重なる偶然
「松田、さっきは狙って投げたのか?」
髭だらけの監督のジムは、腕組みしたまま言った。
「まさか、まぐれですよ」
振り返った巧は、笑顔で答える。
「まぁ、そうだろうな。狙っても当たるはずないもんな……」
独り言みたいに呟いた後、ジムは話を戻す。
「いい球が来てる。変化球は何がある?」
「カーブにシュート、チェンジアップ。スライダーも練習中です」
汗を拭った巧は答えた。
「投げて見ろ」
「カーブから行きます」
低い位置から放たれたボールは一度ふわっと浮き、急角度に落ちた。慌てたキャッチャーは、ミットに当てるのが精一杯だった。チェンジアップはストレートと変わらないフォームからスピードを十分に落とし、ベース付近で微妙に変化した。
シュートも打者の手元で鋭く曲がり、そして圧巻はスライダーだった。低い位置から放たれたボールは、浮き上がりながら大きく鋭く曲がった。当然、キャッチャーはミットに当てることさえ出来なかった。
「何だ、あのスライダー……ベースの幅は動いたぞ……ストレートは88マイル。打者の手元でホップするし、変化球もキレがある……何よりコントロールがいい」
投手コーチのルーは唖然と呟くが、最後はニヤリと笑った。コントロールは特筆でストレートも変化球も、キャッチャーの構えるミットに寸分の狂いもなく収まる事にルーは鳥肌を立てていた。
「ストレートはまさにライジングボールだな……明日の練習試合、二番手で投げろ」
ジムは胸の高鳴りを抑え、巧の肩を叩いた。
「よかったな巧。スライダーのコントロールさえ決まれば完璧だ」
「曲がりは大きいですが、コントロールはまだまだですね」
近付いてきたベテランキャッチャーのトムは山賊の様な厳つい顔だが、汗を拭って笑った。巧の凄さを既に知っていたトムは驚きは少なかったが、ホップするストレートや変化球のキレには舌を巻いた。
巧もボールの握りを再確認しながら、笑顔を向けた。
「それはそうと、アパート見つかったのか?」
急に思い出し、トムは笑いながら聞いた。
「はい、パークサイド通りに」
巧も笑顔で答えた。
「そうか近くに見つかってなによりだ、今日は早く寝ろよ」
トムは一回りぐらい歳の違う巧を、入団の時から気に掛けてくれていた。
「はい」
巧も笑顔で返事した。
「トム、どうだ?」
「捕りますよ……でも、あんなキレのあるボールは見たことが無い」
ジムは近づくと、小声で聞いた。キャッチングには定評のあるトムは、笑いながら返事した。
「いいピッチャーだな」
ルーはベンチに戻りながら呟いた。
「実戦で見ないと分らんさ」
言葉とは裏腹にジムは嬉しそうだった。
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「ママ、どうしたの?」
家に戻ったジニーは、嬉しそうな母親のサラに尋ねた。歳の割に若く見え、優しくて綺麗な母親は、ジニーの自慢だった。
「離れね、やっと借主が見つかったのよ」
「制約が多いのよ、だからダメだったの」
冷蔵庫がオレンジジュースを出し、パックのまま飲みながらジニーは呟く。
「だって年頃の娘がいるのよ、変な人には貸せないわ」
腰に手を当て、サラは微笑む。
「そうですか……で、どんな人?」
呆れた様に呟いたジニーは、ソファーに寝転んだ。
「とってもいい人。礼儀正しくて、キュートよ」
嬉しそうなサラの言葉に、ジニーは微笑んだ。
「よかったね」
「そうだ、もうじき挨拶に来るわ。お茶の用意しなくちゃ」
サラは慌ててキッチンに向かった。その後ろ姿を笑顔で見ていたジニーは、また少し笑顔になった。誰にでも優しくて明るい、友達みたいな母親が大好きだったから。
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そして夕方近くなり、間借り人がやって来た。
「えっ?……」
突然の事に、ジニーは驚いてソファーから立ち上がった。
「巧・松田ですお世話になります」
「ジニー、ご挨拶なさい」
サラの言葉に、固まっていたジニーはやっとスイッチが入った。でも、言葉はかなりぎこちなかった。
「……ジニー・ローレンです」
近くで見る巧は凄く若く見え、ジニーの頭が巧の目の位置に来るぐらいの身長でしかなかった。茶色の暖かそうな瞳、子供みたいな笑顔、穏やかで丁寧な喋り方”好感”がジニーの胸の中で穏やかに広がった。
「松田はプラネッツの選手なのよ」
「ママ……野球選手は……」
少し俯いたジニーは言葉を濁した。
「いいのよ、ママは人柄で選んだの」
笑顔のサラには迷いは無い様に見えた。ジニーも複雑ではあったが受け入れる事にした、何より巧の笑顔がとても優しそうだったから。
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「昨日はゴメンね」
学校で顔を合わせると、エミリーがすまなそうに謝って来た。
「別にいいよ」
笑顔を向けたジニーは、エミリーの肩を抱いた。
「……あの……ジニー……」
少し俯いて、エミリーは何か言いたそうにしていた。
「なぁに?」
「バイトのオーディション、付き合って欲しいんだ」
「何だそんな事か、いいよ。で、オーディションて何のバイト?」
エミリーの言葉に、笑顔で答えたジニーだった。
「それが……」
またエミリーは言葉を濁した。
「気にしないで、言ってみて」
俯いたままのエミリーを、優しい笑顔のジニーがそっと背中を押した。
「ファールガール」
エミリーは頬を赤らめ、小さな声で呟いた。
「何それ?」
キョトンとしたジニーも呟いた。
「試合の時、ファールを捕るの……でもあたし、運動オンチだから」
エミリーの声は更に小さくなった。
「大丈夫よ、エミリー。あんなの子供にだって捕れるよ……でも学校が……」
「平日はナイトゲームの時だけ……土日しかデーゲームないし」
少しエミリーの声に元気が出た。
「ならいいじゃん」
ジニーは笑顔で見詰めた。
「うん……でも」
「まだ何か?」
リンジーは腰に両腕を当てて、すまし顔で言った。
「今日なの、オーディション……しかも十三時からなの……」
エミリーの声はまた小さくなった。すまなそうに俯くエミリーが、ジニーの胸をキュンとさせた。何より、球場に行けば……”逢える”。ジニーは胸が熱くなるのを感じた。
「しょうがない、午後の授業はサボりね。ちょうど、科学の授業はサボリたかったんだ」
ジニーの笑顔につられて、エミリーも笑顔になった。




