放課後
月曜日が来た。
僕はドギマギしながら学校へ行った。
「はぁ、別にこれって、僕が美術室に行かなければ良い話じゃないのか?」
僕は電車の中で色々なことを考えた。僕が美術室に行かなかったとしたら。
一. あの人間はそもそも約束を忘れて美術室に行かない。なら、誰も困らない。平和。
二. あの人間は、全然来る気配のない僕に観念して、美術室を後にする。その後、別の人に頼んで絵を描いてもらう。まあ、平和。
三. あとで僕の教室に乗り込んでくる。クラスメイトに言いふらす。クラスメイトからの冷たい視線。
…地獄。
僕は三番を考えた時点で、顔から色を失った。
(三番だけは避けなくては。ただでさえ、今、クラスメイトの僕への視線が怖いのに!)
そこで、僕は考えた。一か八か行ってみよう。行ってみて、いなかったら良いじゃないか。いたとしても、すぐにあの人間の方から飽きたと言ってくるだろう。絵のモデルなんて、どれだけ暇か知らないのか。描いている方は、絵に集中しているから中々モデルに話しかけない。ずっと、ただ動かずにそこに居なくてはならない苦痛に、あの人間が耐えられる訳がない。
(よし、サッと行ってサッと帰ろうではないか!)
僕はそうこうしている内に、学校に着いた。いつも通り授業を受けて、いつも通り時間が過ぎ去って行く。
そして迎えた放課後。
(美術室にサッと行くだけ!きっと、あの人間はいないだろう!)
美術室のドアを開けた。
ガラッ
「やっほー!来たね!誰もいないから、自由にお喋りできるよ!ふふ」
天使のような微笑みを浮かべて、その人間は座っていた。
「さぁさぁ、座ってください?私のご尊顔を描くが良い!」
悪魔のようなセリフを吐くその人間は、ここに座れと言わんばかりに隣の椅子をバシバシ叩いた。
「あの、そもそもなんですけど、描かないと駄目ですか?」
僕はその椅子に座って尋ねた。
「えぇ、じゃあ逆に聞くけど、なんで描くの嫌なの?」
(そう来たか。)
僕は少し黙った。そして口を開いて言った。
「だって、僕、人の絵なんて描いたことありませんよ。だから、絶対に時間かかるし、そもそも上手く描ける保証もありません。それに、来年受験生なので。あまり絵に時間かけられないんです。」
僕は正直に言った。ここで嘘をついても仕方がない。そう思った。
「そっかぁ〜、じゃあ、どのくらいの頻度なら描いてくれる?」
目の前の人間には、遠慮するという機能が備わっていないのだろうか。
「そうですね、たま〜〜〜になら、良いかもしれないですね。」
「たま〜〜〜に??じゃあ、週3?オッケー!」
僕は慌てて制止した。
「いやいや、せめて月に数回で。仕事があるでしょうから、そちらの都合の合う日で良いので。あ、でもその日で決定とかではないですよ?その日を見て、僕も都合が合えば、の話です。」
「ふふ、描いてくれるならそれで良いよ!嬉しい!」
僕は、意外とすんなり受け入れられたことに驚きつつ、話を続けた。
「じゃあ、早速始めましょう。さっさと終わらせたいので。」
僕はキャンバスとパレット、そして絵の具と水を用意した。
「ふふ、そういえば、君高校2年生でしょ?」
「…はい。」
「では、ところで問題です。私は何年生でしょう?」
「…はい?」
僕は目の前の人間をまじまじと見た。
(そういえば、この人間は何歳なんだ?ずっと敬語で話していたけど、実は年下とかもあり得るのか。でも、見た目は年上なんだよな。)
僕はこの前、この人間について調べたはずなのだが、年齢については全く調べていなかったことに気付いた。
「1年。」
ボソッと僕は答えた。仮に間違っていても、年下に間違えられるなら、問題はないだろう。
「えっ、すごーい!ハズレ!君と同じ2年生だよ!こんな美人が同級生なのに、君は入学してからこれまで、私という存在について全く知らなかったわけだね!教えてくれる人がいなかったのかな?」
「……い、いましたよ!!……1人。……そいつが、この学校に芸能人がいるってことは教えてくれました。そんで、顔写真も一回見せてもらったことあります。」
うん。確かにいる。だが、そいつはこの前僕を裏切った野郎だ。そう、あの野郎。
「あ、もしかして『田中』くん?」
「は、はい。」
「でもさ、あの人、山田でしょ?」
「は、はい。」
そう。『田中』の本名は山田太一。僕と同じ高校2年生。小学校と中学校が同じだった。現在は別の高校に通っているが、今でも時々会っている。
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僕らが小学2年生の時。僕はクラスに馴染めずに、他の同級生が騒ぎ立てている中、好きでもない本を読んで椅子に座っていた。そこに、あいつがやって来て、こう言った。
「おう、おれは山田太一だ。田中って呼んでくれ。」
僕は頭がフリーズした。
(山田なのか田中なのか、どっちだ?)
「おい、佐藤。おれはあんまり友達がいない。だから、友達になってくれるととても喜ぶ。」
(あ、喜ぶんだ。へぇ。)
「じゃあ、よろしく。た、田中?くん」
「田中で大丈夫だ。もっと自信を持って良いぞ。」
「は、はい!田中!」
―――――――――――――――――――――――
「と、いうことがありまして、あいつは山田ではありますが、『田中』なんです。」
「ふぅん、なんで?」
「知りませんよ。でも今では『田中』呼びに慣れ過ぎて、あいつどっかの待合室で「田中」さんって呼ばれる度に反応してしまうそうですよ。何がしたいんでしょうね?」
「うん、何かきっと、本人にしか分からない何かを持ってるんだよ。『田中』っていう響きには。」
そんな風に話していたが、僕は重大なことを思い出した。
「あ、その、あなたと田中はどういう関係なんですか?昨日、田中の携帯で電話かけて来ましたよね?」
これだけは、はっきりさせておきたい。そう思って尋ねた。すると、目の前の人間は、なんてこと無い顔で
「え、いやぁ、まあ〜〜すれ違った!君に電話をかけさせてもらったのは、うん、なんかその場のノリで?うん、まあそんな感じ。」
(そんなノリがあってたまるか!なんだ、そんなすれ違った人の携帯使って、人に電話するってなんだ!?)
「 ふふ、そんな険しい顔をしないで〜!だって、一応私芸能人でしょ?だから、向こうから声をかけて来たの。そしたら、『友達が貴方と同じ学校に通ってるのだが、』とか突然かしこまった話し方で喋るからビックリしちゃった!ふふふ」
「そうですか。良かったです、友人が相変わらず元気でやってるようで。ところで、あの、菊田さん?」
「ん?さくらでいいよ?さくらちゃんでも良いねぇ!私、仕事仲間にはさくらちゃんって呼ばれてるんだ!だから、むしろさくらちゃんの方が良いな!」
目の前の人間が、目を輝かせて僕を見つめてきた。ほれ早く言わんか、と言わんばかりの顔で。僕はそれに気づかないふりをした。
「菊田さん、実は全く絵が進んでいないことにお気づきでしょうか?」
「お、ガードが堅いタイプ?良いね!そして、君、それは黙れと遠回しに言ってるな?絵を描くから黙れってことだろう?」
「いえ。というか、そもそもの話です。」
「…??」
「どんな絵を描いて欲しいんですか?」
「…!確かにぃ!じゃあね、うーんと、」
その人間は少し虚空を見つめて、こちらに顔を向けた。そして、笑顔で自信満々にこう言った。
「本当の私!」
「…………厨二病ですか??」
「あ!ちょっと引かないでよ!頑張って言ってみたのに!だってほら、女優の裏の顔?みたいなのちょっとカッコよくない……??」
僕の目の前の人間は、ただひたすらニヤニヤと笑みを浮かべていた。いつもの胡散臭い天使の微笑みではなく、どちらかというと、純粋な悪魔のような笑い方だった。
こうして僕たちは、下校時間ギリギリまで残って絵を描いていた。美術の先生に「帰れ」と言われた頃には僕の頭にはこれしかなかった。
(は、早く帰らせてくれぇぇぇぇえ!!!)