誘拐された盲目少女と誘拐した犯人さんは話したい。「そのお話は長くなるのでしょうか」
「僕たちの関係ってどんな関係だったっけ」
トイレに行こうと部屋を出た瞬間、いつも通りリビングのソファに腰かけているらしい彼から、そう口火を切られました。
こまかい私の素性は省きますが、場所は……、形容しようとしましても、私の触れられる範囲には私が出てきた寝室の扉と、手探りで進まなければいけない私の為に壁に設置したと彼が言っていた手すりくらい、でしょうか。
鼻先には新築に近い臭い、といいましょうか。丁寧に掃除され、においにも気を使っていただいているのか、消臭剤のにおいも漂ってくるので、彼は相当まめな性格なのではないかと度々思います。
あと把握できることと言えば、ざらざらとした壁紙の感触くらいで、他に分かる情報はありません。
つまりは、部屋を出た私に同居――というべきでしょうかやや複雑なのですが――をしている彼が、突然話しかけてきた、という場面になります。
突然の事でしたので、数秒ほど右腕でもった手すりに体重を預けて考え込んでしまいました。
生憎、私は目で世界を見ることが出来ないので、彼の声色でしか判断することはできませんが……。声色からして、トイレに行こうとしている私を邪魔をしようとしているのではなく、私が部屋から出てきたので会話をしたくて止めた。といった声色をしていらっしゃったので、素直に応答することにしました。
意地悪をするつもりはありませんので。
「どういう、と言われましても……。誘拐犯と、その被害者ではないでしょうか」
彼との関係は世間体はともかく、そう複雑なものではない、と判断しています。
目が見えず、一人で道を歩いている私に運命を覚えて連れ去った騎士様、と本人はおっしゃっていましたけれど、騎士様にしては強引ですし、大変危険な手段を用いたようですから、やはり誘拐犯と被害者という言葉がしっくりきます。
ただ、この関係に私は納得をして暮らしているのもまた事実でした。
なにより、他の人と一緒に暮らすことよりも気を張らずに済む、と言いますか。吐息から私と喋るときは気を付けているのだと分かりますし、助けていただくときも、私が不快に思わないか一度考えてくださる触り方をしていただけているので、特別不快に思う事なんてありません。
とりあえず、字面こそ危うい表現ですが身の危険は感じない、と言ったところでしょうか。
しかし……。
「そのお話は、突然切り出す内容でしょうか。すごく唐突、と感じてしまいます」
「そうかな」
「はい。あなたにしてはその、唐突だなと感じてしまったので」
「ああ、そっか。いや、その……せっかく君が部屋から出てきたから何か話さなきゃって思ってつい。何も考えてなかった。ごめん、急に話しかけちゃって。もしかしたら、僕は疲れてるのかもしれない」
彼が身動ぎする気配がして、声がくぐもってしまいました。おそらく、下を向かれたのでしょう。
未だに彼が何をやっているのかは聞いていませんが、彼の仕事が隠すことが専門ではない限り、息のつき方も態度も平常時のそれだったので、間違いなく話したかっただけが理由だったのでしょう。
「はあ……。そうみたい、ですね」
「いがい?」
「そうですね。失礼なお話ですが、ずいぶんといがいだと感じてしまいます」
「意外か。どうしてか、っていうのを後学の為に聞いてもいい?」
「そうですね……。もし本当に疲れているだけ、というのなら特別不思議には感じません。あなたは度々買い物や、私の日用品を買いに行ってくださっていますし、それ以外の事もきっとやっていらっしゃる方だと理解しています。ですが、今回の件。疲れていて意味のない会話を突然切り出したのか、と言われれば、そうではないかなと思います」
「ずいぶん遠回しな言い方なことで。えっと、とりあえず、それ以外で意外に思ったってこと?」
「…………。あっ、えっと、面白いことを言うのではないかと?」
「…………。えっと、なにが?」
「意外と以外。二つの言葉をかけて連続して口にしていらっしゃったので、そう言うものかと思いまして」
「……ごめん。せっかく気づいてくれたことは嬉しいけど、そのフォローはいらないと思うし、そのつもりはなかったから。話を続けて。普通に恥ずかしい……」
「はい。あなたはご自分からお話を振られるタイプではない、というのが素直な気持ちです」
「……僕から話を振ったことは無かったっけ」
「割と?」
「割と」
「はい、割と。……ですが、あなたは私が驚かないように、声を張らずに、出来るだけ同じ目線だったり、今のように決まった位置から話しかけてくださっています。それ自体はすぐに誰か分かるのでとても助かっていますけど、自分から話しかけに来るタイプではなかったとだけ」
「ああ……そっか。割とってことはある程度気が付いてたのか……」
彼の声色から、意気消沈しているようでした。彼は私の事を優先してくださっているのですが、誘拐犯と被害者という関係に変わりはありません。少し、見えない線を越えすぎてしまったでしょうか。
人との距離感は本当に難しいと感じてしまいます。
「……すいません。言わない方がよろしかったでしょうか」
「ああいや、ごめん、謝らせる気はなかった。もうちょっと抑えたほうが良いのかなって思って」
「それは、気にしていただかなくても今までと変わりありませんので。むしろ、叔父たちの家にお世話になっていた時よりは気楽ですのであなたが気にかけてもらう必要はないと思っています」
「よーし、分かった。もっと気を付ける」
そのつもりはなかったのですが、もっと注意深くなる決意をされてしまいました。本当にあまり気を使っていただかなくてもいいのですが……。
まあ、当人がやるとおっしゃっているので、止めないことにしました。
「あはは、色々気にしてそうだね。でも気にしないで。これは僕の性分だから」
彼には私の考えていることが筒抜けなのか、何も言っていないのにそう返してくださいました。
このタイミングで気にしないでほしいと言われると、つい顔に出てしまっているのか気になってしまいます。
……出ているのかもしれません。
とにかく、当人が気にするなと言ったので出来るだけ気にしないことにしました。なので、直接顔に出ていたかを聞くことにしました。
気になりますので。
「あの非常に聞きにくいことなのですが、気にしていることは顔に出ていたでしょうか」
「ん、君はそう言う人間でしょ。気にしないでって言ったら気にする。僕はそう考えて君が出来るだけ気にしないで済む会話をしようと思っただけだから……あー、とにかく、気にしないで」
「はあ……。理解できていませんが、とにかく気にしないという件は分かりました」
「うん。そう言ってくれるとありがたい。君への行為が全部自覚されるほど恥ずかしいことは無いからね」
どうやら、彼のやりたい事と言いたいことを全部把握するのは彼を辱めてしまうらしい。今後は気を付けたほうがいいかもしれません。
まあ、見えない事なので気を付けられるとは限りませんが。
ところで、今はちょうど話が切れるタイミングになったでしょうか。
まだ話足りないと、おそらく彼も感じていたのでしょうが、我慢していた下腹部の抑えが効かなくなりそうでした。このまま我慢をすると彼の仕事を増やしてしまいそうなので、とりあえず「あの」と手をあげさせていただきました。
「せっかくなのでお話をしたいというのも、お互いに気にしないというお約束を交わすのも構わないのですが……」
「ん、どうしたの?」
気を悪くしてしまった、というわけではなさそうですが、どこか気を張ったような彼の声が聞こえてきました。
そこまで、気にすることではないのですが、気にしてはいただきたい内容ではあります。
「その、私が部屋から出る理由は数少ないと分かってらっしゃると思いますが、とりあえず花を摘みに行かせてもらってもよろしいでしょうか」
よほどお互いに余裕がなかったのを自覚してしまったのか。震えた声色で「どうぞ」とくぐもった返事を返していただきました。
・こちらの作品は投稿されている『盲目少女の見る世界』の過去話……というか前提となるお話のSSになります。その後が気になる方はそちらも併せてごらんください