カツ丼とサブマリン
家に戻ると特訓が待っていた。悪戦苦闘、キッチンは爆撃の後の様になったが、なんとかジニーは作り終えた。
「どう?ママ」
ジニーは恐る恐る聞いてみた。
「うん、お店の味よ」
主人の的確なレシピのおかげで、味にもサラは合格点を出した。おまけにサラは丼ぶりや箸なども揃える入れ込み様だった。
時間はもう夜中を過ぎ、さすがに二人共疲れを隠せなかった。
「久しぶりね、二人で遊んだの」
キッチンの椅子に座り、サラは背伸びした。
「ありがとう……ママ」
ジニーは微笑んだ。
「最愛の娘の一大事だからね。でも、ママも楽しかった」
立ち上がったサラはジニーを抱き締めて、また呟いた。
「さあ、明日は本番よ」
「うん」
ジニーも抱き締め返した。
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「どう調子は?」
次の日、心配そうにサラはフライパンの中を覗き込んだ。
「大丈夫、昨日より上手くいってる。卵の半熟のコツも掴んだみたい」
自信が出たのか、ジニーは嬉しそうだった。だって眠れなくて、何度もシュミレーションしていたから。そして何より巧の笑顔を見たかったから。
「もうすぐ巧が来るわね」
周囲をうろつき、なんだかサラの方が落ち着かないようだった。
「今晩は」
やって来た巧は、丼ぶりのカツ丼に驚いた。
「さあ、どうぞ」
ジニーもサラもドキドキした。
「いただきます」
そっと箸を付けた巧は、一瞬止まった。そして無言のまま、箸は加速していった。
「……」
巧は無言で食べていたが、サラの心配をよそにジニーは何故か落ち着いていた。そして食べ終わった巧は、満面の笑顔を見せた。
「あの、おかわりしていい? 最高だよ」
「うん……直ぐ作る。ほっぺた、ご飯粒……」
ジニーは涙が出そうになった。嬉しくて嬉しくて、巧の笑顔が見れなかった。
「久しぶりだよ、こんな本格的なカツ丼は」
おかわりも簡単に平らげた巧だった。
「よかった……」
目を真っ赤にしたジニーの肩を、そっと笑顔のサラが抱いた。
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「元気ないぞ」
授業の合間、ぼんやりしているジニーの肩を叩いたエミリーだった。
「そんなことないよ」
ジニーの声には元気がなかった。
「何かさ、こんなジニー初めて見た」
エミリーは心から心配していた。
「ごめんね……」
自分だって、こんなになるなんて信じられないジニーだった。動かない体と飛べない心……まるで悲劇のヒロインみいたな自分が、とても嫌だった。
「松田、二週間もロードだもんね」
からかったつもりのエミリーだったが、ジニーの悲しそうな顔に心が痛んだ。
「これ……」
エミリーは本を取り上げた。それは日本の歴史の本で、余白には漢字で松田巧と数多く書かれていた。そしてその隅には……Jeannie・Matsudaという文字が擦れていた。
いつも強気で元気なジニーが俯いてるなんて、エミリーの母性は堪らなく愛しいと感じさせた。
「ねえジニー……松田のこと、好き?」
「えっ?」
ジニーの瞳に一瞬の煌きがあった。
「正直に答えて。気持ちじゃなく……心で」
エミリーは顔を近付けた”心で”って言葉がジニーの胸に刺さった。
「……多分……好き」
消えそうなぐらい小声で呟いたジニーだった。
「聞こえない」
更に顔を近づけたエミリーは、はっきりとした口調で言った。
「好き……」
ジニーは少し声を大きくした。
「まだ聞こえない!」
エミリーも声を上げた。
「大好きっ!」
ジニーは叫んだ。
「分った」
そっとエミリーはジニーを抱き締めた、そして耳元で囁いた。
「サムのおじいちゃんが、高性能ラジオ持ってるんだって」
「えっ、何?」
体を離したジニーは、笑顔のエミリーを見た。
「もう、それがあれば松田の試合が聞けるんだよ」
「……巧の試合……」
エミリーの言葉は、曇っていたジニーの心に光を導いた。テレビなどで試合の結果は分かっても、ダイジェストさえ無いマイナーリーグの試合は、地元のラジオ局ぐらいでないと放送なんてしない。
「聞いたよ、エミリーから」
ふいにやって来たサムが笑顔で立っていた。
「おじいちゃん、貸してくれるかな?」
声を弱めたジニーだった。
「大丈夫だと思うよ、放課後行こう」
「ありがとう……」
サムの言葉もジニーに希望を与えてくれた。
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夕方、三人は街外れにあるサムの祖父リチャードの家に行った。
「初めまして、ジニーです」「エミリーです、よろしく」
「ほう、サムが二人も女の子を連れてくるとは」
優しそうなリチャードは、大きなソファーで笑っていた。
「おじいちゃん、ラジオ貸してくれない?」
横に座ったサムは、リチャードの耳元で言った。
「どうするんじゃ?」
「ジニーの彼氏がプラネッツの選手なんだ、それで地方の試合が聞きたくて」
サムの言葉に、ジニーの脈拍はロケットみたいに急上昇した。息が苦しくて、喉がカラカラに渇いた。頭の中で”彼氏”という言葉が激しく反復横跳びする。
「ほう、誰じゃ?」
「巧・松田、新人のピッチャーだよ」
サムの答えに、リチャードは満面の笑みになる。
「そうか、あのイエロー・サブマリンか。特にライジングボールは最高じゃ」
「イエロー、サブマリン?」
エミリーは不思議そうな顔をした。
「下手投げの投法は下に潜るという意味と、浮かび上がる投球からサブマリン《潜水艦》と呼ばれておるんじゃ……彼は東洋人じゃから例えてイエロー、じゃが悪い意味ではない。見ているだけで心を弾ませ楽しい気分にさせてくれる、単純に色としての意味でのイエローなのじゃ……そして、イエローと言う色は太陽を表す。まさに、明るく輝く彼にぴったりの色じゃな」
リチャードはジニーとエミリーに優しく笑った。ジニーの心の中に、明るい太陽と巧の笑顔が重なって自然と笑顔になった。
「それで、ライジングボールって何ですか?」
エミリーは更に聞いた。
「手元でホップするストレートじゃ。わしも、あんな球は初めて見た」
その球筋を思い出し、リチャードは更に笑顔になった。
「それより、おじいちゃん」
苦笑いのサムは催促した。
「日本製の高性能ラジオじゃ、しかしどれ位受信できるかは……そうじゃ、展望台ならなんとかなるかもしれん」
「貸してくれるんですか?」
ジニーは目を輝かせた。
「勿論じゃ。彼はメジャーに行くぞ」
リチャードはジニーにウインクした。