スィートホーム
「ごめんなさい……」
授業が終わると、ジニーは教室でエミリーに頭を下げた。ここ何日か、二人は気まずい雰囲気になっていた。
「どうして、謝るの?」
エミリーは小さな声で言った。
「心配してくれたのに……私……」
「違うよ……」
「えっ?」
立ち上がったエミリーは、俯いた。
「ジニーの気持ちなんて考えずに、自分の気持ちを押し付けた……」
「そんな事ない」
ジニーも俯いて、二人の言葉は停滞した。
「二人は親友なんだろ?」
離れて見ていたサムは、近づくと二人を引き寄せた。ジニーとエミリーは、そのままハグすると、もう言葉は要らなかった。
長いハグの後、サムは二人を誘ってドライブに出かけた。二人とも、最初は無口だっがジニーはマットの経緯を話し出した。
聞き終えたサムは、窓を開けて新鮮な風を車内に入れた。
「チームの練習にマットが来たんだ。彼は……良い奴だった……」
サムはグランド内の、真面目で気遣いの出来るマットの事を話した。
「私は……」
爽やかな風を受け、ジニーは何か言おうとしたが、言葉は続かなかった。
「ジニー……私はジニーの選んだ事を応援する」
助手席から、後部座席のジニーに振り向いたエミリーは笑顔で言った。
「……うん」
笑顔を返したジニーに、サムもミラー越しに微笑んだ。
__________
「巧……相談したい事があるの」
スタジアムを出た巧を、レベッカが待っていた。清楚な服装と薄化粧、落ち着いた雰囲気は普段とのギャップを感じたが、真剣な眼差しに巧は頷いた。
案内れた小さなカフェは、スタジアム近くで店内は空いていた。
「相談って、どうしたの?」
ファールガールなどをしていたレベッカは既に顔見知りで、ジニーの同級生と言う認識もあったが、俯いたまま話し出さないレベッカに、巧は笑顔を向けた。
顔を上げたレベッカは巧の笑顔に胸が高鳴り、Tシャツにラフなパンツと言う巧の服装も派手好きだったはずのレベッカを反対に高揚させた。
何より、向かい合って座る状況が、まるで恋人同士みたいな雰囲気でデートなんて星の数ほど経験して来たレベッカでさえ緊張と至福の状態に誘った。
アイスコーヒーで喉を湿らせ、何度もシュミレーションした話を切り出した。
「実は……ジニーの事なの……」
「ジニーが、どうしたの?」
レベッカは五感を駆使して、巧の表情を占うった。だが、驚いてる様子は窺えるが、その向こうにある感情は曖昧に霞んだ。
ほんの少しの切ない気持ちがレベッカの胸を、チクりと刺した。後ろめたい何かが一瞬過るが、そのまま話を続けた。
「……前に、巧があげたボール、無くしたみたいで凄く落ち込んで……元気がないの」
「そうなんだ……」
また、巧の表情を見る……悲しそうな表情は、レベッカの胸を締め付けた。
「……でも、無理に笑おうとして……友達として、私に何が出来るかな……」
「……」
何か良い案を考える巧の表情はジニーの事を真剣に考えてる事を示し、今度は嫉妬心が湧き出す。
「マットの件、知ってる?」
「えっ、ああ……」
明らかに動揺の顔色、レベッカは嫉妬心でテーブルの下で手が震えた。
「ジニーは今まで誰とも付き合って来なかった……それには、何か男の人に対する猜疑心っていうか……何かがあるんだと思う……でも、マットに告白されて揺れているの……マット、良い人だから……」
レベッカの言葉に、巧の心は浮き沈みを繰り返した。”付き合った事がない”で胸は高鳴り”告白されて揺れてる”で、胸が締め付けられた。
暫く俯いた巧は、顔を上げて無理して笑った。
「……マットは良い奴だよ……海浜公園で、二人で居るのを見たよ」
半分は本気で、半分は気持ちとは裏腹だった。だが、巧の言葉はレベッカを有頂天にさせた。
「そうよね、お似合いよね。私、ジニーを応援する!」
思わず声を上げ、反射的に巧の手を握った。
「うん……」
ぎこちなく笑う巧の深層など、今のレベッカには分かるはずもなかった。
___________
夜間練習に巧は集中出来なかった。頭の中にジニーの笑顔や、泣きそうな顔を交互に浮かび、最後はマットと並んで座る光景が浮かぶ。
苛立ち? 嫉妬? 巧には分からなかったが、気持ちは激しく揺れた。
「……メジャーリーガーに成るために来た……」
巧は呟くと、指先を見た。マメはカサブタになり痛みは殆どなかった。そして、大きく深呼吸すると海岸に向けて走り出した。
海を横に見ながら、無心で走った。ジニーの顔が浮かびそうになると、スピードを上げて振り払った……気付くと、町はずれにまで来ていた。
「そうだ、確かこの辺りだったけど……」
そこは小さな新興住宅地、トムの家だった。
「こんばんは」
「何だ? まだ練習してたのか? まさか、投げてないよな……まあいい、入れ」
驚くトムだっが、巧を家に招き入れた。小さいが穏やかな雰囲気、迎えてくれたトムの妻は、とても優しい雰囲気だった。
「いつもトムから聞いてるわよ。晩御飯まだなんでしょ、座って」
テーブルに案内されると、小さな女の子が巧を見詰めた。
「だあれ?」
「妻のバーバラに、娘のリリーだ」
トムに紹介され、巧も笑顔で挨拶した。
「巧・松田です」
「タクミ?」
「ああ、巧だよ」
「変な名前」
「こら、リリー」
怒るバーバラに、巧は懐かしい思いに包まれた。出てくる家庭料理は、どれも美味しくて巧を内側から癒してくれた。
楽しい会話、暖かい家庭……それは、両親が居ることであり、巧やジニーには無いものだった。
「手、見せて見ろ」
食事が終わると、トムはマメの状態を見た。
「もう少しだな……カットボールは、指先に負担が掛かるからな」
「でもさ、キレは出るけど、コントロールが上手くいかない」
「お前、他の球種の時はどうなんだ? コントロール出来てるだろ」
腕組みのトムは、ニヤリと笑った。
「そうだけど……」
「カットボールを特別だと思って投げてるからだ」
「えっ?」
「お前のコントロールは抜群だ、リリースの仕方が違うだけなんだよ深く考え過ぎなんだよ」
「そうか……トム! 受けてくれ」
「おいおい、治りかけなんだぞ」
「頼むよ!」
「少しだけだぞ」
目を輝かす巧押し切られ、トムと庭に出た。バーバラはカーテンを開け放し、部屋の照明をありったけ点灯させた。
ミットだけを持って出ようとしたトムに、バーバラは腰に手を当てた。
「プロテクター……マスクも。巧の変化球はキレるのよ」
「あっ、はい……こいつ、スタジアムでお前の球見て、ファンなんだ」
素直に聞いたトムは、苦笑いした。
「外角低めから」
勿論、照明が暗いので球速は落とすが、キレのあるカットボールは外角低めにズバリと決まった。
「今度は内角高め」
次の球も、抜群のコントロールで決まる。
「近くで見ると凄いわね」
「タクミ! すごい!」
感心するバーバラの横で、リリーが飛び跳ねた。もう少し投げると言う巧を何とか押さえ、部屋に戻ったトムは笑顔で言った。
「積み重ねた努力はあるんだ……お前の場合、全ては気持ちだな……」
「……気持ちか……」
「それが、メジャーへ行く為の最後のピースだ」
「まあ、偉そうに。マイナーのヘボキャッチャーが、上から目線?」
デザートを運びながら、バーバラは笑った。
「パパはヘボキャッチャーなの?」
巧を見上げるリリーの頭を撫ぜながら、巧は笑顔で言った。
「違うよ、凄いキャッチャーだよ」
「何も出ねぇからな」
苦笑いのトムに、巧は向き直って言った。
「トム、バーバラさん。僕も貴方達みたいに、暖かい家庭を作りたいと思います」
「バカヤロ。お前は、その前にメジャーに行け」
照れた様なトムを見ながら、バーバラは優しく笑っていた。