序章 クレイジーガール
「こ、これは、何かの悪い冗談だよな……!? なあ、マイケル……!?」
あり得ない光景を目にして、男の顔が驚愕に歪んだ。
「ハ、ハハ……! 信じられねぇ……クレイジー……!」
FBI捜査官、マイケルとトレットが呆然と立ち尽くす。
本で埋め尽くされた部屋の中。二人が視線を向ける先には、髪を後ろで二つ結びにした六、七歳くらいの小さな女の子。
「んー……これも間違ってるよね。あ、これも。こっちは……表現がよくないような……」
まるで、そこに自分以外誰もいないかのように、東洋人の少女はブツブツと呟きながらノートパソコンのキーボードを叩き続ける。
「ほ、本当に、こんな小さな子どもが、FBIのデータベースをハッキングしたってのか……!?」
マイケルが愕然としたように言葉を絞り出す。
昨日のこと。FBIの犯罪者データベースが、突如何者かにハッキングされた。
堅牢なセキュリティのもと運営されているデータベースへ侵入されたとあって、情報部やサイバー対策部は騒然となった。が――
「幸いなことに、実害は何もない……というより……」
パソコンへ向かい続ける少女の背後へ、マイケルとトレットがそーっと近づく。そして、ノートパソコンの画面を覗き込んだ。
屈強な大人の男が突然部屋に押し入り、すぐ背後へやってきているというのに、少女は何の反応もしない。集中しているからなのか、それとも興味がないのか。
「や、やっぱり……!」
トレットが息を呑む。ノートパソコンの画面に表示されているのは、FBIが管理している犯罪者データベース。
画面を凝視したまま、少女は淡々とキーボードを叩く。
「な、なあ、お嬢ちゃん?」
マイケルが恐る恐る声をかける。が。
「これも間違い……ああ、あっちもか。どうして記録する際にチェックしないのかなぁ……もう」
やはり少女は反応しない。
「お、おーい、お嬢ちゃん。これは、その……何を、してるんだい?」
もう一度、問いかけてみたところ――
「んー……? 単語のスペル間違いとか、表現がおかしいところとかを直してる。気になるから……えっと、こっちも修正っと……」
マイケルとトレットが、困惑したように顔を見合わせる。
データベースに侵入されたとあり、当初FBI内部は騒然となったが、検証の結果、データの改竄や抹消といった痕跡は見られなかった。
それどころか、誤字脱字や表現の修正が行われたことで、データベースのクオリティが上がったのである。もちろん、違法な行為であることは間違いないのだが。
マイケルが少女の横顔をちらりと見やった。
おそらく、彼女はこれが違法行為であることは理解していないのだろう。単純に、興味本位……もしくは善意? でやっているのだ。
「ど、どうするよ、マイケル?」
マイケルはため息をついた。
とりあえずは上に報告しなければならない。あと、一階で待ってもらっている保護者にも話を聞かないとな。それにしても……。
FBIのデータベースへやすやすと侵入するなど、尋常なことではない。天才、というやつなのだろうか。
小さく息を吐いたマイケルは、少女のそばで体をかがめた。
「ヘイ、クレイジーガール……。君の名前は?」
キーボードの上をしなやかに舞っていた少女の手が、ぴたりと動きを止める。
そして、パソコンのモニターから目を離すことなく、無感情に口を開いた。
「……ヒナ」




