大げさに首を斜めに傾け、目を大きく見開きながら、こちらを見つめてきた。
(こうも人間ウザくなれるんだな……)
僕は感心した。だけど、図星、だったので言い返す言葉もなく黙っていた。
「あっれれー?図星ー??」
そう言われ、僕は少しイラっとした。
「し、仕方ないじゃないですか!本当の私を描けなんて言われても、分かりませんよ……!!」
気付いたら声に出していた。
目の前の人間は、ぽかんとして、しばらく黙っていた。そして突然笑い出し、
「そんなの当たり前じゃーん!!ははは!」
僕はただ口をあんぐり開けて、その人間を見つめた。
「ふふ。だってさ、私たち、まだ数回しか会ってないんだよ?それで相手のこと分かってたらおかしいでしょ!」
(た、確かに………)
僕は少し納得してしまった。
「だから私はこうやって、ずっと喋ってるんだよ?私について知るなら、私が色々喋った方が良いでしょ?」
(な、なるほど……………)
僕は2回も、この人間の言う事に納得してしまった。
「だからさ、これからもずっと喋るからね!これは、私がお喋りしたいからでは決してなく、断じてそうではなく、き、君の為だからね!」
最後の言葉にあまり納得できなかったのは何故だろう。
「分かりませんけど分かりました。それじゃあ、どうぞ好きなように話してください。」
僕は投げやりになってそう言った。
「そうだなぁ〜。じゃあ、とりあえず!前から気になってたんだけど、君は将来の夢とかってあるの?やっぱり、画家とか?」
僕はキャンバスを見つめた。
(僕の話をしたって、意味が無いじゃないか。)
そう思いながら、答えた。
「絵で食べていくつもりはありません。」
その人間は少し黙って、何かを考えているような素振りを見せた。そして、こう言った。
「そうなの?そんなに絵上手いのに。」
(あぁ、まただ。)
「絵で食べていけるほど、やさしい世界じゃないんです。上手い人が無条件に売れるわけじゃない。上手いのは大前提。そこがスタートラインです。」
(定型文。)
「ふぅん。私はてっきり、美大にでも行くつもりなのかと思ってたよ!ほらこの前さ、受験の話ちょっとだけしてたじゃん?」
(美大?そんなわけあるか。)
「美大なんて、そんなそんな。有り得ません。そもそも親が許しませんよ。」
「……親?」
「はい、親です。子供を美大に快く行かせる親なんてなかなかいませんよ。親が芸術に理解がある場合じゃないと、まず有り得ない。」
ここまで言って、僕は、はっとした。まずい、と思った。
「えぇ、そうなの??その言い方だとさぁ………」
僕は、続く言葉が分かった。僕は、できるだけ笑顔を意識した。
「…………はい。僕の親は、どうやらあまり芸術全般が好きじゃないようです。」
「?」
目の前の人間は、不思議そうにこちらを見つめてくる。
「じゃあ、なんで君は絵を描いてるの?」
(そうだよな、そう思うよな。)
僕は、言い過ぎたことを後悔した。ここで何も答えないという選択肢だって、一応は存在する。だが、この人間のことだ。何かしらは言わないと、後でしつこく迫ってくるだろう。第一、ここで黙っていたら、それこそ意味深じゃないか。
僕は、ただ一息ついて言った。
「昔、知り合いに画家がいたんです。全然売れない画家でしたけどね。その人に絵を教わってたら、なんだか楽しくなって。そういうわけです。」
「そっかぁ…。じゃあ、恩師だね!その人!じゃあ今度、その人に相談してみたら良いじゃない!」
(相談……か。)
「そうですね。」
僕はそう答えたきり、俯いたままでいた。
ただ真っ白なキャンバスを見つめ、この時間が早く終わることを望んだ。
(相談なんて、できるわけないよな………)
隣の人間に対してまともに受け答えもできないまま、その日は過ぎ去って行った。