41.一枚撮らせてもらいます
こんな高さから落ちたら大変だな──
スムーズに上昇していく展望エレベーターから地上を眺めていた葉子が、小さくぶるりと肩を震わせる。もし今、目の前のガラスが粉々に砕けたらいったいどうなるんだろう。
ぼんやりとそんなことを考えていると、『間もなく二十一階です』と機械的なアナウンスが耳に入り、葉子は扉のほうを向き直る。
目的地はエレベーターを降りてすぐだったので迷うことはなかった。店名を確認して店内へ足を踏み入れると、正装姿の男性コンシェルジュが貼りつけたような笑みを浮かべて近寄ってきた。
「いらっしゃいませ。ご予約はおありでしょうか?」
「あ、はい。多分、連れが先に来ていると思うんですけど」
「かしこまりました。ご予約名をよろしいでしょうか?」
「ええと……ブライアンです」
コンシェルジュが慣れた手つきでタブレット端末を操作する。
「ブライアン様……はい、たしかに、先に来られています。では、お席にご案内します。こちらへどうぞ」
どこかで聞いたことがあるようなジャズミュージックが流れる店内をコンシェルジュについて歩いていく。店内はほぼ満席であり、客たちも楽しげに会話をかわしているものの、煩さはほとんど感じない。「高級」フレンチレストランの客層とはこういうものなのか、と葉子が感心していると――
「ハーイ、葉子!」
見知った旧友がこちらへ手を振る姿が視界に入り、葉子は思わず頬を緩ませた。恭しく頭を下げて離れていくコンシェルジュに、葉子も軽く会釈する。
「ハイ、キャシー。ごめんね、待たせちゃった?」
「いいえ。私も少し前に来たばかりよ。予約時間より少し早かったけど、お店の人が気をきかせて入れてくれたわ」
「そうなのね。ていうか、凄いわねこのお店。よくこんなお店知ってたわね」
革張りのソファへ腰をおろした葉子が感心したように口を開く。
「前に一度来たことがあって、気に入ったのよ。どう、凄いでしょ? ここから見る景色」
店内の外壁側は全面ガラス張りになっており、都内の景観を一望できる。きっと恋人同士で夜景を見ながらディナーを楽しむようなお店なんだろうな、と葉子は思った。
「たしかに凄いわね。キャシーと二人で来るのがもったいないくらい」
「ずいぶんな言いぐさね。一緒に来る男なんていないくせに」
「う……まあそうだけど」
「……余計なお世話かもしれないけど、あなたもまだまだ女盛りなんだしさ、新しい男でも見つけたらどう?」
「本当に大きなお世話よ。私にはかわいい娘がいるからそれでいいのよ」
拗ねたような口調になる葉子にキャシーが苦笑いを浮かべる。そうこうしているあいだに、サービススタッフがオーダーをとりに来てくれたため、二人はとりあえず一番おすすめのコース料理を注文することにした。
「で、キャシー。仕事はどうだったの?」
「問題なく終わったわ。まあたいした仕事じゃないしね」
「商談?」
「ええ。本当は私じゃなくて影浦が出張するはずだったんだけど、向こうのプロジェクトでいろいろ問題が発生しているみたいでね。私に白羽の矢が立ったってわけ」
「あんた、よく白羽の矢なんて言葉知ってたわね。ええと、影浦さんってあれよね、ちょっとくたびれた感じの日本人」
「そうそう。あ、影浦で思い出したわ」
一瞬周りへ視線を巡らせたキャシーが、テーブルへ身を乗り出すようにして顔を寄せる。周りに聞かれてはマズいような話なのだろうか、と葉子はかすかに眉を顰めた。
「ほら、前に影浦の子どもが問題起こしたって話はしたよね?」
「ああ……そんなこと言ってたわね」
「その問題っていうのがさ、女子中学生へのストーカー行為だったらしいわ」
「え……!?」
まさかの内容に葉子の顔が驚愕に染まる。
「女子中学生にしつこくつきまとった挙句に警察沙汰になって、裁判所から接近禁止令まで出されたんだって」
「ほんと……?」
「らしいわ。影浦と親しいスタッフが「絶対に誰にも内緒よ?」って言いながら教えてくれた」
こうやって内緒話が広がっていくんだろうな、と葉子は軽くため息をついた。
「それでね、怒った影浦が息子を半ば無理やりアメリカへ連れてきたらしいわ。二度とバカなことをしないようにって」
「なるほど、ね。でも、たしか少し前に息子は日本へ戻した、みたいな話してなかった?」
「うん。もう心配ないって判断したのかな? よくわかんないけど」
おどけたように肩をすくめてお手上げのポーズをするキャシー。
「ふーん……それにしても、女子中学生へのストーカーねぇ……。娘をもつ身としては到底許せない行為だわ」
「でしょうね。私だって同意見よ。影浦自身はとっても紳士な男性なんだけどね。やっぱり子育てって難しいのかしらね」
「あなたも親になってみればわかるんじゃない?」
独身貴族を謳歌しているキャシーにジロリと睨まれ、今度は葉子が肩をすくめた。そこへサービススタッフがドリンクと前菜を運んできたため、とりあえず二人はワインで乾杯し、日本での再会を祝した。
――私はさっきから何をしているんだろう。
「陽菜ちゃん、今度こういうポーズして!」
「こっちに目線ちょうだい!」
「いいよー、陽菜いいよー!」
興奮した様子で口々に叫ぶ三人のギャルと一人の黒髪清楚系JK。シャッターを切るカシャカシャという音を聞きながら、陽菜は内心「何だこの状況」と一人呟いた。
佐々本邸へやってきてからというもの、陽菜はみんなの着せ替え人形と化していた。何してんだろう、と思いつつも、いろいろな服を着られるのは楽しいため、そこまで嫌な感情は抱いていないようである。
「あ~……満足。やっぱ陽菜って何でも似あうよね」
撮影した写真のフォルダを整理し始めた樹里に陽菜がジト目を向ける。
「まあ……いいですけど。それにしても、葉月さんに昌さん。お二人って、小学生のころからこんな服着てたんですか?」
ベッドの上に投げ出してあるアニマル柄の派手なパーカーやキャミソール、タイトなショーパンに陽菜が目を向ける。
「え。あたしらにとっては普通だったよー?」
「うんうん。周りの友達もそんな感じだったー」
何でもないことのように言い放つ葉月と昌。どうやら二人は小学生時代からゴリゴリのギャルだったようだ。
「でも陽菜、ギャルっぽいコーデもかなり似あってたよ?」
「自分ではよくわかりませんが……まあ、似あわないよりはいいと前向きに考えることにします」
陽菜らしい物言いに、樹里だけでなく全員が苦笑した。と、陽菜が何かを思い出したように「あっ」と声をあげる。
「どしたん、陽菜?」
「忘れていました」
そう口にするなり、陽菜はベッドの上に置いてあった自分のスマホを手にとり、カメラを樹里へと向けた。
「え、え、何?」
「一枚撮らせてもらいます」
無表情のままカシャッとカメラのシャッターを切り、撮影した写真を確認し始める。
「ど、どうしたの? あ、もしかして陽菜、私の写真欲しかったの!?」
「違います」
即答された樹里がしょんぼりとした様子で唇を尖らせる。
「あの人……白鳥さんが、その、プライベートの樹里の写真を一枚でいいから撮ってきてほしいと。もちろん許可を得てから、とのことでしたが、大丈夫ですよね?」
「あ、白鳥さんって沙羅ちゃんだよね? 運動会のヒーロー」
「まあ、そうです」
「へ~……やっぱり仲いいんじゃん」
「絶対に違います。ただ、まあその、いろいろお世話にはなったので、何かお返しくらいはしなければいけないかな、とか」
ニヨニヨとする樹里から顔を背けた陽菜がボソボソと言い訳がましく言葉を紡ぐ。
「あはは。まあ全然いいよっ。てか、やっぱり沙羅ちゃんも来ればよかったのにね」
「あの人は、推しとは適切な距離感を保ちたいという独自の美学をもっているようなので」
「……何か凄いな沙羅ちゃん」
「変な人です」
「沙羅ちゃんもきっと陽菜だけには言われたくないと思ってるよ」
「はぁ!? 私のどこが変なんですかっ」
「あはは、冗談冗談。あ、私も『glamorous』用に陽菜とのツーショ撮りたいけどいい?」
立ちあがった樹里はベッドのそばへ移動すると、散らかっている服をどかして腰をおろした。
「ほらほら、陽菜。隣座って」
「……まあいいですけど」
樹里の強引さにはすっかり慣れた陽菜がおとなしく隣へ腰をおろす。
「あ、咲良たちいるから自撮りじゃなくていいのか。というわけで、誰か撮ってー」
クスクスと笑みを漏らした咲良が「いいよ」とスマホのカメラを向けシャッターを切る。
「こんな感じでどう?」
スマホの画面を樹里と陽菜が覗き込む。
「うん、いいね。あ、陽菜の顔にはちゃんとモザイクかけとくから」
「はあ。まあいいですけど」
咲良からLIMEで送ってもらった写真を、画像加工アプリで素早く加工した樹里がすぐさまglamorousへとアップする。
『Cuteeeenで鮮烈なデビューを飾った謎のきゃわたんJSと女子会』
画像に沿えた一文を見た陽菜がかすかに眉を顰める。
「これじゃ顔にモザイクかけてもバレバレじゃないですか」
「あ、そうか。でも、私のglamorous見てる女子って、ガルガルの読者が多いから、バレバレにはならないと思うんだけど」
「まあ、雑誌にあれだけ堂々と顔出ししていますし、別に今さらなんですけどね」
と、そのとき。グ~、と何かを踏みつけたような情けない音が室内に響き、全員が一斉に音の主へ目を向けた。見ると、葉月が恥ずかしそうにお腹を押さえて俯いている。
「あ、葉月お腹空いた?」
「あう……」
全員がクスクスと笑みをこぼす。樹里たちもそこそこ空腹だったので、食事にすることに。樹里が腕を振るった手料理に舌鼓を打ったあと、みんなでダラダラ女子トークしたりゲームをしたり、一緒にお風呂へ入ったりして楽しく女子会の時間はすぎていくのであった。




