姫騎士、焦る
帝歴九五二年。東の大帝国シェルミスティアは、その圧倒的な武力から”鉄血の都”として世界から恐れられていた。
魔術、剣術の才に溢れた者のみで構成された”帝国騎士団”と、回復や結界術等を包含する神術に長けた”教会”との協力体制は絶大で、戦場に於いて騎士は常に神術による回復を受け、決して斃れぬ鬼神となり敵を屠る。
そして、たった今終結した或る戦が一つ。血の大海を踏みつけるその騎士の姿は味方は無論、拿捕された敵ですらも見惚れる程に美しい。
「ルイン様」
「……どうしました?デミル」
幾千もの敵を斬り伏せておきながら、ルイン・アズウェルドは年相応の少女地味た笑みと共に振り返る。下級騎士の男、デミルはその表情に体を跳ねさせ、震えた声と共に耳打ちした。
「先ほど伝令がありまして……”今すぐ帝国へ帰還する様に”、と」
「誰からです?」
「ファルク王……お父上からであります」
ルインは張り付けた笑顔のまま、特大の舌打ちをした。
「えっ、今舌打ち……」
「してませんよデミル。帝国の姫が舌打ちなどする訳がないでしょう?」
「も、申し訳ありません!私の聞き間違いです……」
言葉とは裏腹に、彼女の心中は決して穏やかではなかった。
呼び出しの理由は明白。十日前に行った司教の暗殺についてだ。
教徒の居ない時間帯を狙って郊外の廃村まで拉致し、血一滴の証拠すら残さず死体も処理したというのに、何故バレてしまったのか。しかし今この場で考えても解は出ない。
「……私は一足先に戻ります。帰還時の指揮はあなたに任せるわ」
「えっ!!?わ、私が……指揮を!?」
「”出来ない”とでも、言うおつもりですか?」
全身から瘴気にも似た圧力を放ち身を寄せるルインに、デミルはもはや半泣きのまま首を縦に高速で振る。
「よ、喜んでお引き受け致します………!!」
「宜しい。では、任せましたよ」
遠くに停めていた馬を指笛で呼び寄せ、軽快に騎乗しルインは戦場跡から走り去る。
周囲の騎士たちは皆勝利に溺れ、未だに勝鬨を続けていた。
「あれ、姫様は何処に行かれたんだ?」
「えっ……と………師団長同士の会合に、遅れるとかで……」
別の騎士が甲冑を揺らしながらデミルに近づく。彼は露骨に動揺しながら建前の言葉を組み立てた。
「そうか。………それにしても、姫としての公務や外交だけでなく、第三師団長としてバリバリ戦うんだから本当にすげぇよなぁ。しかも、帝国一の美女ときてる」
「俺達みたいな下級騎士にもずっと敬語で愛想良く振舞ってくれるしな!ほんっと、天下一の姫騎士だよルイン様は!」
次々にルインへの賛辞を口にする騎士たち。彼らを傍目にデミルは、唯一人だけ引き攣った笑みを浮かべていた。
◇
帝都に戻ったルインは大門を潜った所で下馬し、そのまま手綱を引きつつ通りを進んでいた。
軒を連ねる店は青果に酒場、武具や鉱石、路上で言えば大道芸など、千差万別の賑わいが石畳の道を彩っている。活気にあふれる人々はルインの姿を見るなり、老若男女を問わず駆け寄ってきた。
「ご無事で何よりですルイン様!」
「ありがとう。心配をかけましたね」
「西の帝国の兵はどうでしたか!?」
「強敵でしたが、予想の範疇でしたよ」
「ルイン様!ウチの店寄って行って下さいよぉ!」
「えぇ。また近い内お邪魔しますね。でも果実酒はダメですよ。こう見えても、まだ未成年ですから」
事によっては不敬に値する様な軽口にも、彼女は笑みで返した。
ルインが行った大きな変革が二つある。
一つは寡頭政治の是正。少数の貴族や軍将校等が支配していた政治体制を瓦解させ、国民の投票により運営者の面子が決定する、民主を重んじる構造へと変えた。
二つは彼女自身の”騎士”という立場。本来であれば温室に籠もり贅に浸り続けるであろう、王女に於ける固定観念を破って戦場に身を投じ、その類稀な剣術と膂力を活かし実力のみで師団長にまで駆け上がった。同時に政治への参加も積極的に行っているが、上記の功績が必然的にルインの発言権を一層重くしている。彼女が提示し施行された政策の数々は、国民の末端にまで利を齎し続けている。もはや父であるファルク王よりも、娘のルインの方が帝国の発展に貢献している始末である。
即ち、この国の誰もが、ルイン・アズウェルドという一人の人間を愛していた。
「す、すみません!ちょっと通りまぁす……」
往来の人々との会話に華を咲かせていたルインの背後から、弱弱しい女性の声が響く。
皆一様に振り返るが、彼女……厳密に言えば、彼女が引き攣れている人間達を見た途端、顔色が変わる。
「おい、罪人共だ。離れるぞ」
どこからか聞こえてきた男の一言で、民衆は蜘蛛の子を散らす様に退いていく。
露わになったのはやはり一人の女。黒に満ちたローブを羽織り、顔の上半分が隠れる程フードを深く被っている。この正装は教会に属する者の証。シスターの一人である。
そして彼女が引き連れている数人の男たちは、大小様々な罪を犯し投獄された者。神術により身体の自由を制限されたうえで、定期的に街への奉仕活動に駆り出されている。
先頭に立つシスターは、ルインの姿を見るなり頭を垂れ、畏れを含んだ声色で言った。
「ル、ルイン様……凱旋の邪魔をしてしまい申し訳ありません……」
「滅相もない。私の方こそ、お勤めの妨げをしてしまったようです。どうかお許しを」
負けず劣らずの辞儀と共にルインは馬と共に道を開ける。
しかし、シスターは立ち止まったまま彼女に顔を向け続ける。双眸は隠れている筈だが、まるでルインの心中まで覗き込んでいるようだった。
「あの……何か?」
「あっ、いえ!何でもありません!」
そそくさと、罪人を連れてシスターは立ち去ってしまった。
「………あの娘も大変だよなぁ。今日の奉仕先は確か、廃村の開拓作業だろ?その間ずっと罪人連中のお守りしてなきゃいけないんだもんな」
何気ない陰口に、ルインの身体が反応する。背後に立っていた声の主に詰め寄り、やや語気を強めて問いただす。
「廃村とは、もしかして……チェド村の事でしょうか?」
「え!?……あ、あぁ、はい。確かそこだったかと……」
血の気が徐々に引いていく。西方に位置するチェド村は土壌が硬く乾燥しており、雨も少ない地域にある為作物が非常に育ちにくい。故に廃村となってからも永らく”再興の利点無し”とされ放置されてきた。国が見放した荒涼の地だ。何故今更、しかも罪人を使った開拓を……?それに、あのシスターの不審な行動。
「………先を急ぎます。少し、道を開けて頂けますか?」
切羽詰まった彼女の表情に、民衆は思わず息を呑み後退る。
深々と礼をした後、ルインは馬に騎乗し最低限の速度で駆け出した。
清涼な風に、ルインの頬に浮かんだ冷汗が揺れる。
あの罪人たちは、開拓に駆り出された訳じゃない。
人が寄りつかないチェド村こそ、彼女が復讐の狼煙をあげた最初の地である。
彼らはルインが現場に残した証拠を探すよう命を受けていたのだろう。
「何で俺だとバレた!?……クソッ、考えても無駄だ!急げ……!!」
往来の合間を器用に縫いながら、姫騎士は城を目指した。




