第1話 解決編
1
被害者にあてがわれていた客室を後にしたとき、僕は既視感の正体を理解した。
「まさか……」
「どうしたんだい?」
突然立ち止まった僕に、綾城さんが言った。
綾城さんが持つ容疑者の腹のうちを覗き込むかのような強いまなざしは、いま、僕に向けられている。彼女に射竦められ、それでも平然と関係者のなかに紛れ込む犯人の度胸の程度が知れた。
僕は咄嗟に「いえ、くだらない妄想ですよ」と取り繕った。
「くだらなくてもいいさ。そういった一見取るに足らない思い付きが、事件解決の糸口となることが往々にしてあるからね。これまでもそうだっただろう?」
そうだ。
探偵・綾城彩花とその助手である僕――七原五月のコンビはこれまでに何度も複雑怪奇な殺人事件の謎を解き明かしている。その際、七原の発言が事件解決の間接的なヒントになった事例はいくつかあった。
だけどそれは、七原の功績であって僕の功績ではない。
なぜなら、僕は七原であって七原ではないからだ。
「なんでもいい。話してくれ」
「……本当にくだらないですよ?」
「だから、それでいいと言っている」
「じゃあ話しますけど……」と口にしつつ僕は言葉を探している。「例の死体が――眼鏡をかけている謎について、ですけど」
「ああ、この事件の最大の謎だ」
「被害者の三島さんは――生前には眼鏡をかけていなかった――にも関わらず、なぜ死後に眼鏡をかけていたのか――」
「犯人が死体に眼鏡をかけさせたんだろうが、理由は不明だな。ただし、眼鏡の持ち主は隣室の町井涼子と割れている」
「しかも――犯人は――三島さんの死体から目をくりぬいて持ち去っている――」
「猟奇的な犯行だが……まあ、犯人がこのミステリ読書会のメンバー内にいると考えれば、いかにもな趣向ではある。しかし、それがいったいどうしたって言うんだい? まさか犯人の意味不明な行動の動機がわかったのか?」
「それでですね――つまり、言いたいのはその――えーっと――」
事件の振り返りで時間を稼ぐも、すぐに出尽くして言葉に詰まる。だがそうしている時間が長ければ長いほど、綾城さんの不信感は募っていく。
考えろ! なんでもいいからなにか思いつけ、僕!
「えーっと――その――あ、そうだ!」
思いついた!
「三島さんの死体の状況――あれって、犯人からのメッセージになってると思うんですよ!」
「まるでいま思いついたみたいな言い方だが……まあいいか。それで、メッセージと言うのは?」
綾城さんの鋭さに怖じ気づくも、僕は言う。
「《眼鏡をかけてるのに目が無ぇ!》です!」
「……………………なるほど」
と言って綾城さんは廊下を歩き出した。僕はその背中を追いかける。
……僕の評価が著しく下がった気がするが、誤魔化せたならまあいい。
とはいえ、僕が素直に本当のことを白状したところで彼女は信用しなかっただろうし、むしろ、もっと白い目で見られることになっていただろう。
それこそくだらない、愚にもつかない妄想だと一蹴されるはずだ。
僕がこの事件の結末を知っているなんて。
この世界が推理小説であるなんて。
◇◆◇◆
前世において、《綾城彩花》シリーズの名はそこそこ有名なものだった。
累計発行部数九〇万部の人気シリーズで、実写ドラマ化もされている。
僕はその読者だった。
すでに完結している原作をすべて買い揃え、通読し、何度も何度も繰り返し余すところなく読み尽くした。
端的に言うと大ファンなのだ。
だから当然、僕は知っている。
この《緑家晩餐会》で起きた事の顛末を。
《緑家晩餐会》とはミステリ読者を中心とした読書会だ。根っからのミステリ狂である鮎川哲が主宰する読書会で、無人島に建てた邸宅《緑家》にておこなわれる二泊三日の読書会と言えば特異だが、スケールが大きいだけで実態は普通の読書会から大きくはみ出たものではない。
現実の名探偵として《緑家晩餐会》のメインゲストに招待され、その際事件に巻き込まれる――この状況はシリーズの短編『緑家晩餐会の顛末』と完全に一致している。
『緑家晩餐会の顛末』において謎の中心とされるのは、《生前には眼鏡をかけていなかった被害者が、死後、なぜ眼鏡をかけているのか》《被害者の両目はなぜくりぬかれているのか》の二点。
もちろん、その謎の答えも僕は知っている。
……さて。
僕はこの《綾城彩花》シリーズの世界で、どう立ち振る舞うべきだろうか?
既にすべての謎が解けているこの世界で、僕はなにを演じるべきだろうか?
そして、《綾城彩花》シリーズ作品全体を通して描かれるあの事件についてだが……いまは置いておこう。
気がかりは二つ。
しかしその前に――
「綾城さん」
「なんだい七原くん。さっきのダジャレについてなら、大いに推理の参考になったから安心するといい」
「いえ、そうではなく。……綾城さんって、かるたは強いですよね?」
――とっとと事件を終わらせてしまおうか。
実は緑家晩餐会メンバーと綾城さんの努力により、容疑者は絞り込まれている。
被害者の死亡推定時刻である午前四時半から五時までの間にアリバイのある人物はほぼほぼいなかったが、被害者の打撲痕の位置と角度から、犯人は身長が推定160cm以下の人物であることがわかっている。
その条件に当てはまっているのが、《緑家晩餐会》の女性陣――町井涼子、天久瑞葉、鏡水脈、菖蒲谷雪菜の計四人。
被害者の三島叶もまた女性であり、ささやかではあるが容疑者が女性で固まっていることの裏付けになっている。
この容疑者四人のうちでもっとも怪しいとされているのは、被害者の隣室で、かつ被害者にかけられていた眼鏡の持ち主でもある町井涼子だ。
「そう緊張しないでください。皆さんに集まってもらったのは、ただゲームをするためです」
綾城さんが、外向きの探偵スマイルを見せながら言った。
遊戯室に集められた四人の容疑者は、それぞれ緊張の面持ちでいる。
「こんなときに、なぜゲームなんでしょうか」と恐る恐る言うのは鏡水脈。
「わたしは皆さんとの間にある溝を少しでも埋めたいのです。そのために、このような時間を設けさせていただきました」
「なにそれ。キレイゴト言ってるけど結局さ、このゲームのなかで容疑者のプロファイリングでもしたいんでしょ」と挑発的な口調で天久瑞葉。
「だとしても、犯人でなければ問題はないですよね?」
「それで、ゲームっていったいなにをするんですか?」と話をさっさと進めたそうな菖蒲谷雪菜。
「かるたです」
「え、じゃあ……あたし目が悪くて、すごく不利だと思うんですけど……」と焦る町井涼子。
町井さんは現在、眼鏡をかけていない。
死体にかけられた眼鏡が生理的に受け付けず、裸眼で過ごしているのだ。多少の不便を強いられることにはなるが、正常な反応と言えるだろう。
「その点については大丈夫ですよ。さあ、これをどうぞ」
綾城さんが差し出したのは、町井さんの眼鏡。
「えっと、これ、かけられないんですけど」
「かけられないなんてことはないんじゃないですかね?」
「あたしがっ、かけたくっ、ないんですけどっ」
「さあ、始めましょうか」
「あの、聞いてます!?」
そしてゲームは始まった。
結局、町井さんは裸眼のままでかるたをするようだ。テーブルにギリギリまで顔を近づけて、かるたの一枚いちまいに目を凝らしている。
ところで、どうしてここで綾城さんがかるたをすることになっているのか。
それはもちろん、かるたをすることで犯人が分かるからだ。
だがそのことを知っているのは僕しかいない。容疑者とかるたをするように勧めたのは僕だ。その名目は、表面上は天久瑞葉が言っていた通りの内容である。
しかしかるたを強引に推す僕に綾城さんは疑念を抱いたようで、しぶしぶ引き受けつつも「ちゃんと話は聞かせてもらうからな」との言葉を受ける。
こうなるだろうと読めてはいたが――頭が痛くなる。
これは上手い言い訳を用意しておかなければいけないな。
どうせ名探偵によって解決される事件なのに、どうして綾城さんに痛い腹を探られるかもしれないとわかっていながらわざわざ事件解決を早めようとするのか――もちろん理由はある。
そう、そもそも『緑家晩餐会の顛末』とは、連続殺人を取り扱った短編なのだ。
現時点で殺されているのは三島叶ただひとりだが、実際にはあとひとり――放っておけばまた死人が出る。
人が殺されるかもしれない状況下で、それを阻止する手段を有しているにもかかわらずのほほんと堅実な推理などしていられない。
ゆえにそんなものはすっ飛ばしてさっさと解決編に移らないといけないのだ。
かるたを読み上げるのは助手である僕だ。
「《まずはこれ、探偵と言えばホームズだ》」
パシンと音が上がり、綾城さんがかるたを取った。
次に読み上げたものも、綾城さんが取ってしまう。
そう、綾城さんはすべてのかるたの位置をすでに記憶しているため、およそこのゲームにおいて無敵の強さを有しているのだ。
「《名探偵、みんなを集めて、サテと言い》」
だが、かるたの強さを見せつけることに意味はない。むしろ、度が過ぎれば人間観察においては邪魔にしかならない。
ある程度の手加減を見せつつ、他のメンバーたちにもかるたを取らせていく。
この調子ならば大丈夫だろう。綾城さんならそのうち違和感に気づくはずだ。
そうやってゲームが進んでいき、まずは綾城さんがなにかに気づいたようにほんの少し眉を持ち上げたが、僕以外には分からない程度の変化だ。
あのことに気づいたのなら、事件の謎も解けただろう。
「《無人島、なにも起きない、はずはない》」
さらに進んで、ゲーム終盤。容疑者たちもことのおかしさに気づき始め、どよめきが生まれる。ここまでゲームが進めば、どうしても目に見えて《差》が生まれてしまう。
「《犯人を、指さす言葉は、ひとつだけ》――」
すべてのかるたが取り上げられ、ゲームが終わるころには、一同の視線はとある人物にのみ注がれていた。
「犯人はあなたですね」
と、綾城さんが言う。
その言葉は、ゲームの序列最下位――かるたをただの一枚も取れていない、菖蒲谷雪菜を指していた。
2
いよいよ探偵による解決編だ。
《緑家晩餐会》の主旨である読書会は、食堂にて行われる。会員全員が一堂に会する唯一の場が食堂だ。故に事件の説明もここで行われる。
つい昨日までは食事を楽しみつつ思い思いにミステリの面白さを語り合っていたこの場には、人の死が起きた重さと、《解決編》中の名探偵が醸す神聖な空気とが入り混じって霧のような静寂が降りていた。
静寂を破るのは――もちろん《名探偵》。
綾城彩花だ。
「――今回の事件の肝はもちろん、被害者にかけられた眼鏡と、抜き取られた眼球にあります」
まずは僕たちが押さえるべき謎の焦点を絞り、前提を共有する。
一見、犯人の異常性とも取れるこのふたつの行動には、もちろん意味がある。
菖蒲谷雪菜がなぜかるたでああも極端な大敗を見せたのか――その理由を考えれば、事件のあらましが見えてくる。
「先ほど容疑者四人を集め、かるたをしました。その際菖蒲谷さんは、なぜかかるたを一枚も取ることができなかった。どうしてそのようなことが起こったのでしょう? 結論から言いますと、菖蒲谷さんにはかるたに記されている文字を読み取ることができなかったからです」
町井さんは眼鏡をかけていないとかるたで不利と言ったが、それは菖蒲谷さんにも当てはまっていたのだ。つまり――
「いままで視力による問題が一切見られなかった菖蒲谷さんの、急激な視力低下。ここに理由を見出すなら……答えは単純です。普段は使用している視力補正器――彼女の場合はコンタクトレンズでしょう――を現在は使用していないから。これがもっとも蓋然性の高い推理です」
概要はこうだ。
犯行の際、被害者は菖蒲谷さんに強く抵抗し、そのはずみで菖蒲谷さんの片方の目からコンタクトレンズが零れた。
被害者の殺害後、菖蒲谷さんはコンタクトを落としたことに気づく。当然、彼女は殺害現場でコンタクトレンズを探したはずだ。しかし、片方のコンタクトが外れ、視力の低下した菖蒲谷さんには小さく透明なコンタクトレンズを探し出すのは困難だった。
ここで、彼女は大胆な賭けに出る。
そう、彼女は隣室に侵入し、町井さんの眼鏡を拝借したのだ。
結果、町井さんの眼鏡を盗むこと自体は無事に成功する――が、彼女はもう一つの賭けに負けてしまう。眼鏡の度は、菖蒲谷さんに合っていなかった。
結局コンタクトは見つからず、いたずらに時間ばかり過ぎていく。そのうち会員たちは起きだすだろう……そうなれば菖蒲谷さんは終わり。そんな一刻を争う事態のなかで、菖蒲谷さんはある可能性に気づく。
被害者との争いの際に外れたコンタクトレンズが、被害者の眼球の上に落ちた可能性だ。
もちろんその可能性は低い。しかし、時間のない菖蒲谷さんはもはやこの可能性に縋るしかない。
その際、じっくり検分するわけにいかない菖蒲谷さんは、《眼球ごとコンタクトレンズを持ち去って》いった。
そして彼女はその賭けに勝った。コンタクトレンズは、たしかに被害者眼球の上に落ちていた。
さて、殺害現場を後にする際、菖蒲谷さんは眼鏡の処分に困っただろう。
町井さんの部屋に再度侵入するのはリスキーだが、証拠品を現場に残して去れば足がつくかもしれない。そこで彼女は、眼鏡を被害者にかけさせることを思いつく。
そうすることで無数のメッセージ性を生み出すことができ、彼女の本当の目的を誤魔化せるためだ。ただその辺に眼鏡を置いて立ち去るのとでは印象がまったく異なる。
また、眼球のない死体に眼鏡がかけられているという単に人を殺害するだけなら不必要なアイロニーによって、《犯人の異常性》を演出することができるのも理由の一つだろう。実際、短編では《犯人の異常性》についての言及が繰り返し行われていたし、その後に発展する第二の殺人ではカモフラージュのために別の趣向の《犯人の異常性》が演出されていた(というか、カモフラージュのために第二の殺人が起きた)。
以上が、事件の顛末である。
後期クイーン的問題も太刀打ちできない事件の真相である。
以上の推理を披露した綾城さんは、最後にこう問いかける。
「動機はいったいなんだったのですか?」
それも僕は知っている。
事件の犯人であることを認め、項垂れる菖蒲谷さんに用意されている台詞は――
「《解釈違い》よ……」
◇◆◇◆
事件という目の前の問題をとりあえず片づけた僕は、ゆっくりと今後について考える。
七原五月としてここにいる僕は、今後どう立ち振る舞っていくべきだろうか?
今回、僕は事件の解決に大きく関わった。それも、不自然な形で。
そのことは綾城さんも分かっていて、すでに怪しんでいることだろう。
今後事件に遭遇したとき、今回のように事件解決に直接つながる重大なヒントを綾城さんに与えてもいいのだろうか? 今回の僕の対応は冷静ではなかった。次なる被害者が出るのを阻止したいがために、勢いでああいう行動を取ってしまったが、僕はこの物語の正史通りに振る舞うべきじゃないだろうか?
だが、僕が七原五月になったことで、物語の内容に変化があったら? そのことで、綾城さんが解けるはずの謎が解けないという事態になってしまったら?
事件が起きているのに見過ごすことはできない。そのとき僕は、すべての答えを知り尽くしている者として、探偵を正史通りに導き物語を調整していかなくてはならないだろう。
あくまで探偵の助手として。
気がかりはもうひとつ。
現在の時系列が『緑家晩餐会の顛末』時点なら当然のことではあるが、七原はすでに、あの事件を起こしている。
シリーズ全体を通した謎である――秋庭幸慈殺人事件を。
七原が犯した殺人について、僕はどう振る舞っていくべきなんだろうか?
お読みいただきありがとうございます。
読んでいただいたうえでお願いを重ねるのは厚かましい限りなのですが、新しい読者に繋げるためにも、面白そうと思ってもらえたら下記の欄よりブックマーク、評価、感想など気軽にいただけるとめちゃくちゃ嬉しいです。
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