決意
巧のスクリューボールの精度は日に日に向上した。マメは完治して、遠征の数試合は短いイニングを中継ぎで調整した。
その間も、オーバーワークとも言える辛い練習を続け、それでも明るく振る舞う巧の姿はチーム全体の意識を変え、各自が本来持っている実力を底上げした。
そして、シーズン終盤に入ったプラネッツは首位と三ゲームと高位置に付けていた。十年ぶりのAクラスは、観客動員に顕著に表れていた。
巧の遠征の時は展望台が定位置のはずだったが、チームの上昇はローカルTVやラジオが中継で代替してくれた。ジニーは、サラやエミリーには普段通りを装ってはいたが、一人になると、涙を浮かべる事もあった。
「あんなの多くなって来たね……」
試合前、エミリーはスタンドの若い女の子達に溜息を付いた。
「そうだね……どうしてかな」
ジニーはカラーの雰囲気が変わったスタンドを見た。そしてジニーから見ても、綺麗な子や可愛い子が沢山いて、少し胸が痛んだ。
「レべッカも形無しだね、ほらメチャメチャ化粧して……汗かいた後が見ものだね」
エミリーはレべッカのド派手な化粧を笑った。
「私もお化粧したら、綺麗になれるかな……」
ジニーは、そっとブルペンで投げてる巧の方を見た。
「化粧しなくてこれだけ可愛いんだよ、自信を持って」
エミリーはジニーの肩を抱いた。
「でも最近、お客さん……多いね」
照れ笑いしたジニーは、満員に近いスタンドを見た。
「チームが違う目標を見つけ、強くなったからさ」
横にいたトムは、スタンドを見て笑った。
「違う目標……」
エミリーは首を傾げた。
「2Aや3A……そしてメジャーに行く……それが目標だった。でも、もっとベースボールを楽しみたい、そう思ったらチームは強くなった、楽しくなった」
トムはグランドの緑に輝く芝を見詰めた……。
「観るのも楽しいだろうがプレーするのは、もっと楽しいぜ」
芝生で柔軟運動をするフィルが、ジニーに笑顔を向けた。
「そうなんだろうね」
「今日は特に良く見ておけよ」
頷くジニーに、フィルは笑い掛けた。
「こらっ、しっ!」
フィルに対して慌てる様子のトムの様子に、ジニーは首を傾げた。
___________
試合前、選手だけのロッカールームで巧は皆に頭を下げた。
「今日のゲーム、奪三振の記録を狙う。守備や攻撃のリズムが狂うかもしれないけど、許して欲しい」
「何だと? お前、分かってるのか?」
フィルが顔色を変えて詰め寄り、胸ぐらを掴んだ。
「ああ、自分勝手だって分かるよ……ゲームは僕の為にある訳じゃないから」
「当たり前だ! 皆メジャーを目指して必死でやってるんだ、個人の都合でやられてたまるか」
怒鳴るフィルに他の皆も、強い視線で巧を見る。だが、割って入ったトムは皆に向き直った。
「巧、だから言ったろ。唐突過ぎるんだよ、順番が違う、ちゃんと先に説明しろ」
「分かった……あの、えっと……ジニーがウィニングボール無くして……落ち込んでたから……その、もっと凄い記念ボールあげたくて……」
口籠りながらも、巧は真意を正直に話した。
「はぁ? 何だって?……」
フィルは素っ頓狂な声を上げた。
「つまり、好きな女の為か」
腕組みのリッキーがニヤリと笑った。
「メジャー記録って確か……」
カイルも腕組みで首を傾げるが、顔は笑っていた。
「大昔、16イニングで21個、9イニングなら20個だ」
博識のトーマスが頷きながら言うが、当然顔は笑っていた。
「それなら、21個か……厳しいぜ……要するに7回を全部三振って事だからな」
頷くダニーも、他人事みたいに笑っていた。
「だが、一番厳しいのは球数が増える事だ。今は100球前後で降板だぜ」
少し首を捻り、今度は真面目な顔でリッキーが言った。
「だからぁ、ノーノーを続ければいいんだよ。そうすれば、球数が嵩んでも降ろされない」
フィルはニヤリと笑って巧を見た。
「フィル……」
巧は安堵した様な顔で、フィルを見た。
「勘違いするなよ。初回にヒットを打たれれば、そこで終わりなんだ。その後で100球以内に21個の三振なんて、不可能じゃなくても難易度は激増なんだからな……本当に出来るのか?」
「ああ、出来る……いや、やる」
巧は真剣な眼差しをフィルに向け、その後に全員を見回した。
「俺は嫌いじゃないぜ」
「俺もだ。女の為のゲームか、悪くない」
トーマスが笑い、ダニーも笑った。
「何か、もう緊張して来た」
「お前が投げる訳じゃないぞ。投げるのは巧だ」
身震いしながら笑うカイルに、リッキーが突っ込んだ。他の皆も、口々に感想を言って笑い合った。
「皆、ありがとう」
巧は皆に深々と頭を下げた。
「礼は、記録を達成してからだ。ブルペンには俺から言っておく、お前は全力を尽くせ……それと、お前らエラーは恐れるなよ。ヒットにしなけりゃ良いんだ」
今度は巧の肩を抱き、フィルが笑顔を向け全員に言った。
「お前は出ないから、言えるんだよ!」
カイルが言い返すと、全員が爆笑した。そして、全員が気合の掛け声を掛け、グランドに出て行くが、最後に残ったトムにフィルが聞いた。
「出来ると思うか?」
「そうだな、最初に聞いた時はブッ飛んだけどな……あいつなら、出来ると思ったさ……あいつの努力は知ってるだろ?」
防具を用意しながら、トムはニヤリと笑った。
「そうだな……天性の才能の持ち主が、あれだけ努力してるんだ……きっと、大丈夫だ」
普段の巧の姿を思い出し、フィルは穏やかに笑みを浮かべた。
___________
そして、首位のマウントシティ・レッドウッズとの運命の試合が始まった。
ジニーは1回の表から不思議な感覚に包まれていた。巧は慎重に立ち上がり、一番と二番をスライダーで三振、三番をホップするストレートでショートゴロに打ち取った。平凡なショートゴロなのに、捕球したダニーが物凄く不満そうだったから。
二回、先頭打者のランプキンは二球目のカーブを強振した、しかし一塁ベンチ側への小フライになった……巧は猛然とダッシュした。
「やめろ巧っ! リッキーに任せろっ!」
トムの叫びも聞かず巧は飛びついた。勢い余って頭からスタンドに飛び込み、歓声と悲鳴が起こった。
「巧っ!!」
ジニーは叫んで掛け付けた。
「大丈夫だよ……」
巧は捕球していた。安心したジニーは、その場にヘナヘナと座り込んだ。
「巧、どういうつもりだ?」
マウンドで、トムは巧を見据えた。
「三振の記録を狙ってるって悟られたら、大振りを止めて当てに来る」
巧は真っ直ぐトムを見た。
「お前って奴は、そこまで考えるか?」
トムは大きく息を吐いた。
「それに、皆の緊張を少しでも楽になる様にしたいから」
巧は真っすぐにトムを見た。その真剣な眼差しに、トムはニヤリと笑った。
「お前が三振取れば、後ろは何もしなくて楽だよ」
少し笑った巧は小さく頷いた。
「それと、スクリューボールは二回り目に各自に一球づつ見せるぞ。意識させるだけで他の球で三振を取り易くなるからな。そして、最後はお待ちかねスクリューボールの連発だ」
「賛成だ」
ホームへの帰り際、トムは今度は真剣に言った。巧も同じ考えだったので、大きく頷いた。
スタンドからは盛大な拍手と喝采が続いていた。
「巧……」
ただ一人、ジニーだけは冷たい予感に包まれていた。どうして、そんな無理をするのかと……。