200年目の再会
「ねぇたっくん。どうして私に黙って機械化を選んだの?」
巨大な恒星間移民船の中にある記録室で、プラネタリムのような記録映像を見ていたエリナは、呟くように尋ねてきた。
僕が身体を捨てたのは、もう200年も前になる。当時地球は、とある新興宗教の信者が作った生体兵器に滅ぼされかけていた。新興宗教の教義を忠実に守る生体兵器は、完成するとすぐに創造主である新興宗教そのものを滅ぼし、その後数年かけて世界中の主要都市を壊滅に追いやったのだ。
対抗手段を持たなかった人類は、這々の態で宇宙に逃げ出した。その時に宇宙に出た恒星間移民船のうちの一隻が、僕らが乗っている移民船である。
「ご質問の意図がわかりかねます。質問内容を変更してください」
目覚めたエリナと交わすこのやりとりも、もう何度目になるだろうか。200年前、僕らは付き合っていた。いわゆる恋人というやつである。
出航の際、宇宙の食料事情が厳しすぎたため、エリナを含めたすべての乗員はコールドスリープで眠りについた。しかし、僕だけは志願して脳をこの船に組み込んでもらった。メインコンピュータの製造が間に合わなかったこの船で、エリナを安全な新天地に運ぶために。
そのことをエリナは知らない。話していないからだ。
エリナは目覚めてすぐにこの船の乗員名簿を確認し、そこに僕が含まれていないことを知ると、目に見えて憔悴していった。そして、いつの間にか僕のことを恋人と思い込んだ。
事実そうなのだが、証拠はないはずなので単なる思い込み、おそらくは精神の病だ。
この船は200年かけて新天地の惑星を見つけ、先週リスクの高かったコールドスリープの解除にも成功した。あとは安全な惑星を開拓して、幸せになってもらうだけだと言うのに。
この200年、僕はエリナの笑顔が見たくて頑張ってきたのだ。僕が見たい顔は、こんな憔悴した顔じゃない。
「じゃあ、質問を変える。私のコールドスリープマシンだけ、電力が2割多めに消費される仕様に変更されてたわ。調べて見たら、制御コードが書き換えられていた。日付は150年前で、コードにはあなたの署名付き。こんなことができるのはたっくんだけだよね?」
ふと、彼女の職業を思い出す。解放軍のプログラマーで、職場では年下の先輩だった。
確かに、150年前にエリナのコールドスリープマシンに細工をしたのは自分だ。コールドスリープ解除時のリスクを少しでも下げるために、電力節約のために省かれた機能を復活させてある。が、まさかそんな細かいところを調べているとは思わなかった。
「ご質問の意図がわかりかねます。該当する人物は当艦に乗船していません。」
動揺を音声に乗せないよう注意しながら、否定の答えを返す。今さら、僕が名乗りを上げたところで、彼女が幸せになるとは思えないからだ。
絶対に肯定はできない。
「他にもいろいろ証拠はあるのだけど、じゃあいいわ。私、死ぬことにするから」
彼女はぽつりと呟いて、半ば寝そべるような形になっている座席に身を沈めた。プラネタリウムの全天の映像は、追跡してきた生体兵器との遭遇戦にさしかかっている。約100年前の出来事で、映像だけ見れば、無音の中で迸る粒子砲の光の柱が印象的で美しい。
生体兵器との遭遇戦でも揺らがなかった僕の固い決意は、エリナの揺さぶりを前に揺らぎだしてしまった。
エリナは昔から有言実行タイプだ。やるといったらやる。
もしも本当にエリナが死んでしまったらと思うと、いてもたってもいられない。抱きしめる腕がなくなってしまったのが、本当に口惜しいと感じる。
「たっくんの細胞が分裂限界を迎えたのはだいたい10年前。たっくんのことだから、もうすぐ死ぬなら自分はいないことにした方が良いとか思ったんでしょうけど、残念ね。詰めが甘いし、私にとってそれはありがた迷惑でしかないの」
返事ができなかったことで、確信を深められたらしい。エリナは夢遊病者のように言葉を紡ぐ。
「だから、たっくんが死んだら、私も後を追うことにする」
彼女は、やるといったらやる人だ。
「お願いだからそれだけはやめて。僕はエリナのために、ここまで辿り着いたんだ。僕が生きた意味を、壊さないでほしい」
僕は降参することにした。彼女が死ぬ可能性を、僕は許容できない。
「ほら、やっぱり」
認めると、彼女の声は少し明るくなった。
記録映像には航路上の小惑星を破壊し損ねて、船体の一部に穴が開く事故の様子が映っている。
あの時は大変だった。その区画にあったコールドスリープマシンの電源系が故障して、修理に2時間かかった。一応、その後コールドスリープマシンを再起動できたものの、その区画の乗員はコールドスリープを解除しても40人ほどが目を覚ましていない。
影響があったことは否定しようもないだろう。
「いろいろ言いたいことはあるけれど、まずは長い間私を守ってくれてありがとう。ここまで、大変だったみたいだね」
エリナは少しだけ身体を起こすと、カメラに向かって微笑みかけてきた。
200年ぶりの微笑み。恋焦がれていた微笑み。もしも僕に涙腺が残っていたなら、きっと泣いてしまっていただろう。本当に懐かしい微笑みだった。
「大変だったよ。だけど、多分あいつらははまだ諦めてない。僕はもうすぐいなくなるけど、エリナはこれからの人類に必要な人材だよ。だから、死ぬとか言わないで」
彼女は寝ころんだまま、僕の説得を鼻で笑って見せた。
「たっくんは変わらないね。でも、私のためとか、人類のためとか、私には関係ないの。だから前言撤回はしないわ。あなたが死んだら、私も死ぬ」
ああ、懐かしい。絶対に言いくるめられないこの感じ。頑固で、どんな困難でも有言実行で乗り越える天才プログラマー、それが彼女だ。
「僕はもう助からない。明日停止してもおかしくないんだ。」
必死の説得にも彼女は耳を貸さない。手元の端末で何かを調べ始める。
「たっくんはお爺さんになって耄碌しちゃったのかしら。調べたところでは、脳神経型の量子コンピュータも、ここ200年でけっこう進化してるじゃない。身体を捨てたぐらいだから、脳を捨てても問題ないわよね?たっくんの精子はちゃんと保存されているようだし、まだ諦めるには早いわ。」
エリナはいったいどこまで把握しているんだろうか。隠蔽工作は万全だったはずなのに。
だが、彼女がやろうとしていることは、ぼんりと理解できた。彼女は、僕をそっくりそのままコンピュータに移植する気らしい。
「僕には君を含めた乗員をあの星に降ろす義務があるんだ。優先順位を間違えないでくれ」
「たっくんは機械化の相談を私にしなかったわ。私はたっくんに守られたいとは思ってないの。だから、私もたっくんのお願いには従わない」
エリナの頑固さは、何も変わっていない。僕に肺が残っていれば、間違いなくため息をついていたと思う。
「一方的な愛で200年も捧げられたって、重たいだけだわ。幸せになるなら、二人合わせてよ」
エリナがポンとキーボードを叩くと、サポート用のAIが急に緊急事態を報告してきた。内容を確認すると、移民船内の最上位管理権限がエリナの端末に奪われたというものだった。
「ちょ、ちょっと待って!今のどうやったんだ!というか何するつもりだ!」
彼女の意図が読み切れず、思わず取り乱してしまう。最上位の管理権限が奪われるというのは、船の指揮権の一切を奪われたということで、その気になれば船ごと太陽に飛び込むことだってできる。下手をしたら事故まっしぐらだ。
そうならないよう、幾重にも防御網が施していたはずなのだが、一瞬で潜り抜けられた。
元々天才だとは思っていたが、まさかここまでとは。
「200年前と同じパスワードって、たっくん馬鹿なの?私の誕生日が含まれているのは嬉しいんだけど、防犯っていう意味では最悪ね。でもまぁ、心配しないで。あなたの意思通り、私を除く乗員はちゃんとこの星に降ろしてあげる」
エリナの操作によって、僕が立てていた計画の中から、彼女だけが削除される。そして、そのまま各種サポートAIに計画の実行指令が発令された。
「無茶苦茶だ!」
慌てて最上位権限を奪い返そうとして、簡単にブロックされた。仕方がないので、エリナが使っている端末の回線を物理的に切ろうとするが、全部失敗する。
「ちなみにたっくん、邪魔するならあなたでも容赦しないからね。」
あっという間に、僕の管理者権限が閲覧のみの設定に返られてしまった。元々手も足もなかったのだが、文字通り手も足も出なくなる。
「いっつもそうだ!僕が心配しているのに、そうやって強引に捻じ曲げて!」
感情的になってしまったのはいつぶりだろうかと頭の片隅で考えつつ、怒りが抑えきれない。音声出力できるのがエリナのいる記録室のスピーカーだけになっていたので、鼓膜が破れない程度の大音量で声を叩きつけてやる。
腕が残っていたら、殴りつけてしまっていたかも知れない。
「その言葉、そっくりそのまま返してやるわ。」
エリナは耳を押さえることもせず、笑いながらキーボードを叩いている。コールドスリープから目覚めた他の乗員たちに対しては、状況の説明が開始されているようだ。相変わらず仕事が早い。
「これがたっくんが見つけた新しい星ね。すごくキレイじゃない。」
いつの間にか、記録室のプラネタリウムの映像は現在まで追いついていて、地球に似たきれいな青い星が映っている。まだ名前も付けられていない、人類の新たな新天地だ。
「さて、私に手も足も出ない、詰めの甘いたっくん。何か言いたいことはある?」
彼女はすっかり上機嫌になっていて、最初の憔悴が嘘のように明るくなっている。
エリナの笑顔も見れた。200年かけた仕事の終わりも見えた。昔と同じように喋れるようにもなった。
彼女の思惑通りになったのだけが癪だけど、心残りはもうない。いや、まだ最後に一つだけ。
「全部任せるよ。それでもし、僕がエリナと一緒に生きられるようになったら、僕と結婚してほしい。」
その言葉で、彼女の笑顔が弾けた。
僕はそんな彼女をカメラ越しに眺めながら、エリナならきっと成し遂げるだろうな、と、そんな事を考えていた———
これまでの人生で一度も恋愛モノを書いた事ないなぁと思い立ち、書いてみたんですが、一回目と二回目はうまく書けないままボツになりました。
僕にはいちゃいちゃシーンを書く才能はなかったようです。
3回目を書く前に、嫁に相談してから書いたらこんな形になりました。
多分、この作品が嫁が読んだ最初で最後の僕の作品になるんでしょうね。
嫁にも読んでもらえるような面白い小説が書きたい……