その九 平安キャットファイトなりけり
人命救助の褒美に医師としての地位と家と田畑を大臣様から賜った私は、それを妬んだ先輩婢の百合女さんから呼び出された。
昭和のヤンキードラマやマンガでお馴染みの体育館の裏みたいに、仕事が終わったら井戸まで来いと言われたのだ。
スケバンのタイマンならヨーヨーが欲しいところだが、この時代にはないのが残念。あったとしても『犬のさんぽ』しかできない私にヨーヨーは武器ではなかった。
チェーン振り回したり、指にカミソリの刃を挟んだりが定番なんだっけ?知らんけど。
そんなことしてたら不良医師と呼ばれてしまうわ。一人称は『アタイ』になるのか、やっぱり。
百合女さんの事は後で考えるとして、仕事を片付けないとだね。
貴族の方々のお膳の料理は一纏めにして鳥喰にするが、他の食器はなるべく同じ種類でまとめて井戸の洗い場に持って行く。
藁で作った縄をまとめたような物がタワシとして使われている。あまり油を使う料理がないので、洗剤などなくても水洗いで事足りるのは主婦には嬉しい。あ、元主婦だった。
洗い終わった食器をザルに入れて布巾で水気を拭き取り木箱に収納する。
金属製の物は熱湯をかけて熱で水分を蒸発させて薄く油を塗ってサビが出ないようにして収納する。
この時代にも黒光りする憎いアイツが存在するのだが、食器の下に潜む=御器を被るから御器被り、ごきぶりと呼ばれているというトリビアをゲットした。要らんがな。
たくさんの食器も人海戦術で次々片付けられた。
私用の褒美の膳は竹の皮に包まれてお土産にしてもらうと奴や婢の先輩たちは口々に「よかったな」「これからも病の時は頼むよ」などと言ってくれた。
今回の宴はいつも以上に豪勢だったのでお持ち帰りの料理も包みが二つになった。今夜と明朝に食べるご馳走があると思うと歩みもスキップに変わるというものだ。
ウキウキして帰路につき、滅多に口にできない鴨肉とたくさん残ったのだろう菜っ葉の煮た物、干しエビの煮戻したものなどと一緒に強飯のおにぎりを食べた。
強飯、硬いわ。干からびたご飯粒の食感というか……水加減間違えて炊いたご飯でもまだ柔らかいような気がする。おかずはどれも味が付いていない。お膳には塩、酢、酒、醤などが乗っていてそれぞれ自分で調味して食べるのだが醤くらい持って帰ればよかった。
ご飯が進まない。仕方ないので塩をつけて食べるが、これじゃあ貴族の皆さまの食が進まないのも仕方ないかもしれない。現代の日本料理も素材の持ち味を活かした薄味が多いけど、醤油や砂糖が普及していない平安時代の味付けはやはり物足りない。
デザートの干し果物(柿、スモモなど)や木の実を食べてそのまま眠ってしまった。
何か忘れているようだけど大したことではなさそうなので気にせずに眠った。
翌朝、というか日の出前の真夜中から仕事があるのでいつものように起きて屋敷に向かう。
炊屋で奴婢の皆が医師になったのだからこんなに早く出てこなくてもいいのにと言ってくれた。それでもいきなり仕事に出ない生活というのもすぐ馴染めるわけもなく。
「医師としても仕事もまだそんなにないから手伝いますよ」
と言っていつも通り水汲みの準備をしていた。
「ちょっとアンタ!昨日はどうして来なかったのよ!」
百合女さんだ。
何かそういえば忘れてる気がしたんだ。どうでもいいから忘れてしまってたわ。
「いい根性してるじゃないの!心の声が出てるわよ!」
「あ、出てました?ホントにどうでもよかったもんで……」
「いい加減にしなさいよっ!」
といつものつんつるてんの着物の袖を掴んだ。
引き戻そうとした瞬間、懐からタワシが出てきた。洗い物が終わってすぐお土産の料理の包みを渡されたのでタワシを懐に入れてしまっていたのだ。
とっさにタワシの端っこを掴んだ。タワシは元々藁の縄だ。
ヒュンっと音を鳴らして縄が空を切った。バシッ!!次の瞬間、百合女さんの顔に赤く縄の跡が走った。
ムチというか、不良少女が振り回していたチェーンみたいになっちゃったよ。
「アンタァァ!!!よくもぉぉぉ!!!!!!」
鬼の形相と表現されるけど、鬼瓦のモデルはこの顔じゃないかと思えるほどの顔だ。
今はまだ鬼瓦のデザインは鬼の顔じゃない時代だ。瓦職人さんにこの顔見てもらわなきゃだね。斬新かつ前衛的なデザインとしてウケること間違いなし。
そんな事より、この百合女さんをどうするかが問題だ。
「そもそも何で井戸に呼び出したんですか?」
掴みかかる手を払いながら聞いてみる。
歯をむき出し、眉間にシワを寄せながら怒鳴る。
「一度締めておかないと舐められるだろうが!!」
「あぁ、サルが親分決めるようなアレですか」
この比喩がさらに火に油だったようだ。
「サルだって!!?」
襟を掴まれ、そのまま地面に倒された私の身体に百合女さんは馬乗りになった。フーッフーッと肩で荒い呼吸をしている。
「バカにするんじゃないよ!!」
そのまま右手を振りかぶって殴ろうとした。
「そこまで!!」
振りかぶった百合女さんの右腕を掴んだ人がいた。
百合女さんの旦那さんだ。
他にもお屋敷の下人や婢たちが駆け寄ってきた。
下級役人をしていると百合女さんが自慢していたが、何でお役人様がここに?
「百合女!お前に用があって大臣様のお屋敷まで来たが……。一体何やっているんだ!」
「あ……あんたぁ……」
さっきまでの鬼の形相が普通のおばちゃんの顔に戻った。
「こんな子供にまたがって殴ろうとするなんて、まともな女のやることじゃねぇ!」
「だって、だって……」
「だっても何も、相手は子供じゃねぇか!」
と言いながら私に向き直る旦那さん。
「すまないな……あ……」
まじまじと私の顔を見る旦那さん。
「何か……?」
「いや……」
「このひろが!!あの女に似てるから悪いんだよ!!」
え??あの女って誰??
「武女古に似てるっていってもこの子は他人じゃないか!」
「他人でも、こいつは生意気なんだよ!あんたがあの女の所にずっと行ってるのが悪いんじゃないか!!」
「えーーと、旦那さんの浮気相手に私が似てるって事ですか?」
二人揃って頷く。
「で、似てるから意地悪したり殴りかかったりしてきたと」
百合女さんだけ頷く。
「そうよ!!ただでさえ気に入らないのにアンタが生意気なのが悪いんじゃない!」
半分泣きながら叫ぶ百合女さん。
「いや、それ、私に関係ないじゃないですか。顔が似てるのは私のせいじゃないし、勝手に百合女さんが怒りをぶつけてるだけですよね?」
自分でも容赦ないと思うが言わせていただく。
「百合女、お前のそういうところが嫌なんだよ。今日お屋敷に来たのは離縁してほしくて来たんだ」
「え……離縁って……」
「そのままの意味。もうお前の所には行かない。武女古と一緒に暮らすから。それを言いに来た」
そう言って旦那さんは元来た道に戻って行った。
「ちょっと待ってよぉぉぉ!!」
髪を振り乱し、裸足で追いかける百合女さんだが結局縋る手を振りほどかれ地面に泣き伏せてしまった。
ええと……このまま屋敷の中に入った方がいいのかな?慰めるのもちょっと気まずいなぁ。私、八つ当たりされたようなもんだからほっといていいかな??
座り込む百合女さんをどうしたものかと私を含めた屋敷の使用人たちが遠巻きにしていると
「ひろ、ちょっとこちらへ」
と声をかけられた。
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昭和の大映ドラマなどが好きだったので時々ネタにしてます。