魔球
巧が練習に戻って暫くすると、ジョーとジムが戻って来た。そして、その後ろにはヘルメットを被り、バットを持ったマットの姿もあった。
「勝負しに来たってか」
直ぐにトムが駆け寄るが、巧はマットの視線よりジョーの視線が気になった。
「肩は出来てるよな? 一打席だけ相手をしてやれ」
ジムはそう言うが、トムは不機嫌そうに言った。
「ドラフト候補だか知らないが、巧はプロだぜ……」
「いいよ、トム。やろう」
トムの言葉を遮り、巧はマットを見た。その素振りは凄まじく、バットの風切り音は誰にも簡単に予感をさせた……凄い打者だと。
「高校生に打たれたら恥だぞ」
マウンドでマットの素振りを見ながら、トムは笑った。
「当たれば、軽く柵越えだよな」
マウンドを均しながら、巧も口元だけで笑った。
「当てさせないんだろ?」
「ああ、そうだね。配球は、三振を取るやつで」
ミットで口元を隠して言うトムに、巧も口元を隠す。
「ストレートで押さないのか?」
聞き返すトムに、巧はマットの素振りを見ながら言った。
「ストレートなら、直ぐに合わされる」
「そうだな……それに、お前の球種は既に見られてるからな。追い込んだら、例のやつ使うか?」
「見せてないのは、アレだけだからね。未完成だけど、空振り取るならアレしかないよ……でも、逸らさないでよ。振り逃げでも、こっちの負けだから」
「ははは、死ぬ気で止めてやるぜ」
笑いながら、トムはポジションに戻った。打席入ったマットの構えはリラックスしていて、どこにも力が入って無い様に見えた。
トップの位置で、バットをゆっくり揺らしている。広めのスタンスは速球だけでなく、遅い変化球にも対応出来そうに見えた。そして、緩く畳んだ肘は、左右の変化にも強そうだった。
「隙が無いな……」
セットに入った巧は速いストレートを、内角低めボール一個分外に投げ込んだ。右打者の懐にクロスファイアで伸びて浮かび上がる会心の球だが、マットは左肘を上手く畳んで振って来た。
だが、浮きがった分ボールの僅か下を叩き、一塁側のスタンドにファールした。
『最初から、フルスイングか……ボール球にしなかったら、やばかった……』
心で呟くトムは少し寒気がしたが、ボールを返す時の巧の表情を見て口元を緩めた。
『計算通りって顔だな……』
二球目も速いストレート。今度は外角低めのストライクゾーンだが、初球よりスピードは押さえていた。
二球目もマットは強振する。だが、思ったよりスピードが遅く振り過ぎた格好で、会心の打球音を残し捉えたはずの球は、三塁側スタンドのファールゾーン最深部に着弾した。
二球で追い込んだが、三球目のカーブと四球目のスライダーは両方共に外角にボール半個分外れる際どさだが、マットは余裕で見逃した。
『選球眼もいい……見極めが早い……こりゃ、高校生じゃないな』
トムはまた、心の中で呆れた様に呟く。そして四球目のサインを出すが、巧は二度首を振った。
『まさか、これか?』
サインを出すと同時に頷く巧に、トムは構えを正して捕球に神経を集中した。
地面スレスレの低い位置から放たれたボールは、ホームベース手前でホップした! マットは救い上げる様に振りに行くが、瞬間! 急角度でボールが落ちた。
空を切るバット! マット不動の下半身も大きく態勢を崩す! そしてボールはベース手前でワンバウンド! 身を挺したトムが何とか身体で受け、慌てて拾ってマットにタッチした。
「決め球は、カットボールはだと思ってました。今の球、前には見せてくれませんでしたね……一度浮き上がって、落ちた……スクリューボール、ですか?」
「カットボールなら、当てられて内野ゴロだからね。空振りを取るのには、落ちる球だからチェンジアップより、更に挙動が大きいスクリューボールだよ」
マットは大きく息を吐きながら言うと、巧はマウンドから説明する。
「何だ? 今のはスクリューボールか? 俺も始めて見たぞ」
「まだ、投げ始めたばかりですから」
驚いたジムに、巧が言った。
「浮いて、落ちる球か……気が済んだかマット」
「はい」
ジョーは呟くと、マットを伴い帰って行った。
「高校生相手に大人げないな」
「そうだね……でも、スクリューボール以外なら打たれてたかもね」
笑いながら近づくトムに、巧は笑顔で言った。
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「ジニー、ちょっといいかな」
授業が終わると、マットがやって来た。
「……分かった、いいよ」
一瞬考えたが、ジニーは振り向いたエミリーの笑顔を見ると小さく頷いた。テニスコート横のベンチに、二人は少し離れて座った。
「あのさ……今日、松田と一打席勝負した」
マットの口から、巧の話が出るとは思わず、ジニーの胸に小さな痛みが過った。
「……そう」
「結果は三振だよ。決め球はスクリューボール、こうベースの手前でホップした後、急激に落ちたんだ」
身振り手振りのマットは嬉しそうで、ジニーの警戒心はゆっくりと消えた。
「そんなに、凄かった……の?」
「緩急自在、コントロールは抜群、しかもあのスクリューボール……今まで見てきた中で、最高だよ。あっ、高校レベルじゃなくてメジャーも含めてだからね」
興奮気味のマットだっが、巧が褒めれれる事が自分の事の様に嬉しいジニーは自然と微笑んだ。
「……笑うとこ、始めて見た」
「えっ?」
少し照れた様なマットの言葉に、ジニーはドキドキした。それは、自分の正直な気持ちであり、改めて気付いた気がした。マットの事は嫌いじゃない……でも、それ以上に巧の事が好きなんだと。
「それで、帰る事にしたんだ」
「帰るの?」
帰ると聞くと、ほんの少し寂しい感じがしたが、その感じは嬉しさに薄めれた。
「帰って本格的に準備をする事にした。松田と対戦したいと言う気持ちより、一緒のチームで戦いたいと正直に思う……僕はキャッチャーだから……凄いピッチャーと組むのは夢であり、目標でもあるんだ」
「……」
”凄いピッチャー”という言葉が、ジニーの胸を更に高揚させた。
「それに、目的は果たしたから」
「目的?」
首を捻るジニーに、マットは続けた。
「ジョー自慢の娘に逢う事……」
「失望したでしょ」
マットが父親の名前を呼んだので、一瞬胸に痛みが走った。
「全然……思った以上だった……まあ、残念なのは先約があったって事かな」
「……」
笑顔のマットが見れなくて、ジニーは俯いた。だが、次のマットの言葉はジニーを震撼させた。
「ジョーも松田を認めた様だし……」
「今、何て!?」
立ち上がったジニーはマットに詰め寄った。
「あっ、連絡したら実際に見たいって言って……」
マットの言葉が終わらないうちに、ジニーは駆け出した。
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ジニーは必死で走った。頭の中は怒りに近かった……目的の場所は、スタジアムの横にある小さなホテルだった。
遠征で来たビジターのチームが、泊まるにはそこしかない。隣町に行けば大きなホテルはあるが、金満チームを除けば大抵のチームはそのホテルを利用する。
走りながら、更に怒りは増幅する。勝手に出て行って、勝手に人の相手も決め、勝手に来て巧を品定め……走りながら、ジニーは叫んだ。
「いい加減にしてよっ!!」
すれ違う人は驚いてジニーを見るが、ジニーは走り続けた。
「ジニーどうしたの?!」
途中ですれ違ったエミリーにさえ気付かない程、ジニーの怒りは頂点に達していた。だが、ホテルが近付いてくると、一気にアドレナリンは減少した。
そして、ホテルの前まで来ると激しい動悸と息切れに反し、ジニーの心は冷たく落ち込んだ。
そして、ドア開けるどころか近付く勇気さえ出ず、ジニーは泣きそうな顔で立ち竦む事しか出来なかった。