その二 現代といれ いとをかし
トイレネタなので嫌な方は飛ばして下さい。
夏になり、畑の瓜が熟れ始めた頃姫様の金切り声が屋敷に響いた。
「もう瓜は飽きたのじゃ!!氷室から氷を出してまいれ!!甘葛煎をたっぷりかけるのじゃ!」
甘葛煎とはツタの樹液を集めて煮詰めたシロップなのだが、この樹液集めが大変だった。それはもう大変という言葉じゃ足りないくらい大変だったのだ。
遡ること昨年の秋の終わり。ツタの葉が落ちる頃にたくさんの小さな壺と中型の壺を抱えて樹液を集めること一週間。
壺の樹液をゆっくり焦げないように煮詰めて濃厚なシロップに仕上げるわけだが煮詰めていることを聞きつけた姫様が炊屋(厨房)までやってきてシロップを椀に入れて飲むという暴挙に出たのだ。
「姫様!!なりませぬ!甘葛煎ができなければ夏の氷はお召し上がりになれませぬぞ!」
女房の刀自女様が必死に止めて下さっていたけど姫様は
「喉越しがよくて後味もさらりと美味じゃ。甘露を目の前にして氷の時期まで味わえないのは花の時期に花の香りだけ嗅ぎ、紅葉の落ちる音だけで紅葉を愛でるようなものじゃ。」
すごく上手いことを言ってやった、みたいな顔をして椀を高々と持ち上げてたよこの姫。
もう夏に何も味のしない氷食べて下さいよ、マジで。
何十個の壺抱えて山入ったと思ってんだ。中型の壺を満たすのに二日はかかるというのに。
刀自女様がさすがにキレて
「では次の夏は瓜だけでよろしゅうございますね?氷はお出しできませんからね」
と晩秋の木枯らしよりも冷たい声で言ったあたりで姫様は椀を持つ手を下した。
この姫様の行動で、予定より少なくなった甘葛煎の量を補填する為さらに三日ほど山に入らなければならなくなった。
既に一番近くの山はツタの樹液は採り尽くされた後なので、普段入らない隣の山まで行かなくてはならなかった。
倍の距離を往復してようやく集めてできたシロップなのである。
たっぷり、だ……と……?一緒に山に行った奴婢たちが炊屋の外で怖い顔になっている。
瓜だって昨日たくさん食べたいって言うから多めに収穫して冷やしておいたのに。皆の心の声が聞こえる気がする。
そうはいっても下人の立場では不満を言えるはずもなく、みんなで氷室まで氷を取り出しに行く準備を整え出向くことにする。
私は手伝いではなく見学というか冷やかしなのだが。
冷やかしは冷やかしでも身体を冷やすための冷やかしである。
山の麓の洞窟の奥深く、竹や板に縄と木の葉などを使って断熱化を施した扉を開くといきなり季節が冬になったかのように空気が冷たくなった。
真夏にエアコンで冷えたカフェに入った時のような、すぅっと汗が一瞬で消えそうな冷たい空気が懐かしく感じた。
とりあえず氷室から氷を取り出し、炊屋の一番切れ味のいい包丁で溶けないように素早く包丁で削っていく。
もちろん現代のようなフワフワな細かい氷ではないのだけれど、それでも雪を掬ってきたような白い結晶の集まりみたいな形になっている。
その氷は金属製の椀に入れられ、甘葛煎をかけて匙とともに姫の部屋へ運ばれた。
同じように大臣様と北の方様にも氷は提供され、一気にかき込んだ大臣様は
「あ、頭が痛い……」
よくある頭痛を味わっておられた。全然雅ではなかった。
あてなるもの(上品なもの)と称されたはずの氷なのに。
お気に入りの氷を召し上がられたのもあり、姫様の金切り声は数日の間だが屋敷で聞こえなくなった。
この夏はいつもに比べて厳しい暑さだと最年長の婢の虫女さんが言う。
それでも現代の夏の方がアスファルトやコンクリートの照り返しの方が何倍も暑い気がする。
今年は夕立も多く、夕方以降は涼しく過ごせるが湿度の高い夏だと皆が言う。
貴族も庶民も朝日が昇る前から働いているので、正午すぎにはお疲れモードの時間帯である。
休憩時間には屋敷の中の木陰という木陰で誰か彼かが半裸で座り込む姿を晒している。
男の人は下人も家人も烏帽子を被っているので余計に暑いのではないかしら?髪も結っているので通気性はかなり悪いはず。
暑いだけならまだしも、夏場の臭いがそれはもう酷いのだ。
この時代、お風呂もシャンプーも毎日ではない。
占いで縁起のいい日がお風呂の日。お風呂は週一回、シャンプーは月一回といったところか。
庶民は占いなどきにせず、水浴びをするのだがそれでも洗髪回数は月一度程度だ。
フローラルとかシトラスとかのシャンプーも石鹸も存在しない。
髪を洗うのは米のとぎ汁。タケノコの灰汁抜きかいな。
しかも庶民も貴族もアタマジラミを飼っている。ペットかよ。可愛くないペットとか嬉しくない。
シラミは昭和にもいたからしょうがないといえばしょうがないのだけど、衛生的で文化的な生活を謳歌していた令和マダムだった私にはかなりしんどいのである。
結構かゆい。それでも適応力っていうのかな、慣れてきた。慣れって怖い。
下人(奴婢)の子供たちは屋敷裏側に繋がる池の排水溝で遊んだり、瓜を冷やすタライの水をかぶって遊んでいるのだが誰も叱りつけることもなく大人たちはみんなダラダラ過ごしている。
エアコンも扇風機もない世界だから涼を求める気持ちはわかるけど、子供たちよ、その水を引き入れてる川の上流の集落では排泄物を流していることを忘れてないかい?平気なのだろうか?
流れるうちに浄化されているかもしれないけれど、心情的にも衛生的にも私はイヤだ。
井戸ならいいんじゃない?と思っていたけれど、屋敷に引き入れて井戸として使っているその水は同じ川の伏流水だから結局排泄物が混ざっているわけで。
これって保健所が検査したらアウトな水なのではないかな。保健所ないんだけど大腸菌とかいろいろ菌やらウイルスやら濃厚そうでやばそう。
そのせいなのか屋敷の井戸水(伏流水)で洗濯したら干した後もほんのりというか、割と臭う気が……。部屋干し臭とかアンモニア臭とか。
でも周囲が風呂もシャンプーもない生活をしていたり、大臣様や北の方様、女房の方までみんな樋箱ひばこというおまるで用を足しているから気にならない範囲だろう。
下人や奴婢は池の水の排水溝近くで用を足している。水洗トイレだ。文明バンザイ。
とはいえ、おまるの中身を捨てておまるを洗うのは私らなのだけど。
トイレ事情といえば、この世界に来て長屋暮らしを始めたわけだが部屋はバストイレなしの三畳ほどの部屋。
厠の場所を聞いて案内された先の裏通りの酷さに驚いてしまった。
ここは本当に日本なんだろうか。
公衆トイレもなく、道端で誰もが自由に垂れ流しているのだ。
出したモノはもちろん、拭き取りに使用した木べらとか縄とか文字を書き損じた紙を転用したものとか。
木べらとか拭き残しがありそうなものなのに。
千年後は柔らかな紙で拭いたり、洗うための水が出てきてお尻をキレイにしてくれるんだぜ?と叫びたい。
今思えば何てありがたい時代なんだろう。
文明に感謝しとくんだった。
もう一度言う。ここは本当に日本なんだろうか。
日本なんだよね、間違いなく。
人間の排泄物も牛車の牛の排泄物も野犬の排泄物もそんじょそこらに落ちている状態。
どこを歩いても蠅が飛び回っている。
そして崩れかけた廃屋のある裏通りが公衆トイレみたいにみんなしてしゃがんでいる。
ここで排泄しますよって全員の共通認識になっている。
男性も女性も、便秘の人も下痢の人もみんな恥じらいなくお尻を出している。
流石に文明社会を生きてきた私は見ず知らずの他人の前でお尻を出すなんて事はできないと思ったけれど、背に腹は代えられず草むらに入って用を足した。
何か負けた気がした。悔しい……。
他人の排泄を見ながら自分の排泄も晒すというニー〇オトイレが日本に存在していた。
まあ千年前の日本だからね、文明開化だってまだまだ先の話だもんね。
そこに集う排泄の同志は皆、高下駄を履いて用を足しに来ているのだが、その高下駄は割と高価らしく共用なのだそう。
大き目の施設でトイレ行ったらトイレ用スリッパに履き替えるようなものなのかな。草履や裸足だと踏んづけてしまうからだね。
催す都度借りて、用を足し終わったら返却するシステムなのだとか。
道端が排泄物だらけでハイヒールが発明されたようにどこの国でも考えるのは同じなのかと感心しつつも、現代人としての知識がむくむくと頭をもたげた。
北の方様の部屋から樋桶(排泄に使う箱型のおまる)が下がってきたので池の排水溝まで運んで洗うように指示がくる。
このゴージャスな屋敷の中にもトイレというか便所というか厠という存在はない。
大臣様や北の方様、姫様など高貴な方々が催したら女房が樋桶を運んでその中に用を足してもらうのだがどの下人や婢もこの樋桶洗いを嫌がるのだ。
そりゃそうだよね。いくら雇用主だからといっても他人の排泄物の処理はイヤだわな。
私だって看護師時代はなかなか慣れなかったもの。といっても半年もすれば慣れてくる。慣れない人はいつまでもえづいていたけど。
そうやって看護師時代に慣れた年数もあって、この屋敷に来て樋桶洗いを任された時に初回なのにめっちゃ手慣れていると驚かれてしまったのだ。
ポータブルトイレの中身を捨てて洗うのと同じだから全然平気。
何なら元職業柄で排泄物の状態の観察までやっちゃったりして。胃の調子悪いのかな?よく消化してないなーとか思ったり。
樋桶を洗って、脱臭のために日干しできる場所に運んでいると池の方から叫び声が聞こえた。
「誰か!!誰か!!」
駆けつけると下人の子が池の傍で横たわっている。
「おい!しっかりしろ!おい!」
横たわる子供に声をかけるが返事がないようだ。
ずぶ濡れの身体、池の傍、溺れたのだろうか?
当たり前のように身体が心肺蘇生をし始める。
無意識に口からある歌が出てきた。
「どんぐりころころ どんぐりこ~ お池にはまってさあたいへ~ん」
「ひろ……何やってんだ?」
周りの奴見習いや下人の子供たちは遠巻きに私を見ている。
「ぼっちゃんいっしょに あそびましょ」
と最後に人工呼吸をしたもんだから見ていた全員が驚いていた。
口と口を合わせるのは男女の、それもかなり親密な仲じゃないとやらない行為なので、やってる本人以上に周りが恥ずかしがったり照れてしまったりなのだ。
「ひろ!お前何やってるんだ!口吸いとか子供がやることじゃないぞ!」
何か周囲がうるさいけど、どんぐりころころを口ずさみながら心臓マッサージを続けているうち子供は咳き込んで目を開けた。
「おぉ~!目を開けたぞ!」
安堵の声が広がる中から
「無麻呂!無麻呂!!」
その声の主は婢の猪女さんだ。
「一体何が……」
狼狽える猪女さんに子供たちが口々に説明を始める。
「みんなで池の水を掛け合って遊んでたんだよ。そしたら無麻呂が落ちて……」
「何度声をかけても目を開けなくて……そしたらひろが無麻呂の胸を押してそれで……そのぉ……」
「……口吸いをしてたんだよ。そしたら無麻呂が目を覚まして」
え?口吸いしてたってキスしてたって意味だよね?
いや、それじゃ変質者じゃん。
人工呼吸だよ、人命救助!
マウス・トゥ・マウスだけど……
あ!!これ、昔の少女マンガだったらトゥンク……ってなるパターンのやつ!あかんやつや……。
絶対誤解される!小さい男の子にキスした変態ショタコンって思われる!!
脳内であわあわしていたら猪女さんが近づいて
「ひろ、溺れたうちの子を助けてくれたんだろ?」
両手で私の手を包んで
「ありがとう!ひろがいなかったら無麻呂は……」
そのまま拝むように手を合わせてお礼を繰り返した。
「私が生まれた村は海の近くでね、漁師の親父が溺れたよその子をそうやって助けたことがあったんだよ。口吸いに見えるから知らない連中に変な風に思われちまうよね!ははは!」
それを聞いた野次馬たちは
「何だい、口吸いじゃないのかい」
「へぇ~、息を吹き込んで息させるんだな」
などと口々に言っていた。
誤解を解いてくれてありがとう……。
無麻呂も意識がはっきりしたようで
「かぁちゃん!こわかったよぉ!」
と猪女さんに抱き着いて泣き始めた。
そんなハプニングはあったのだけど、溺れた場所が樋桶を洗ってた場所じゃなくてよかったというつぶやきは心の中に留めておこうと思ったのだった。
平安時代のトイレ事情については『病草紙』を参考にしました。
心肺蘇生には「アンパンマンマーチ」や「どんぐりころころ」をはじめ、いろいろな歌に合わせるといいと言われてます。最後の部分で息を吹き込むタイミングになっているので私はどんぐり派です。