43.そして彼女はいなくなった
わかりきっていたことだが、どうにも居心地の悪さを感じてしまう――
クリスマスムードに包まれた繁華街。ツインテールにまとめた髪を揺らしながら歩く綾辻桐絵は、ふぅと小さく息を吐いた。冬休みの初日、しかもクリスマスということもあり街は大勢の若者で溢れかえっている。仲睦まじげに腕を絡ませて歩く同年代のカップルとすれ違うたびに、桐絵は苛立ちにも似た感情を覚えた。
これが理不尽な苛立ちだということは自分でも理解している。そう、これは嫉妬という醜い感情。決して異性からモテないわけではないが、芸能活動をしている身として恋人を作るわけにはいかない。
自分で納得して選んだ道であるにもかかわらず、同年代のカップルたちが体を寄せあって幸せそうにしているのを見るたびに、胸の奥底から黒々としたものがこみ上げてきた。
足早に繁華街を抜けた桐絵は、目当ての商業ビルへ入ると一直線にエレベーターへ向かった。ここは、ガルガルの出版元である冬島出版のオフィスが入っているビル。今日ここへやってきたのは、次の撮影に関する打ち合わせをするためだ。
「あっ。桐絵ちゃんいらっしゃい! Aのミーティングブースが空いてるから入っててー!」
オフィスへ足を踏み入れた桐絵に声をかけたのは、副編集長の明日香。軽く会釈をした桐絵は、慣れた様子でAのミーティングブースへと向かう。
ソファへ腰をおろしてすぐに、パタパタとスリッパの音を響かせながら明日香がやってきた。
「お疲れ、桐絵ちゃん。今日も寒いね」
「お疲れ様です。もう年末ですしね」
「あ、そうだ。メリークリスマス、桐絵ちゃん!」
「あ、はい……」
戸惑ったように目をぱちくりとさせる桐絵を尻目に、明日香はクリスマスソングを口ずさみながら資料をテーブルの上に並べていく。その様子を眺めつつ、桐絵は「そもそもクリスマスってキリストの誕生日を祝う日よね?」と胸のなかで呟いた。
日本でもすっかり文化として根づいたクリスマスだが、もともとはキリスト教信者たちの祝い事だ。それが、今ではキリスト教の信徒かどうかはまったく関係なく、ただのイベントとして浸透している。
「そうそう。年明けの撮影だけど、やっと桐絵ちゃんの希望を叶えられそうだよ」
「え?」
「ほら、前に言ってたじゃない。樹里ちゃんと一緒に撮影したいって」
「は、はい。あ、じゃあもしかして……」
「うん。樹里ちゃんのスケジュールも押さえたよ」
「あ、ありがとうございます」
姿勢を正した桐絵が、神妙な面持ちで頭を下げる。それを見た明日香は、満足そうに「うんうん」と笑顔で頷くのであった。
――姿見の前で全身をチェックした樹里は、「よし」と小さく呟いた。髪もメイクも、コーデもばっちりと決まった鏡のなかの自分をまじまじと見る。
うん、いいね。我ながらこのコーデはなかなかいけてる。赤と白を中心にクリスマスっぽいコーデもいいかなと思ったけど、サンタさんみたいになっちゃうんだよな。
そんなことを考えつつ一人でクスクスと笑っていると、ベッドの上に放置していたスマホがピロリンとかわいく鳴いた。スマホを手にとり画面を見る。陽菜からのLIMEだ。
陽菜『樹里、何時ごろ来ますか?』
樹里『もう準備できたから、あと五分もせずに出るつもりだよ!』
陽菜『わかりました。待ってますね』
樹里『うん。家出たときにまた連絡する!』
LIMEのトーク画面を閉じた樹里は、『glamorous』を起動した。
「お。やっぱり「イイね」多いなぁ」
朝の投稿に五百件近いイイねがついているのを見て、樹里がにんまりと口もとをしならせる。
『今日は学校の友達と素敵なJSモデルとクリパ! このニットとスカートよくない? 今から三時間くらいでメイクと髪も仕上げる♪』
スマホをキャビネットの上に置いた樹里は、壁の時計に目をやった。十一時三十二分。五十五分発の電車に乗るつもりなので、今から自宅を出れば十分に間にあう。
ちなみに、葉月と昌とは陽菜邸の最寄り駅で待ち合わせすることになっていた。咲良はマコトさんの車で一緒に来るらしい。
それにしても、よくあのマコトさんを誘えたものだ。まあ、陽菜のお母様もマコトさんにお礼をしたいとは言っていたけど。女子しかいないクリパに男一人が参加するのって、結構勇気いるよね。多分、咲良に無理やり連れて来られるんだとは思うけど。
その光景を思い浮かべた樹里は、クスっと笑うとスマホを上着のポケットにしまい、パタパタと玄関へ向かった。忘れものがないか確認し、マンションを出る。エントランスを出ると、たちまち肌を刺すような冷気が襲いかかってきた。
さ、寒い……! まあ、年末だしそりゃそうか。あ、にゃんこ発見!
エントランスを抜けて歩道へ出た樹里の視界に、牛のような模様の猫が映りこんだ。ときどき、このあたりで見かける野良猫だ。樹里は素早くスマホを取りだすと、そーっと近づきカメラのレンズを向けた。猫は微動だにせず、スマホのカメラを見つめている。
「君、なかなかカメラ慣れしてるね」
パシャパシャと数枚写真を撮ると、猫は「もういいでしょ」と言わんばかりにその場を立ち去った。
まるで、プロのモデルみたいな猫だな。そんなことを考えつつ、陽菜や咲良たちに猫の写真を送る。
『マンションの前でかわいいにゃんこ発見! めちゃカメラ目線でウケる~(笑) というわけで今から向かうね~♪』
送信のアイコンをタップし、再びスマホをポケットにしまった樹里は、顔の前で冷えた手をこすりながら駅へと足を向けた。
――葛城駅の改札を抜けた先にある自販機コーナーの前。葉月と昌はスマホをいじりつつ樹里が来るのを待っていた。
「てかさー、さっきからやたらとチラチラ見てくヤツ多くない?」
「それな。それも男」
事実、先ほどから目の前を行き交う男のほとんどが、葉月と昌にチラチラと視線を向けていた。理由は二人の服装だ。二人とも上着こそあたたかそうなショートダウンを羽織っているが、下がミニスカートに生足なのである。
「ったく……エロい目であたしらの足見やがって。それ以上見るなら金とるぞ」
「もしかしたら、寒そうって思って見ている可能性もあるけどな」
がっつり生足を出しているものの、決して寒くないわけではない。真冬に生足をさらけ出しているのだから、寒いに決まっている。何なら寒さで太ももも若干赤くなっているくらいだ。
「やっぱタイツ履いてくればよかったかな」
「いや、現役JKのギャルがそれじゃいかん」
「どんな美学だよ」
葉月がくつくつと笑う。
「てゆーかさ、樹里遅くね?」
スマホで時間を確認した昌が首を捻る。
「待ち合わせの時間、合ってるよな?」
「うん。電車の遅延か何かかな」
改札口の天井からぶら下がる電光掲示板に葉月が目を向ける。電車の遅延情報は表示されていない。
「乗る電車、間違えちゃったとか?」
「樹里に限ってそれはなさそうだけど」
「そか。そもそも、樹里が待ち合わせに遅れること自体がありえないしなー」
「うん。ああ見えてかなり几帳面な性格だから」
葉月と昌が顔を見あわせる。これまで幾度となく樹里と待ち合わせをしたことがあるが、彼女が時間に遅れてきたことは一度もない。むしろ、早めに来て待っているタイプだ。
「もう、十二分もすぎてる……」
「ちょっと、連絡してみようか」
再びスマホに目を落とした葉月がLIMEを起動する。
葉月『樹里、やっほー。今どこ? うちらもう駅着いてるよ』
送信のアイコンをタップした葉月は、しばらくそのまま画面を凝視し続けた。普段の樹里なら、メッセージ送信後すぐに既読になる。
しかし、いつまで経ってもLIMEのメッセージが既読になることはなかった。それどころか、そこから三十分以上経っても、樹里は二人の前に現れなかった。




