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海辺のイエローサブマリン  作者: 真壁真菜
18/29

オーバーワーク

「どうだった?」


 家に戻ると、笑顔のサラがジニーを玄関で迎えた。マットに聞いた父親の事を、サラに話すか一瞬迷ったジニーだったが、話さないといけない……何故かそう思った。


「……あのね……」


 リビングのソファーに並んで座り、ジニーは口籠る。


「話したくないなら、いいのよ……でも、ママは何時もジニーの笑顔だけ見ていたい」


 優しく髪を撫でながら、サラは笑顔で言った。サラの穏やかな優しさが、ジニーを包み込んだ。


 小さい頃、泣きじゃくるジニーを抱き締め、耳元で囁いてくれた魔法の言葉が蘇る。


”……大丈夫、ジニーは大丈夫……”


 ジニーは全て話した。サラは笑顔のまま、黙って聞いてくれた。


「……どう思う?」


「どうって……それより、マットのママは美人なのかなぁ?」


 反対にサラが聞いた。


「知らんがな……」


 呆れたジニーは溜息を付いた。だが、ジニーの落ち込んでいた心は、夕立の後の様に晴れ上がり、元気が全身を覆っていた。


「とにかく、ジニー……自分の気持ちに素直に真っすぐよ。当たって砕けろ、砕けたらまた、抱き締めてあげる」


 笑顔で、そう言うとジニーを抱き締めたサラだった。


「……砕けるのは、ちょっと……」


 言葉は後ろ向きだったが、ジニーの顔には笑顔が戻っていた。


___________



「巧、何やってるの?」


 次の日グランドに来たジニーは、唖然としてトムに聞いた。


「あれね、気分転換だってさ……野手の俺たちゃ、立つ瀬がないよ」


 トムは呆れて両手を上げた。バッティングゲージの中で巧は素振りをしていた、そしてピッチャーが投げ出すと周囲はからは歓声が起こった。


 快音を残し、打球はライトスタンドに飛び込んだ。しかも、10スゥイングのうち三本といった具合だった。おまけに残りの多くもヒットコースに飛んでいた。そして巧が打ったり、打ち損じたりする度に歓声やブーイングが起こっていた。


「騒がしいね。あっ巧、バッティングもイケるのね」


「あのな、ジニー。感心するとこが違うぞ、ピッチャー見てみろ」


 変な所を見ているジニーに、トムは溜息を付いた。


「バッティングピッチャーの人が、わざと打たせてるんじゃないの? 気分転換に」


 ジニーはゲージの向こうを覗き込んだ。


「あっ……フィルじゃない、あれ……」


 フィルはプラネッツのエースで、95マイルの速球派ピッチャーだった。


「遠征の時もやられてな……奴さん、マジで投げてる」


 トムは呆れ顔で首を振った。


「本当だ……」


 唸りを上げるフィルの剛速球を、巧は簡単に左右に打ち分けていた。


「全く……あのバッティングは野手顔負けだ。フィールディングも超一流だし……まさにベースボール小僧だな。俺達までリトルリーグに居る様な錯覚になる」


 トムはまた呆れ顔で笑った。


「リトルリーグ?」


「ああ、リトルリーグの頃は何でも、どんなポジションでも出来る奴がゴロゴロいた……どの、そんな奴らの中でも、本当に最高の奴だけがメジャーリーガーになるんだ」


 ジニーが呟くと、トムは笑いながら言った。


「巧はメジャーに行くのね……」


 ジニーは小さく呟いた。


「多分な……でもな、巧には弱点がある」


 急に真剣な顔になったトムだった。


「弱点……」


 ジニーはトムの顔を不安そうに見た。


「あいつはな……優しすぎるんだ……今のままじゃメジャーでは通用しないだろう」


 トムの顔は少し悲しそうに見えた。


「……巧」


 ゲージの中の巧の背中が、ジニーには優しい笑顔とダブッて見えた。


「でもジニーには、その方がいいかな……ずっと巧の側にいられて」


 顔を上げたトムは、優しく笑った。


「私は……」


 ジニーには今はまだ分らなかった。本当は自分は……どうしたくて、何を望むのか。


「トムの言う通りだ。メジャーってのはな、どんなに技能が優れていてもメンタルの弱い、まして優しい奴なんか通用しない弱肉強食の世界。それが、メジャーだ」


 側に来た監督のジムは、大きなお腹の上で腕組みした。少し、怒ってる様に見えた。


「そうだな。でも巧にはメジャーに行って欲しい。不思議な奴なんだ……巧に接した奴は皆、巧の事が好きになる……カリスマ性やリーダーシップとかじゃない、何かこう、親しみって言うか……そして、自分の果たせそうもない夢を託したくなる」

 

 トムは巧の背中に呟いた。


「マイナーリーグの究極の仕事は、メジャーに優れた選手を供給する事だ……そこにはブロイラーみたいに感情なんて不要だ……ただ、勝てる奴を発掘し、育てるだけだ。でもな、巧と一緒にプレーするとベースボールってこんなにも楽しいって思える」


 ジムはその厳つい顔を綻ばせた。


「巧っ、今度は打たせないぜ」


「打てるさっ」


 フィルと巧は肩を組んでベンチに戻って行き、周囲の選手やスタッフも取巻きながら笑いの渦が出来ていた。


「ほらな、あの気難しいフィルだって……」


 トムは笑いながら、頭を掻いた。


「巧……」


 ジニーの胸は、温かい毛布みたいに優しい気持ちに包まれた。空はあくまで青くて高く、風は清々しかった。


「でもな。だから心配なんだ」


 ジムは、さっきの怒ってる表情を覗かせた。


「……どうしたの?」


 ジムには聞けなくて、ジニーは横のトムに聞いた。


「あいつ、早朝からの投げ込みでさ、カットボールの投げ過ぎで指のマメを潰した。先発は一回飛ばしで行けそうだが……明らかなオーバーワークだ」


 小声で教えてくれるトムの言葉に、ジニーの胸は締め付けられた。


「練習量は前から多かった。だか、一体何があったんだ……」


「止めても聞かないなんて、始めてだ……確かにカットボールがあれば、投球幅は大きく広がるんだがな」


 渋い顔のジムの横で、ルーも首を捻った。


「あいつは、大丈夫だ。身体のケアは人一倍……」


「その人一倍ケアしてる奴が、一日でマメを潰すか? 潰しても止めないって、どう言う事だ?」


 擁護しようとするトムをジムは睨み付け、ルーも首を傾げた。


「マメが完治するまで、投球禁止だ」


「でも、あいつ……」


 強い視線のジムが、トムをまた睨んだ。言い返そうとするが、ジムは更に強い声を重ねた。


「巧が投げれば、お前の責任だ」


「そんなぁ~。あいつ、言い出したら聞かないんだぞ……」


 トムは大きな溜息を付くが、ジニーは圧し潰されそうな不安に包まれた。巧が指示を無視してでもオーバーワークするのは……自分のせいかもしれないと。


 そして、巧が故障でもしたら……不安は大きくなるばかりだった。


「心配するな……縛ってでも投げさせないから」


 俯き泣きそうな顔になるジニーに、トムは笑いながら親指を立てた。


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