初先発
スプリングトレーニングは順調に消化され、いよいよシーズンの開幕になった。巧も四試合に登板、八回三分の一を投げて二勝。防御率0.87の好成績で、開幕第三戦の先発の日がやって来た。
「ジニー、おはよう」
朝、巧がドアをノックした。
「おはよう。今日は、がんばってね」
玄関に向かえたジニーは、精一杯の笑顔を向けた。
「ジニーは、もう三試合目だよね」
巧は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「相手は去年のチャンピオン、マウントシティ・レッドウッズよ。左の強打者ランプキンが開幕から調子いいし」
開幕二試合で3ホーマーのランプキンを間近で見たジニーは、溜息を付いた。
「僕も見たけど……」
「だったらどうしたの?」
ジニーは両腕を腰に当てた。
「何か緊張して」
巧は苦笑いした。
「もう、まだ始まってないのに……そうだ、おまじない教えてあげる。緊張してどうしようもなくなったら、思い切り息を吸って鼻を摘むの。そうすれば嘘みたいに緊張が解れるよ」
ジニーは自分の鼻を摘んで見せた。
「やってみる」
巧は笑顔になった。そして行こうとした時、急に振り向いた。
「これ、ジニーは鼻の頭に汗かくから」
それは真っ白なリストバンドで、勿論#1の番号入りだった。
「ありがと……」
受け取ったジニーは赤面して、強く胸に抱いた。
「そんじゃ、先に行ってるから」
笑顔の巧は走って行った。
「あら、巧、来てたんじゃないの?」
サラの言葉も、今のジニーには届かなかった。
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「あれ? そのリストバンド」
控え室で着替えの時、目聡いエミリーはすぐに気付いた。
「えっ……何?……」
ジニーは上の空だった。
「あっ、#1番……ふぅん、そう言うことか」
エミリーはジニーの腰を笑って突付いた。
「えっ……うん……」
ジニーは小さな声で呟いた。耳まで赤くなり、自分でも気付かないうちに俯く。
「さあ、ショウの始まりよ」
エミリーはジニーの背中を押して、グラウンドに飛び出した。雲一つない青空と、眩しい太陽、乾いて潮風の混ざる空気は、ジニーの心を大空に解き放った。
三試合目で慣れてるはずなのに、ジニーは何故か緊張していた。そして場内のアナウンスはジニーの胸を締め付けた。
「プラネッツのピッチャー、巧・松田……ナンバー、1」
一塁側ベンチから出て来た巧は歓声に包まれ、眩しい太陽の下で輝いて見えた。
「がんばって巧……」
ジニーは、リストバンドを付けた左手を握り締めた。しかし、内野を回っていたボールが一塁側に逸れ、側に転がったが気付かずにいたジニーに内野席からドッと笑いが起こった。
初球のストレートはアウトコース一杯で、右打者のコールマンは振り遅れて椅子に座るジニーに打球が迫った。
「ジニーっ!!」
大声に我に返ったジニーは、目前の打球に素早く対応した。捕ったボールを、一番前の男の子に手渡すと不思議と緊張が解けた。そして、さっきの声が巧だと気付いた。
「あいつ……試合中なのに……」
何故か笑って、巧の背中を見る事が出来たジニーだった。
「試合中に”ジニーっ!” は、ないだろ……」
マウンドに来たトムは苦笑いした。
「なんか、ボオッとしてて危なそうだったから」
グラブで口を押さえた巧は、トムに謝った。
「それでサイン無視してアウトコースに投げて、ジニーの目を醒ましたって言う訳か……まあ、緊張してないみたいだな」
トムは笑った。
「はい」
巧は笑顔で頷いた。
「さあ、ショウの始まりだ」
巧のお尻を叩いたトムは、ホームベースに戻った。緊張の解れた巧は、一度マウンドで深呼吸すると、大きく振りかぶった。そして二球目ストレートで詰まらせてセカンドゴロに仕留め、二番をカーブでキャッチャーフライ、三番をチェンジアップ三振で一回を簡単に終わらせた。
そしてベンチに戻る時、ジニーに声を掛けた巧だった。
「ジニー、気を付けろよ」
頷いたジニーは、笑顔でグラブを差し上げた。
「あいつ、わざと打たせたのね……余裕あるじゃない」
呟いたジニーは、自然と笑みがこぼれた。そして、チームの練習が終わった後、帰って来てから巧がやっていた奇妙な練習を思い出した。
それは、裏庭にネットを張り数メートル手前からの投球だった。普通に振りかぶり投げる事を繰り返すのだが、何故か投球間隔が変だと感じた。
それは、まるで試合をしている様な”間”であり、一球毎にサインを確認する仕草まであった。そして、時にはセットポジションにもなったりしていた。
それは、毎日深夜まで続き、ジニーは声を掛けたくても出来ずに、そっと陰から見守るしか出来なかった。
「あれはきっと、毎日試合のつもりで投げてるんだろうな……」
ジニーは呟くと、巧の背中を目で追った。