その十二 うはなりうちにはせ参ず
屋敷の婢と水仕女が7人、休みを取って百合女さんの後妻打ちに参加するということでいつもならご機嫌伺いの診察の日だが休んで見学に行く事にした。
参加資格は大人の女性のようで、まだ子供の私は参加できないらしい。
前妻の親戚や友人知人が参加者のようだ。
それぞれ手に凶器というか鍋とか枡とか薪や箒を持っている。鍋の蓋を盾の代わりに持っている人の反対側の手に持っているのは檜の棒だろうか。
刃物など殺傷能力の高い物は禁止されているらしく、棒状の物がほとんどだ
20~30人が鬼の形相かと思いきや、楽しそうな表情の人も混ざっている。
事前にいつ襲撃に行きます、得物は何を持って行きますと先触れをする作法らしいが、作法らしい作法になるのはもう少し後の時代みたいだ。
百合女さんが先頭に立っている。
動きやすいようにたすきをして、頭には鉢巻きというスタイルだ。表情は相変わらずの鬼瓦のような顔をしている。めちゃコワイ。
先日の事もあるので、私は百合女さんに見つからないようかなり後ろの茂みや壁に隠れながら見学していた。
百合女さんを先頭に女性たちは台所から入って行った。
ガシャン!バキッ!!いろんな物が割れたり折れたり裂けたりと破壊音が続く。
中の様子を見たいのだが、百合女さんに見つかるリスクを考えるとできなかった。
コソコソと隠れながら音だけで様子を伺うしかない。
破壊音に叫び声が混ざるようになる。阿鼻叫喚とはこのことか。
しばらくするとそれら全てが止んだ。
台所側から女性たちがぞろぞろと出てきて、そのまま解散していった。
百合女さんは親戚の人だろうか、年長の女性と連れ立ってそのままどこかへ行ってしまった。
始まる前の鬼の形相が、何だか魂の抜けたような表情というか……少し泣きそうに見えたのは気のせいだろうか。
猪女さんと犬女さんが出てきたので声をかけた。
「猪女さん!犬女さん!」
「ひろ、来てたのかい」
スポーツ後のようにすっごい爽やかな顔の猪女さん。
「あーー、疲れたわぁ」
へろへろになっている犬女さん。
「そこの茂みで隠れて見てたんですけど、何も見えなくて……」
「そりゃ見えないよ。家の中だから外からはほとんど見えないと思うよ」
たすきを外しながら猪女さんが言う。
「いや~、これで2回目だけどもういいや。次は行かない」
犬女さんはうんざりという顔でぼやいている。
「中でどんな事やってたんですか?」
「ん~とね、まずは台所の物を壊す。かまどとか棚とか。そこまではいいんだよ」
「そしたら相手側が攻めてくるから、殴られる前に殴る」
何その殺られる前に殺るみたいな発言。穏やかな猪女さんはどこ行った?
「猪女さんは慣れてるから殴られなかったみたいだけど、私かなりやられた~」
犬女さんの腕が少し腫れている。顔に擦り傷もできている。
「仲裁役の人が出てくるまでは百合女さんがそりゃあもう凄い勢いでね。後妻をはちゃめちゃに殴ってたのよ」
笑いながら猪女さんが言う。この人、普段は温和で親切なイメージだったけどこんな快活に笑うんだと少し意外に思った。
「そんなに後妻を殴ってたんですか?」
「そりゃそうよ。女は男には何も言えないから新しい女にぶつけるしかないのよ」
「正式に離縁する前から通ってた女なら尚更憎いだろうし」
猪女さんも犬女さんも後妻には割と批判的なのだろうか、前妻の百合女さんに同情的だ。職場が同じということを差し引いても百合女さんのことを嫌っていたので『前妻』に同情するのかもしれない。
現代でも男は浮気をされると浮気した女を憎むけど、女は浮気した男を憎まず相手の女を憎むと聞いたことがある。
脳科学的なものもあるみたいだが、男の立場が強いという家父長制の影響もあるのかもしれないな……。
そういえば、平安時代は一夫多妻かと思いきや一夫一婦制なのだ。
源氏物語のようにいろんな女性の許に通っていても『正式な妻』ではないわけで。三日夜餅の儀(平安時代の結婚の儀式)をせずにいる女性がいたと記されてるあたり婚外のアバンチュールはそこそこあったということらしい。
しかも現代社会のように法律で擁護されているわけでもないので、不倫に対する慰謝料などは存在するわけもなく。
この時代の女性が結婚を維持するには男性の誠意か、実家の有り余る財力や権力か、自身の有り余る魅力で繋ぎとめるしかないのである。割とシビアだね。
「離縁になったら百合女さんはこれからどうなるんですか?」
この時代の離婚後の生活の立て直しってどうするのか見当もつかない。
「私も百合女さんとそんなに親しいわけではないからね。本人から聞いたのではなくてまた聞きなんだけど駿河の親戚を頼るって話らしいよ」
猪女さん、結構情報通だな。
「離縁したって話が広まると居づらいですもんね。気位が高い人だから尚更ですよね」
自分の発言にうんうんと頷きながら犬女さんが続ける。
「今までいろんな人に意地悪してきたから、人の恨みでこういう事になっちゃうんですよ」
犬女さんの発言に思わず猪女さんも
「それだよね。うちのお屋敷でも百合女さんにいびられた婢や水仕女や奴の見習いとか何人いるかわかったもんじゃない」
犬女さんがさらに続ける。
「奴の中には百合女さんの事を『百合なんか綺麗な名前付けてるからあんな風になるうんだ』って言ってるのがいたけど名前は大事ですよね……」
「それはありますよね。糞女とか町糞女なんて名前の人がいるけど名前と違って綺麗な人いますから」
この時代で生活していて名前に『糞』が付いてる人がいてめっちゃ驚いたのだ。『糞』だよ?『糞』!!我が子にう〇こなんて付けるなんて酷い。
「名前に汚い物を付けるのは鬼に攫われないようにって事だからそれは仕方ないよね」
「え?!そうなんですか!」
「私は猪が付いてるけど、鬼も猪なら攫うのに手こずるかららしいよ?」
猪女さんは笑って言う。
「私の犬も吠えるし噛みつくから鬼が避けるって事で付けられたそうです」
「糞女さんや町糞女さんは赤ん坊の頃から綺麗な顔してたんだろうね。それで鬼避けで汚い名前にしてるんだよ」
この時代のネーミングセンスはどうなっているのかと思ったら、ちゃんと親の愛が込められていた。鬼と呼ばれているが災厄や事故から子供を遠ざけたいという願いが込められているのだ。
「話が逸れたけど百合女さんが他の土地に行くって事でほっとする奴や女衆は多いからね。ひろもほっとしてるんじゃないの?ふふふ」
猪女さんの言う通り、これで足を引っかけられたり草履の鼻緒に割れた土器の欠片を仕込まれたりがなくなるのだとほっとしていた。
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名付けに関しては当時の住民台帳などに『糞女』『町糞女』など割と見られてます。
男子名の〇〇丸の『丸』もおまるの意味なのですが同じように厄除けの意味があります。時代が平安後期から増えた名前なのでエピソード内では言及してません。




