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その一 お屋敷へ

入院中に思いついたネタで書いてみました。

小説を書くのは初めてなのでお見苦しい点もありますが、楽しんでもらえたら嬉しいです。

舞台が平安時代なので残酷な描写があります。

 

 今は昔。倉原くらはら大臣おとどのもとに珠姫たまひめという娘がおられた。


 幼い頃はとびきりとまではいかないが、誰が見ても可愛らしいと褒めるほどには整った容貌の少女であった。

 しかし、年を重ねる毎に姫君はどんどんわがままになり、父君もほとほと手を焼くようになられたそうな。


 父君も母君も特に仏心に篤いということもなく、この時代の貴族にしては珍しく領民から雉や猪の肉だのが献上されればどんな物でも食べ、米や麦などの穀物はもちろん、当時は卑しい食材とされた野菜ですら満遍なく食べ果実も好んで食べられていた。


 姫君はといえば野菜は苦みが嫌だ卑しい食べ物だといい、米や麦は鳥が啄むがごときの量しか食べず。雉や猪の肉は臭いとか脂が口にこびりつくと言い、魚は生臭いと言っては膳を下げさせていた。この時代の貴族の食事は大体こんなものだが姫の偏食ぶりは群を抜いていた。


 元々好き嫌いの多い姫ではあったがこの頃より更に偏食が激しくなり、姫君の身体は瘦せ細り背の丈も幼子と変わらないほどであった。

 何より、その容貌は目がギョロギョロとして大きく見開かれ、本来ならば紅梅のごとき紅に彩られているはずの頬はこけておりまるで干した魚のようだということで付いた仇名が『干魚の姫君』である。


 高い身分の美しき姫君であればわがままも仕方のないことだと言われるものだが、この姫君のわがままには下々の者を口汚く罵る言葉が添えられ、冬は寒いからと言っては怒鳴られ、夏は蝉がうるさいと言っては扇子を投げ飛ばしてくる為、どの家人も女房もやっこはしためも姫君の声を聞くのもうんざりしていた。


 ……とまぁ、そんな平安時代になんの因果かタイムリープしてしまったのが令和の時代で看護師として病院勤務をしていた普通のおばちゃんである私、磯田いそだ 寛子ひろこである。


 意地の悪い先輩やクレーマー気質の年寄り、パワハラ気味の上司や医師を相手にひたすら耐えて一人前になれるように働いて働いて30年、ありきたりで平凡としか言いようのない結婚をして子供を持ち優しくて穏やかな家庭に恵まれた。


 平凡で堅実な生活。子供も成人して定年後は夫と二人で老後と呼ぶには少し早いけど、のんびり暮らしていく……はず、だった。


 珍しく長時間の残業もなくほぼ定時に仕事を終え、バス停に向かっていると近くの公園から子供の声がした。


「お母さん、早く!先に行っちゃうよ!あっ……」

「待ちなさい!危ないから走らないで!」


 ボールが転がってきた。

 と同時に男の子が飛び出してきた。


「あぶない!!」


 車に轢かれそうな小さな男の子を見つけた瞬間、勝手に身体が動いて男の子を歩道に押し退けたところまでは覚えている。


 気が付くと桶を抱えて膝までの深さの川の中に入っていた。

 ……冷たい。川?何故川に??


「ひろ、何ボーっとしてるんだい。ノロノロしてたら宴の支度に間に合わないよ!」


 ボサボサの髪をひっつめにした少女が二人、桶に水を入れながらこっちを見ていた。背の高い方の少女が私に向かって声をかけていた。


「え?……ここは?」

 周囲を見渡すと川と草むらしかない。

 さっきまで仕事をして、バス停に向かっていたのに……アスファルトの道路も自動車もビルもない場所にいる。


 持っていたカバンはなく、代わりに桶が私の手にあった。そして先週買ったばかりのジャケットは使い古した雑巾のような着物に変化している。何だか少し臭う気がする。生乾きの部屋干し臭と部活帰りの息子のスパイクの臭いと動物園の臭いを混ぜたような臭いがほんのりとするのだ。しかも長さは膝くらいのつんつるてん。


 川から汲み上げた桶の中に映った顔はおばちゃんの私ではなく、子供の頃の写真の私にそっくりなボサボサ頭の少女の顔だった。


「何で……どうして……」

 狼狽える私に向かってからかうようなトーンで声がかけられる。


「何だよ、寝ぼけてんの?川に水汲みに来たんだよ」

「さっきから桶の水鏡に見惚れてるけど天女様でもいたのかい?キャハハ!」

 笑いながら背の高い方の少女が続ける。

「今日は宴だからな、早く夕餉の支度をしなきゃならないんだよ!急がなきゃご馳走のおこぼれがなくなっちまう」


 少女たちは天秤棒の両端に桶をぶら下げ、こぼさないよう持ち上げた。


 見よう見真似で天秤棒に桶をぶら下げ担ごうとするが……重い!!

 二人は平気そうに担いでいる。ああ、何かコツがあるはずだ。患者さんを抱える時や起こす時に自分の身体に負担が少ないように力を使うポイントがあったように、天秤棒を担ぐコツがあるはずだ。

 重さが左右均等になるように、天秤棒の中心を首の後ろに持ってくる。そしてバランスをとりやすいように調整しながら持つようだ。


 とりあえず天秤棒を担いでみたものの、混乱する頭の中の整理が必要だと思い情報を頭の中で並べてみる。


 さっきまで私は仕事をしていた。職場を出て公園のそばを歩いていたらボールが転がってきて子供が飛び出してきた。そして……その子を追いかけて……車に轢かれた……。


 ネットでよく読んでたマンガや小説ではそこで神様とか美しい女神様が現れて

「お前さんは手違いで命を落としたけど生き返らせてやるよ!元いた場所じゃないけど勘弁な!お詫びで何かスキルを付与してやるからな!」

 みたいな流れで貴族とか王族とかに転生するんじゃなかったっけ??中には魔物に転生するパターンもあるけどちょっとそれは嫌だわね。

 何もなくていきなり川の中ってどういうことなのかしら?ええおい。

 死んでしまった?だとしたらここは?この川は話に聞く『三途の川』なの?べらんめえ。

 いや、この子達は水汲みに来たと言っていた。宴があるからと。仕事ですよね?水汲みのお仕事ですね、これは!てやんでい。べらぼーめ。

 仕事が終わった後にに死んでまた仕事とかどんだけブラックな人生なのよ。怒りで脳内江戸っ子が暴れているのをなだめつつ。


 水に映った私の姿は子供の頃の私にそっくりでみすぼらしい姿でめっちゃふくれっ面になっている。子供だから思ってることが顔に出るんだね、仕方ないよね。いや、大人でもこんな理不尽受け入れられないと思う。


 周りの光景も舗装もされてない道やコンクリートで整備されていない川べりで日本のどんな田舎でもこんなに何もない所はないだろうと思えるほど。

 趣味がキャンプとか釣りとか、自然大好き!なタイプなら平気で

「まぁ、何てきれいな空気なのかしら!心が洗われるわぁ!」

 とか言ってるかもしれないけど、生憎都会暮らししかしたことない身にはジャングルに放り出されたのと変わらない状況なのである。

 この豊か過ぎる自然と、目の前のとてもじゃないけどきれいとは言えないちょっと小汚い少女二人の姿とで少なくとも現代ではないことは理解した。


 屋敷までの道を二人の後ろにくっついて歩いて行く。初めて天秤棒で水桶を運ぶのだが『ひろ』の身体が覚えているのか重さも痛みも想像したほどではなく長い道のりも平気でたどり着くことができた。


 道中、二人の少女たちの会話を聞きながらわかったことは屋敷までの道は下り坂ということ、今日は宴があるのでいつもの倍の回数水汲みをしてこれが最後の回ということだった。よかった、まだ往復しなければならなかったら死んだばかりなのにまた死にそうになるところだった。こんな重い物持って坂を上るなんてとんでもない。体は子供だけど気持ちはババアが染みついてるんだもの。


 身体の感覚が『ひろ』のものと馴染むにつれて、『ひろ』の記憶や知識が呼び覚まされるかのように私の意識の中に流れ込んでいた。


『ひろ』は元々医師くすしの娘だったようだ。

 都から少し離れた山の近くの竪穴式住居のような家に住み、幼い頃から両親の手伝いなどをして暮らしていた。


 働き者で物静かな母親、優しくて博識な父親、いつも後ろをついてくる可愛い弟の四人暮らしで山や川からの恵みに感謝する日々だった。

 父は集落の人々と一緒に農作業をしながら薬草を採取し調合したり、ケガの手当をしたりという町医者のようなことをしていた。

 父の父や父の祖父も山野草に詳しく、何代も前からの薬草や毒草、キノコについての知識を伝承してきたのだそうだ。


 そんなある日、父は唐から珍しい薬の材料や処方に関する書物が入ると聞いて筑紫の国の港へ向かうことになった。

 ところが、さあ出発しようというタイミングで母が流行り病にかかってしまった。

 他の者に薬の材料や書物の仕入れを任せることができればよかったのだが商人を間に挟むと手数料が発生するのでできずにいた。それに唐に船を出すのは今回が最後になるかもしれないという噂もあった。


「母さんがこんな状態なのにすまない。取引が終わり次第急いで帰るから」

 申し訳なさそうに言う父に母は


「大丈夫よ、すぐ元気になるから。お土産楽しみに待ってるわ」


 まだ幼い弟と病床の母の世話をしながら父を待っていた。

 医師の父が母の薬をある程度作り置きをしてくれていたので、調合は問題なかったので症状に合わせて煎じて飲ませるだけだった。


 問題は食事だった。

 雑穀の粥はこの状態になる以前から毎日作っていたので大丈夫だったが、流行り病にかかった家族がいるという理由で集落での物々交換を拒まれるようになってしまった。

 干した川魚や鳥の玉子、野菜などを薬草と交換していたのだがそれらの食材が手に入らなくなってしまったのだ。


 乏しい食材で栄養などつけられるはずもなく、父が出立してすぐの頃は母が病の床から起きだして手伝ってくれていたのだが、十日もすれば起き上がれる時間も減っていった。


 食材になる野草を刻んで雑穀の粥に混ぜたりしたが滋養がつくものがない。消化吸収もあまりよくない雑穀粥ばかりなので病の母はもちろん、弟もひろ本人もどんどん衰弱していった。


 母は呼吸こそしているが粥を数口食べるだけなので排泄の回数もめっきり減っている。血液の巡りもよくないのか手足の先は赤みもなく土間の床と同じように冷たい。

 熱は下がったが逆に下がり過ぎて冷たくなっていく。


 逆に弟は母の熱がそのまま乗り移ったかのように発熱している。衰弱した体では熱に対抗する力もなく、カサカサに乾いた唇から浅く短い熱気が漏れ出ている。

 薬を煎じて飲ませたくても、煎じるための水がほとんどなくなっていた。

 フラフラする体に鞭打って、甕の底の水を椀に入れる。これを母と弟に飲ませたら甕に水を満たさなければ。


「ひろ……私はいいから。たぶん、もうダメだから……」

 絞りだすようにかすれた声で母が言う。

「ダメなんかじゃないよ、大丈夫だよ。お水、飲んで」

 椀を口に近づけたが一口含んだだけで母は飲むのを止めた。


「ごめんね……」

 この言葉を最後に母は意識が朦朧として眠る状態が続いた。呼吸が少しずつ弱くなり、自然な呼吸ではなく喘ぐようになり、やがて打ち上げられた魚のようにはくはくと呼吸をするようになった。

 そしてひろがうとうとと微睡んでいる間にそれは止まった。

 目覚めて母を見るととても静かで……とても楽になったように見えた。


 ひろは熱に火照る体を土間に投げ出していた。


 母の呼吸が止まり、弟に甕に残った最後の水を口に含ませた日から二日が経っていた。

 熱で赤みのあった弟の頬が白くなり、母と同じように静かになったのを見て弟も母と同じところへ旅立ったのだと悟った。弟に声をかけたかったがもう体を動かすことも難しく、その場で声をかけたくても嗄れた空気が洩れるだけだった。


(私ももうこのまま死んじゃうのかな……)


 まだ数えの十にすらならず死んだ弟と優しかった母が先に行ってるから不安はないし、寂しくないとぼんやり考えていた。

 喉の渇きと手足に力が入らず頭もぼうっとする。舌で唇を舐めたかったが貼りついたように動かない。甕が空っぽになって何度か夜と朝が来たが川にも村の井戸にも行く体力はとっくになかった。


(水、飲みたい)

 カラカラの口からその言葉を出そうとしたが、ひろはそのまますうっと意識を手放した。


 どれくらいの時間が経ったのか、父の叫びに似た声で目覚めた。


「ひろ!!しっかりしろ!帰ってきたから!せめてお前だけでも……」

 父の肩越しに母と弟が見えた。

 父が筑紫から戻ったのは出立からひと月が経っていた。

 途中から走っていたのか汗だくで息を切らした父を迎えたのは、土間で倒れているひろと、薄っすらと目を開けたままこと切れた弟と、既に腐臭を放っている母だった。


「おと……う……」

 悲しくて、母も弟も救えなかった情けなさで、泣きたかった。叫びたかった。しかし、ひろにはそんな力も流す涙も出ないほど体力も水分もなかったのだ。


 父から水を飲ませてもらい、薄い塩の入った重湯を口にして少し眠った。


 父の看病で少しづつ体力を戻し、起き上がる頃には既に母も弟も亡骸を埋められ、弔いも済んでいた。

 この時代はまだ庶民に仏教は浸透しておらず人里離れた場所で風葬か土葬が一般的で、飢饉や疫病の流行った頃は道端に人の遺骸が転がって野犬やカラスが死肉を貪るのが普通なのだが

「流行り病の死人をそのままにすると病が余計に広がる」

 と言って埋めたのだそうだ。



 会話はできるようになっていたが父と何を話したらいいのかわからず毎日食事と薬湯を運ばれる時の「ありがとう」以外の言葉がでなかった。


 そして歩けるようになったある日の日暮れ時、父がぽつりとつぶやいた。


「倉原の大臣様の屋敷で奉公できるように口利きしてもらったから。明日支度をしておくように」

 驚くのが半分、ああ、やはりそうなるのかという諦めに似た感情が半分で返事は頷くだけしかできなかった。


 病み上がりでお屋敷に行く準備をしたが、荷物という荷物なんてない。

 着替えもない着たきり雀だが、父から痛み止めや胃腸薬などの調合済みの薬を受け取った。薬といっても効能のある薬草を干して煎じて飲むようにそれぞれ竹の皮で包み蔓で束ねたものだ。唯一の荷物がそれだった。


「お父さん、これからどうするの?」

 筑紫に向かう前に比べやつれた顔の父に今後のことを問うのが少し怖かった。

 もしかしたら母と弟の後を追うのではないかと思えるほどに父と母は仲睦まじかったからだ。母や弟がいなくなり、父までもいなくなったらと思うと怖くなってしまった。


医師くすしでは食べていくのもままならぬ。験者げんざか陰陽師で食っていこうと思う。ある程度余裕ができて一緒に暮らせるようになったら迎えに行く。それまですまないが辛抱しておくれ」

 思っていたより前向きな言葉にひろは安堵した。


「本当に?本当に迎えに来てくれるの?」


「ああ。そんなに長くかからないから。お屋敷ならちゃんと食べて暮らせるし俺も安心して修行できる」


 確かに屋敷勤めならば食べるには困らない。この時代では投薬するだけの医師より、加持祈祷をする験者や陰陽師の方が需要があり職替えをするのは正しいと思う。ましてや妻と息子を亡くして、残った子供も屋敷奉公が可能ならば身軽に動けるのだから。

 屋敷の門から父の背中を見送りながら流した涙が、ひろの流した涙の唯一の記憶だった。


 こうしてたった一人の家族と離れて屋敷に来たいきさつをドラマでも見るような感覚で『ひろ』の過去を見ていた。

『私』ならば大人だから家族の死を受け止めるのも大丈夫だろうけど子供の『ひろ』には酷な出来事だっただろう。それともこの時代の日本人の生活に『死』が近すぎる存在だから淡々と受け止めてしまうのだろうか……。


 母と弟の亡骸を見ても悲しいという感情が『ひろ』の中に感じられなかった。

 あるのは(仕方ない)という諦めだけだった。


 そうこうするうち屋敷の門が見えてきた。

 ひろの住んでいた集落は竪穴式住居がほとんどだが、都に入れば庶民は木造の長屋に住み、貴族は豪奢な屋敷に住んでいる。

 主の大臣様が自慢するお屋敷は、唐から連れてきた職人が手掛けたものらしい。

 屋敷の見た感じが十円玉の裏みたいだから平安時代なのかもしれない。日本史の授業で聞いたような気がするし修学旅行で行った平等院鳳凰堂のことだよね?東大寺だったっけ……??もう少し勉強しておけばよかった……。

怪しい記憶だけど興味なかったから覚えてなくて当然よねー。


 などと思いつつ屋敷の炊屋かしきや(厨房のこと)に桶を運び、水瓶に水を入れる。


 桶を片付けていると

「ひろ、姫様が食べたがってた野イチゴは明日採りに行くのか?」

 奴の野比古のひこが声をかけてきた。


 この野比古は死んだ父親が屋敷の舎人とねりだったため奴として住み込みで働いている。

 奴の中では一番若く十五歳だ。他にも屋敷には二十代から五十代の奴が三十人前後いる。婢はもうすぐ十歳の少女から四十代の婢が二十人ほどいる。

 この奴婢の上に家人と呼ばれる家司や女房、下人や水仕女たちが大勢いる。奴婢がピラミッドの最底辺になるというわけだ。


 野比古と水汲みで一緒だった背の高い町女まちめと小柄な犬女いぬめが同じ十五歳、私が十二歳と似たような年齢なので一緒に組んで仕事をすることが多い。屋敷に来て一年が既に経っていた。


「うん、野イチゴのついでに何か他にもあれば採ってくるよ」

「蜂巣は見つけても手を出すなよ」


 甘い物の少ないこの時代、蜂蜜は高級食材で大臣様も北の方様も大好物なのだが迂闊に手を出すと痛い目に遭う。防御して採取するのが決まりなのだ。


「町女も犬女も炊屋だろ?誰と行くんだ?」

 基本的に屋敷の外の業務は複数で行うのが決まりなのだ。

 この時代は人攫いも横行していてよその屋敷の奴婢でも子供だと簡単に攫われて人買いに売り飛ばされる。

 誘拐だけではなく、待遇の悪い屋敷ならば自ら逃げる奴婢もいるので見張りの意味もあったり、春先や冬前には熊や狼に襲われたりするので単独行動をさせなかったりするらしい。


 これまでは野比古と一緒に山に行くことが多かったのだが、野比古が成人して奴の仕事より舎人としての訓練が増えたので山には行けなくなってしまった。

 代わりに私より三つ年下の杉女すぎめが一緒に山に行くことになった。

「杉女と行くんだよ」

「ちびっこと一緒かぁ。大変だな、はははっ」


 すぐ近くの藪の中なので子供が二人で出かけても大丈夫な範囲だ。ちょっと大声を出せば門番に聞こえるほどである。相方がちびっこでも一仕事して簡単に戻ることが可能だ。

 年長の奴や婢が年下の子を連れて山歩きをして山で採れる食材と毒になる植物の違いを教えたり、危険な場所や湧き水の場所などの知識を教えて伝承していくものらしい。


 元々ひろには父から教わった薬草や山野草の知識がある。それらの組み合わせで効能の高い薬湯を作ることにも長けているので屋敷の下人たちからも一目置かれており、屋敷では重宝されていた。


「それじゃ行ってくるよ。杉女―!行くよー!」


 籠を抱えた少女がちょこちょこと小走りで出てきた。


 藪の中を進むと野イチゴが赤く熟れた実をつけていた。

 二人で指先を赤く染めながら摘み取り、時々役得として実を口の中に放り込む。


「姉さんももうすぐ洗い場とか大人の持ち場に移るんだろ?あたしと一緒に山仕事とかする子いなくなっちゃうのかな?」


 昨年の流行り病で十歳以下の子供がかなり命を落としたらしい。屋敷の奴婢の子供も何人か亡くなったのだ。

 山仕事に入れる年齢の子供の奴婢は杉女だけになってしまった。


「私は草やキノコに詳しいからしばらくは山仕事だと思うよ」

 実際、昨年の秋に収穫したキノコの中に毒キノコを見つけて以来キノコの分別担当になった。それまではキノコを採ってくるたびに毒に中る者が何人か出ていたが私が屋敷に来てからは中毒者はいなくなったのだ。

 薬草に詳しいのもわざわざ医師くすしを呼ばずに済むので便利な存在なのであった。


「姉さんが一緒ならいいけどさ、猪女いのめさんの子たちと一緒に行けって言われたら仕事にならないよ」

 婢の猪女さんの子供たちは六歳と三歳だ。流行り病に打ち勝つ元気な子たちだが山仕事はまだ無理である。

 やんちゃな子供たちに振り回される杉女しか予想できない……。

「だよねー」

 笑いながら野イチゴや野草を摘んで屋敷に戻った。


 思ったより野イチゴがたくさん採れたので姫様のご機嫌が良くなりそうだと炊屋の姉さんたちが話しているのが聞こえた。




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