父親
「久しぶりだな」
ジニーの止まった時間は、聞き覚えのある聞きたくはない声に押されて動き出した。振り向いたジニーは、ジョーを睨み付ける。
白髪が混じり、目元の皺も目立つ顔は大嫌いな父親の姿としてジニーの目に映るが、何より優しかった時の笑顔が記憶に蘇った事が嫌だった。
「どうして来たの?」
強く睨むが、ジョーは穏やかな表情だった。
「サラは元気か?」
「関係ない……それより、目的を聞かせて」
ジョーの問いには答えず、ジニーは視線と語尾を強めた。
「マットにお前の事を話し過ぎた……奴には言った。メジャーで最高の選手じゃないと、お前はやらないと」
「やらない? 勝手に決めないで」
苛立ちがジニーを包むが、ジョーは表情を変えなかった。
「忠告を破り、マットはお前に会いに言った……だが、お前には……」
「やめて!!」
ジニーはジョーの言葉を遮り、大声で叫んだ。その声は残響を残し、青空の彼方に消えた。暫くの沈黙の後、ジョーは静かに言った。
「あの男……後は勲章さえあれば、メジャーに行けるだろう……流石、俺の娘だ……男を見る目は確かだ……」
「えっ?……」
「じゃあな……サラに宜しく」
ジョーはそう言って背中を向けた。そして、ジニーはまた、その場に立ち竦む……遠ざかるジョーの背中は、何故がとても小さく見えた。
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ジョーが去って取り残されたジニーの脳裏には、ある言葉が浮かんでいた……”流石、俺の娘だ……男を見る目は確かだな”。
ふいにジニーは走り出した、もう我慢なんて出来なかった。スタジアムに向かって走る今のジニーに迷いなんて……もう無かった。
緑の芝生の上で、巧はストレッチをしていた。駆け寄るジニーは巧の頭付近で立ち止まるが、何も言えなかった。
見ていたトムは、他の者を遠くへ追いやり大声で言った。
「巧! 話を聞いてやれよ!」
「あれ、どうしたの?」
寝ころんだまま、巧は笑顔で言った。急に力が抜け、ジニーは傍に座り込んだ。だが、言葉は思うように出てこない……風が運ぶ潮の香りだけが、芝生の上を通り過ぎて行った。
暫くして、巧が話し出した。
「ボール、無くしたんだって? ……物凄く泣いたって聞いたよ……」
「泣いて、ないもん……」
恥ずかしさで、ジニーは赤くなった。
「大切にして、くれたんだね……」
「巧のウィニングボールだから……」
優しい巧の声に、涙を必死で堪えたジニーだった。そして、また沈黙が広がるが、今度はジニーから話し出した。
「マットを三振に押さえたんだよね?」
「えっ、そうだね」
「凄い球だって言ってた……スクリューボールなんて、投げれたの?」
「……まだ、数回しか投げた事なかったんだ。他の球は何とかコントロール出来る様になったけど、マイナーとは言っても強打者には通用しないからね……やっぱり、ウィニングショットが必要なんだ」
「浮かんで落ちるんでしょ? それなら凄いウィニングショットになるね」
座ったまま、ジニーの脳裏には球筋が見えた。
「でも、マットの時は完全にまぐれだったよ……今は落ちないかも」
「まぐれ何かじゃないよ、巧なら出来るから」
弱気を見せる巧に、ジニーは必死で言った。
「ありがと……でも、マットは絶対に三振に仕留めたかった……だから、投げれた」
「どうして?」
「それは、その……」
巧は口籠った。もしかして、私の為? 想像するだけで、ジニーの心拍は上昇して、息が苦しくなった。そしてまた,暫くの沈黙が続く……そして、またジョーの言葉が脳裏に浮かぶと、ジニーは素直に言葉が出た。
「あのね、マットの事なんだけど……」
ジニーは正直に全て話した。父親が自分の事を褒めて、マットが興味を持ち、メジャーに行かないと認めない事など……全てを。
黙って聞いた巧の表情が、みるみる笑顔になる事をジニーは不思議な感じで見ていた。
「えっ、もしかしてマットと一緒に来た人、お父さん?」
「多分、そう……」
急に飛び上がり、巧は驚いた様に言った。
「だから、凄く睨んでたんだ……」
巧は娘を心配して来た父親だからこそ、睨んだと言う事に合点がいった。
「でもね、言ってた……後は勲章があれば、巧はメジャーに行けるって」
「会えたんだね」
メジャーに行けるって言われた事より、巧はジニーが父親に会えた事を喜んだ。
「……あまり、会いたくはなかったけど」
「……よかったね、お父さんと話せて」
また、寝ころんだ巧は嬉しそうに言った。
「でも、口喧嘩みたいになって……」
「いいと思うよ……喧嘩出来るんだから」
「……ごめんなさい」
巧には両親が居ない事を思い出し、ジニーは俯いた。
「気にしないで……さてと、もう少しがんばろうかな。それじゃあ、またね」
笑顔を向け立ち上がった巧は、遠くで見てるトムの方に走って行った。
巧の何気ない言葉は、何故がジニーの心を安寧に導いた。そして、この温かな安心感に触れられるだけでいい……そんな、弱気な気持ちさえ愛しく感じた。
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「色男、話は終わったのか?」
ニヤニヤしながら、トムは冷やかした。
「確かルーはサイドスローだったから、スクリューボールは投げられたよね」
「そうだけど昔の事だぞ、覚えてるかな?」
やる気を出す巧を見てトムはジニーとの話を想像するが、敢えて触れなかった。
「誰が年寄りだ? スクリューボールは得意球だったぜ」
腕組みすりトムの横で、ルーは苦笑いした。
「この前は、見よう見真似だったんです。教えて下さい」
巧はルーに頭を下げた。
「あれが、見よう見真似? 俺に教えるトコあるのかぁ?」
笑いながらルーは言うが、その脳裏には巧の投げたスクリューボールの軌道が焼き付いていた。
「モノに出来れば怖いもの無しだ。練習はスクリューボール中心にやれ」
今度はジムが横から言った。
「分かりました。お願いします」
巧は元気よく言うと、ルーと一緒にブルペンに向かった。ジムはトムを呼び止めると、肩を叩いた。
「ジョーも言ってた。巧は本物だってな……それに、スクリューボールが加わればメジャー行きは確定路線だ……頼むぞ」
「言われなくて分かってるさ……でもさ、あいつは最初から本物だよ」
巧の背中を見ながら、トムはニヤリと笑った。