全力
八回は四番のランプキンからだった、巧は迷う事なく一球目からスクリューボールで空振りを取った。二球目のカーブのサインに首を振り、またスクリューボールで空振りさせた。
一旦打席を外したランプキンは、スクリューボールの軌道に合わせる様にスイングを繰り返した。
「ここが、正念場だ……」
呟いたトムが一球外そうとサインを出すが、巧は首を振った。
『続けるのか?……どう見ても待ってるぞ』
心で呟いたトムは、もう一度外すサインを出した。だが、当然の様に巧は首を振った。
『強情な奴だ……』
ニヤリと笑ったトムは、スクリューボールのサインを出した。当然、三球勝負だとランプキンに分かった様で、構えるバットに力が満ち溢れていた。
すると、巧は急にセットポジションを取り、誰も居ない一塁を見た後、渾身のスクリューボールを投げ込んだ。
瞬時にトムは肝を冷やす! セットポジションなら球威が落ちるのは必然、球のキレも劣ると、目を見開いた。
それは即ちランプキンも同じ様に感じる事で、振り始めの始動を微妙に遅らせた。
『タイミングがっ!!』
思わずトムが心で叫んだ! だが、巧の手から放たれたボールのスピードは、ワインドアップと遜色はなく、むしろ外角低めの絶妙なコントールを生んでいた。
そして、ベース手前でホップしたボールは、急角度で落ちた! 何とかバットに当てようとしたランプキンだったが、バットは空を切った。必死に身体を寄せて前に落としたトムは、素早くボールを拾ってランプキンにタッチした。
「マジか……」
言える言葉は、それしかなかった……巧は投球姿勢を変える事で、バッターを幻惑していた。だが、言い換えれば、それだけ追い込まれている事の証でもあった。
続く五番と六番もワインドアップとセットポジションを使い分け、全部スクリューボールで責めた。しかも、遊び球はなく、全球違うコースに投げ分けて六球で三振二つを取った。
だが、巧はふらつく脚でベンチに戻ると横になって目を閉じた。
「大丈夫か巧……」
トムは側に寄って覗き込んだ。
「少し、寝るよ」
巧は小さな声で呟いた。
「本当に全力出してやがる……」
気力と知力、体力など全てを尽くす巧の投球に、呆れた様にトムは呟くが、その横顔は笑ったいた。
「どうしてそこまでするんだ……」
たが、ジムには分らなかった。確かにノーノーは特別だが、それ以上に必死なのは理解出来なかった。
「訳があるんだよ」
フィルは巧の額に濡れタオルを乗せた。
「何だ、知ってるのか?」
ジムはフィルの腕を取って、ベンチの隅に行った。
「言えねぇよ」
フィルは目を逸らし、苦笑いした。
「訳を言わないなら巧は交代だ、これ以上は怪我のリスクもある」
ジムは決心した様に、強い口調で言った。
「分ったよ。詳しくは言えねぇけど、女がらみだ」
「あんなになってまでの理由がかっ!?」
ジムは大声を上げてフィルの胸ぐらを掴んだ。その時、泣き顔のジニーがベンチの巧の側に寄り添った。
「巧、もういいよ……もう止めようよ」
ジニーは大粒の涙を拭おうとはしなかった。
「ジニー、大丈夫だから……それより当たったとこ、何ともないかい?」
巧はタオルで顔を隠したまま、自分の事よりジニーを心配していた。
「私の事なんてどうでもいいよ」
ジニーは泣き崩れた。
「ごめん、ジニー……あと少しだから」
巧の声はとても優しかった。
他の選手達も、二人の様子を黙って見守っていた。
「どうした?早くしろ」
出てこない選手に、審判がベンチを覗いた。
「この回、ヒットを打てなんて言わん、とにかく粘って少しでも巧を休ませろっ!」
大きく息を吐いた後、ジムの大声がベンチに響いた。
「よしっ、誰の打順だっ!?」
トムは声を上げた。
「おめぇだよ」
苦笑いのフィルは、バットとヘルメットを差し出した。
「ジニー……持ち場に帰れるな?」
座り込むジニーにジムは優しく言った。
「でも、巧が……」
「巧の事は任せておけ、うちの重量打線が休ませるから……さあ、戻るんだ」
ジムはジニーを立たせると、ベンチの外に送り出した。
「すみません……」
巧は呟いた。
「一度くらい、女の為の試合があってもいいさ……だがな、ここまで来てダメだったは通用しないぞ……いいか、男を見せろ」
ジムは自分の言葉に苦笑するが、最後は巧を見据えた。
「はい」
起き上がっ巧は、強く返事した。
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トムも次の打者も粘りに粘り、かなりの時間巧を休ませることが出来た。
「出番だ。三振21個、取るぞ。完全試合のオマケ付きでな」
チェンジになると、トムはそっと巧を起こした。
九回の表レッドウッズは七番のミゲルに変わり、左のピンチヒッターを送って来た。
「当てるのが上手そうだな」
マウンドにやって来たトムは、脚の速そうな打者を見て言った。
「当てさせないさ」
巧はトムの目を真っ直ぐ見た。
「お前な……」
トムは溜息を付いた。
「絶対に達成する」
巧は呟いた。
「その意気だ。気合で行こうぜ」
「ああ」
ニヤリと笑うとするトムに、巧は微笑んだ。
「一球目は高めに暴投しろ、取れないぐらいのな」
一瞬考えて、トムはミットで口を隠して言った。
「えっ?」
「二球目は手前でワンバウンドだ。相手は相当疲れてると見て、ファーボールを狙って来る……まずは、パーフェクトを崩そうと考える」
「そう言うことか」
巧は頷いた。
「ここからだ、三球目は外角低めいっぱいに渾身の速球を決めろ。そして四球目もワンバウンド、五球目は外角ボールゾーンから入ってくるカーブでストライクを取り、最後は渾身のスクリューボールだ……お前のコントロール信じてるぜ」
トムは笑顔で言った。勿論、疲労のピークの巧にコントロールを要求するのは過酷だがトムは信じていた。
「分った」
巧は頷くと、大きく深呼吸した。