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存在証明サービス

作者: 村崎羯諦

「宮下様がご利用されている存在証明サービス・スタンダートプランの有効期限の終了が近づいております。サービスの継続を行う場合には、Web上での継続申請および料金の支払いをお願いいたします。料金の振り込みが確認されない場合には、自動的にサービスは解約されるため、ご注意ください。なお、解約手続きと解約理由についてのアンケートを……」


 送信されてきたメールの文面を読み進めると同時に、俺の頭は真っ白になっていく。メールの受信日時は二週間前。継続申請の締切は明日。継続に必要な金額は約10万円。そして、俺の今現在の所持金はゼロ。解約。その言葉が俺の頭に思い浮かんだ。


 存在証明サービスはその言葉通り、誰かがそこに存在していることを第三者が証明してくれるというサービスだった。サービス利用者に対して、週に一回程度、存在確認のための連絡と簡単な雑談を行う。そして、存在が証明された利用者に対して、この世にたった一つしか存在しないユニークなIDが付与された存在証明書を発行してくれる。コースのプランによって差異はあるものの、サービスの基本はこのようなものだった。


 誰がこんなくだらないサービスにお金を払うのか。そう言ってバカにする人間も多い。しかし、少なくとも俺にとっては、すなわち友達も家族もいない、職場においても一人の人間として扱われることのない人間にとっては、このサービスは自分という人間の存在を確認できる、たった一つの手段だった。たとえ物質的な豊かさを一人で満たすことはできる。しかし、自分がここに存在するという安心感は、自分ひとりでは決して得られるものではない。だからこそ、俺は今まで生活費を切り詰めてでも、この安くないサービスを利用し続けてきた。そして、それが今終わろうとしている。それはつまり、俺という存在を保証してくれる誰かがいなくなるということだった。


 とにかくお金を工面しないといけない。しかし、今の俺には貯金も何もないし、キャッシュローンだってもう限度額まで借りてしまっている。そうなると、消費者金融からお金を借りるしか方法はない。お守りとして持ち歩いている存在証明書をポケットに入れ、俺はよれよれのコートを羽織って消費者金融へと向かった。


「大変申し上げにくいのですが、当社の判断基準からすると、ご融資は難しいですね」


 長い待ち時間の後で、消費者金融の担当者が顔をしかめながらそう答えた。納得できないと俺は食い下がるが、判断理由はお答えできませんと突っぱねるだけ。それでも俺がしつこく尋ね続けると、根負けした担当者が面倒くさそうな態度で「安定かつ継続した収入がある人でないと融資は難しいんです」とつぶやく。


「それにですね、この利用用途の部分。存在証明サービスの利用継続のためというのもよろしくないですね。いえ、私もこのサービスはニュースで知ってますよ。でもですね、生活費みたいな喫緊の理由ならいざしらず、別にこれをなくても死にはしないでしょう? それに自分の存在証明が欲しいなら誰か友達や家族にでも頼めばいいじゃないですか」

「だけど……えっと……それは、そうですけど……」


 咄嗟の反論が思い浮かばずに俺は口ごもる。担当者が立ち上がり、これで終わりですので他をあたってくださいと無情にも言い放った。そして、俺は追い出されるように消費者金融を後にした。


 そのまま他の消費者金融でも融資も断られ続け、俺はお金を準備できないまま継続申請締切日を迎えてしまった。サービスが終了したからと言って、今日、明日で死ぬということはもちろんない。しかし、週に一回は必ずあった存在確認がなくなり、俺のことを気にかける存在がいなくなったという事実は、真綿で首を締められているかのように俺の精神を徐々に蝕んでいった。


 同じ時間に同じ仕事を行い、誰とも話すこともなく一日が過ぎていく。定型化された仕事を黙々と行い、時間がくればタイムカードを切って職場から自宅へ帰る。帰宅してもやることはもちろんない。ただ暗い部屋の中でぼーっと何もせずに時間を過ごし、夜が更ければ明日の仕事のために早く寝る。その繰り返し。俺の生活の中に他者は存在せず、そして、他者の生活の中に俺は存在していなかった。無味乾燥の生活の中で、誰も俺の名前を呼んでくれない。その事実が、俺の存在をさらに不安定にさせていく。


 日に日に思い詰める時間が増えていき、そしてサービス再開のための仕事へのモチベーションも消えていった。仕事は無断で休むようになった。だからといって、誰かが俺の心配をしてくれるわけでもないことが余計に悲しかった。俺は気がつけば家をフラフラと外へ出て、沢山の人が行き交う街を徘徊していた。誰も彼もが俺の存在に気がつくこともなく、それぞれが目的とする場所へと歩いていく。俺は意味もなく道の真ん中で立ち止まってみる。しかし、歩行人たちは少しだけ迷惑そうな表情をするだけで、俺を避け、そして何事もなかったように再び歩き出す。まるで街路樹だ。俺はふとそんなことを考える。周りの人間の意識のなかに俺という存在はいない。俺を可哀想に思う人もいない。そして、誰も俺の名前を呼んでくれる人間はいなかった。


『なんと! 存在証明サービスは皆様のおかげで三周年目に突入! それを祝して、大々的な割引キャンペーンを実施中!! 申し込みはお早めに!!』


 俺は広告モニタから流れるCMに気がつく。料金についての詳しい説明が流れたが、たとえ割引価格であろうと、今の俺には準備ができないという金額だった。胸の奥から恐怖心が湧き上がり、そして俺の身体を包み込む。誰とも会話をしていないから思考がまとまらない。まるでまどろみの中にいるかのようだ。俺は本能的に近くにあった飲食チェーン店へとふらふらと入っていった。店の中は昼を過ぎていたということもあり、閑散としている。俺の来店に気がついた女性店員が「いらっしゃいませ」と明るい表情で声をかけてくる。


「俺の、俺の名前を呼んでくれ! 俺の名前を!」


 気がつけば、俺はその女性店員の両肩を掴み、そう叫んでいた。女性店員が悲鳴をあげ、店の奥から男が数人現れる。俺は男たちから身体を力づくで離されたが、俺の行き場のない気持ちはもう抑えられなかった。静止してくる男たちを振り切り、俺は恐怖に突き動かされるがまま店の中で暴れだす。商品を薙ぎ払い、レジをひっくり返す。机を乱暴に蹴り上げ、壁にかけられていたポスターを勢いよく破いていく。他の客たちの悲鳴。数人がかりで再び襲いかかってくる男性店員たち。俺は生きるために、自分の存在を主張するために、がむしゃらに暴れまわった。そして、薄れゆく理性の中で、わずかにパトカーのサイレンが聞こえてくるような気がした。



***



 俺はその後裁判にかけられ、執行猶予なしの実刑判決がくだされた。正当防衛が認められなかったことが唯一の不満だったが、少なくとも今の俺はこの判決に満足していた。誰も俺の存在を知らない世界なんかより、俺の名前を呼んでくれるこの場所の方が、俺にとってはずっとずっと幸せな場所だから。


「213番の宮下」

「はいっ!」


 俺は立ち上がる。そして、俺の存在を認め、俺の名前を呼んでくれる刑務官の元へと、急いで駆けて行くのであった。

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