オーバーワーク
「どうだった?」
家に戻ると、笑顔のサラがジニーを玄関で迎えた。マットに聞いた父親の事を、サラに話すか一瞬迷ったジニーだったが、話さないといけない……何故かそう思った。
「……あのね……」
リビングのソファーに並んで座り、ジニーは口籠る。
「話したくないなら、いいのよ……でも、ママは何時もジニーの笑顔だけ見ていたい」
優しく髪を撫でながら、サラは笑顔で言った。サラの穏やかな優しさが、ジニーを包み込んだ。
小さい頃、泣きじゃくるジニーを抱き締め、耳元で囁いてくれた魔法の言葉が蘇る。
”……大丈夫、ジニーは大丈夫……”
ジニーは全て話した。サラは笑顔のまま、黙って聞いてくれた。
「……どう思う?」
「どうって……それより、マットのママは美人なのかなぁ?」
反対にサラが聞いた。
「知らんがな……」
呆れたジニーは溜息を付いた。だが、ジニーの落ち込んでいた心は、夕立の後の様に晴れ上がり、元気が全身を覆っていた。
「とにかく、ジニー……自分の気持ちに素直に真っすぐよ。当たって砕けろ、砕けたらまた、抱き締めてあげる」
笑顔で、そう言うとジニーを抱き締めたサラだった。
「……砕けるのは、ちょっと……」
言葉は後ろ向きだったが、ジニーの顔には笑顔が戻っていた。
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「巧、何やってるの?」
次の日グランドに来たジニーは、唖然としてトムに聞いた。
「あれね、気分転換だってさ……野手の俺たちゃ、立つ瀬がないよ」
トムは呆れて両手を上げた。バッティングゲージの中で巧は素振りをしていた、そしてピッチャーが投げ出すと周囲はからは歓声が起こった。
快音を残し、打球はライトスタンドに飛び込んだ。しかも、10スゥイングのうち三本といった具合だった。おまけに残りの多くもヒットコースに飛んでいた。そして巧が打ったり、打ち損じたりする度に歓声やブーイングが起こっていた。
「騒がしいね。あっ巧、バッティングもイケるのね」
「あのな、ジニー。感心するとこが違うぞ、ピッチャー見てみろ」
変な所を見ているジニーに、トムは溜息を付いた。
「バッティングピッチャーの人が、わざと打たせてるんじゃないの? 気分転換に」
ジニーはゲージの向こうを覗き込んだ。
「あっ……フィルじゃない、あれ……」
フィルはプラネッツのエースで、95マイルの速球派ピッチャーだった。
「遠征の時もやられてな……奴さん、マジで投げてる」
トムは呆れ顔で首を振った。
「本当だ……」
唸りを上げるフィルの剛速球を、巧は簡単に左右に打ち分けていた。
「全く……あのバッティングは野手顔負けだ。フィールディングも超一流だし……まさにベースボール小僧だな。俺達までリトルリーグに居る様な錯覚になる」
トムはまた呆れ顔で笑った。
「リトルリーグ?」
「ああ、リトルリーグの頃は何でも、どんなポジションでも出来る奴がゴロゴロいた……どの、そんな奴らの中でも、本当に最高の奴だけがメジャーリーガーになるんだ」
ジニーが呟くと、トムは笑いながら言った。
「巧はメジャーに行くのね……」
ジニーは小さく呟いた。
「多分な……でもな、巧には弱点がある」
急に真剣な顔になったトムだった。
「弱点……」
ジニーはトムの顔を不安そうに見た。
「あいつはな……優しすぎるんだ……今のままじゃメジャーでは通用しないだろう」
トムの顔は少し悲しそうに見えた。
「……巧」
ゲージの中の巧の背中が、ジニーには優しい笑顔とダブッて見えた。
「でもジニーには、その方がいいかな……ずっと巧の側にいられて」
顔を上げたトムは、優しく笑った。
「私は……」
ジニーには今はまだ分らなかった。本当は自分は……どうしたくて、何を望むのか。
「トムの言う通りだ。メジャーってのはな、どんなに技能が優れていてもメンタルの弱い、まして優しい奴なんか通用しない弱肉強食の世界。それが、メジャーだ」
側に来た監督のジムは、大きなお腹の上で腕組みした。少し、怒ってる様に見えた。
「そうだな。でも巧にはメジャーに行って欲しい。不思議な奴なんだ……巧に接した奴は皆、巧の事が好きになる……カリスマ性やリーダーシップとかじゃない、何かこう、親しみって言うか……そして、自分の果たせそうもない夢を託したくなる」
トムは巧の背中に呟いた。
「マイナーリーグの究極の仕事は、メジャーに優れた選手を供給する事だ……そこにはブロイラーみたいに感情なんて不要だ……ただ、勝てる奴を発掘し、育てるだけだ。でもな、巧と一緒にプレーするとベースボールってこんなにも楽しいって思える」
ジムはその厳つい顔を綻ばせた。
「巧っ、今度は打たせないぜ」
「打てるさっ」
フィルと巧は肩を組んでベンチに戻って行き、周囲の選手やスタッフも取巻きながら笑いの渦が出来ていた。
「ほらな、あの気難しいフィルだって……」
トムは笑いながら、頭を掻いた。
「巧……」
ジニーの胸は、温かい毛布みたいに優しい気持ちに包まれた。空はあくまで青くて高く、風は清々しかった。
「でもな。だから心配なんだ」
ジムは、さっきの怒ってる表情を覗かせた。
「……どうしたの?」
ジムには聞けなくて、ジニーは横のトムに聞いた。
「あいつ、早朝からの投げ込みでさ、カットボールの投げ過ぎで指のマメを潰した。先発は一回飛ばしで行けそうだが……明らかなオーバーワークだ」
小声で教えてくれるトムの言葉に、ジニーの胸は締め付けられた。
「練習量は前から多かった。だか、一体何があったんだ……」
「止めても聞かないなんて、始めてだ……確かにカットボールがあれば、投球幅は大きく広がるんだがな」
渋い顔のジムの横で、ルーも首を捻った。
「あいつは、大丈夫だ。身体のケアは人一倍……」
「その人一倍ケアしてる奴が、一日でマメを潰すか? 潰しても止めないって、どう言う事だ?」
擁護しようとするトムをジムは睨み付け、ルーも首を傾げた。
「マメが完治するまで、投球禁止だ」
「でも、あいつ……」
強い視線のジムが、トムをまた睨んだ。言い返そうとするが、ジムは更に強い声を重ねた。
「巧が投げれば、お前の責任だ」
「そんなぁ~。あいつ、言い出したら聞かないんだぞ……」
トムは大きな溜息を付くが、ジニーは圧し潰されそうな不安に包まれた。巧が指示を無視してでもオーバーワークするのは……自分のせいかもしれないと。
そして、巧が故障でもしたら……不安は大きくなるばかりだった。
「心配するな……縛ってでも投げさせないから」
俯き泣きそうな顔になるジニーに、トムは笑いながら親指を立てた。




