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その十一 新居の内見

 藍古あおこ様からの話が終わって、炊屋の出入り口に行くと既に百合女ゆりめさんの姿はなかった。


「あのぉ、百合女さんは……?」

 おそるおそる猪女いのめさんに聞いてみた。


「あら、ひろ!あんた大丈夫だったのかい?百合女さんに殴られたって聞いたけど」

 早速噂に尾ひれがついている。


「殴られてないので大丈夫です。それより百合女さんは……」


「ひろがタワシの縄で絞め殺されたって聞いたけど生きてるじゃん!」

 後輩婢の杉女すぎめよ……背びれを付けないで。


「いや、タワシで私が叩いたんです。絞め殺されてないですよ。で、百合女さんは……」


「お役人さんに連れて行かれたって聞いたよ?」

犬女いぬめさん、たぶんそのお役人は百合女さんの旦那さんじゃないかな?旦那さんお役人でしょ」


 確かに百合女さんの旦那さんはお役人だが、あの時百合女さんを置いて一人で立ち去っていたはずだ。

 誰に聞いても尾ひれ背びれのついた内容で真相にたどり着けないがあれから百合女さんは屋敷の中に戻っていない事は確実なようだ。


「百合女さんの旦那さん、新しい女の家に婿入りしたらしいからね。百合女さん、やるのかな?」

 猪女さんがニヤリとしながら言う。

 犬女さんもニヤリとしながら言う。


「やるでしょうね。猪女さん、声かかったら行きます?」

「犬女は行くの?」

「百合女さんは好きじゃないけど、せっかくだから行きたいかなぁ」


「やるって何?何?猪女さん犬女さん、教えて下さいよぉ」


 杉女がワクワクした目で聞いている。


「「後妻うわなり打ちだよ」」

 猪女さんと犬女さんが声を揃えて言った。


「離縁してひと月にもなってないから後妻打ちするだろうね」

「招集かかったら行かなきゃね」


 後妻うわなり打ちとは夫が側室や愛人を囲ったり、離縁してすぐに後妻を娶った場合前妻が側室、愛人、後妻の家を襲撃するという風習だ。

 前妻が20~30人ほどの応援部隊を率いて暴れまくるらしい。


 何で?暴力に訴えても何もメリットはないんじゃないの?他に娯楽がないからスポーツ感覚でやっちゃえ!って感じ?


「何で後妻打ちとかやるんですか~?」


 まだ幼い杉女が質問する。ナイスクエスチョン!


「ん~、前妻さんがまだ未練があるならそれを断ち切るため、生き霊にならないように新しい嫁を襲ってやっつけてスッキリさせる感じね」


 源氏物語の六条御息所みたいに嫉妬で生き霊になるという考え方がオカルトじゃなくて生活に根付いている時代だから、祟りの原因になるものは消しておこうということか。


 だけどスッキリさせて気持ちを切り替えるというのはメンタルヘルス的に正しいやり方だわ。


「杉女もひろもまだ子供だから後妻打ちに来いとは言われないよ。近くで見ていればいいさ」


 結局その日、百合女さんは屋敷に戻らないままだった。


 翌日、家司の与志比古さんから新しい家と田畑を見に行くように言われた。

 長屋よりも少し距離が遠くなるので通うのは不便になるが、毎日屋敷に通わなくてもいいとの話だった。

 三日に一度、大臣様、北の方様、姫様の健康状態を見たらいいらしい。それ以外の日は大臣様の領地内の山に入ることを許されているので薬草採取をして薬作りをするように、との事だった。週休5日とか、どんなホワイト企業なの!と一瞬喜んだが考えてみたらこれって在宅ワーク……ちょっとぬか喜びだった。


 家は……昔住んでた竪穴式住居と同じ形式だけど少しキレイだ。床の一部に板張りの部分もあって少しモダンになったというべきか。

 何でも土間に直置きなのは現代人の感覚のある私にはちょっと嫌だったので、与志比古さんにあらかじめ伝えておいた希望が通ったようだ。


 すぐそばの畑は薬草を育てるのも野菜を育てるのも、何でも好きなものを育てていいらしい。

 大臣様へ納める税は私の場合、医師くすしとしての診察をようとし、薬草を調ちょうとして納めることに決まった。

 それ以外の診察や薬草の報酬はそのまま私の収入なのだが、貨幣が思っていたより流通していない上に市場では物々交換がほとんどなので『貯蓄』はできない状態だった。


 長屋暮らしを始めた頃から市場にはよく通っていた。

 市場で欲しい物が確実に手に入る事はないけれど、面白い物を見つける事もあるので薬を作っては市場に日参する日々を送っていた。


 市場の品ぞろえを何度か確認したが、木工品は割と発達していて庶民にも手が届き始めている。木をくり抜いて彫っただけの簡素な食器や竹の加工品が市場でよく見かける物だ。漆塗りの椀はまだお屋敷でしか見たことがない。


 他には古着や草履、竹かごなどの生活用品や季節によっては野菜や果物を売りに来る農民もいたりなのだが、いつも多めに購入するようにしている。

 他の物を購入する時に薬草が必ず需要があるとは限らないからだ。農民の中には自分の畑で採取できるものもあるので欲しい作物との交換で買い叩かれることがある。そんな時に工芸品などを持っていたらそれとの交換が成立する。


 貨幣で買い物をしようとしたこともあったが、庶民の間では貨幣があまり信用されていなかったり貨幣そのものの大きさがまちまちだったりで支払いで嫌そうな顔をされることが多かったため使わなくなった。


 なかなか買い物上手になってきて家財道具が増えてきたところでの引っ越しだが、荷物のほとんどが薬草だった。増えた家財道具は褒美でもらった着物と薬草の仕分け用のザルが5個と薬草を収納する行李だけなので引っ越し準備は2時間程度で終わった。


 屋敷に戻り、与志比古さんにいつでも引っ越しできますと伝えると犬女さんが目をキラキラさせてやってきた。


「明日百合女さんが後妻打ちに行くんだって!!」


 与志比古さんはげんなりした顔で犬女さんの方に向き直ると


「うちの屋敷からは何人参加するのかい?」

 と聞いた。


「私と猪女さんと、町女も行くと思います。あと婢が2人行くそうです。ひろと杉女はまだ子供なので行けませんけど、水仕女みずしめのお姉さん達が3人ほど行くそうです」


「うちから7人ね。物忌みの日じゃなくてよかったよ」

 与志比古さんは仕事の割り振りを考えないと……とぶつぶつ言いながら奥に行った。


「犬女さん、後妻打ちって何するの?」


「そりゃ言葉の通り後妻を打つんだよ。後妻の仲間を蹴ったり殴ったりもするよ。刀とか武器は使えないから鍋とか木箱で家の門とか戸とか、台所のかまどを壊したりするのさ」


 何とも暴力的というか、大和撫子はまだ登場しないのだろうか。


絵巻物や文献を参考にしていますが、時代考証的に違うぞ!とう部分がありましたらご指摘下さい。


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